第1話
──ぱきん。
小さな音が、王立セレスティア貴族学園の中庭に響いた。
「……え?」
ミザールは足元を見た。
磨き上げられた石畳に、細い亀裂が走っている。
一本。
また一本。
まるで地面が、彼女の足元から悲鳴を上げるように。
「ごめん。僕たち、もう終わりにしよう」
目の前の少年が、申し訳なさそうに告げた。
「…………」
ミザールは、言葉を失った。
まただ。
また、この言葉。
「どうして……?」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。
少年は少しだけ目を逸らして、それから言った。
「君の愛は──重すぎる」
その瞬間。
ずんっ、と。
足元の石畳が、さらに沈んだ。
「ひっ……!」
近くにいた生徒が慌てて飛び退く。
ミザールは顔を真っ赤にした。
「ち、違っ……! 今のは、その……!」
違わない。
自分でも分かっている。
感情が高ぶると、身体が重くなる。
嬉しいときも。
楽しいときも。
そして──誰かを好きになればなるほど。
彼女の身体は、信じられないほど重くなる。
「僕だって、最初は嬉しかったんだ」
少年は苦笑した。
「ミザールに好きって言ってもらえて、本当に嬉しかった」
「じゃあ……」
「でも」
彼は言葉を選ぶように、一度だけ息を吐いた。
「毎日、会いたいって言われて。毎日、好きって言われて。僕のことを考えてくれるたびに、君がどんどん重くなっていって……」
少年の視線が、足元へ落ちる。
ひび割れた石畳。
その中心に立っているのは、ミザールだった。
「……僕には、無理だった」
「…………」
「ごめん」
それだけ言うと、少年は去っていった。
追いかけようとは思わなかった。
追いかければ、きっとまた重くなる。
今だって、胸の奥がずきずき痛んでいる。
悲しい。
悔しい。
寂しい。
どうして。
どうして、私は──。
「……私、そんなに重かった?」
誰に尋ねるでもなく、呟いた。
返事はない。
ただ、足元の石畳だけが、沈んでいた。
◇ ◇ ◇
ミザールは、王立セレスティア貴族学園でも有名な少女だった。
誰もが振り返るほどの美貌。
整った顔立ちに、柔らかな雰囲気。
話しかければ可愛らしく笑ってくれる。
そのため、彼女に恋する男子生徒は少なくなかった。
そしてミザール自身も、恋をすることが嫌いではなかった。
むしろ──大好きだった。
好きになれば、相手のことをもっと知りたくなる。
もっと一緒にいたくなる。
喜んでいる顔を見れば嬉しくなるし、困っていれば助けてあげたくなる。
ただ、それだけだった。
少なくとも、ミザールにとっては。
なのに。
いつも最後には、同じ言葉を聞く。
『君の愛は重い』
『ちょっと、ついていけない』
『好きでいてくれるのは嬉しいけど……』
最初は誰もが喜んでくれた。
彼女の「好き」を、可愛いと言ってくれた。
けれど、時間が経つにつれて──その「好き」は、物理的な重さを持ち始める。
椅子が壊れた。
ベンチが壊れた。
食堂の椅子が軋んだ。
中庭の石畳が沈んだ。
そのたびに学園側が修繕する。
普通の魔法だけでは直しきれない場所には、補強用の魔法素材まで使われる。
最近では、学園の修繕用の魔法セメントの消費量が妙に増えている──なんて噂まであった。
原因は、もちろん。
「…………私、なのよね」
ミザールは俯いた。
誰かを好きになる。
嬉しくなる。
もっと好きになる。
そのたびに、自分の身体は重くなる。
そして最後には──相手を困らせる。
それが分かっているのに。
どうしても、好きになることをやめられなかった。
「……もう、嫌」
胸が痛い。
今まで何度も失恋してきた。
それでも、次こそは大丈夫だと思っていた。
今度の人なら。
今度こそ。
私のことを受け入れてくれるかもしれない。
そう思っていた。
だから、また好きになった。
そして、また同じだった。
「…………」
ミザールは、ぎゅっと手を握った。
もう、期待するのはやめよう。
誰かを好きになって、その人を困らせるくらいなら。
「もう……誰も好きにならない」
自分に言い聞かせるように、呟く。
「絶対に、誰も好きにならない」
今度こそ本当に……
◇ ◇ ◇
午後の授業が終わる頃には、ミザールはいつものように席についていた。
教室の中では、誰も彼女の失恋について触れなかった。
気を遣っているのか。
それとも、いつものことだと思われているのか。
どちらにしても、今はありがたかった。
「では、最後に連絡がある」
教師が教壇から告げる。
「明日から、このクラスに季節外れの転校生が来る」
「転校生?」
教室がざわめいた。
この時期に転校してくる生徒は珍しい。
「詳しいことは明日説明する。仲良くするように」
教師がそう言って、今日の授業は終わった。
「……転校生、ね」
ミザールは窓の外を見た。
夕暮れの光が、校舎を淡く染めている。
明日、新しい誰かがこの学園にやってくる。
けれど。
今の彼女には、どうでもよかった。
もう誰かを好きになるつもりなんてない。
だから、自分には関係ない。
そう思っていた。
──このときは、まだ。








