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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
アジタートの章
20/58

05:無慈悲なる崇高

 荒砂山の兵学生たちは存じていないが、彼らが食堂で揉め事を起こしていたとき、ここには集音マイクがあらかじめ設置されており、その光景もSGの分隊隊長がHMD機器に備え付けている小型カメラによって捉えられている。


 揉め事の様子は、荒砂山の管理棟に設営されていた荒砂山指令本部のディスプレイにも映像とされていたし、天進橋駐屯地の作戦本部にも流れている。


 田中中尉も笹原教官も固唾を呑んで状況を見守っており、天進橋の作戦将校たちも洋瑛の行動に注目していた。


 洋瑛は避けたがっていたモルモットの状態にすでにある。


 部屋にも田中中尉によって隠しカメラが設置されている。


 泳がされているとも知らず、自室に帰ってきた洋瑛は再び眠りについた。


 高速運動の弊害から食欲や睡眠が旺盛になるのは、近田洋次郎少佐の記録からして、教官たちや作戦将校たちは把握している。


 ただ、何を考えているのかわからないと言われるような洋瑛の性質を、監視者たちは完全に把握できていない。


 洋瑛が目を覚ますと、教官たちはディスプレイの前に集まってき、大きなあくびをかいて、寝ぼけまなこで1分ほど尻を掻いている洋瑛のさまに、神経質すぎるほどの眼差しを注いだ。


 洋瑛はベッドから体を起こすと、本棚から教書を取り出してき、机に座った。予見できなかった行動に監視者たちは眉をひそめる。教書のウィアードが掲載されているページを開くと、ブラックスクロファの写真をじっと眺めたのだった。


 そして、洋瑛はスケッチブックを広げた。ペンを取ると、ブラックスクロファの写実を始めた。さらに、前方からの鼻面や、後方からの尻の形まで描き始め、精確性に教官たちは舌を巻く。


 ただ、急にスケッチブックの空白部分を巻き糞や男性器の描写で埋め始めた。見ている者は呆気に取られた。精緻な写実を台無しにして、卑しいものだらけにしていっている。洋瑛は転がるような可愛げのある瓜実顔をいきいきとさせている。


 そして、スケッチブックのすべてを埋め尽くすと、それを机に立てかけ、しばらくのあいだ、椅子に座って腕組みのままに眺めていた。にやにやと笑い、ときに息を噴き出した。


 満足したあと、大浴場に出向いている。脱衣場にも浴場にもSGが配置されているので、洋瑛は眉をしかめる。タオルで股間を隠しながら、たった1人、浴場で体を洗い、眉をしかめて周りのSGを見回しながら、浴槽に浸かっている。


 食堂に来ると、引き戸の窓から中を覗く。洋瑛にはSGの隊長が護衛の名目でぴったりと付いてきている。小型カメラがいつもと変わらない行動の洋瑛を映像にしている。洋瑛は食堂に同期生たちがまとまっているのを知ると、やはり踵を返して自室に帰ろうとしたが、昼と同じようにガムを噛んでいるラットローグ曹長に銃口を向けられ、あわてて食堂の中に入る。


 洋瑛がいつもと違う行動であったのは、SG特製の夕食のカレーライスをトレーに置くと、その足で誰も座っていないテーブルに着いたことだった。雪村や藤中と共にしなかったのだった。もっとも、雪村や藤中は食事を終えており、さらにその席には杏奈とそのグループが座っていた。


 夕食をさっさと食べ終えた洋瑛は、食器を厨房に片付ける。


「近田」


 と、雪村が声をかけたが、洋瑛は無視して食堂を去っていく。


 雪村や藤中たちの席に杏奈たちをそれとなく誘導して座らせたのは教官である。作戦将校たちも、田中中尉の報告を受けて、杏奈がいれば洋瑛にそうした意識が芽生えるだろうと考えていた。


 田中中尉とともにモニター監視していた笹原少尉は、愕然として声を漏らしてしまう。


「どうして」


 荒砂山の教官たちも天進橋の作戦将校たちも途方に暮れた。掴みどころのない洋瑛に弄ばれ続けた。しかし、天進橋の作戦本部のテーブルを囲う将校たちの中で、ただ1人、身長192cm、体重110kgの巨漢の豪傑が、作戦本部長の刈谷少佐に言った。


