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第37話 執着

 腕の中でぐったりと力を失ったマリの体を抱え直して、俺は目の前の巨大な水晶を穴が開くほど見つめた。

 そこにはマミルトン墓地に埋葬されているはずの母が、穏やかな表情で眠っていた。


『永遠の檻』


 リーフ家がそう名付けた水晶の形をした呪具は、侯爵家の地下倉庫に厳重に保管されているはずの物だった。

 他の呪具と違い、永遠の檻は本体から切り離されたほんの一欠けらからでも、大地から力を受け取って勝手に成長していく異色の呪具だ。そのため、大地の力を吸収できないように水中に沈められて保管されている。


 その力は中に取り込んだ物の時を止め、永遠にその状態を留めるというものだ。人が二人まるまる入ってしまえるような大きさに成長するには、十数年かかったに違いない。

 なんという執着だ。叔父のライアンも母を愛するあまり、親父と同じように、体の弱かった母が死に瀕した時の為にこれを用意していたのだろう。


 愛する人に向ける執着はライアンや親父以上に俺の方が強いかもしれない。できる事ならマリを誰の目にも触れさせずに、俺だけしか見れないように閉じ込めてしまいたいと思っているのだから。

 強い執着心を持つのは、リーフ家の血がそうさせている様な気がして、俺はライアンの事を笑えなくなっていた。


 水晶の形をした呪具の中で、マリから引き出された生気が荒れ狂っているのが見える。許容量を超えて注ぎこまれた生気は永遠の檻を白く輝かせ、ビシリと表面に亀裂を生じさせながら暴走を始めていた。


「ソフィアはお前には渡さん……」


 肩と脇腹に銃弾を受けて倒れていたライアンが呪具に縋るようにして立ち上がり、血文字を水晶に描くと、その身を水晶へと捧げた。

 ゆっくりと沈んでいくライアンから新たな生気が呪具に追加され、辺りが小刻みに揺れ始めた。


「アーサー様、ここは危険です。落盤の恐れがあります。退避して下さい」


 ガーディアンのアランが周囲に目を光らせながら、俺に警告を発した。洞窟の壁にはひび割れができ、天井からは岩の欠片がパラパラと降ってきていた。


「わかった。建物の外まで駆け抜けるぞ」


 マリを抱き上げ、ガーディアンに守られながら地上へと続く道をひた走る。

 一度だけ母が眠る水晶を振り返ると、母がゆっくりと目を開け、俺を見て静かに微笑んだ気がした。


「母上……」


 足を止め呟いた直後、永遠の檻がある洞窟の天井が崩落を始めた。母の姿は落ちてきた岩石によって遮られ、見えなくなった。


「急いで下さい!」


 殿(しんがり)のアランが俺の背を押して走るように促した。俺は次第に大きくなる揺れの中を振り返ることなくマリを抱えてひた走った。


 今は、マリを安全な場所まで連れて行くのが最優先だ。

 マリの溢れかえっていた生気は、通常の人間の半分程度にまで減少していた。これだけ急激に生気が減少してしまっては、体の方にも何らかの影響が出ているかもしれない。

 途中、爆破した鉄の扉をくぐり、戦闘で死傷したマフィアの死体をまたぎ、ひたすら外を目指す。


 外に出るとカリンが迷彩服に身を包み小銃を抱えて待っていた。腰のベルトからサバイバルナイフを取り出すと、両手首と両足首を縛っていた縄を器用に切って解く。

 俺がマリを担架に乗せると、カリンがこげ茶の皮手袋を外し医療用のゴム手袋をはめて早速診察を始めた。血が出ているマリの手首を触って脈を測り、ペンライトの光を瞳に当てて瞳孔反射を見ていた。


「バイタルは安定している。気絶しているだけね。太い血管も神経も損傷してないようだから、手首の怪我は大したことないわ。このままナント家へ戻った方がいい。リーフ伯爵家には医療設備もないでしょうから」

「俺もマリと一緒に戻る」

「1キロメートル先にある公園にヘリを待機させています。お使い下さい。部下に送らせます」


 アランは部下を二人呼び、マリの担架をジープまで運ばせ、マリを後部荷物台に横たわらせる。俺とカリンも乗ると、ジープは公園に向って走り出した。



* * * * * * * * * *



 柔らかな朝日が瞼に差し込んできて私は目を覚ました。

 両手首には包帯が巻かれ、左腕には点滴が刺さっていた。まだ、ぼーっとする頭で辺りを見回せば、ここが診療所の病室である事がわかった。


 ああ、戻ってこれたんだ。

 気怠さを押しのける様に上体を起こそうとすると、蒸しタオルを持ってこちらへ入ってこようとしていたライラさんと、ばっちり目が合った。


「マリ様、ようやく意識が戻ったのですね」


 ライラさんは私の下に駆け寄ってきた。目に涙を一杯に貯め私の左手を握って、よかった、よかったと何度も呟いた。


「ライラさん、おはようございます」


 朝に目が覚めたぐらいで、大袈裟に感動しているライラさんに戸惑う。確かにアーサーの腕の中で気絶してしまったから心配は掛けたかもしれないけど、大した怪我もしていないはずだ。

