4月28日(火) 昼 跳梁跋扈1
その日、伊之助は鉛のようなからだを引きずりながらの登校だった。
「飯野クン、なんだかとても疲れているね?」
「おはよう、篠山。理解してくれるのはお前くらいだよ。アイツ等、タフ過ぎる」
「なんとも素敵な一夜を過ごしたようでなにより。キミも私への話題提供に熱心で感動するよ」
「……女子、怖ぇ」
荷物を置いて自席に着いた伊之助を笹山の視線が追う。相変わらず、にまにまと人を食ったような表情で笑っている。伊之助は嘆息するとその視線に応じるように頬杖をついて半眼を向けた。
「……ところで、毎夜毎夜、キミはどこで遊びまわってるんだい?」
「学校だよ。部活だからな」
「夜の部活動って、淫靡な響きがするね」
「そーだよなぁ。艶っぽい感じだもんな、もう少し色気があったほうがいいと思う」
伊之助は昨夜の学校を思い出す。
修羅場を乗り越えた伊之助を待っていたのは「飯野君、これからずっと司令塔役お願いね」という、上気した頬でにっこりと笑う椛だった。当然、伊之助は断ったが周囲に味方がいない。半ば押し付けられる形で司令塔の役割を椛より委譲された。
「……へぇ。やっぱりその部に姫浜椛しか女の子はいないの?」
「むしろ、男は俺1人しかいない」
「……飯野クン。寝言は寝て言うもんだよ?」
「そうだな。ある種、悪夢をずっと見せられ続けている気がするよ」
篠山は煽っても動じず、むしろ逆に煽り返してみせた伊之助の言動に臍を噛む。いつものように掌の上で踊らない彼の行動が鼻につく。
「じゃあ、今も悪夢かな?」
「……篠山が悪態をついてると安心するよ」
「そ」
その言葉を最後に朝の会話は打ち切られる。
伊之助は背を向けた篠山に胡乱な視線を向けて午前の授業を迎えた。
授業といっても中身は平凡だ。日々、予習復習をかかさない伊之助にとって授業内容は退屈で新鮮味に欠ける。ただ、サスケとの出会いをキッカケに授業との付き合い方はかなり変わった。
今までは理解出来なくてもそういうものだと文面以上の内容を追求せずにいた。今の自分から見れば思考停止と言える状況を改善し、納得がいくまで悩む事を覚えた。その結果、色々と不備が見つかり納得しようと遡ると小学生レベルに届きそうなのが伊之助にとって目下、悩みの種となっている。
板書を写して眠気と戦っていると、内ポケットで違和感を覚える。
伊之助は教科書を立て、こっそりと内ポケットから携帯を取り出すと見知らぬアドレスからの着信があった。眉根を寄せてタイトルなしのメールを開く。
『こんにちは、姫浜椛です。今から部室に集合してください』
修飾のない必要事項だけを記載したメールに首を傾げる。『今から』がいつからを指しているのかピンと来ない。それに知らないアドレスで本人であるかも特定出来ない。返信するのも勇気がいるな――、二の足を踏んでいると続けざまに携帯が震える。
表示される着信元は"姫浜椛"――。寮を引越しする際に電話番号だけは交換してあった、そうなると先程のメールも本人で間違いないし、こうやって直に電話をかけてくるということは『今から』が今であること他ならない。
伊之助は意を決して早退を宣言すると素早く教室を後にした。
教室を出て真っ先に椛へメールを返すと携帯の震えが止まった。この様子だと伊之助が最後の1人らしい、足早に部室へと向かう。授業中の学校の廊下はとても静かで人気が無かった。
ただ、あの夜と違って色彩に欠けるとは思わなかった。伊之助は部室に着くとノックもせずにドアを開ける。
「すみません、遅れました――」
何は無くとも謝罪だろうと開口一番、部室の中も確認せずに言った。そして素早くドアを閉じた。
「……ヒメ先輩、鍵かけてないのは迂闊ですよぉ」
「えー、あれ? この間、飯野君を勧誘した時に怒られたから、つい……」
ドアを背に高鳴る心臓を手で押さえながら深呼吸。ドアに誰かが近づいてくる気配がする。
「イノ先輩も覗きなら、ばれないようにやってくれませんかねぇ」
「そ、そういう鹿島は慌てないんだな?」
「……知ってましたし」
ドアに鍵がかかる音。次いで藍とのやり取り、無論最後の一言は伊之助にしか聞こえない程度の小声でだ。伊之助が視線を上に向けると半透明な水色のバスケットボールが2つの瞳をぱちくりとさせている。これは藍の召喚した物体で、彼女はこれを通して伊之助の接近に気が付いていたのだろう。
伊之助が部室のドアを開いた先で見たものは3人の着替え。肌色と白とピンクと黄色。色彩に溢れていたが、それに見蕩れる余裕は無かった。部室から悲鳴が上がらなかったが唯一の救いで、何故、今ここで彼女達が着替えていたのかなんて分かるはずもない。後で説明を聞けるのだろうが、すぐさま話題に持ち出すほどの度胸はなかった。