「放っておくべきです」


 とうげまさるという。26歳。筋肉の達磨だるまが歩いているようなこのトランセンデンスの大尉は、この日の昼前に「G地区解放作戦」の隊長に指名されていた。


「高速運動のあいつが本作戦の主人公であろうと、隊員の1人にすぎません」


 細切り瞼のいかつい眼光は、G地区解放作戦指揮官の刈谷少佐に固唾を飲み込ませる迫力がある。


「ご心配なく。自分があいつも漏れなくSGの1人に叩き上げます」





 兵学生たちには何も告げられていない。


 ウィアードの襲撃を受け、1日の大半を食堂で過ごしていた荒砂山22期生たちは、消灯時間前には教官たちに散り散りにさせられ、彼らの心的外傷が癒えなくとも、無情なまでに寮の自室に1人1人を詰め込まれている。


 代わる代わるながら、SGが夜通し男子棟女子棟の廊下に張り付いている。


 翌日6時。毎朝のようにして起床ラッパの放送が寮内に響き渡った。


 条件反射なのか、寝付けなかった者もぐっすりと寝ていた者も、ラッパの騒ぎに追い立てられるようにして、次々と部屋の扉を開けてくる。廊下に1列に揃っていく。


 いつもの朝と違ったのは、男子棟にやって来たのが田中中尉ではなかったことで、女子棟にやって来たのは笹原少尉ではなかったことだ。


 男子棟の点呼にやって来たのは、


(あいつ――)


 と、寝ぼけまなこでいた洋瑛は、点呼の監督にやって来たラットローグ曹長の姿に目を見開く。


 そして、洋瑛だけならず全員の背筋を張り立たせてしまったのは、ガムを噛み鳴らすラットローグとともに現れた、制服に制帽の男が、巨大な筋肉のいわおだったからだ。


 峠大尉である。


 細切りの瞼の中の眼光で荒砂山一等兵学生の男どもを睥睨していく。


 男どもは何がなんなのかわかっていないが、突如として現れた男の圧倒的風格に、「田中中尉は?」と素直な疑問を訊ねることもできず、ただただ息を呑むばかり。


「点呼」


 と、峠大尉はつぶやく。急なことなので、列のいちばん端にいた片岡が狼狽していると、ガムを噛んでいるラットローグが槓桿コッキングレバーを引いて撃鉄を起こした。


「点呼だっつってんだろっ!」


 銃口を上げた。片岡はあわてて叫んだ。片岡が叫べば、学生どもは目を白黒とさせながらも次々に点呼を始めた。


(ど、どういうことだよ……)


 洋瑛も狼狽している。親分と子分のような――その存在だけで人をひざまずかせてしまうような峠大尉の威風と、その子分のようなラットローグの凶暴性が、傍若無人の洋瑛でさえも当惑させてしまう。


 点呼が終わると、名簿にそれぞれレ点を打っていた峠大尉は、兵学生たちに顔を上げた。


「5分だ」


 峠大尉がつぶやくと、ラットローグは、飢えたネズミのような鋭い視線を男子学生どもに持ちあげてき、ガムをプッと廊下に吹いて捨てた。ネズミのわめきのような甲高さで大声を放った。


「これから出発だ! 5分くれてやる! 軍服! 小銃! ヘルメット! ブーツ! その他支給品をバックパックに詰めろ! 制服制帽はいらねえ! それでも持っていきてえもんがあったら持ってこい! 5分だぞ! いいか!」


 学生たちが戸惑うのをよそにラットローグは左手首のスマートデバイスを操作する。


 学生たちは束の間、呆然としていたが、


「残りヨンゴオマル!」


 あわてて自室に飛び込んでいった。


 洋瑛も同じく飛び入っている。体が勝手に動いて布団をたたんでいき、ジャージを脱いで軍服に着替え、すでに前夜に用意していたバックパックを担ぐ。昨日、壊れてしまった小銃を担ぐ。


(て、てか、どういうことだよ。出発ってどういうことだよ――)


