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第36話 狂気の結果

人が負傷する場面が出てきます。

また、死体の描写もあります。(グロくはないですが……)


 意識が戻ると、私は見覚えのない部屋で硬い粗末なパイプベッドの上に、手を後ろ手に縛られて寝転がされていた

 短くはない時間、腕を体の下に敷いてしまう体勢で放置されたようで、強かに両腕が痺れてしまっていた。


「痛つっ……」


 腹筋を最大限駆使して上体を起こすと、鳩尾(みぞおち)に鈍い痛みが走る。この調子だと拳を叩き込まれた部分には青痣ができているに違いない。

 取り敢えず普通に呼吸もできる。脚は問題なく動く。私がリーフ侯爵家から攫われた事をアーサーはきっと気づいてくれる。


 だから、生き延びる為に、逃げ出す為に、私ができる事をやるしかない。大人しく囚われてなんてやるものか。

 薄暗い裸電球の灯りの下で、ベッドから降りて足音を立てないようにドアへ向かう。ドアに耳を貼り付けて周囲の音を拾ってみる。


 人の気配がないのを確認してから、後ろ手に縛られた手でドアノブを掴んで回してみたが、鍵が掛かっていてドアを開ける事はできなかった。

 仕方なくベッドへ戻ってぼすんと腰を落として座った。


 逃げるには動きやすい服装が欲しい。このイブニングドレスで走ったら、ドレスに足を取られて逃げる途中で転んでしまうだろう。

 せめて裾をばっさり切れる道具――ナイフでも(はさみ)でも何でもいい――が欲しいな。

 そう思っていると、数人の足音がこちらに近づいてくるのが聞こえた。その足音はドアの前で止まった。


 ドアに鍵が差し込まれ、乾いた音と共に鍵が開けられた。ドアノブがゆっくり回り、ドアが開かれた。

 二人の体格の良い黒服の男と一緒に部屋に入ってきたのは、私をリーフ侯爵家から攫った張本人、ライアンさんだった。


「お目覚めかな、マリさん」


 身構えてベッドから立ち上がった私に、ライアンさんは冷笑を顔に浮かべてゆっくりと近づいてきた。


「何故、私を誘拐したんですか?」


 ライアンさんから少しでも離れようと、じりじりと後退していたけど、それも壁に背中が当たって、それ以上は逃げれなくなってしまった。


「何故かって?アーサーの婚約者である事も理由の一つだが、最大の理由は、あなたが白の巫女だからだ」

「白の巫女?」


 なんだろう。この言葉、何処かで聞いたような気がする。

 私が怪訝な顔をしていると、彼は更に目を細めて口角を吊り上げた。


「兄からもアーサーからも何も聞かされていないのか? 白の巫女とは、癒しと再生の力を持つ奇跡の存在。その力は病を癒し、死者をも生き返らせる事ができるという聖女だ」


 はぁ? この人、頭が逝っちゃってるんじゃないだろうか? そんなに都合の良い存在なんかあるわけがない。


「私は白の巫女なんかじゃない。そんな力はありません」


 私は視線を逸らさずにライアンさんを睨み続けた。今できる精一杯の威嚇は何の効果もないようで、彼は私との距離を詰めてくる。


「いや、あなたは白の巫女だ。リーフ家の研究者から買った情報だ。間違いない。何よりあの化け物がロンドンに一週間滞在した際に、あなたを同伴させたのが何よりの証拠だ」


 彼の言う化け物がアーサーの事を示しているのに気づいて、かっとなって思わず言い返していた。


「アーサーは化け物なんかじゃない!」


 くっくっくと喉の奥に篭る笑い声を漏らして、彼は私の顎を右手で掴んで顔を上に向けさせた。


