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俺の親知らずを抜いていけ  作者: ぱじゃまくんくん夫
アジタートの章
19/58

04:情

「情」


 という文字は、立心偏りっしんべんに「青」である。立心偏はそのとおりに「心」を表している。


 そもそも「青」という字は、「生」と「丹」の組み合わせらしい。「丹」は井戸の形からきているそうである。ということで、大昔の人は井戸から湧き出る水を「青」と表現したそうだ。


 すると、「情」とは、心に湧く水のようなものなのだろうか。なるほど、はるか大昔の人は詩的だ。「情」は、涙のように溢れ出るときもあれば、砂漠のように枯渇してしまうときもある。


 にごるときもあろう。清らかに廻りめぐるときもあろう。


 清らかであれば、人はその水を飲むだろう。分け与えることもあるだろう。人々は「情」という水に寄り集まってくるだろう。


 荒砂山22期生たちは「情」という水をすするために食堂にひとかたまりでいたのかもしれない。寄り集まることで共有している「情」を、掌にすくい取るようにして――指と指のあいだからこぼれぬよう大事に口に運んでいき、ゆっくりと飲み干し、干からびていきそうな体をせめてひとときは潤すようにして。


 その水の味が果たして友情なのかどうか。


 友情かもしれないし、友情ではないかもしれない。そもそも、悲哀のさまざまな感情によって味付けされてしまっているので、不明だ。


 しかし、たとえどのような味の「情」であったとしても、彼らは枯渇してしまいそうだった。井戸は枯れかけていた。ゆえに「情」が枯渇してしまいそうな者は、誰かの「情」の恵みを受けていた。分け与えた者は空っぽになりそうであったが、またほかの誰かが彼や彼女に「情」を注いだ。


 そもそも、同じかまどのメシを食ってきた彼らだった。人々が水の回りに集まるのが自然であるように、荒砂山22期生が「情」を寄り集めてくるのは自然だった。


 ここにいない葛原千鶴子と葛原由紀恵に関して言えば、余分な「情」はいらなかったということだろう。姉妹のようでいて、姉妹よりも頑なな繋がりのあるこの2人は、お互いだけで「情」が枯渇せずに済んだ。


 しかし、荒砂山22期生には異物がいる。


 近田洋瑛は「情」を必要としなかったのか?


 それはまずない。だが、1人、広大な砂漠をふらついている狐のような彼は、ラットローグ曹長に追い立てられて食堂に入ってくると、まず、鼻で笑った。視線を一挙集めた彼は、同じかまどのメシを食ってきた同期生たちを小馬鹿にして笑ったのだった。


 同期生たちは冷や水でも浴びせられたような思いになる。


 そして、洋瑛が何をするかと思えば、「メシ。いいですか?」と護衛のSGに不遜に訊ねたのち、


「そこに残っている。好きなだけ食え」


 パートタイマーのいない空っぽの厨房に入っていくと、プラスチックの器をコメで盛り上がらせ、わかめと豆腐の味噌汁を注いでいき、生姜焼きを皿の上に山のように重ねていき、千切りのキャベツにマヨネーズをびっしりと垂らしていくと、ヨーグルトとバナナが大量に余っているので、3つずつせしめた。


 洋瑛が厨房から出てくると、トレーの上は食欲の特売会だった。同期生たちは唖然とした。


 同期生たちの食がまったく進まなかったのもあれば、天進橋からのSGの分として作られたのもあり、昼食はこの時間になっても大量にあったのだが、洋瑛はそれらの全部を平らげんばかりであった。


(あいつはおかしい――)


