106 玄関でいきなり蹴り飛ばされるのには理由がある
大広間から元気旺盛な喋り声が、玄関まで響き渡る。
どうやら配膳される食事の分量で言い争っているみたいだと、島内の散歩からたった今、男寮に帰宅したばかりの千尋は、開きっぱなしの玄関口付近で微笑しながら、いつも通りの日常風景を人知れず噛み締める。
危惧されていた異能力が段々と発現されつつある現状は、将来的に大混乱を招いたり、これまで十五年も暮らして来たみんなと内部分裂を引き起こしかねない。事実千尋と真希は方向性で揉めて交戦となり、トリノとジオは発現能力を暴走させる。どちらも大事にはならなかったけれど、またいつそうなっても不思議じゃなくて、形容し難い憂いばかりが脳裏を過ぎる。だからこそ、この団欒が千尋にとって愛おしい。
「……千尋、おかえりなさい」
「え? ああうん、ただいま……」
男寮の階段を淡々と下って来た真希と逢う。
こうして一対一で顔を合わせるのは揉めたとき以来だ。
男性陣のみが住まうこの建物に、女の子の真希が住んでいるわけじゃないけれど、おかえりという言葉には全く違和感がなくて、微妙な気不味さはあっても寧ろしっかりと来ていて、そのまま至極当然のように千尋は返事をする。
「もう。少し目を離したと思ったら、みんなうるさいな。あたし、あっちに戻りたくないんだけど」
「そう言わないであげてよ。元気なのは良いことなんだから」
「はぁ……そんな元気があるなら、ああして揉める前に自分で後から料理して作ればいいだけでしょ? 無駄なエネルギーだって言ってるのよ」
「うん……まあ、そっちはそっちでエネルギー使いそうだけどね。それよりも真希は、どうして二階に?」
丁度愚痴が済んだところで、ちょっとした疑問を千尋は真希に投げ掛ける。真希が男寮の二階に赴くのは珍しく、そもそも伊波奈やトリノ以外の子と積極的につるもうとしない、平静を好むタイプだ。でも人工島のみんなのことを毛嫌いしているわけじゃ無くて、騒々しさには度々苛立つのに、パッタリと物静かになるのは寂しく思ってしまうような子だ。
更に言うと仮に嫌っていたとしたら、発現能力を巡って千尋と対立することもなかった。あのままどうなっても構わないと放って置けば良かったんだから。彼女は彼女で不器用ながら、みんなに寄り添おうとした証だ。
「一応、治と龍之介を呼びに行ってた。龍之介はあとにするって返事があった。治は何もなかった……」
「あ、そういうこと……」
その理由に、千尋は納得と相槌を打つ。
ただ真希が呼び掛けに向かったのは意外で、さりげなく双眸を瞬かせる。
「あの二人、ちゃんと生活はしてるみたいらしいけど、最近顔出すことないし……」
「……そうだね。でも元々、治はぼんやりとしてることが多かったし、龍之介もそれに付き合ってるようなものだから」
「それはあたしも知ってるけどさ、ちょっと長くない?」
「真希の指摘は最もだけど、水仙がここに来るときは三人で集まってるみたいだし、あんまり周りが悲観的になると逆効果だと思う……真希がそこまで心配することないよ」
「はあっ!? 別に心配はしてないけどっ?」
強めの語調で真希は否定する。
かえって図星を突かれた感が漏出してる気がするけど、千尋は敢えて黙っておく。イラつく真希の様子も、そこまで嫌いじゃないから。
「……何よ、その顔。すごく腹立つんだけど?」
「僕の顔で腹立たれても困る」
「はあ……その腹立ちついでに言うけど、トリノのことに関しては大丈夫だから」
「え、あ——」
真希がさりげなく、意味深にならないように告げたそれは、発現能力が暴発して疲弊した二人のうちのトリノのこと。トリノについては元より仲良しで、同じく発現能力を行使出来る真希に事情を共有してサポート役をお願いしている……いや、千尋がお願いしたというよりは真希本人が申し出たと表現する方が正しい。
「——だから千尋たちはジオのこと……そっちは問題ないのよね?」
「それは、うん。ジオは僕のほかに理人も塔矢も居るから」
「……あっそ、そのことだけ分かればもう良いわ——」
そのまま真希は、千尋に対して払い除けるようなジェスチャーをしてみせる。前触れがなさ過ぎて、いきなり邪険にされた理由を千尋は思い出そうとする……けれどよくよく考えなくても、すぐにその素っ気なさを理解する。彼女はこう見えて、他人同士のことばかりを推し量る子だと。
「——千尋もあの騒がしい中に行ったら? あたしはトリノとまったり食べることにしたから、代わりにそう伝えたといてくれる?」
「ふ……急にそんな冷たいやり方しなくてもいいのに。だから誤解されるんだよ、真希は」
千尋はその真希の冷たさが素直じゃないだけだと判る。
これをちゃんと訳すると……呼び止めて悪かった、そんなところだ。
「喧嘩売ってる?」
「いやいや、売ってない売ってない」
「というか、あたしより千尋の方が誤解されること多いじゃない。基本説明不足だし、変なところですまし顔で誤魔化そうとするし、そのくせ意外とわがままだし……あとさっきの言い方もそう。ほんと難儀な性格してる」
「……そうかな?」
疑問形で返しつつも、言い得て妙だと苦笑する。
的確過ぎてちょっと困ってしまったから。
「あと……そうだ、思い出した。千尋あんた、あたしに男装趣味があるとかトリノに吹聴したでしょ? 何の嫌がらせ?」
「えっとなんのこと……あっ——」
男装趣味ってなんのことだろうって、言われた瞬間は本当に分からなかった。しかし徐々にトリノから、真希が千尋のことを気にしている理由を誤魔化すための、その場凌ぎの嘘を間に受けられたんだと悟る。当時のトリノは能力を手に入れていないと判断していたから、苦し紛れにそんなことを口走ってしまったような気がする……それこそ、誤解釈されてしまって。
「——心当たりがあるのね?」
「まあ……えっと……」
「ある、のね?」
「その、うん……でもあれは真希が僕の制服を破ったせいもあったというか」
「なに? あたしだけのせいにするわけ?」
「そうじゃないけど、僕だけのせいでもないよね? そっちが強情だったせいもあるから」
「はあ? 何言ってんの。あれで元気になって来たトリノからどれだけ冷やかされたと思って——」
そこまで言い掛けて、真希は依然開かれたままの玄関口後方に目移りしながら紡ぐ言葉を打ち止める。
どうしたんだろうと、千尋もその真希の視線を追うように振り返ろうと……していた。
「——千尋っっっっっ!!」
「な……ぐはぁっ!」
千尋が体勢を変えようとしたところで何故か、背後から千尋のことを怒声混ざりに呼称されたと思ったら、次の瞬間には背中を強く押し出すようにして、強引に前方へと飛ばされる。そうして気が付けば、千尋は玄関前廊下に伏せるような格好になる。反射的に受け身を取れて安堵しながら、誰がこんなことをするのか、皆目見当が付かないと困惑していると、千尋の目線からすると右横から忍び寄って来る誰がが居て、おそるおそるといった具合でそちらに顔を向けるとなんと、その両頬を箸で挟むかの如く掴まれる。
「やっと見つけた」
「あ……継実……」
「何でこんなことをされてるか、分かってるよね?」
千尋は両頬を掴まれたまま、さきほど敵意を剥き出しにしたであろう世久見 継実のサイドテールが視界に映る。そんな彼女がここまで激怒してる原因に、遅ればせながら気が付く。だってその担当分野は必ず、継実が主導で制作されるモノだからだ。




