最終話 価値
――それから、さらに時が流れた。
この世界に時間の概念があるのかどうか分からないまま将明は歩き続けた。
いや、歩き続けることしかできなかった……という方が正しいのだろう。
ジャングルから山岳へ、山岳から砂漠へ、砂漠からジャングルへ。
無限の循環あるいは無限の連鎖。
将明にはもう区別がつかなかったし、つける意味もなかった。
それでも、まだ抗う気力と意思のある頃はよかった。
この空間への考察を続けながら、王冠の山に挑むために筋トレをしていた。
洞窟の中で腕立て伏せに始まり、プラスチックの蔓にぶら下がって懸垂をしたり、崖の縁でスクワットを行う。
体力をつければ王冠の山に登れるかもしれないし、霧の中だって突き抜けられるかもしれない――!!
しかしそれは、すぐに無意味な事だと分かった。
あまりにも無謀で危険なルートを通りながら崖下に落ちることなく王冠の山に近づこうとしても、その度に霧が立ち込めてきたかと思うとあっという間に将明の全身と視界を包み込み、強制的に廃墟が目に見える地点の砂漠へと落下転移させられることになったからである。
それはまるで、この世界そのものが王冠の山に近づくこと――というよりも、『余計な寄り道』を絶対に許さないような意思を感じさせるものであった。
『あの山へ登る以外に何の危険もないこんな世界で身体を鍛える意味もないだろ』
闘志が萎んだかのように将明は筋トレをやめると、途端に元の軟弱な体型に戻っていった。
移動はするもののそれ以外は特にすることもなく、エリアごとの食事をとってから寝て終わる生活のため、体型だけでなく思考力も衰え顔の表情からもみるみるうちに覇気がなくなっていく……。
かと言って、自殺する度胸もなかった。
それがあれば楽だったかもしれず、この無限のループから抜け出す唯一の方法かもしれないが……しかしそれを後押しするほどの感情の機微に直結した出来事は皆無であり、激しい怒りも深い悲しみも圧倒的な恐怖もない、ただひたすらに虚無が胸を支配していた。
そんな状態で漫然と過ごす将明には、二つの日課の趣味があった。
一つはあの王冠の山に何があるのかを夢想すること。
洞窟の中で仰向けになり天井の青白い光を見つめながら将明は夢想する。
果たして、あの山の頂上には何があるのか。――ひょっとしたら、この世界の出口があるのか?現世への扉があるのか?それともただの見かけだけがそれらしいだけに過ぎず、アレは本当に王冠の形をしただけの巨大な岩の塊なのか。
決して近づくことはできなかったが、しかし想像するだけなら自由である。
頂上には広い平原があってそこから現世が見渡せるかもしれないし、あるいは頂上には誰かがいて将明を迎えてくれるかもしれない。
流石にここに生物がいないとはいえ、そこに死者であるテツがいるかもしれない……と考えるのは、浪漫を通り越して危うい妄想に片足を突っ込んでいると言われても仕方ないだろう(そんな指摘をする誰かもこの空間にはいないわけだが)。
そんな夢想もいつも”分からない”という同じ結末に辿り着くまま終わる。
分からない、わからない、ワカラナイ……。
もう一つの趣味は、廃墟の机で見つけたあの全く読めもしない書物に関することであった。
最初の頃は砂漠の廃墟の本はどれも同じだと思っていた。
解読不能な文字がびっしりと詰まった小汚い書物。
何回見ても文字が読めない時点ですべて違いなんてなかった。
――しかしある時、ふと気づいた。
それは些細な違いであった。
あまりにも毎日変化がなくて退屈なため、駄目になるのが分かっていながら書物を手に取り廃墟の扉を通って泉にダイブすることを何周か気まぐれでするようになった時のこと。
濡れてシワシワになった書物を洞窟で乾かすようにしていたのだが、ある本の表紙の装飾は左にわずかに傾き、別の本は右に傾いている!……ように思えた。
「表紙の装飾が微妙に歪んでる!?」
将明は本当に久しぶりに感情のこもった声を出した。
それから将明は積極的に本を持ち帰るようになった。
廃墟からジャングルの泉に落下する時点で本は確実にビショビショに濡れるし、落下の衝撃で装飾が歪んでいるだけの可能性ももちろんあった。
それでも将明は本を持ち帰り、洞窟の中で乾かしながら見比べる。
「同じページのこの箇所でもこっちの本は文字が汚れてるぞ!!」
濡れて滲んだだけなのか最初から滲んでいたのかも分からないが、その違いがこの刺激の欠落した世界では楽しかった。
表紙の装飾の歪みに文字の滲み、ページの折れ目や埃の付き方。
些細な違いを見つけるたびに、将明は胸の奥が疼くような感覚を覚えた。