 と、ある兵学生は思った。


 あの光景、あの惨状、あの恐怖。


 しかし、洋瑛は例のようにして豚が餌を食らうかのようである。


 SGですら、これを目の当たりにして呆気に取られていた。のちに天進橋に帰ってからほかの分隊の同僚に話している。


「上官たちが気にしていた近田洋瑛って野郎。あいつは小僧のくせにとんだ根性をしてるよ」


 むしろ、


「お、おめえ、食べすぎだべよ。どこからそんな食欲が湧いてくるんだ」


 藤中が言ったように、洋瑛は常日頃よりも余計食っていた。口の中をぱんぱんにしながら、洋瑛は答える。


「化けもんと殺し合ってれば腹もすくだろうが」


 実際、そうだった。洋瑛はすさまじく腹を減らしていた。高速運動の弊害と考えられる。


 ただ、そんなもの、同期生たちは知らない。


 湯気立つコメをかきこんでいき、豚肉の生姜焼きを口の中に押し込んで、味噌汁で流しこみ。


 コップに注いだ水で喉を潤すと、ヨーグルトのカップをひっくり返して口の中にすべりこませ、再びコメをかきこむ。


 同期生たちには洋瑛が奇行をしているとしか見えない。


 しかし、彼らには洋瑛に訊ねたいことが1つだけあった。それは洋瑛がひとり食堂をあとにして寝ているあいだから、22期生たちの議題に上がっていた。


「近田――」


 と、雪村が代表した。この悪たれも、このときにあっては22期生の「情」をすすっていたのだった。


 彼は「情」の共有者として、また、洋瑛の数少ない友人として、おそるおそる腫れ物にでも触るかのようにして訊ねる。


「近田。ヨッシーは、なんか言ってなかったのかよ」


 洋瑛は箸を止めた。


 雪村を凄まじい眼光で睨みつけた。


 腫れ物どころか、怪物だった。


 殺意と憎悪に満ち満ちている。雪村は息を呑んでしまう。22期生たちは沈黙してしまう。


 洋瑛の怒りは、吉沢の存在を拒否するための怒りであった。かつて、恋人の由紀恵を突き放したときと同じであった。


(くだらねことを――)


 というように偽物の怒りでもない。


 もし「情」の井戸が洋瑛にあるとすれば、蓋を閉めている途中であったのだ。ところが、それを邪魔されて、自分勝手に激怒したのだ。


 ただ、閉めようとしている井戸の奥底には有島愛や穂積杏奈への「情」があったのだろう。洋瑛は怒りを口にすることはやめ、ところが、蓋を閉めるための手段として、ものすごいことを笑いながら言った。


「藤中。お前のところに漫画あっただろう。新しいの買ってねえのか」


 質問に答えないうえ、いつにもまして権高であり、22期生たちは愕然とする。


「メシ食い終わったらお前の部屋に行くからな」


「近田」


 と、雪村が迫る。雪村は洋瑛をある程度は理解しているが、根っこの部分はわかっていない。


「なんだよ」


「お前もここにいろって」


「なんでだよ。ここにいる必要があんのかよ。寮中、SGの先輩がいるじゃねえか。どこをほっつき歩いたって死にはしねえよ」


「いや、だから、みんなで一緒にいたほうがいいだろ。クズセンと由紀恵ちゃんも連れてきてくれよ」


 雪村章介は「情」に豊かな学生だった。日常にあっては集団から一歩下がって悪たれなのだが、洋瑛のような砂漠の狐ではない。雪村は控え目に一歩下がっているのである。非日常になると、湧き上がった「情」を惜しみなく分け与える。むしろ、情に豊かだからこそ、洋瑛の悪友だったのかもしれない。


 しかし、


「何言ってんだお前」


 洋瑛はそうした種類の「情」を受け入れなかった。


「チヅとユキをどうやって連れてこいって言うんだ。え? 女子棟に入れるはずねえだろうが。だいたい、お前は何を言ってんだ。ここにいて何になるんだ。終わったことはもう終わったんだ。終わらせなかったらいつまでも終わらねえだろうが」


「終わってないから言ってんだろ」


 洋瑛は苛立ってきた。


「何がだよ。SGの諸先輩が来て終了だろうが。俺らはもう化けもんと戦うことはねえ。終わりだ。帰れ」


 雪村も雪村で、この期に及んで「情」から逃れようとする洋瑛に怒りを覚えた。彼は思わず吼えてしまう。


「そういうことを言ってんじゃねえって言ってんだろ! 何も終わってねえじゃねえかよ! ヨッシーもいなくなって、あんな目にあって、お前だけが1人で戦っていたわけじゃねえだろうよ! 俺だってそうだよ! みんなそうだよ! だから、お前も1人で勝手にふらふらしてんじゃねえよ!」


 洋瑛は興ざめしてしまう。涙目の雪村に閉口してしまう。護衛のSGが身構えるが、洋瑛は冷めた顔つきで食事を再開する。


「笑わせやがって」


 洋瑛の心の井戸は実に冷め切った。が、このまま黙っていると言い負かされたことになってしまう。というそれだけで口走った。


「ビビったときだけ仲間をやりやがって。ハリボテの仲間同士で慰め合ったってな、そんなもんはオナニーのあとの精子の搾りカスにしかすぎねえんだ」


「おいっ! テメーっ!」


 と、静観していた菊田雄大が立ち上がった。


「お前、黙って聞いてりゃふざけんじゃねえぞっ!」


 やめろ、と、護衛のSGが大喝してきて菊田は握り拳を震わせたままそこに突っ立つ。しかしながら、洋瑛に憎しみの視線を浴びせるのは菊田だけではない。兵学生のほとんどの顔つきは、洋瑛を荒砂山22期生の一員から完全に排除したものだった。


