4月28日(火) 昼 跳梁跋扈2
ノートPCに表示された地図を横目に、伊之助は自分の携帯から学校からその天野ビルまでの距離を確認する。ざっと5キロほどで、そう遠くはない。時間がないのならさっさと現地に向かえばいいのだろうがそういった気配もない。胡乱な目で椛を見上げていると、ばっちり目が合う。
「ところで、飯野君。着替え済んでないよね?」
「……何に姫浜先輩は着替えたんですか?」
見たところ彼女達は学校の制服を着用しており、特別な変化はない。
「旧校舎に行く時用の奴にだよ。入寮時に何着か渡したと思うんだけど?」
「それなら今、着ている奴がソレですね。朝、寝ぼけてて」
「……イノ先輩、よくそれで平気ですね」
「アナタ、それを本気で言っているの?」
伊之助が自身の制服を広げて確認していると藍と希天から非難の声があがった。彼女達の言葉の意味を求めて視線を椛に向けると、彼女もまた驚きを隠せないようで口をポカンと開いていた。
「なんかおかしな事でもした、俺?」
「飯野君が大物なのが分かりました。でも、それは対幽世用の防具だから軽々しく日常で使わないようにね」
「ひょっとして副作用があるの?」
「そうね。学校のように賑やか――、感情が溢れた場所に長く留まると――最悪、狂い死ぬ」
「冗談を……」
伊之助は希天の回答を笑い飛ばそうとするが、相手の目は笑っていないし、おまけに言えば周囲もそれを咎める様子もない。
「まぁ、危険だからもう学校には着てこないほうがいいよ。あと、ロッカーに一着くらいは予備を置いておいてね」
「はい。でも、そういうことはもっと早く言って欲しかったです。あと、危険なくだりも……」
「――おっと、下にお迎えが着いたみたいだし、残りは車で話そうか」
椛は手に持っていた携帯に目をやるとノートPCを閉じ、率先して部室を出る。続いて藍、希天の順に並び最後尾に恨めしい目つきの伊之助。椛は部室棟から裏門へと繋がる、人気のないところを選んで学校から出ると小道に止まったワンボックスカーへと乗り込んだ。伊之助もそれに倣うのだがどうにも違和感を覚える。
「姫浜先輩、このまま目的地までは一直線で?」
3列あるシートの最前列は運転手のみ。2列目に椛と伊之助。3列目には希天と藍が座っている。
伊之助は隣に座る椛がノートPCを荷物から取り出している様子を眺めながら先程の違和感の正体を考えながら、今後の予定を確認する。
「私と希天ちゃんの霊装は届けてもらう予定だし、そのつもりだよ?」
「なるほど……あ! さっき言ってた副作用って大丈夫なんですかね?」
目的地はオフィス街の一角、避難の必要があるため、伊之助たちの出番は午後となる。現在は十時過ぎ、違和感の正体は実働までの空白の時間であり、先程聞かされた特別な制服の副作用だとようやく思い当たった。
「ご利益のあるお札貰えるから問題ないかな。あ、これは飯野君の分ね」
「この制服にもちゃんとした理由があったんですね。鹿島からは部活動の正装くらいにしか教えてもらってなかったんで新鮮です」
「……飯野君は色々手順を飛ばしてるから、どこかで大ポカやらかしそうで心配だよ」
椛ははふぅとため息をつくとガックリと首を落とす。その様子を見た伊之助も悪い事をしたような気分になるが、そもそもの元凶が椛なのだと思い直し顔を引き締める。
「それで霊災ってどうやって片付けるんですか?」
「んんー。希天ちゃん、お願い」
「私ですか……。霊災は地脈……排水溝に詰まったゴミで道路に水が溢れるようなもので、本来の役割を果たせるようゴミを排除すればいいだけ」
「日頃からゴミ掃除怠らなきゃ起きないってことか……」
「それは無理な話ね。アナタの言っている事は大地震が起きないよう地層のずれを小分けにしましょうと言っているのと同じくらい間抜けな事よ」
「オーケー。大自然様には適わないってことだな。理解した」
希天が他に質問があるかと問う様に強い視線を送るので、伊之助は何も無いと首を横に振った。すると、後部座席で大人しくしていた藍が伊之助の耳元に近づき囁く。
「関谷先輩にあんな風に言われて苛立ち1つ見せないのってイノ先輩、生粋のMなんですか?」
「アレで怒ってたら日常生活に支障きたすレベルだよ」
「うわ、マジですか……。あたしが言うのもアレですけど、もう少し友達選んだ方がいいですよ?」
「聞こえているのだけど?」
「すみません、関谷先輩」「謝っとけよ、鹿島」
特に機嫌を悪くした様子もなかったが、希天は必要以上にくっ付いて媚を売る藍に戸惑い、救いを求めるような視線をへ向けてくる。なので、伊之助はそれを無視して椛へ話しかけた。
「……それで、事前に確認する事はありますか?」
「んと、ビルの平面図は……当てにならないから、……どんな職種の人達が入居してるかくらいかな」
「平面図が役に立たないんですか? 間取りとか役に立ちそうですけど」
