03:血に引きずられた行方
小銃は高速世界に耐えられなくなって壊れてしまった。自らのだけが壊れていると怪しまれると考えた洋瑛は、目に留まった小銃のあらかたを同じようにして壊した。
ともかく、再び指を鳴らしたのだが――。
洋瑛が指を鳴らした直前には教室の混乱が極まっており、校庭のアタッカー3人も絶対絶命であった、と、次の瞬間、正気であった者たちは唖然としたのだった。
由紀恵も、有島も、急に虚をつかれた。死の恐怖を突きつけられていた菊田は、正気に戻るまで時間がかかったが、狐につままれた思いで辺りを見渡した。
千鶴子はそのさまを凝視した。
洋瑛は大根役者ぶりを発揮する。
「な、なんだっ?」
やがて、洋瑛以外の全員は、見るに耐えない凄惨な光景から目を背けた。
洋瑛の残虐行為がそこかしこに散らばっていたのだった。詳細な記述はひかえるが、彼らを襲っていた化け物たちのほとんどが、生きながらにそうなってしまっていた。動くに動けず、瀕死で這いずりまわっていた。
洋瑛はさまざまな感情を塗りつぶすために、烈しく笑い、烈しく働いたのだった。
逃げ出していた者たちも、これを見て戦慄し、ある者は嘔吐した。生死の恐怖から逃れられた安堵と、襲撃によって植え付けられた恐怖と、むごたらしい光景の衝撃で、ある者は号泣し、ある者は放心し、ある者は錯乱した。
なぜウィアードは一挙全滅したのか、なぜウィアードは襲撃してきたのか、そうしたさまざまな謎を考えられるゆとりもない。
結局、瀕死のウィアードの息の根を止めたのは教官たちである。
幸い死傷者はなく、藤中や由紀恵、笹原少尉などが重軽傷者を治癒していった。武装した教官たちが教室に張り巡り、学生たちはひとかたまりにまとめられる。
手当てを受けた田中中尉が注意深く学生たちを数えていく。
1人、足りなかった。
生気の抜けた瞳でうつろになっている学生たちに田中中尉は問いかける。
「吉沢はどうした。誰か見ていないか」
誰も見ていなかった。
吉沢琥太郎は大牟田学長の新年の訓示のときにも席に着いていた。田中中尉の授業が始まったのちも、数人は彼の姿を目にしていた。だが、戦闘中なのか、戦闘前なのか、戦闘後なのか、吉沢はいつのまにか消えていた。
このとき、洋瑛だけが立ち上がっている。洋瑛だけが窓に駆け寄っていき、校庭を眺め見ている。
「おいっ! ヨッシーっ!」
「近田、やめろ。化け物どもがいないとは限らねえんだ」
と、教官の1人に制されたが、
「くわえられて拉致されたんスよっ!」
と、窓を飛び越え、どこか当てもないところを目指して走り、駆けていきながら指を鳴らそうとしたが、追いかけてきた教官たちに取り押さえられた。
「やめろっ! 気持ちはわかるがやめろっ!」
「ブラックスクロファが人間をくわえるわけないだろうっ!」
「くわえていたら誰かが見ているだろうがっ!」
洋瑛は教官たちの言葉のいっさいに耳を貸さずに暴れていたが、歩み寄ってきた田中中尉に襟首を掴まれ、持ち上げられ、みぞおちに拳を突きこまれる。手加減されたが、洋瑛からすれば手加減でもなく、くの字になって口端から涎を垂らしてしまう。
「近田。吉沢は何かしらのトランセンデンスだった。それを知られたくがないために、あいつはウィアードを撃退したあと正体をくらました。俺はそうだと考えるんだが、違うか」
殴られた痛みで洋瑛はうんともすんとも答えられず、そのまま教室に引きずられていって、同期生たちが床に座ってかたまっているところにぶん投げられた。
田中中尉はこれまで洋瑛をよく観察していた。洋瑛が投げ込まれた場所は穂積杏奈が座っている場所であった。それでいて、杏奈の腕の力は降ってきた洋瑛を咄嗟に抱えた。
洋瑛は杏奈に支えられているとはわからなかったが、やがて、誰かの嗚咽がすぐそこから漏れてきたのが聞こえた。瞼を開けてみれば杏奈がひどく泣いていたのだった。彼女の震えも洋瑛には伝わってきた。洋瑛も痛みと慕情で泣きたくなってきたが、何事もこらえて体を起こすと、