 しかし、洋瑛は気に留めない。鼻で笑い捨てる。


「バカが。仲間のヨッシーの行方が気になるんならオナニーしてねえでさっさと探しに行け。うすのろどもが」


「だから雪村は近田に訊いたんだろっ!」


 と、女のリーダー格の山田真奈が大きな瞳を真っ赤にしながら金切り声を響かせ、護衛のSGが小銃を抱えたまま真奈に歩み寄っていく。


「黙れ。騒ぐな。メシ食っているお前も挑発するな」


 洋瑛はがつがつとコメをかき込んでいく。かき込みながら言う。


「挑発なんかしてませんよ。ただね、ヨッシーが気になるんだったら、俺が部屋で寝ているところに来てでも訊くべきもんだったんじゃないんですかね。それしきのこともできねえうすのろどもが、仲間だのなんだの語っていることにこちとらうんざりって話だ」


「お前がいちばん仲が良かったじゃねえかっ!」


 菊田が再び怒りをあらわにすると、SGは手首のスマートデバイスを持ち上げて口元に運び、管理棟の指令本部に無線通信で要請した。


「荒砂山本部。荒砂山本部。こちら荒砂山寮食堂。兵学生が騒いでいます。主任教官を寄越してください」


 しかし、菊田の怒号はやまない。


「近田! 俺たちはともかくな、お前は吉沢さんが仲間じゃなかったって言いてえのかよ! おいっ!」


 真奈の金切り声もいぜんとして響き渡る。


「何様なんだよっ! まさか1人で戦ったつもりでいんのかよっ!」


「何を言ってやがんだ。誰もそんなこと言ってねえだろうが。しょうもねえ奴らだな。自分らのしょうもなさを棚に上げて理論のすり替えと来たもんだ。結局、お前らは自分たちのしょうもなさを直視したくねえから、俺をスケープゴートにしているだけだろうが」


 リーダーたちに争いを任せていた連中は我慢ならなくなり、次々に立ち上がっては吼えていく。


「何を言ってんだよ! そういう態度が1人で戦ったつもりなんだろうがっ!」


「このクズ野郎っ! あんたこそ何もできてなかったじゃんかっ!」


「聞いてんのかよっ! おいっ!」


「そうだよ! 菊さんは死にそうになるまで戦ってたけど、近田は銃をぶっぱなしてただけじゃないの!」


 と、片岡進之介のそれっぽい口調も、罵倒の連続の中にあってはあまり目立たない。


 洋瑛は無視し始めた。彼らの怒りをただの雑音にして昼食を口の中にかき込んでいく。


「もうお前消えろよ! 俺たちの前から消えろよ!」


 護衛のSGたちが呆れる中で、兵学生たちは喧々たる怒りの渦だった。抑えていたものが噴き出したかのように洋瑛だけを責めた。剥き出しになった感情は「情」をたたえていた共有の器をひっくり返した。


 やるせなさを抱いていた者は洋瑛を口撃し、ショックに潰えそうでいた者はわめいて泣きだし、精神に異常をきたして呼吸がおかしくなる者もいた。 


 洋瑛は苛立ちつつも黙って食事を進める。彼は自分を嫌われ者として自覚している。こういったことに慣れていたのもある。それに、救ってやったはずの怒りよりも彼らへの軽蔑がまさった。


(オッカサンがいなくなったヒヨコみたいにピーピーわめきやがって)


 藤中はおろおろとしており、洋瑛をよく知る圭吾は影のように座っている。


(巣の中で丸まっているだけじゃ山猫に食われて終わりだ。バカどもが。これでよくSG候補生だなんて鼻を高くしてたもんだ)


 有島もまた唇を噛みながらも、泣き出しそうな顔で傍観者でいる。


「違う!」


 と、意を決して声を大きくしたのは杏奈だった。


「近田くんは吉沢さんがいなくなってすぐに探しに行こうとしていたじゃん! 近田くんがいちばん仲間思いだったじゃん!」


 言ったあと、杏奈はテーブルにうずくまり、顔を覆ってぼろぼろと泣き出してしまう。


 さすがの洋瑛も箸を止めていた。しかし、何も発言したくなかった。杏奈の言葉を受け入れたくもなかった。彼の中で吉沢は忘却の対象なのだ。


「近田! カピちゃんにこんなこと言わせてなんとも思わないの!」


「謝れ! カピちゃんに、雪村に、謝れよ!」


「もういい!」


 と、雪村が叫んだ。溢れ出そうなものを軍服の袖でぬぐうと、真っ赤な瞳を洋瑛に据える。唇を震わせながらぽつりと言う。


「俺が悪かったよ、近田」


「雪村が悪いわけないじゃんっ!」


「近田が謝れっ! 雪村が謝る必要なんかねえんだっ!」


 洋瑛は腰を上げた。口撃されているあいだにトレーのすべてを平らげていた。食器を受け取り口に運んでいく。そのあいだも「逃げるのか」「謝れ」などと背中に罵声を浴びせられ続けつつ、出入口の引き戸を開けて食堂から去っていった。


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