「残りフタマルマル!」


 ラットローグの甲高い声が聞こえてきて、洋瑛はあわてる。


(も、持っていきたいものっ)


 ヘルメットをかぶりながら、切羽詰まった表情で部屋中を見回す。指を鳴らせばいいというのに、波のように押し寄せられて、すっかり忘れている。


「残りヒトマルマル!」


 洋瑛がバックパックに押し込めたのは大小の折り紙セットだけだった。


 ラットローグは左手首のスマートデバイスを確かめながら残り時間を数えている。支度を整えてきた男子学生どもは彼の声にあおられながら、列を整えていく。


「3っ! 2っ! 1っ!」


 スマートデバイスからアラームが鳴り、ラットローグは顔を上げる。


 ちょうどそのとき、ドアを叩き開ける音がして、息を切らしながら隊列に乗り遅れてきた者がいた。


(あのバカ。俊敏のトランセンデンスのくせに)


 洋瑛が言えたあれでもないが、列に遅れてきたのは菊田だった。


 ラットローグが菊田に猛然と駆け寄っていく。菊田の軍服の襟を掴み上げ、列から引きずり出してくる。


「名前っ!」


「き、菊田雄大でありますっ!」


「理由を言えっ!」


「え、えっ?」


 菊田の鼻頭に見事に拳が突き刺さった。ゴッ、と、鈍い音がして、菊田は膝を折って屈みこんでしまう。さらにラットローグは膝蹴りを顔面に打ち込み、膝をついた菊田の頭に何度もブーツの裏を叩き落としていく。


「理由がねえんだったらさっさと出てこいやっ!」


 22期生のリーダー格が小柄なラットローグに一方的にやられているという凄惨な有り様であった。


 峠大尉は黙ってそれを眺めているだけである。


 しかしながら、同期生たちが戦慄しているのをよそに、洋瑛は峠大尉の目を盗んで口許を緩ませる。笑いをこらえる。


(たいそうぶっているくせに、あのざま。いい気味ったらありゃしねえ)


「おらあっ! 立てよっ、おらあっ!」


 ラットローグは菊田のヘルメットの頭をブーツで何度も蹴飛ばす。立てと騒ぐくせに菊田が膝を立てればで膝蹴りを入れる。最後にはブーツの裏で菊田の顔面を蹴飛ばしてしまう。


 菊田は壁に背中を預けたままに鼻血まみれになっており、意識は半分飛んでいる。


「立てっつってんだろうがよっ! おいっ!」


 菊田は膝を震わせながらも懸命に立ち上がる。よろよろと挙手敬礼する。


「ありがとうございます……」


 恐怖が彼らを支配した。ウィアードの襲撃を受けたときのような生死の恐怖とは種類の違う恐怖であった。圧倒的な力を思い知らされる恐怖である。


「よーし。お前ら、そのまま隊列を組んでロータリーに出ろ」


 恐怖のままに彼らはロータリーに走らされた。ところが洋瑛だけは気構えが少々違った。恐怖よりも、菊田が踏みにじられたことが愉快でいた。


 しかし、洋瑛もすぐに恐怖に呑まれる。


 ロータリーは緑色の幌を被ったトラックが3台停まっていた。HMDを装備し、小銃も抱えた迷彩服姿のSGたちがロータリーをびっしりと取り囲んでいる。兵学校教官たちは濃緑の制服制帽姿でずらりと並んでおり、寮母だけが青いエプロン姿でいる。


 女どもはすでに横一列になって並んでいた。


「敬礼っ!」


 笹原少尉の声に学生たちは一糸乱れぬ動きで挙手した。敬礼の先は峠大尉である。


「笹原。西乗院に教育された菊田という一等兵がいる。手当てしてやれ」


 笹原少尉は角度の綺麗な挙手敬礼で応える。菊田のもとに素早く駆け寄っていき、菊田のぼろぼろの顔面を掌で撫でていく。


 うっすらと明けていく空の下、寒さは地表に染み込んでいて、空気はしんと張り詰めている。


 かかしのように固まってしまっている兵学生たちの様子に、ラットローグ曹長はガムをくちゃくちゃと噛みながらにやけている。


「ありがとうございますっ!」


 治癒を受けた菊田が大声で叫ぶと、峠大尉の脇を固めている田中中尉が、学生たちに脱帽を命じてきた。学生たちは一斉に小銃を足元に置き、ヘルメットを脱ぐ。脇の下にする。


 田中中尉が普段は使わない式典的な大声を発した。


「荒砂山22期生を代表山田真奈! 日頃より貴様たちに多大な愛情を注いでくださった寮母殿に謝辞を述べろっ!」


(えっ? どういうこと?)