「ごめん、カピちゃん」
と、言って、あとはそれきりおとなしくなった。
田中中尉の機転により、ウィアードを惨殺したのは吉沢ということになった。
だが、洋瑛である。
吉沢がウィアードを始末した者ではないのを洋瑛は知っている。
けれども、吉沢が消えた理由はわからない。わからないが、あるひとつの疑問が湧いたのも事実である。
(まさか。ヨッシーが)
ウィアードを招き寄せたのではないだろうか。
一時はくわえられただの拉致されただのと思考停止になっていたが、平静さを取り戻してみれば、吉沢の姿が戦闘中にまったく見られなかったことや、それきり消えてしまったことを踏まえれば、22期生の中で、たった1人、洋瑛だけはそう考察できるのだった。
本来、姿をくらます理由など吉沢にはないはずである。
(嘘だろ――)
襲撃から1時間ほどのち、天進橋のSGが荒砂山に大挙してやって来ている。
迷彩色に身を包む彼らの半数がヘルメットにHMDを装着していた。片目だけにレンズディスプレイをあてがっている。10人1組の分隊で行動しており、以前のブラックスクロファ1体のときは、このような戦闘態勢ではなかった。
工兵は衛生通信用の受信機器を背負い、隊員たち全員の右肩口にはトランシーバー、片耳にはイヤホン、左手首には腕時計型のスマートデバイス、独り言のように交信しながら学舎の至るところを練り歩き、中には対戦車ロケット弾を担いでいるSGもいた。
教室で身を寄せ合うようにして固まっていた学生たちはSGの護衛のもとにトラックに詰め込まれ、寮に戻された。
臨時訓練と称してパートタイマーたちを叩き出した寮には、屋上に迫撃砲が設置され、なんのための見晴台なのか学生たちには疑問であった監視台には狙撃手が配備されていた。
巨大な衛生アンテナもいつのまにやら立てられており、学生の住居は要塞と様変わりしている。
鉄柵門が締め切られれば赤外線センサーに張り巡らされる。鉄条網には定期検査を覗けば竣工依頼初めての高圧電流が流される。敷地のそこかしこに小銃を手にした無愛想な連中が配置される。
寮が山頂に設置されているのは、万が一の防衛のためである。湾曲した道路の巡らせ方も、建物の造りも、要塞のそれであった。
学生たちは全員、寮の中央の食堂にひとかたまりにされる。
憩いの場は悲愴に包まれている。女の嗚咽が小雨のように響いている。それでいながら、食堂の出入口を塞いでいるSGたちの眼光は、学生たちを護衛しているのか、監視しているのかが不明の殺気である。
学生たち1人ずつ、食堂脇のパートタイマーたちの休憩室にて特殊保安群の将校に聴取された。
洋瑛も呼ばれている。
田中中尉や笹原少尉の姿はなく、特殊保安群作戦科の大尉と、同じく少尉、あとは看護手の女性だった。
彼らは純粋なSG戦闘員ではなく、陸軍士官学校出身の将校である。ウィアード殲滅を果たした者は、吉沢ではなくて、洋瑛がやったものだとすでに断定している。特殊保安群トップの川島大佐から通達もきている。
「気づいたときにはウィアードは潰れてました」
と、用意していた嘘八百――というよりも、ほかの学生たちと同じようなあらまししか述べない洋瑛に対し、将校たちは詮索しなかった。
だが、洋瑛がわずかに反抗の気配を見せたので、将校たちはうろたえてしまう。
「どうして、天進橋のSGは取り逃したんですか」
と、洋瑛の瞳の光は、わずかな憤りと、わずかな疑惑を忍ばせていた。洋瑛にはめったにないことだが、吉沢の存在の不明が、洋瑛の心をどこかに向かわせていた。
「それは今、調査中だ」
将校たちには「彼を刺激しないように」という川島大佐からの言葉がある。また、荒砂山教官たちの分析報告も将校たちは目を通している。洋瑛の危うさは前々から理解している。
