テレパスは普通の恋を諦めている①
(なんて素敵な筋肉なの。あの腕で抱かれてみたいわ)
(野蛮な騎士団の一人とはいえ、これだけハンサムなら囲いたいわ)
マシューに向けられる視線には、具体的な言葉が伴う。
それは何を隠そう、この男、マシュー・ウィリアムスが、心を読める体質……テレパスであるからだ。
強い酒を飲まないとやってられないと言わんばかりに、マシューはグラスに度数の高いワインを何度も注いでもらった。
今日はマシューが仕える皇室が主催する、第二皇女の生誕祭の日であり、貴族の令嬢・令息がこぞってホールに集まっていた。
昨年学園を卒業した第二皇女の、同学年だった卒業生を全員呼んでいるのだ。それに加えてそれぞれの兄弟姉妹、果ては従兄弟などが詰め寄っているので、生誕を祝う場のはずが若者による出会いのパーティー会場に成り果てている。
恋人を探す女性のギラギラした視線は、学友よりもマシューが所属する騎士団の方に注がれた。見知った顔よりも、実績もありまだ若い男集団の方が新鮮なのだろう。それはわかる。
だがやはり、直接的な欲望の言葉の数々にマシューは辟易としていた。
恋に焦がれてギラつくうら若き乙女たちにも、彼女たちに声をかけられて鼻の下を伸ばす騎士団メンバーにも悪態をつきたくなる。
みなさん、いいから第二皇女を祝っておけよ。俺なんかよりも立派なコネクションになるんだぞ。そんなに色恋が大事なのか?
ハァ、とため息をついてからもう一度酒をぐいっとあおる。
「あの、騎士様、先ほどから何杯も飲まれていますがお強いのですか……?」
「よろしければこちらのお水でもお飲みになって」
小柄な女性二人がマシューに近づき、上目遣いに問いかけてくる。
心配するようにマシューの腕に触れる令嬢と、微笑みながら透明な水の入ったコップを差し出してくれる令嬢。二人とも可愛らしく、優しい。何も知らなければこの親切を受け入れただろう。
しかし
(顔に出てないだけで相当酔われているのであれば、このまま押せばお部屋に誘えるのかも)
(この媚薬本当にバレないのよね? 効いたとして、飲ませた後この人を移動させられるかしら)
なんて心の声が聞こえるので、触れられた手を離し、マシューはきっぱりと二人の令嬢に線を引いた。
「俺はどんだけ飲んでも酔うことができないのです。味が好きだから飲んでいるだけなので、お気遣い無用ですよ。ほらこの通り足取りもしっかりしているでしょう?」
「え、ええ……」
「でもっ、お水は飲んでおいた方が」
「ありがとうございます、ではそちらを……おっと」
媚薬入りのコップを受け取ると、マシューはすぐに手を滑らせた。
パリンッと鋭い音を響かせて水が飛び散る。
「ああっ申し訳ございません。こちらは俺の方で処理するので、どうぞお二人は濡れたドレスを乾かしに行ってください」
ドレスに水をかけるつもりはなかったが、二人を立ち去らせる口実になった。マシューの行為にすっかり慌てた令嬢たちは、言われた通りドレスの手入れのためこの場を後にした。
使用人たちが急いで片付けに駆け寄ってくると、マシューは申し訳なく何度も詫びて、あとはその場を任せる。
令嬢たちが帰ってこないうちに、外気を浴びに一人庭園の方まで抜け出した。
パーティーに呼ばれている人数が多いからか、庭園にもちらほら人がいる。自分に向けられた視線を感じると、やはり声が聞こえてくる。
無造作に周囲の人間の心を聞くのではなく、自分に視線を向けられた時にだけ声が聞こえるこの力は、不幸中の幸いだと思っていた。ただでさえうんざりしているのに、四六時中声が聞こえてしまったら頭がおかしくなっていただろう。
やっかいなことに、この能力のせいでマシューの恋愛はことごとく失敗に終わっていた。
塀にもたれかかり、眼下に見える花園に隠れて逢瀬を楽しむ男女をぼんやりと眺めながら、マシューは回想する。
積極的な好意を向けられることは少なくない。
マシューはまだ23歳ながらに精鋭騎士で、体格も良く、輪郭もスッと整っていて人懐っこい笑顔を浮かべる美青年だった。庶民に多い赤い癖毛であることと、帝国一の野蛮な職業と裏では噂される皇室騎士団に所属していることが、たまに女性の下心に歯止めを効かせてくれている。