 ライラさんは素早くナースコールを押して、応答した看護師にカリンさんとアーサーを呼ぶように伝えた。


「マリ様は三日間も意識が戻らなかったのです。アーサー様をはじめ館の者がどれだけ心配したか……」


 ええっ!? 三日間も眠っていたのか! それなら心配するのも無理はない。

 蒸しタオルで私の顔を拭きながら、ライラさんは三日前の事件の顛末を語って聞かせてくれた。

 私を誘拐したライアンさんは突然起こった洞窟の崩落事故に巻き込まれ死亡したようだ。その上に立っていた彼の別荘も半壊してしまい、遺体の捜索は困難だという。

 ロンドンでの誘拐未遂事件も、ライアンさんがカーリントン・ホテルの従業員を買収し、私とアーサーの情報を得た上で事件を主導していた事が分かった。


 ライアンさんの別荘に集結していたマフィアはガーディアンによって掃討され、アーサーが呼び出しの指定を受けたハミルトン墓地に集結していたマフィアはリーフ侯爵から通報を受けた警察によって全て逮捕されたらしい。

 ソフィアさんの遺体が地下洞窟にある水晶の中にあったはずなのに、それについての情報はライラさんの口から語られる事はなかった。


 暫くしてアーサーとカリンさんが同時に病室に入ってきた。


「意識がなかなか戻らなくて心配した。体はつらい所はないか?」


 私を抱きしめようとするアーサーの肩に手をかけて、カリンさんはストップをかけた。


「はいはい、いちゃつくのは後で。まずは診察させてもらうわよ」


 ベリッと音がしそうなほどの勢いで、アーサーを私から引き離して病室から追い出すと、カリンさんは私の胸に聴診器をあてて心臓の音や呼吸音を聞き始めた。

 体温計を渡されて体温を計測している間、喉の状態を確認したり血圧を計測していく。アラームが鳴って体温計を差し出すと、そこには平熱の数値が出ていた。


「どこにも異常はないみたいね。良かった」


 カリンさんはほっとしたように息を吐き出した。


「ごめんなさい、カリンさん。また、迷惑かけてしまったみたいで……」

「迷惑なんてこれっぼっちも思ってないわよ。こんな事になるなら、私も理由をつけて一緒に同行すれば良かったわね。アーサーなら四六時中マリの傍に張り付いているだろうからと安心していたのに」


 確かにクリスマスの会場では、くじを配る僅かな時間以外は私を離さなかった。おかげで色鮮やかなカクテルも、美味しそうな匂いを漂わせていたローストビーフも口に出来なかった。

 カリンさんは点滴の残量を見て、ライラさんに指示を出した。


「この点滴が落ち切ったら、点滴のラインは外しましょう。丁度その頃朝食の時間になるから、食事は消化の良い物だけを用意するように料理長に伝えてもらえないかな?」

「伝えるわ」

「診察も終わったし、私は部屋に戻るわね。何かあったら遠慮なく呼んでちょうだい」


 あまりよく眠れていなかったのか、カリンさんは私にそう言うと、小さな欠伸を掌で隠しながら病室を出て行った。


「喉は渇いていませんか?」


 ライラさんが水をコップに入れて手渡してくれた。私はコップを受け取って半分ほど飲んだ。


「ありがとう」

「朝食の前にマリ様の服を持って参ります。それまでガウンで我慢して頂けますか?」

「はい。大丈夫です」


 私が返したコップを受け取り蒸しタオルを回収すると、ライラさんは病室の外で待っていたアーサーに声をかけた。彼女と入れ替わるようにアーサーが入ってきて、病室の扉が閉められた。

 ゆったりとした足取りで私に近づいて、アーサーはベッドの近くにあったパイプ椅子を引き寄せて座った。

 私は病人用のベッドから身を少し乗り出し、彼の頬に唇を軽く触れさせて恒例となってしまった朝の挨拶を済ませた。


「おはよう、アーサー」

「おはよう、マリ」


 アーサーも同じように私の頬へとキスを落とす。

 こんな時にまで律儀に挨拶をしなくても良いかもしれないが、朝の挨拶を忘れると、もれなくペナルティがついてくる。忘れているとおはようのキスを私があげるまで、がっちり抱え込まれて放してくれないのだ。


 『触らぬ神に祟りなし』ではないが、ペナルティと称してアーサーにずっとつっくかれるよりは、一瞬だけ恥ずかしさを我慢する方が私の精神衛生上遥かに良い。

 彼は何で私を抱き込んでいるのか説明もしないし、朝の挨拶を忘れていると指摘もしない。短くない時間抱きしめられると、アーサーの熱が服を侵食して肌へと伝わってくる。それが更に羞恥を煽る。