 皆が洋瑛と同じ顔つきだった。


 寮母は顔をうつむかせ、鼻の下をこすっている。


 峠大尉が言う。


「山田真奈。さっさとしろ」


「た、田中教官っ!」


 しかし、真奈は右手を突き挙げる。


「寮母さんに謝辞の言葉というのは、どういうことなのでしょうかっ!」


 すると、峠大尉が右手を掲げた。SGが一斉に小銃を構えた。10数丁の銃口が睨むのは列を並べる兵学生たちである。


 さらにHMDのレンズディスプレイが半透明の緑色に染まり始めた。衛星通信を始めたのはSGのアタッカーたちであった。衛星通信で、学生たち1人1人のステータスを確認し始めたのだった。


 学生たちは直立不動ながらうろたえる。洋瑛もうろたえる。


 峠大尉は言う。


「山田。誰も貴様なんぞに質問の許可をしておらん。寮母殿に謝辞の礼を述べろ。貴様への命令はそれのみだ」


「どういうことだよっ! おいっ! お前はなんなんだよっ!」


 怒号を発したのは千鶴子だった。直後、SGのアタッカーたちが女どもを蹴散らして列を破壊していき、悲鳴が起こった一瞬のうちに千鶴子を取り囲み、そのうちの1人が千鶴子の喉を掴み上げた。


 千鶴子が馬鹿力でSGの腕を掴み離そうとするが、体を持ち上げられてしまい、表情を歪めて息もままならない。


 泡を食っている学生たちの列を割って、峠大尉が千鶴子に歩み寄っていく。峠大尉が右手を掲げると、SGは千鶴子を叩きつけるようにしてアスファルトに投げ捨てる。千鶴子はゴホゴホと咳き込む。


「もういっぺん言ってみろ、バッドガール」


 峠大尉が千鶴子を見下ろす。千鶴子は睨み上げるだけで声がままならない。


 峠大尉の蹴りが千鶴子の顔面に入った。峠大尉の革靴が千鶴子の腹を蹴飛ばした。ちなみに峠大尉は陸軍将校ではなく、SG叩き上げの将校である。トランセンデンスは遠視能力である。しかし、筋肉の達磨であった。並みの格闘家ぐらいの戦闘力はあった。


(や、やべえ……、なんだよ、あいつ……)


 洋瑛は棒立ちした。無言のままに葛原千鶴子という少女を蹴飛ばし続けていく峠大尉のさまに、そういうことを動物にしているくせに、洋瑛ですら恐怖を覚えた。峠大尉の巨漢もさることながら、女を痛めつけることにためらいもしないその非情ぶり、そして、SGの猛者どもを右手だけで操作している支配力。


 風神が滅多打ちにされているので、由紀恵が峠大尉の背後へと瞬発力で飛び込んでいこうとしたが、すでにSGたちにマークされていた。由紀恵が身構えた瞬間、由紀恵の鼻先に銃口が突きつけられていた。


「何やってんだ、お前」


 ラットローグがガムをくちゃくちゃと噛みながら引き金に人差し指を伸ばす。さらにほかのSGも駆け寄ってきて、由紀恵の頭部は四方から囲まれる。


「お前の反乱レベルが3だってことは、このモニターに表示されているんだよ。日頃の行いが悪かったようだな、かわいこちゃん」


(これがSG……)


 洋瑛は立ちすくんだ。同期生たちもまた同じであった。憧れていた英雄たちは、英雄というには程遠い、狂気を秘めた集団であった。


 一瞬で屈服させられた。


 このあと、彼らは、天進橋駐屯地、牛追坂駐屯地、黄羽駐屯地にそれぞれ連行され、荒砂山に戻ってくることは2度とない。





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