……とはいえ、本はかさばるので何冊も持ち運びは出来ず、多い時で三冊までしか将明は所持しないようにしていた。
三冊を超えると古い本を洞窟に置いていったが、当然の如く次の移動で内部へ来た時には影も形も消えていた。
けれど、そんな趣味でこの虚しい日々を過ごす彼の心の空白が根本的に埋まるはずもなかった。
それどころか、空白は広がるばかり。
――ジャングルから山岳へ。山岳から砂漠へ。砂漠からジャングルへ。
移動するだけ。移動して消費するだけ。消費して移動するだけ。
何かが目減りする代わりに、何も変化がないまま横に移動していくその有様は、さながら自分という存在を転売しているようだな……と歩き始めたばかりの山道のわきに腰掛けながら、将明は他人事のように思案した。
いや、他人事のように思わなければ正気を保てなかった……という方が正しいかもしれない。
途端に、自身の中で抑えつけようとしていた強烈な虚無感が広がっていく。
転売する際の包装のようにこれまで己を覆っていた虚飾が内側から乱暴に破られていく中――商品としての価値がつけられないような剥き出しになった将明の”真実”が浮かび上がる。
「――それでも」
そう言いながら、背後の洞窟の出口を振り返る。
分かっている。
ここに来るまでに、自分は膨大な回数のジャングルや山岳や砂漠を行き来し過ぎてきた。
一方通行に見えても、あの広大な砂漠の中を探索し続ければ霧で覆われた山岳へと戻る道を見つけられるかもしれない。
ジャングルでだって、あの人工物染みた植物を上手く加工して宙にまで届く仕掛けか柱を作れたら、ひょっとしたら扉が見つかってそこから廃墟へと逆側に開けて行けるようになるかもしれない。
膨大な時間もかかるし根気も必要な上に……それらのルートが本当に存在するのかも分からない。
それでも。
もしもそれらを達成して見つけ出すことが出来れば、さらに膨大ながらも今まで来た道をすべて引き返し続けていくことが出来れば――あの最初の岩を通じて、現世に戻ることが出来るかもしれない!!
そこまで想像してから――将明は、すぐにこれまで同様に憮然としたような無気力な表情を顔に貼り付けていた。
「…………………………」
馬鹿馬鹿しい。
自分は何をくだらないことを考えていたのだ、とでも言いたげな表情だった。
外に出たところで、それが何になるのだろうか。
逮捕されようがされまいが、自分があくせく汗水働いたり、他人の下でへいこら頭を下げられるとも思えないし――転売屋としての味を覚えてしまった以上、これ以外の生き方を出来る気がしない。
それに先の未来がまったくわからないという意味では、延々と安全なエリアが続いているように見えてもどういう原理で構成されているのかもわからないこの異空間も同じである。
そもそも警察による摘発騒動がなくてもただ流行のトレンドを追って転売をしていた外界との生活と、エリアごとの新メニューを求めて移動を繰り返しているここでの暮らしに、大した違いなどないように将明には思えてならなかった。
今の将明にとっては、”ループ”も”連鎖”も……いや、”現世”もこの”異空間”も何の区別もなく、差異も感じられない代物であった。
無価値だった。
無価値だった。
無価値だった。
世界で起きているすべての出来事も存在もなにもかも。
みんな等しく無価値だった。
(――いや、あるいは無価値なのは世界の方ではなく……)
そこまで思いつきかけてから、頭を左右に振る将明。
――馬鹿馬鹿しい。
そんな一言で振り払えるということは、今自分が思いつきそうになったこともおおかた、口に出すほどの価値がある発言ではないのだろう。
そう判断しながら、将明はのそり……と立ち上がると、洞窟を背にして山道を歩き始める――。
……キィィィィィッ。
あの不快で不気味な音とともに、谷間から風が吹いてくる。
将明は振り返ることなく、生気のない無表情のまま無言でただ前へ歩いていった。
そんな中でも、疲弊し摩耗しきった精神が導き出したかのように、ぼんやりと思考が浮かび上がる。
――もしも俺が力尽きるとしたら、ジャングルだろうか?山岳だろうか?……それとも、砂漠だろうか?
考えてから馬鹿馬鹿しい、と再び結論づける。
こんな自分しか存在しない世界で、自分が死んだあとのことなど気にしてどうするのか。
気にするべきは、その直前のことである。
――俺が人生の最期に食べるとしたら部屋で食ってたコンビニのカップ麺なんかじゃない、分厚いチャーシューが乗ったラーメンがいいな。
そう考えながら、そのまま歩いていく。
あてどもなく進み続けていくその背中は、やがて霧に包まれながら見えなくなった。
『転売、すっぞ……♡』 ~完~