「キミが憂慮する事案ではない。キミは、今はただ、心をゆっくりと休ませるだけだ」
聴取員の将校は精一杯の威厳を見せつつはぐらかした。
ただ、ほかの兵学生たちには、吉沢琥太郎について聴取している。
洋瑛が吉沢ともっとも仲が良かったというのに、時限爆弾のような洋瑛の取り扱いには手をこまねいて、何も聞かずにそのまま帰してしまった。
もっとも。
洋瑛はその後の思考の取り合わせで自ずから時限装置を停止させている(時限爆弾の意識などないが)。
(まあ、いいや。ヨッシーなんてのは最初からいなかったんだ)
洋瑛は精神への危険を察知したのだった。吉沢への疑惑、吉沢への愛着、さまざまなものが洋瑛をこらしめにかかっていたが、父を忘れたように、また、由紀恵との恋を忘れたようにして、吉沢の忘却を計った。
すると、同期生たちとともに食堂に閉じ込められたままであるのが嫌気が差してくる。洋瑛は門番のようにして突っ立っているSGに自室に行かせてくれるよう迫った。
「駄目だ」
フェイスペイントを塗りたくったSGは、今にも殴りかかってきそうな眼差しを洋瑛にぶつけてきたが、もう1人のSGが「待て」と制した。彼は休憩室の将校のもとへ行き、ややもして帰ってくると、GPS機器を渡してくるとともに「行け」と、顎をしゃくった。
食堂を出れば、廊下にも渡り廊下にも男子棟の階段にもSGの番兵がいた。
自室に入る。洋瑛は軍服を脱ぎ、ジャージに着替え、折り紙を始める。手習い本を見ながら作ったことのない折り紙に挑戦した。
しかし、高速運動化した反動の疲労を無性に覚え、ベッドに寝転んで、睡眠する。
昼すぎまで熟睡したあと、目を覚ます。体をむっくりと起こし上げ、尻をぼりぼりと掻きながら、
(腹減ったな――)
瞼をこすって目やにを剥がし、鼻の穴をほじって糞を取り出した。ティッシュを1枚抜いて人差し指を拭き取り、腰を上げる。途端、ヒロアキは顔をしかめた。全身が重たい。筋肉という筋肉が固まっている。
(クソッ。だいぶ長い時間止めちまったからな)
ただ、時間は止まっていたのではない。
(ああ、そうだ。時間を止めてんじゃない。すげえ早く動いているんだ。だからだな。体がガタガタなのは。しょっちゅうやっていると寿命が縮むな。せめて童貞卒業するまでは)
SGが目を光らせているのを尻目に食堂にやって来る。
入る前に中を覗きこんだ。昼食の時間はとうに過ぎているはずだが、食堂にはほぼ全員がいた。いないのは千鶴子と由紀恵だけであった。
何をしているかと思えば何もしていない。通夜か葬式のようにして座って並んでいるだけである。気落ちした表情で何事かを数人が話しているが、大半の同期生は時間のあるがままに沈んでいる。
(何をやってんだ、バカどもが)
と、思ったが、今にも泣き出しそうにして手折れている穂積杏奈の表情を見かけ、友人の肩を健気にさすっている有島愛を見かけたら、来た道に踵を返してしまう。しかし、腹が鳴った。再び扉に戻って、中を覗きこむ。
「おい。お前。何をやってんだ? ウィアードか? 殺すぞ?」
声がして振り向くと、廊下で番をしているSGが殺気立っているというより喧嘩腰だった。億劫そうにして小銃を抱えつつ、ガムをクチャクチャと鳴らしている。腕にエンジェルワッペンを掲げた小柄の男である。
この男、曹長階級の西乗院奏という。「ならず者のねずみ」という意味でラットローグと呼ばれており、異名の通りに声がねずみのわめきのように甲高い。
やがて、ラットローグ曹長と洋瑛は因縁浅からぬ間柄となるが、今はまだその名も知らない。
(なんだよあいつ。SGにはあんなのもいるのかよ。最悪だな)
「すいませんッス」
「あと5秒のうちに入れ」
ラットローグは銃口を持ち上げてき、槓桿を引いて撃鉄を起こした。
洋瑛はあわてて食堂の中に入って逃げ込む。