伊之助が悶々としたまま頭を抱えていると、再びドアに近づく気配がして鍵が解除される。
「もう、大丈夫だよ」
「……つかぬ事をお聞きしますが、どこまで大丈夫なんでしょうか?」
「そだねぇ、私は大丈夫……。ああ、藍ちゃんもいつも通りだね」
「……わかりました。それじゃ入ります」
再びドアを開けると眼前には困ったように笑う椛。長机をはさんでパイプ椅子に腰掛ける藍。そしてその隣で顔を伏せて視線をこちらへ向けない希天。三者三様、誰を基準に接していいかも分からず、案内されるままに部室へ入ると、伊之助は希天から一番離れた場所にあるパイプ椅子に座った。
「いやー、突然の呼び出しゴメンねー。飯野君、授業は?」
椛は今度は忘れずに部室に鍵をかけて、長机の傍に立つ。
「早退してきました。ロクな目にあわない予感だけはしていたので」
「話が早くて助かるな。じゃあ、今回の霊災だけども……」
椛が取り出したのはノートPCでその画面には市街の地図が表示されている。伊之助はその前に聞きなれぬ単語を聞いたような気がして首を傾げる。椛は進行に障害が発生しない限り、そのまま事を進めていくタイプの人間だ。以前に特別課外活動部へ勧誘された際もよく似たやり取りをしている。
「兆候は今朝の8時頃から顕れてて、現場は天野ビル。色んな会社が入居しているオフィスビルだね」
「オフィス街の真っ只中ですねー。割とヤバイんじゃないですかねー」
「ガス漏れ事故、って感じで周囲の人も退避して貰ってる最中らしいよ。午前中に済ませるから私達が片付けに行くのは午後からになるね」
「……あの!」
熱心にノートPCを覗き込む藍や椛の弾んだ会話に、伊之助は意を決して大声で口を挟んだ。自然と周囲の視線は伊之助へと集まる。先程までずっと顔を伏せていた希天も例外なくだ。周囲の雰囲気から置いていかれるというのはこんなにも心苦しいものだったかと戸惑うくらい、次の言葉へ繋げることにプレッシャーを覚えた。
「霊災ってなんですっけ?」
時間が停止したかと錯覚した。
視界に収まった3人は声も上げず、きょとんとしている。伊之助が嫌な汗を流す。さっきの発言が相当に場違いなものであった事も確信した。それでも、その行為が正しかったと自負する。この人達と絡む場合、無知は危険なのだ。目隠しで地雷原を歩くほどに無謀な行為へと変貌する。7つの夜と3度の幽世の経験で伊之助はそれを痛いほど身に染みていた。
「霊災は……だね。幽世の存在が現世に迷惑をかける事の総称だよ」
頭でも痛いのか、椛がこめかみに指を当てて眉根を寄せている。
「特別課外活動部はそもそも霊災へのカウンターとして発足した部活動よ。アナタ、夜中に旧校舎でうろつくだけの遊びと勘違いしてたの?」
「あ、遊びだと思ったことはないよ。なぁ鹿島?」
「うっわ、そこであたしに振りますかー。悪意を感じますよ、それ」
「一応、入部する時に説明しておいたんだけどね。足りなかったかなぁ?」
「ああ、そういえばうっすらと思い出してきた気がしました。姫浜先輩に部員が2人、入院送りにされたのもその時に聞いたような……気が……」
伊之助の脳裏に浮かんだのは椛との勧誘時のやり取り。細い糸を手繰るようにしてその時の記憶を奥底から引きずり出し、ロクに推敲もせずに声に出し、しまったと表情に出して言葉を止めた。今はその霊災の話をしていて、伊之助は前回起きた霊災の惨状を口に滑らせた。伊之助の失言はこれ以上ない士気低下を招くだろう。
「まぁ、その……、すみません。だいたいは把握しました、お話を続けてください」
「飯野君は察しがよくて助かるなー」
「さっき謝ったじゃないですか! でも、具体的な霊災って何が起きてるんですか? 旧校舎みたく怪異が暴れまわってるならパニックになっててもおかしくないと思うんですけど」
「イノ先輩。まだ兆候が出ただけですよ」
「霊災と言っても必ず前兆がある。そして幽世と繋がるのは逢魔が時と相場が決まっているものよ」
「おう……まがと……き?」
時というからには時間なのだろう。2人の話を総合するに霊災となりうる状況へ達するまでには段階があり、今は一般人には影響の出ないレベルで慌てる必要はない。
「逢魔が時。夕暮れを指す言葉だけどあんまり馴染みないよね。それに業界用語だと夕暮れを指す訳じゃなくて幽世と繋がった瞬間を指す事が多いから、まだ時間があるとか思っちゃダメだよ?」
どうやら、慌てる必要があるらしい。
伊之助は貴重な時間を削ってしまった事に萎縮しながらも、首を傾げる。そう言えば部室へ入る際に彼女達は着替えを行っていたはずだが、見た目は今も制服姿で変化はなかった。だが、いまそれを言及するのは藪蛇に思えて口を閉ざすとノートPCにパイプ椅子ごと近づいた。