「何も知らないとは幸せなことだ。嘘で固められた楽園に居るのは、そんなに心地がいいのか? 知ろうとしない者には真実は与えられないというのに」

「……何が言いたいの?」


 何が嘘だと言うのだろうか。アーサーから教えられた情報に、嘘が含まれているとでも言いたいのだろうか。

 何のとりえもない日本人にアーサーが嘘をついても、何のメリットもありはしない。アーサーが嘘をつくはずがない。

 私の問いにライアンさんは答えず、左手を上げて背後に控えていた黒服達に合図を送った。


「このお嬢さんを例の場所に案内する。エスコートして差し上げなさい」


 彼らは頷いて、私の両腕を掴んだ。両脇を男二人に固められて、ここは抵抗せずに従った方が得策だと判断する。

 黒服の男に促されるまま、先導するライアンさんの後を追うように、履きなれないパンプスのせいもあって、ぎこちなく歩を進めた。



 ライアンさんが廊下の突き当たりにある鉄製のドアの鍵を解除して、ドアを重い音と共に開くと、地下へと続く階段が現れた。

 長い階段を下りていくと、人工の壁が途切れ、天然の岩肌が曲がりくねり分岐しながら、まだ奥へと続いていた。


 地下深いのか思ったほど寒さを感じない。いつの間にか洞窟の所々に設けられていた蛍光灯の灯りは途切れ、水晶のような鉱物が柔らかく放つ光が辺りを薄ぼんやりと照らしていた。

 沈黙を保ったまま奥へと進む。突き当たりに人の身長の2倍ほどの大きさの水晶が鎮座していた。その周りには大小さまざまな色彩をもつ水晶が取り囲み、光で溢れていた。


 水晶の中に人が入っていた。


 瞳は閉じられていて分からないが、月光を集めたかのような見事な銀の髪は背中までウェーブを描いて広がり、形の良い薄い唇は慎ましく閉じられていた。

 胸の下で細い指を祈る形で組み合わせて、一見するとただ眠っているように見える女性は、アーサーの母、ソフィアさんだった。


 一度だけ見せてもらったアーサーのアルバムの中では、儚げに微笑んでどこか寂しそうな雰囲気のあったソフィアさん。

 何故、本人がこんな場所にいるのか分からなかった。墓地に埋葬されていたのではなかったの?


「ソフィアさん……なのですか?」


 そっとライアンさんを伺うと、彼は愛おしげにソフィアさんを見つめて、水晶の表面に掌を滑らせていた。ソフィァさんは死後八年経っているというのに、時を止めたかのように瑞々しい姿を留めていた。


「そう、彼女はソフィア・リーフ。私の最愛の女性であり、アーサーの母親でもある」

「ソフィアさんは死んだってアーサーから聞きました。何だってこんな所に……」

「彼女が墓地に埋葬された後、私が掘り起こしてここまで運んだ。いつか彼女を生き返らせる為にね」


 ソフィァさんの傍に居るだけで、幸せでたまらないと言わんばかりの恍惚の表情をライアンさんは見せていた。


 狂っている。


 死者が生き返るはずないのに、訳のわからない妄想に取りつかれている彼を見て、私は初めて怖くなった。

 常人のする事はある程度予想はついても、狂人の行動は予想がつかないからだ。


「ソフィアを見出したのは、兄よりも私の方が先だったのに、手に入れたのは兄だった。誰よりもリーフ一族の当主として相応しくあるように血のにじむ努力をしてきたのに、当主の座を継いだのは兄だった。地位も名誉も、ソフィアも、あいつは何でも私が欲しかったものを奪っていく。だから、兄から奪う事にしたんだ。一人息子であるアーサーの命を」


