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コバルトソフィア  作者: SHOW。
第二章
105/156

105 ゆったりとした朝から伝導する

 そのあと玄関口から渡り廊下を経由し、千尋と外出していた椎の二人は男寮の広間に入る。人工島民全員が居ても余りある空間にぽつんと千尋と椎、長閑やかで軽やかなムードが冷気と混じえて溶け込む。


「椎は何してたの? こんな早くに」

「ランニングだよっ。今日は寒くてさー、ちょっと早起きしちゃったから、私一人で走ってたんだ」

「そっか、一人で……」


 椎がランニングに興じるのは珍しいことじゃない。

 ほとんど毎日のように椎一人か、主に拓土や別の誰かを誘って島中を駆けている。

 ただいつもより少し、早々の時間ではある。


「千尋こそどうしたの? 寮の目の前を走ってたら電気が点いてるんだもんっ! わたしビックリだよ」

「いやいや、いきなり夜の玄関扉を叩かれる方がビックリしたよ。もうホラー映画みたいだったからね、あれ」

「あははっ、気になっちゃって……そういえば夜御飯のときも居なかったね。ずっと寝てたの?」

「うん。だから今からお腹を満たそうかなと」

「おお、いいねー」


 雑談を交わしながら千尋は、広間のキッチンにある冷蔵庫の中身を開き見てすぐ、鍋蓋で閉じ込めた銀色の大鍋があり、その取っ手を引っ張り持ってIHクッキングヒーターの真上に置く。

 そして行く場に迷った水蒸気がへばりつき、真っ白な靄がシークレットに包み隠す鍋蓋を外し、大鍋の中に味噌ベースのスープの料理があると分かり、手元にあるおたまで掻き回し、炙り出した具材から豚汁だと具体的に判明する。


「豚汁か……冬場に合うね」

「うん……あれ? 千尋、メニュー知らなかったんだ?」

「そうだけど……」

「ありゃ? なんかわたしが寝る前に、小春が千尋に色々と教えて来たって言ってたから。聴いてなかった?」

「えっ、小春……——」


 千尋はIHクッキングヒーターの調節を弄り弱火で灯しつつ、爆睡前の朧げな記憶をなんとか思い出そうとする。確かに誰かが話し掛けて来た気がしなくも無いが、それが夢か(うつつ)かの区別が付かない。ましてや小春かどうかも皆目定かじゃない。


「——ああ、誰か居たような、居なかったような……どうだったかな?」

「もうそのレベルなんだ、ちょっと残念だなー」

「残念?」

「……小春がちょっぴり嬉しそうだったから。なんか二人で、楽しいお話をしたのかなって思ってたんだよ」

「そっか小春が……また逢ったときに、何話したか聴いておくよ。まあ、教えてくれそうには無いけどね」

「ははっ、そ〜だね〜」


 豚汁を温め直す千尋の後ろを椎が通り、冷蔵庫からお茶ポット、食器棚からグラスを手に取りつつ緩やかに肯定する。

 沸々と煮えたぎる寸前で攪拌することで、味噌の塩分と豚肉の肉汁が蕩け合った芳しい香りが、立ち込める湯気と一緒にキッチン内を伝播して行く。


「……痛っつ」


 そんな最中。千尋は微かな熱気が、ジャージ越しで間接的に左腕に触れたことで痛みが生じる。軽度の炎症患部を刺激されたような、紫黒の痣を押し付けた痺れのような疼き。なぜかジオの炎よりも、強く疼いた。

 千尋はおたまを置き止め、その箇所に逆手を押し当てる。

 そこで初めて、擦傷があるところにガーゼが貼り付けられていることに気付いた。なんでジャージに着替えたときに気付かなかったんだと所感しつつ、これが椎が言う、小春が千尋の部屋を訪れたときの証明のような気持ちにもなり、謝意の心に留めつつ千尋は微笑む。


「ふふーん? 良かったね」

「え? ああ、うん」


 リビングテーブルの席に着き、ガラスコップにお茶を注ぎながら椎は、千尋の表情を読み取ってか、はたまた予測してか、まるで心証風景を覗き見たような様子で、嬉しそうな千尋をお茶目に褒める。その姿が偶然にも、就寝前に話していた小春と似た笑顔だったからなおさら、二人の通じ合った嬉々がひしひしと伝わって来る。


「やっぱり、二人はお似合いだねぇ?」

「まあ、昔からの付き合いだから」

「それはここにいるみんなそうじゃんっ。ほらほら、もっと特別な何かが、ほらほらー? ないのかなー?」

「あぁ……でも、ここ最近は小春と出逢う頻度は減ってるからね。特別なことと言ったら、そのすれ違い具合かな? 僕が寝ている間にさ、逢いに来てくれたりとか……よしっ、温めはこんなもんかな」

「むぅ、もったいないなー……あっそれちょっと余ってたりする? わたしも食べたいー欲しいー」


 椎は不満そうな表情をけろりと変えて立ち上がり、千尋が立つ反対側から大鍋を覗き込む。危うく双方の頭がぶつかりそうな距離まで迫られ、千尋はやや後退りしつつ、残量的には全然余裕があるなと首肯する。


「うん、大丈夫そうだよ。僕以外に誰もいないならだけど」

「おーやったー。じゃあわたし、そこにあるお皿を使いたいなー」

「了解。僕が装っちゃうけど、良い?」

「いいよ。ありがとー」


 そうして千尋が二人分のお椀を用意し、それぞれに豚汁を装う。今日は随分と余っているんだなと思ったところで、トリノとジオの発現能力のことが呼び起こされる。きっと食欲どころの事態じゃなく、粛々と安静にしたいときだろうなと悟り、同時にこの残量の多さにも合点がいく。


 千尋ですら身体に鞭を打って生活している状態だ。

 当事者であり、突然我が身に降り掛かったトリノのジオの心中を察するに余り有る。想像するのも、申し訳ない。


「……千尋、今のって」

「えっ? なに?」


 すると椎が目を点にして、千尋に訊ねる。

 どこかで不可解な情報が入って来たかのように。 


「いや……ううん、なんでもないっ」

「そう?」

「うん。それよりっ、ほらほら食べよ食べよっ。今度わたしが主催するスポーツのこととか、先生と帰り際に教えてくれたことの話しでもしながらさっ」

「……そう、だね。先生とどうだった?」

「えへへ、楽しかったよー」

「そっか。それはよかった……はい椎、どうぞ」

「わーい。ありがとー、あったかーいっ」

「うん、あったかいね」


 部屋の灯りにはまだ劣る陽光が窓越しに照射する時間帯。

 束の間の安穏が、油分混じる味噌汁の暖かさと溶け合い、胸元辺りで弾ける。

 トリノとジオのことを含め、問題課題は山積みだ。

 臨時教師である水島の言動にも引っかかる箇所があった。

 この人工島の行く末がどうなるか不安ばかり。


 そんないざこざを、ひとときだけ片隅に置く温もり。

 千尋は豚汁を啜り、そっと清まる息を吐き流す。

 こんなゆったりとした日々が、どうかいつまでも得られるようにと。

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