10:君の墓石には記されるだろう
「キャプテン」
と、洋瑛は言った。
「俺たちはG地区解放作戦のための特殊部隊なんですか」
毎度の朝礼時であった。兵舎の前に1列に並び、峠大尉に敬礼する。峠大尉がただ一言「今日も励むように」と述べるだけである。終われば田中中尉とともに管理本部棟に去っていき、ラットローグとブルースカー、笹原少尉の指示で1日の訓練にとりかかるのが常であるが、
「俺たちはG地区解放作戦のための特殊部隊なんですか」
と、洋瑛は言った。
天進橋に連行されてから約二週間、教官たちへの問いかけは許されなかったし、許されない風潮であった。しかし、洋瑛は峠大尉の去り際、「キャプテン」とラットローグが使っている呼び名で峠大尉の足を止めたのであった。
「俺たちはG地区解放作戦のための特殊部隊なんですか」
いつもなら、ラットローグとブルースカーがただちに銃身を持ち上げてくる。しかし、鬼と悪魔は洋瑛が峠大尉を呼び止めても、左手に被筒を右手に銃把を握ったまま、動かなかった。
東の空に朝日が白白と染み渡り始めているが、天進橋の主塔はまだ薄闇をまとっている。赤色灯の明滅も、まだ、はっきりとしている。峠大尉の盛り上がった背中も、輪郭は緩やかな藍空の下に判然としない。
雪村と杏奈はうつむいていたが、ほかは皆、峠大尉の背中に視線を集めていた。
「そうだ」
と、言って、峠大尉は制帽の下の分厚い顔を振り向けてきた。洋瑛を見つめる目は眼光に鋭くなく、むしろ、眉間に当惑の皺を寄せて、洋瑛を遠い姿のように眺めてきていた。
「どういうことか説明してもらえますか、キャプテン」
田中中尉や笹原少尉が驚き、彼らに息を呑ませたのは、洋瑛の声が奏でる「キャプテン」という言葉だった。洋瑛がすでに一歩踏み込んできた現れだった。そして、洋瑛の瓜実顔――、田中中尉や笹原少尉の教官であった近田咲良少尉にそっくりの顔立ちは、静かなる殺気に落ち着き払っていた。
昨晩、言っていたとおり、教官たちが聞いたとおり、洋瑛はあらゆる覚悟で形成されている。
そして、峠大尉もやはり覚悟を決めていた。責任を取る、と、言ったいたとおり、洋瑛に殺される覚悟も、しかし、13人を死地へ道連れにする覚悟もできていた。
「いいだろう。付いて来い。すべてを教えてやる」
13人は管理本部棟の会議室に集められ、コの字型に並べられた机に沿って席に着いていた。ラットローグもブルースカーも小銃を手にしておらず、田中中尉は会議室の隅で腕を組んでうつむきがちでいる。笹原少尉がプロジェクターに電源を入れ、ノートパソコンを操作すると、ブルースカーによって室内照明が落とされ、峠大尉の巨漢とプロジェクタースクリーンだけが、真っ白な光に浮かび上がる。
「まず、本作戦の内容を述べるよりも先に、貴様らに伝えることがある」
峠大尉が笹原少尉に目配せすると、スクリーンにはとある少年の顔写真が映された。
睨みでしかなかった洋瑛の瞼が若干、力みを失う。ほかの皆もはっとしてしまう。
「だれ、これ? イケメンくん?」
机にもたれかかりながらのワイルドキャットに片岡が人差し指を立てる。
「1月4日、貴様たちの前から姿を消した吉沢琥太郎だ」
わかりきった峠大尉の言葉のあと、プロジェクタースクリーンは違う顔写真に切り替わった。齢は小学校低学年ぐらい、一目瞼の少々ふくよかな男子児童である。
「これも吉沢琥太郎だ」
はっきりと違う。人によって幼少期と少年期の顔形は変わるだろうが、洋瑛たちの知る吉沢は目鼻立ちがはっきりとしており、スクリーンに映し出された児童とは似ても似つかない。
「なんだ、イケメンくんは整形したのか」
「ワイルドキャットちゃん。次に私語を発したら叩き出しますよ」
ブルースカーの注意を受けて、ワイルドキャットは下唇を突き出す。
「整形じゃない。別人だ。しかし、どちらも吉沢琥太郎だ。だが、本物の吉沢琥太郎は8年前にすでにこの世に存在していないことが、軍の調査で判明した」
皆が眉をしかめる。峠大尉の言っていることがわからない。
「貴様らが知っている吉沢琥太郎は、吉沢琥太郎という人間に成り済まし、特殊保安群に潜入しようとした反体制組織のスパイだ」
「えっ――」
