愛想なしの君
先ほどから何度同じことを自分に問い返しているのか・・
薫子は自分の置かれている立場を理解しようとしているのだが、どうにも納得ができない。
ざわめきながら杯を傾ける貴公子たち。その中心にいるのは春宮さまで、従兄弟の泰時が従い側にはあの葛城 雅貴がいる。そこに連なる数人の若者たち。おそらくは春宮のお気に入りの取り巻き連中であろう。
ここが、ある高名な白拍子の館であるらしいことはわかったが、何故、そこに自分がいるのか?御所を抜けだす現場を押さえた薫子を春宮さまは、そのままここへ供なって来たのだが、先ほどまで何やら書き物をしておられてそれを誰かに渡してから、こうして酒宴が始まった。
「怖い顔じゃな、薫の君。もう少し愛想よくできぬのか?」
泰時の言葉にはどこかからかうようなところがある。
「これ以上はどうにもなりませぬ」
そっけなく返しながら、春宮に正面から向き直る。
「このような所に参られてよい御身分ではありますまい。抜け出したことが知れれば、警護の者たちの落ち度となりまする。そのこと、少しはお考えくださいませ」
「すぐに帰るゆえ、今しばし待て」
「中宮さまのお耳にも入りましょう。お戻りくださいませ」
「あのな、御所なぞというところに一日中おってみよ、息が詰まるぞ。気鬱の病になってしまうぞ、薫の君とてあそこがどういうところか、身にしみておるのではないのか?」
そう言われてしまえば、「うん」と言ってしまいそうになる・・
黙ってしまった薫子を優しい目で見る春宮のことは、昔から姉弟のように育ってきただけに、わからないわけではないのだが・・
それを見透かしたかのように春宮はふっと笑った。
「それに、薫子どの。わたしよりも、あなたのほうが大変なのではないか?」
何のことかと考える間もなしに
「中宮さまのお気に入りの女房が、何ゆえこのような所におられるのか?どうやって、戻られるおつもりか?」
そこを突くか?!である・・・
「黙って見過ごせばよし・・のう・・いかがする?」
このようなことになるとは思わず何も考えずに動いてしまった己の浅はかさを、今は呪うだけでである。
白拍子が舞おうが、酒が出ようが、薫子の思考の外のことでしかない。
その薫子を雅貴が面白そうに見ている。どれ程の時が過ぎたころか、何やら表の方がうるさい。案内の声を待たずにここへ向かって来る足音があった。
「来たな・・」
それは春宮の声。廊下に現れた二人に向かってかけられた。
「あっ・・・」
薫子はそう言ったまま、声が出せない。よほど息を切らせて来たのだろう。
そこに片膝をついて頭を下げたのは兄・兼と藤原 基之
「兼どの、楽所にて稽古中であったとか・・呼び出してすまなんだ」
「いえ・・薫子が御迷惑をおかけいたしました。お許しくださいませ」
「何の、わたしが無理に引きずってきたのよ。ゆえに薫の君を叱らんでやってほしい。それに、共犯者としてはこれほどうれしいものはおらぬ。のう、薫の君」
顔を上げた兼の視線を受け止めたのは、春宮の側にいた人・・
「基之、母君にはよしなにとりなしてくれよ。薫子どのに難儀が及ばぬようにな・・」
どう収めよと言われるのかわからないが、とりあえずは頭を下げるしかない。
「できうる限りのことはいたしまするが、なにとぞ、春宮さまにおかれましても、お早い御帰館をお願い致しまする」
基之が声をかけたのは春宮というより、そばにいた雅貴に言ったようなものだ。双方ともに春宮付きの切れ者同士、そこに微妙な空気が漂っている。
その二人の間に権力とも違う、妙な雰囲気を薫子は初めて感じていた。
それが何かはわからないが・・・