 それもマックスさん達の目の前でもお構いなしにするものだから、私は穴があったら入りたい気分になってくるのだ。


 朝の挨拶が済むと、アーサーは項垂れて私に謝罪した。


「俺がついていたのにマリを危険な目に会わせてしまった。すまない」

「叔父さんが誘拐事件を起こすなんて誰も想像できなかったと思う。それにアーサーは私を助けに来てくれたじゃない。自分を責めないで」


 私は首を振って答えた。両手を伸ばし彼の顔を上げさせると両手首の白い包帯が目に入ったのか、両手首を優しく掴んでそれぞれの包帯の上に唇を落としてきた。

 微かに手首に痛みが走り顔を顰めると、アーサーはすぐに両手首を離した。


「痛むのか?」

「う、うん。ちょっとだけ」

「俺がマリを救出できた時、マリの両手首は血に濡れていた。縄を切ろうとしたんだろうが、全く無茶をする」

「ライアンさんがアーサーを抹殺するって聞かされて、知らせないといけないと思って必死だったから……」


 言い訳の言葉を紡いでいると、アーサーが不意に私を抱き寄せて膝の上に乗せた。輸液パックが引っ張られて前後に揺れた。

 顎を掴まれてアーサーを見上げるように顔を上に向かされる。彼の瞳には堪えきれない欲情の光が宿っていた。

 私の発言のどの部分でスイッチが入ってしまったのか、全然見当がつかなかった。肉食獣に狙いを定められた獲物になった気持ちになる。


「そんなに心配してくれたのか、俺の事を」

「心配するのは、当然じゃない」

「傷がつくのも構わないほど、俺を好きになってくれたと自惚れてもいいか?」


 少しずつアーサーの顔が近づいてくる。


「……わからない」

「俺が今、何をしようとしているか分かるか? マリを抱きしめてキスしたい。嫌ならナースコールでも押せばいい」


 目だけを動かしてベッドの方を見る。ナースコールは十分手の届く位置にあった。

 どうしてだろう。キスされようとしているのに、それでも良いと思っている自分がいる。

 流されているだけなのかもしれない。吊り橋効果で、水晶の中に埋もれかけていた私を助けてくれたアーサーを好きだという気持ちが増幅されているだけかもしれない。


 でも、私はアーサーを受け入れたいほど好きだという想いで満たされていた。助けを求めた時、咄嗟に出てきたのはアーサーの名前だった。

 だから、後悔する事があっても、今、この瞬間の気持ちは本物だ。


 そう信じて私はそっと目を閉じた。アーサーの左手が背中を這い上がって後頭部を支えるように髪の中へと潜っていった。

 最初はそっと唇同士が触れあった。ついばむ様に何度か重ねられた後、貪るようなキスが降ってきた。上手く息ができなくて、呼吸の為に口を開けるとぬるりと彼の舌が口内に滑り込んでくる。

 ちょっと待った! 初心者にいきなりディープキスはないんじゃないの!?

 驚いて目を見開くと、アーサーと目が合った。私の反応のどこが面白かったのか、目を細めて微かに満足そうに微笑んだ気がした。


 更にキスが深くなり、アーサーの思いのままに口内を蹂躙される。息が苦しくて舌に噛みついてやろうかとも思ったが、血を飲むことになるのは嫌なので、彼の胸を叩いて息苦しさを訴えた。

 ようやく容赦ないキスから解放され、荒く浅い呼吸を繰り返す私に、アーサーはからかうように言った。


「なんだ? キスの仕方も忘れてしまったのか?」

「記憶、喪失、なんですから、覚えて、ません」


 息も絶え絶えに答えて、アーサーを睨み上げたつもりだったが、彼は一層笑みを深めて親指で唾液で濡れた下唇をゆっくりとなぞった。


「あまり俺を煽らないでほしいな。抑えが効かなくなりそうだ……。呼吸は鼻でするか、キスの合間にするものだ」


 思い出せるように練習しようか、とアーサーが宣言する。呼吸を整える間もなく、再び深く口づけられてしまった。

 懸命に鼻呼吸しようとするが、舌を絡め取られて、それどころではなくなった。口の中をまさぐられる度、背中に甘い震えが走った。

 キスの合間に肺に送り込めた酸素の量は微々たるもので……。ものの数分もしないうちに、私は体をアーサーに預けるしかなくなるほどぐったりする羽目になった。

 そんな私を嬉しそうに見下ろすアーサーは、絶対サドに違いない!

 ふと、アーサーの顔が曇った。彼の手がナースコールに伸ばされてボタンを押した。


「すまない。調子に乗り過ぎた。点滴液が漏れている」


 左腕を見ると、皮膚の下で点滴と一緒に血液まで漏れているらしく、点滴針が刺さっている部分に青い内出血が広がっていた。

 すぐに駆けつけてくれた看護師さんが処置をしてくれたが、その後に私の服を持ってきたライラさんに、二人そろって説教を受けたのだった。



2012.09.10 初出

2012.09.15 誤字・脱字修正



 活動報告にも書かせて頂きましたが、改行をあまり入れてなかった部分を9/10~17にかけて、読みやすいように編集いたします。

 本編の内容には変更はありません。

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