 目をぎらつかせて興奮気味に語るライアンさんは、クリスマスの会場で和やかに司会を務めていた紳士と同一人物とき思えないほど、その身を狂気に染めていた。


「奪ったはずの命は、ソフィアの犠牲でこの世に残ってしまった。全く誤算だったよ。我が一族が封印し続けるべき呪具をソフィアが使うなんてね!」

「呪具なんて、そんなものあるはずがない。あなたは憎悪と最愛の人を失った悲しみのあまりに現実が見えなくなっているだけよ」


 アーサーが一度死んだなんて信じられない。彼が私を抱きしめる腕は熱く、墓前で頬に落ちてきたアーサーの涙は温かった。


「現実に目を閉ざして、そう思っていればいい。アーサーを抹殺して呪具を入手したら、ソフィアを生き返らせるため、あなたには役に立ってもらう」


 彼は私の両側に立っている黒服から私を受け取ると、ソフィァさんが眠る水晶の傍まで引きずって行った。


「やめて! アーサーに何かあったら、絶対あなたになんかに協力しない!」

「その強気がいつまでもつか見ものだな。……おい、逃亡されないように彼女の足首も縛っておけ」


 ライアンさんは私を地面に仰向けに倒して両肩を押さえつけると、黒服に指示を出して両足首を一つに纏めて括らせようとした。

 私は足をばたつかせて抵抗したけど、男三人の力に逆らえるはずもなく、あっけなく足首を縛られてしまった。

 芋虫のようにゴロンと地面に横たわる私に、彼は上から見下して支配者としての言葉を投げてきた。


「長生きしたければ私に逆らわない事だ。白の巫女として呪具の動力源となる限り、ソフィアの次に大切に飼い殺して差し上げよう」


 私を道具としてしか見ないライアンさんの視線は、心の底が凍りつくぐらい冷たいものだった。

 黒服の男二人とライアンさんは、何事かを話しながら来た道を引き返していった。話の内容は、どうせ碌でもない事なのだろう。


 彼らが完全に視界から消え去り、足音も聞こえなくなってから、私はもそもそと縛られて不自由な体を動かし始めた。

 上体を起こし近くにある水晶ににじり寄って、後ろ手に縛られた手で触れていく。先が尖った水晶を見つけ出して、先端部分に手首を縛る縄を切るために根気よく擦りつけていく。


 目が届かず、手の感覚と勘だけを頼りに行う地道な作業は、時に他の水晶の角に手をぶつけてしまう。その度に走る痛みに歯を食いしばった。

 アーサーにライアンさんが命を狙っている事を知らせなければ……。まさか叔父さんが命を狙っているなんて思ってもいないはずだ。


 単純な作業を繰り返している間、どうすれば此処から逃げ出せるだろうかと繰り返し考える。

 来た道を戻っても、扉が閉められていて立ち往生するだけだろう。逃げるとすれば、洞窟の他の出口を僅かな空気の流れを頼りに探るしかなさそうだ。

 それには、縄を解く事が最優先だ。縄を解くことができなければ、効率よく移動ができない。



 突然、ドンという大きな音と小さな振動が伝わってきた。


 地震?イギリスは地震ってよく起こったっけ?大きな地震なら洞窟にいるのは危険じゃないの?

 落盤や崩落の危険はないだろうかとあたりを見回す。幸いにも揺れはすぐに収まってくれたので、縄を切る作業を再開する。指で縄を触ってみると、縄の三分の二の所まで切れ目が入っているのが確認できた。


 よし、この調子なら、あと20分もすれば手を戒めている縄を切る事ができそうだ。


 作業を続けていると、こちらへ慌ただしく走り込んでくる足音と断続的に響く乾いた音が聞こえた。

 切羽詰まって鬼の形相をしたライアンさんが私の前に現れた。私の腕を掴み上げて、荒っぽく私を立ち上がらせた。


「こんなに早くこの場所が割り出されるとは……。確実を期すために呪具を揃えてからと思ったが、仕方ない。予定よりも早いが、お前の生気をソフィアへ分け与えてもらうぞ」


 ソフィアさんが入っている巨大水晶にライアンさんが自らの血で見慣れない文字を描くと、水晶は淡く赤色に発光し始めた。

 彼は水晶に私を押し付ける。水晶は硬い鉱物であるはずなのに、私が触れた部分からゲル状に変化し、私の体を飲み込み始めた。


 理解できない現象が私を襲っている。こんなことあり得ないのに。

 私はパニックになり、助けを求め続けた。


「助けて、アーサー。アーサーっ」


 邪悪な笑みを浮かべて私を見下ろしていたライアンさんが、二発の銃声と同時に顔を強張らせてのけぞった。どさりと彼の倒れる音がした。その向こうに見えたのは、拳銃を構えたアーサーの姿だった。

 助けに来てくれたんだ。

 ライアンさんが倒れた事でこの怪現象が止まるかと一瞬期待したが、それを裏切るように私の体はずふずぶと水晶の中へ沈んでいく。


「やだっ、どうして止まらないの!?」

「マリっ」


 アーサーが拳銃を放り出し、迷彩服を着ている兵士を従えて私の下へと駆けて来る。

 下半身は全て水晶に飲み込まれ、頭と肩しか外に出ていない状態の私を、アーサーは水晶の中に強引に手を突っ込んで引き上げてくれた。

 水晶が赤から黄色へ、黄色から白へ、輝きを変えていく。


 アーサーに助けてもらってほっとしたのか、急激な怠さが全身を巡り始め、私はアーサーの腕の中で意識を失った。



2012.09.03 初出

2012.09.04 誤字・脱字修正


ちなみに、イギリスは地震はめったに起こりません。

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