声が上がって、ラットローグが「静かにしろ」と甲高い声で促す。だが、照明の落とされた暗がりの中で、当惑の表情は隠せない。
洋瑛はうつむいていた。薄々感づいていたことである。その思考から逃げ回ってきていたのである。しかし、現実を突きつけられて、怒りとも悲しみともつかないものが洋瑛の体内を巡り、洋瑛はその熱さに耐えるようにしてうつむいた。
スクリーンには洋瑛たちの知る吉沢が再度映されていた。口許にかすかに微笑みが覗く丸刈りの少年である。はっきりと縁取られた瞳に睫毛をかぶせ、ただただ、どこかを見通している。
峠大尉は述べた。1月4日以降、国防軍統合参謀本部から派遣された調査団により、吉沢琥太郎の行方が追われた。すると、彼の保護者とされていた叔母は1月4日のうちに首を吊って死んでいた。さらに追求していくと、本物の吉沢琥太郎は8年前を境に家族とともに姿を消していたことが判明した。
そして、5年前、偽物の吉沢琥太郎は偽りの叔母とともに国防軍情報部に申請した。自らは絶対記憶のトランセンデンスであると。
「真奈。貴様もそうだったからわかるだろう」
たいていのSGは生まれたころからトランセンデンスとして国防軍に監視されているが、親族にトランセンデンスがいない者でも稀に出現する。身体能力に優れたトランセンデンスであればすぐに判明するが、知覚系のトランセンデンスであると自分自身でも気づかないことがある。
「それを利用し、反体制組織は吉沢琥太郎を兵学校に送り込み、ゆくゆくはSGにするつもりだったのだろう。こいつのトランセンデンスは絶対記憶だ。データを持ち出さずとも、一目見ればすべてを記憶できる。諜報活動においてこれほどのトランセンデンスはない」
しかし、と、言葉を繋げつつ、峠大尉はプロジェクターの照射から逃れるようにして、笹原少尉の隣に腰掛けた。
「ここからは推測だが、吉沢の成り済ましは高速運動のトランセンデンスでもある」
特殊保安群情報部は、衛星カメラが捉えている1月4日の録画映像を荒砂山近辺に定め、砂場で針でも探すかのようにして目を通していった。すると、荒砂山に隠れていたウィアードが発生時刻前に何者かの手引きで兵学校に導かれている様子があった。
「だが、この手引きした者は吉沢琥太郎ではない。こいつはウィアードを送り込んだと同時に車で立ち去り、今も逃げ回っている」
地上の人間の顔形まで鮮明に捉えられるカメラであるが、日が落ちてしまうとカメラには闇と明かりだけしか捉えられなくなる。
「ということはだ、貴様らの前から姿を消した吉沢琥太郎も衛星が捉えているはずだ。だが、捉えていない。貴様らも知っているだろうが、SGが山狩りもしている。しかし、吉沢の姿はどこにもなかった。こんな真似ができるのは吉沢琥太郎が高速運動トランセンデンスだからだ」
学生たちは聞いたことのないトランセンデンスの種類に呆気に取られていたが、洋瑛だけはやや錯乱していた。峠大尉の言っていることがわからなくなってきた。そもそも、衛星カメラの話が真実かどうかも怪しんだ。
ただ、真実であった。洋瑛はウィアードを葬った高速運動トランセンデンスである。しかし、吉沢琥太郎も高速運動トランセンデンスであった。
彼は絶対記憶と高速運動のデュアルトランセンデンスなのだった。
ゆえに、一瞬すら及ばない一瞬のうちに荒砂山22期生の前から消えたのだった。
「吉沢琥太郎の成り済ましはおそらくG地区に戻った。反体制組織はG地区に拠点を置いている。はっきり言おう。G地区にはトランセンデンスがいる。トランセンデンスによって組織された反体制組織がある。通称、D、だ」
学生たちは固まった。雪村や杏奈から聞いて、彼らはDがテロリストとしか考えていなかったのである。もっとも、雪村も杏奈もDがトランセンデンスとは聞いていない。
「Dは、高速運動トランセンデンスを従えているようなテロリスト集団だ。これは国家の極秘事項だ。貴様らも会うことのできないような国会の先生方でも知らない超極秘事項だ。この事実を知るのは、内閣総理大臣、内閣官房長官、国防大臣、総務省と厚生省の役人のトップ、国防軍では統合参謀本部、G地区方面軍の師団長及び参謀部、特殊保安群の一部のみ――」