やんちゃな側面はあるが、皇室騎士団のメンバーは言うほど野蛮ではない。しかし、マシューはそれを否定することはなかった。放っておいた方が役に立つからだ。
それゆえに火遊びを求める女性からのアプローチ、逆に自分を頭から全否定してくる女性の冷淡な視線、どちらも顕著に存在していた。
前者に乗っかって一晩を明かしても、今度はストーカーのように付き纏ったり責任をと詰め寄られたりしたことが数回あったため、マシューはそれ以降そういった女性の誘いに応じることをやめた。
自分に興味のない女性にむしろ好感を持って接する時も多かった。自分に靡かない女性をどうしたら振り向かせられるか、色々手を尽くしてみた時期もあったが、結局自分に興味のない女性の反応は悲しい結果しか運んで来ず、マシューの忍耐力もなくなってしまった。
もしかしたら、それほど好意を持っていなかったのかもしれない。ただの物珍しさに惹かれただけかもしれない自分を省みて、相手に申し訳なく思った。
そんなこんなで自分の恋愛がうまく運んだことは一切なかった。
ただ平凡に恋をしてみたいだけなのに、心の声が聞こえるというただ一点でこんなにも難易度が上がるとは思わなかった。
(あんなに素敵な見た目であれば女性も選び放題でしょうに)
そうそう、俺もそう思ってた時期があったよ。思春期に辛酸を嘗めさせられて思い知ったけどな。
アルコールも外気ですっかり抜けてしまって、庭園の男女がお盛んになっていくのを見ているのも虚しくなったマシューは再び歩き出した。
始まったばかりのパーティーが終わるにはまだまだ時間がある。
次はどこで暇を潰そうかと考えるうちに、小腹が空いたのでまたホールに戻ろうと踵を返した。
(あれは、騎士団のお方?)
また誰か令嬢の声が聞こえる。か細い鳥のような声だ。
(素敵な人、ああいったお方と恋ができたら、どんなに素敵だろう)
何回も似たような言葉は聞いてきた。とはいえ、好意を向けられること自体は悪い気はしない。マシューはこのいい気分のまま食事にありつきたかったので、声の主の視界から外れるために足取りを早めた。
(でも、どうせ私には無理な話だわ)
下心にまみれた妄想が続くかと思ったら、声の主は落胆の色を滲ませた。
マシューの足が思わず止まる。
こういう言葉も、聞かなかったことはない。自分の可能性に蓋をして、マシューの側から離れていく女性だってたくさんいた。町娘の大半はそうだ。もしくは、自分の容姿に自信のない令嬢も、似たような言葉をぼやいていた。
本人の自信は、正直マシューにとってはどうでもいい。それでも自分と繋がりが欲しいと向かってくるなら心の声を聞きながらその人となりを判断するまで。一方で、立ち去るのであれば放っておく。見知らぬ人の後を追うほど、最初からその人に興味があるわけでもなかった。
離れるのであればそれまでの縁だとマシューも受け止めていた。
こういう言葉を耳にするたびに、何もなくとも自信がある人がいる一方で、なぜそう考えてしまうのだろう、と気になることはよくあった。
平民とはいえ、強力な立場とスキルを身につけたマシューは、これまでの注目と心の声が聞こえるという能力を使い、うまく立ち回ってきた自信があった。
本人に自覚はなくとも、裏付けされる心持ちがあるゆえに、無意味に自分を否定する人に疑問を抱く時が度々あった。
だからつい、その先の言葉が気になった。何がこの人の自信を削ったのだろうか。
(このままときめきもなく、ただ消費されていくのね。大人になったって、変わらない)
マシューは周りを見回した。どこかでこの声の主が自分を見ているはずだ。けれど、その姿は見当たらない。
わずかな灯りを頼りに目を凝らして、そして後ろを振り返る。
(私だって、ただ平凡に、素敵な人との恋を望みたかった)
───そんなささやかな願いは、自分と同じものなのに。
切実さと諦めを言葉にした令嬢は、マシューの背後にあるガゼボから頭だけを少し覗かせていた。
そりゃあ気づかないはずだ。令嬢はああして隠れているつもりなのだろう。
マシューがずんずんとそちらに歩みを進める。
(あれ、こっちにいらっしゃる……!?)