後部座席で黄色い嬌声が上がっているが努めて無視。椛の言う言葉に首を傾げる。怪異との戦いが待っているのなら地の利はあるに越した事はないはずだ。
「歪んじゃうんだよ、色々とね。だから変に先入観を持たないほうが安全みたい。って言っても、これは経験則だから、見る人が見れば法則があるかもしれないし」
「先人の知恵は偉大ですからね、従います。でも入居してる人達の職種なんて関係あるんですか?」
「出現する幽世の存在の傾向がある程度、予測できちゃうみたいだね。霊災が起きたところで繋がった場に大きな影響を受けるみたいだし」
霊災が起きた場の雰囲気に怪異も色濃く影響を受ける。旧校舎に出てくるモノがごった煮なのは例外なのかなと疑問に思うが、今はそれを訴求したところで何の価値もない。
「ちなみに今回の天野ビルはどんな職種の人達でしょうか?」
「広告代理店、物流、IT、保険……、こんなトコかな」
「最後の1こで、うわっ来ちゃったみたいな表情になったのは何故……」
伊之助は露骨に嫌悪感をみせた椛に思わず問い質すが、彼女は目をそっと伏せ口を一文字に結ぶ。明言はしなかったが最後が問題児であることは容易に想像がついた。
「会社関連って人間関係で揉めてそうですから、イメージ的には呪力型が多そうですね」
「ビジネス街は心力型のほうが多いのよ、飯野君」
「あー、関谷。ようやく解放されたのな。でも何故、心力型?」
「逃避したいんでしょうね、何からとまでは知らないけれど」
「現実逃避が心力型なのかー。ギスギスしてそうだから呪力型が多いと思ってた」
後部座席から律とした希天の声が聞こえ、振り返ると彼女は服を整えて窓の外へ視線を向けていた。投げっぱなしのままどうしたものかと希天の横顔を眺めていると今度は別の方から声がする。
「宗教関連は魔力型が多いですねー。神頼み系は明確なイメージがないのでそうなっちゃうらしいです」
「へー、それじゃ呪力型って意外と生まれにくいのか」
「いいえ」「違うの」「違いますよ」
示し合わせたかのように三者三様に伊之助の言葉を否定された。順繰りに3人の顔を眺めてから誰に回答を求めるべきか悩んでいると伊之助の袖口を引っ張る感覚。誰かと自身の袖口に伸びる手を追っていくとその先には神経質に眉根を寄せた椛がいた。
「……姫浜先輩、どう違うか説明してもらってもいいですか?」
「呪力型は霊災の中心になるの。言わば引き鉄。おそらく今回も誰かが……」
その時、かくんと音を立てて車が止まる。
「目的地に着いたみたいだね」
「続きが気になるんですけど……」
「続きは中でしましょうか」
椛はドアを開けて外へ出る。
目的の天野ビルまではブルーシートで遮られていて、思った以上に大事になっている。頻繁にこういう現象が起きていても気付かないものなのかと伊之助は首をかしげながら彼女の後に続く。
「最終確認をしましょう」
剣帯を腰に佩きながら椛が注意を引いた。伊之助を含めた3人も各々で準備をしながら耳を傾ける。
「現在、ビル内に人はいません。霊災の兆候もいまだ健在。突入はいつでも大丈夫」
「霊災が起きるまでは待機ですか?」
己の霊装、チェーンベルトを装着し終えた希天が若草色の眼鏡を外す。眼鏡のおかげで抑えられていたのか、彼女の眼力が心なしか増した。
「そうだなぁ、飯野君はどう思う?」
「素人に意見を求めるタイミングじゃないと思いますけど……」
椛に意見を求められ頭をかく。これまでの会話の中に判断材料はいくつか存在していたはずだ。目を閉じて無意識に右手を胸にやる。
制服のデメリット。平面図は歪むから意味がない。逢魔が時は幽世と繋がる瞬間を指す。霊災の直接的な引き鉄は呪力型に由来。
「……行った方がいいと思います。元締めっぽい奴の目星を付けた方がイニシアチブを握れそうだし、霊災が起きた後だと選択はなくなるでしょうし」
「なるほどね」
「でも、途中で霊災が起きると遭難する可能性があるっぽいというかー。だいたい、昨日みたいに不意打ちされたらやばくないですか?」
伊之助の意見は王道では無いらしく、藍が不満そうに椛の袖口を引っ張った。
「そうだね。危険はある」
椛が藍の言葉を肯定。
伊之助はそれを――、己の発言が却下されたことを不快には思わない。業界に精通した者の意見は歴史から学んだ経験則を踏んだものであり、あえて危険を冒す必要など無い。ましてや素人の思いつきに乗っかろうというのは愚の骨頂だろう。
「――でも、今回は攻めてみよう」
椛は藍の肩をかるく叩くと不適な笑みを浮かべた。自棄になったとかそういうのではなく、もっと何か確信めいたものを匂わせる表情は周囲にも波及した。
希天は真顔のまま小さく頷く。
藍は少しの間、呆気に取られ、すぐに子悪魔染みた表情で伊之助を試すように笑いかける。
その時、伊之助はどんな顔をしていただろうか?
ただ1つ、把握していたのは3人の態度に応えなければいけない。その覚悟だけは己の中に芽吹いていた。




