初めて
ここからが新展開です!
アキはリックに手を引かれエスコートされながら、再び屋敷の中へ入っていく。
「あっ!」
だが彼女はそこでようやく、今の自分の惨状に気がついた。
先ほど測定球にぶんぶん振り回されていたせいで、一張羅として持ってきていた服は土まみれ。
辺境伯のお屋敷に入るにはあまりにもどろんこ過ぎる。
「ん……俺は別に気にしないが……エリーゼ!」
リックが軽く二度手を叩くと、数秒もしないうちに一人の女性がやってくる。
アキより二回りくらい上の年齢の、キリッとした目と鷲鼻が特徴の女の人だ。
「アキ、彼女は侍従長のエリーゼ。これから家の中で困ることがあったら彼女を頼るように」
「わかりました!」
「エリーゼ、彼女の服を変えてくれ」
「……かしこまりました。アキ様、それではこちらへ」
エリーゼに案内され、アキはそのまま先ほど案内された自分の部屋へと戻る。
先ほど土を食べて落ち着いたおかげで、両開きになっている窓を見ても衝動はやってこなかった。
「……ずいぶんと上手く、お坊ちゃまに取り入ったのですね」
「あ、えっと……」
「ですが私の目は誤魔化せません。あなたの化けの皮を剥いで……っ!?」
エリーゼは喋りながらも手を止めずにテキパキと動いている
さすが侍従長と思いながらされるがままにいていると、彼女の動きがアキの服を脱がしたところで止まった。
彼女が見たのは……アキのあまりにも痩せすぎた身体であった。
令嬢がパーティーの前などによく行う、見栄えをよくするためのダイエットというレベルではない。
あばらは浮き、よく見れば栄養失調からか肌の明らかに青白くなっている。
下手をすれば命にかかわりかねないほどの、病的な痩せ方だ。
「アキ様……これは、一体……?」
「あ、あの……すみません。うちではあんまり、ご飯を食べることができなくて……」
少し恥ずかしそうな顔をしながらアキはそう告げる。
伯爵家で幽閉されていた彼女は、『土食い姫』として家族だけではなく使用人からも煙たがられていた。
そのため食事も三食満足に食べることができず、なんとかして使用人達が寝静まってから廃棄になったカチカチのパンを食べて飢えをしのぐような生活を、十年以上も送ってきたのだ。
この一月半の道中はしっかりと三食ご飯を食べることができたが、長年の生活で痩せ細った肉体はそう簡単に戻せるものではない。
「……」
彼女の家での境遇が碌なものではないということがわかったからだろう、
頭を掻きながら申し訳なさそうに話すアキを見て、エリーゼは即座に言葉を継ぐことができずにいるようだった。
「あなたは……王国の伯爵令嬢では、なかったのですか……?」
「私は、その……要らない子、でしたから……」
それを自分で口にするのは、自分に価値がないことを認めてしまうようでとても恥ずかしかった。
自分でも顔が赤くなっているのがわかる。
エリーゼの顔を見ていられなくて、アキはすぐに顔を俯かせた。
「そう……ですか」
エリーゼはそのままアキの泥だらけの服を見る。
よく繕われてはいるが、その服は伯爵令嬢が嫁入りに着てくるものとしてはあまりにもくたびれていた。
こんな服で、こんな生活をして……彼女が受けたであろう仕打ちを想像し、エリーゼは少しだけ目に涙を溜めてしまう。
「それでは、お召し物を着替えましょう。大丈夫です、アキ様のために各種サイズのドレスを取りそろえておりますから」
エリーゼはそのまま、彼女を部屋の中にあるウォークインクローゼットへと案内した。
「うわぁ、綺麗……」
目をキラキラと輝かせながら用意されたドレスを見ているアキを見て、エリーゼはリックがなぜ彼女のことを気に入ったのかを理解した。
こんなかわいい生き物に、庇護欲をそそられないはずがない。
「この赤いの、着てみてもいいでしょうか?」
「ええもちろん、きっとアキ様にお似合いになると思いますわ」
ドレスを着たアキが、姿鏡を見ながらくるりと回る。
痩せすぎている身体のラインが隠せる赤いドレスを着たアキは、頬を紅潮させていた。
「すごい……本の中に出てくる、お姫様みたい……」
エリーゼは先ほどまでのキツい視線を緩め、優しい瞳でアキのことを見つめた。
そしてまるで自分の孫を見るかのように慈しみの目線を向けながら、ゆっくりと頷いた。
「今日からアキ様はこのシュヴァルツェンベルク家の奥方……正真正銘の貴人になられます。このエリーゼがアキ様をどこにだしても恥ずかしくないような、本物のお姫様にしてみせましょう」
♢♢♢
その後も何着か試着をしているとお昼ご飯の時間になった。
アキは気に入った黒のフリルドレスを着て、食卓へ向かうことにした。
エリーゼのアドバイスを受けて胸の辺りに目線が行かないよう、腕に小さなクリスタルのブレスレットを付けた。
色を合わせたブーツを履いて、少し慣れないながらもゆっくりと歩いていくと、そこには既にリックの姿があった。
自分が土で汚してしまったからか既に服も着替えており、先ほどまでよりもラフな黒の上下に身を包んでいる。
どうやら空いた時間で仕事をしていたらしく、机の上に乗せた書類と向き合っていた彼が足音に気付いて顔を上げる。
「ん……」
「お待たせ致しました!」
「あ、ああ……」
急いで椅子に座ったアキを見ながら、リックはそのまま書類を脇に置いた。
彼の背後に控えていたハロルドと呼ばれていた男性が、さっと資料を持って後ろに下がる。
「……」
リックは何も言わず少し目を見開いて見てから、そのまま視線を横へ向ける。
ドレス姿のアキを見てというより、彼女の後ろで傅いているエリーゼを見て驚いている様子だった。
自分ではそう悪くないと思ったのだが、どうやらあまりリックのお気には召さなかったらしい。
「それでは、食事にするか」
「はいっ!」
だが食事の時間だと思いすぐに気を取り直す。
出てくる食事は、どれも温かかった。
そんな当たり前が、アキにとっては当たり前ではなかった。
温かくてふわふわの白パンに、長時間煮込まれてくたくたになった野菜とお肉がたっぷりと入ったスープ。食後にはデザートまでついてくるらしい。
ちなみにちょっとと言っていたが、食事の脇にはどこかから取ってきたらしい土がこんもりと乗せられていた。
「それでですね、エリーゼさんがこの服を選んでくれたんです」
「……そうか。言い忘れていたが、似合っているぞ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
こうして誰かと食卓を囲んで話をするだけで、アキの心から温かい物が溢れてくる。
こんなに幸せでいいのだろうか、とアキは気付けば笑顔になってしまっていた。
「リック様、私……なんだかとても、温かい気持ちです」
「温かい?」
「はい、温かいスープも、焼きたてのパンも、それにこうやって誰かとお話をしながら食べる食事も……全部全部、初めてで……」
リックはジッとアキのことを見つめる。
そして彼女が冗談で言っているわけではないことを悟り……
「あの伯爵家……いつか潰す(ぼそっ)」
「えっ、何か言いましたか?」
「なんでもない、アキは気にせず好きなだけ食べろ」
「はいっ!」
なぜかグッと力強く拳を握っているリックに首を傾げながらも、アキはお昼ご飯を堪能した。
土を食べるのを見られるのはやはり少し恥ずかしかったが、とっても美味しかった。
それはアキが物心ついてから初めての、誰かと一緒に笑いながら過ごす食卓であった……。




