3話 嗤う人魚
ぎぃぃぃ……。
小さな社の扉が、ゆっくりと開いていく。
「…………。」
「…………。」
「帰るぞキクエ。」
「キクエ、行きます。」
「ニュータイプなの?!」
なんでそうなる。
不法侵入だからね?!
俺は帰りたい。
今すぐ帰りたい。
だがキクエは俺の腕を掴んだまま離さない。
「大丈夫です。」
「なにが!?」
「安心して下さい。」
「だからなにが!?」
「安産の御守りがあります。」
「役に立つかな!?今!?」
社の中から、ひんやりした風が吹いた。
妙に湿ってる。
生臭いような匂いも混ざっていた。
「うわ……。」
「潮の香りですね。」
「ここ山の近くだよな?」
「つまり本物です。」
「なんでそうなるんだよ。」
キクエはスマホのライトを点ける。
白い光が暗い社の中を照らした。
中は思ったより狭かった。
古びた木札。
枯れた榊。
崩れかけた小さな祭壇。
そして。
「……箱?」
奥に、古い木箱が置かれていた。
人ひとり抱えるくらいの大きさ。
表面には古い札が何枚も貼られている。
キクエの目が輝いた。
「間違いありません。」
「いや絶対開けるなよ。」
「なぜですか?」
「なぜって聞く?!」
普通に怖いだろ。
絶対ロクでもない。
だがキクエは躊躇なく木箱に近付いた。
「失礼します。」
「失礼ならしない方がいいんじゃないかな。」
ベリ。
ノー躊躇だよ。
札を剥がす音。
やめて。
絶対ダメなやつだろそれ。
「アラト君。」
「……なに。」
「開けます。」
「もう開ける気満々だね。」
ギギギ、と木箱の蓋が動く。
湿った空気が漏れた。
生臭い。
思わず顔をしかめる。
「うわっ……。」
ライトの光が箱の中を照らした。
そこにあったのは。
「…………。」
「…………。」
「いや。」
干からびた何か。
猿みたいな顔。
魚みたいな下半身。
全身が黒ずみ、小さく縮んでいる。
「……偽物だろこれ。」
思わず言った。
テレビで見たことがある。
昔の“人魚のミイラ”って、猿と魚をくっつけて作った見世物だったとか。
たぶんこれもそういうやつだ。
「ですが。」
キクエが小さく呟く。
「濡れています。」
「……は?」
よく見ると。
木箱の底に、水が溜まっていた。
ぽた。
ぽた。
どこからか水滴が落ちる音。
「あ、雨漏りじゃね?」
「今日は晴れです。」
「…………。」
やめろ。
そういう返し。
その時だった。
――にぃ。
「……。」
「……キクエ。」
「はい。」
「今、なんか聞こえなかった?」
キクエがゆっくり頷く。
「笑っています。」
「よし、帰るぞ。」
「もう少しだけ。」
「もう無理だ。」
ぽた。
ぽた。
水音が近い。
社の中が妙に冷える。
気付けば。
箱の周りの床が、濡れていた。
「……なぁ。」
「はい。」
「さっきより水増えてない?」
「増えていますね。」
「なんでそんな冷静なの?!」
すると。
ぐちゃ。
箱の中で音がした。
「…………。」
「…………。」
「キクエ。」
「はい。」
「閉めろ。」
「賛成です。」
バン!と蓋を閉じる。
その瞬間。
社の奥から。
――にぃぃぃぃ。
笑い声が響いた。
「うおっ?!」
俺は反射で後ろに飛んだ。
「走ります!」
「勘弁してよ!!」
俺たちは社を飛び出した。
落ち葉を踏み、石段を駆け下りる。
後ろは見ない。
絶対見ない。
見たらダメな気がした。
境内まで戻って、ようやく足を止める。
「はぁ……っ、はぁ……っ……。」
「大丈夫ですか、アラト君。」
「キクエは?!」
「私は元気です。」
「……そりゃなにより。」
息を整えながら、神社を振り返る。
社は静かだった。
何もない。
まるで最初から全部夢だったみたいに。
「……結局なんだったんだよ。」
キクエは少し黙って。
「……あの人魚。」
「うん。」
「たぶん、まだ生きています。」
「またまたあ。」
やめろ。
俺はため息を吐いた。
信じられるかそんなもん。
絶対気のせいだ。
そう。
気のせい。
――たぶん。
帰り道。
俺はずっと、靴の中が妙に濡れている気がしていた。