プロジェクタースクリーンにはいつのまにかG地区の衛星写真が映し出されている。ウェブに掲載されている民間の衛星カメラが撮影したG地区は光の屈折で真っ白だが、スクリーンには放水路に囲まれた緑豊かなG地区が映し出されている。
「Dがウィアードを使って兵学校を襲撃させたのは明らかだ。だが、国防軍による攻撃は内戦状態を引き起こし、国家に混乱を招く。幸いDは軍隊規模の火力を保有していない。トランセンデンスの能力のみで、これまでに要人の暗殺や、襲撃、こうした卑劣な手段を犯し、そして、貴様らも狙われた。将来のSGを葬ることによって、弱体化を計り、事実、我々は38名ものSG候補生を失った」
して、スクリーンには1月4日の森姫山兵学校――、ウィアード制圧直後にSGによって撮影された教室内が映し出され、血と肉に散乱した惨状は学生たちの目を背けさせた。ノートパソコンを操作した笹原少尉さえ視線を伏せていた。
「森姫山21期生は貴様らと同じように仲間と肩を並べてメシを食い、風呂で背中を流し合い、残り3ヶ月で貴様らがその腕に着けているワッペンを手に入れるはずだった。自分を育てた人々に再会するはずであった。貴様らと同じ夢を見ていた。貴様らと同じように恋もしていた。だが、このざまだ」
峠大尉はプロジェクターの電源を落とした。ブルースカーが照明を灯す。どれもこれも顔が伏せられて、蛍光灯の白い光に頭だけが並んでいる。
「貴様らに復讐をしろとは言わん。だが、国家はこれに復讐することとなった。Dを叩き潰し、G地区を取り戻すこととなった。じきに国防大臣から作戦指令の通達が発せられる」
峠大尉が睥睨していく中で、圭吾は唇を結んで机のある一点だけを見つめていた。
二本柳は机の下で両手を強く握りしめ、瞼を閉じていた。
真奈は唇を噛みながら峠大尉を横目に見ていた。
ワイルドキャットは口端に笑みを浮かべている。
「作戦コードはブラッディレイ。作戦内容はG地区首長である東原双葉ことコードネームレイの殺害、及び、国防軍の化学研究記録が残る国防軍旧第五研究所の破壊活動。これに抵抗する者は打破し、よってG地区解放を目的とする。貴様らはこの機密作戦の作戦隊員に選ばれた精鋭だ」
杏奈はまばたきも少なくして、ただただ蛍光灯の光に染められた机を見つめる。
雪村は眉をしかめながらも瞼を閉じている。
菊田は右拳を左の手で握りながらうつむいている。
藤中は洋瑛をうかがうようにして見ている。
「貴様らを指揮する隊長は俺だ。副隊長は田中良太郎中尉、笹原京香少尉、西乗院曹長」
千鶴子は眉間に皺を集めながら机の先の床ばかりを睨んでいる。
片岡は大きな体を縮こませるようにして肩を丸めている。
有島は背筋を伸ばしながらも、何も映っていないスクリーンばかりに視線を据えている。
由紀恵はじっと峠大尉を見つめている。
「近田」
と、峠大尉は洋瑛に視線の先を向けた。
「ここまでで何かあるか」
洋瑛は峠大尉の切れ細の瞼の中身に視線の先を定めていた。若々しい眉間に苦渋の皺を寄せ、手持ち無沙汰の右手で机の縁を力いっぱいに掴み、左手で太腿の肉を握りしめている。
喉の奥は震えている。瞳には涙が滲んでいた。
洋瑛の頭の中は何も投写されていないスクリーンのように真っ白だった。感情の置きどころもなかった。
洋瑛にもやはりG地区というものが途方もなさすぎた。途方さは、彼自身の力でなんらかを成し遂げるという気をまったく打ち消した。峠大尉たちに向けていた憎悪など些細すぎた。
友達と約束したのだと雪村は言った。もう勘弁してくれと藤中は泣いた。
(俺は――)
悩んだ。一晩かけて悩んだ。俺はいったいなんなのだ、と。
そして、今、G地区という途方もない現実と、吉沢という残酷な真実を突きつけられて、洋瑛の中に駆け巡るのは怒りでも憎しみでもなく、ただの血だった。
洋瑛は峠大尉を真っ直ぐに見つめながらも、絞り出したような声で返す。
「特にありません」
これまで、危険を察知して閉じこもっては、心に鎖を巻いてきた洋瑛であったが、しかしここにあって、身に染みてくる仲間たちの悲愴と、かつ、自分自身から湧いてくる悲愴によって己の行方が定まらなかった。
わからないまま、大河の流れに押し流されるようにして、洋瑛はブラッディレイ作戦部隊の1人となった。