取り乱す令嬢の声も構わず、マシューはしゃがみ込む彼女の頭上から覗き込んだ。
「おや、こんなところでどうされました?」
「あ、ああ、あ……」
偶然発見して驚いた、という表情を作り、マシューが声をかけると、令嬢はすっかり恥ずかしそうに顔を真っ赤にして言葉に詰まってしまった。
パーティー用の綺麗なドレスがどうなっても気にならないのか、地面にぺたんとしゃがみ込んでいる彼女は、夜に映える美しいまっすぐな銀髪の持ち主だった。装飾一つなくとも、髪の毛の一本一本が輝いて見える。
「な、な…なんで…」
(なんでこっちに来たの!? ホールにお戻りになられるんじゃなかったの!?)
「座って休みたかったので、たまたま見かけたこちらに来たのですが……まさかご令嬢がいらっしゃるとは思わず」
「はぁ……」
「……お邪魔でしたら去りますね」
(邪魔なんてそんな!)
「い、いえ、全然……」
(むしろ私が退くべきだわ。ああ、どうしましょう、どこに隠れればいいのかしら)
自分と話す緊張とは他に、何かに追い立てられているような令嬢の声にマシューがぴくりと反応する。
「そ、それでは」
と出て行こうとする彼女の腕を、マシューは優しく掴んで引き留めた。
振り返る令嬢の顔は驚きで目を丸くしている。
「これも何かの縁です。もし嫌でなければ、ここで少しお話ししませんか?」
「あ、あ……は…………はい………」
令嬢は、腰掛けにお尻をぺたんと落とした。
(まさかこんなことになるなんて。夢かしら)
チラチラとこちらを見る彼女が、そう胸の内ではしゃいでいる。
初心で可愛らしい反応は、もちろん初めてではなかった。過去にこのくらい好ましい好意を向けられた時は、嬉しくて自ら近づいたものだ。
家が厳しいだとかでいつの間にか距離を取られたり、慎重になりすぎて別の男に取られたこともあったっけ。
「自己紹介からですね。俺はマシュー・ウィリアムス、ご覧の通り皇宮騎士団に所属している騎士です。噂ほど野蛮ではないので、どうぞご安心ください。……こう言ったら余計に怪しいですか?」
「い、いえ、騎士団の皆様のご活躍はたくさん耳にしております、今日もお疲れ様です」
「はは、ありがとう」
どうやら彼女の言葉は本心からのようだ。
「…………えっと、私は……」
自己紹介をしようとする令嬢が、口籠る。俯いてて、何を言いたいのかわからない。
なんらかの覚悟を決めた様子の彼女は、もう一度顔を上げて微笑みながら名前を告げた。
「ラナン………ラナン・サキュレスと申します。よろしければ、ラナンと名前で呼んでいただければ」
「ラナン、綺麗な響きだね。俺のことも気兼ねなくマシューと呼んでくれればいいよ」
「そんな、恐れ多いです」
(そっか、マシュー様は学園の人じゃないから気にしなくてよかったのだわ。ああ、でも、ミラビリアのことをご存知の可能性があるから……ああ、もっと別の偽名にするべきだったかしら)
ラナンの心の声に、マシューは眉をひそませた。
今名乗ったのは本当の名前じゃないのか? ミラビリアとは誰なんだ?
軽率に問いただしたい気持ちがわきつつも、マシューはこれまでの経験から沈黙を貫いた。何か別の話題を、と思っていると、視界の中でラナンの太ももあたりにかかっているドレスが破れてしまっているのを見つけた。
「それ……」
「え? あっ、やだいつの間に」
緑のレース生地のほつれから、下地の白いシフォンが円形に形どられて目立ってしまっている。ラナンが再び顔を赤らめて俯き、両手でその部分を隠した。
「あとでホールの使用人に聞いてみましょう。応急処置をしてくれる人がきっといますよ」
「うう、はい……ありがとうございます」
そこで改めてマシューはラナンのドレスをまじまじと見た。
使われている生地は貴族らしい高級なものに見えるが、色味や生地の古めかしさが夜目でもわかった。先ほど、ラナン自身もドレスの汚れなど気にしないと言わんばかりに地べたに裾を広げていたところから察するに、このドレスに対する思い入れはなさそうだ。
ファッションに興味がないのかとも思ったが、丁寧に梳かれた髪の毛とメイクやアクセサリーを見るに、全く興味がないわけではないのだろうか、と考える。
「そういえば、先ほど隠れるように座り込んでいたのはなぜですか? 何か探し物でもしていたのでしょうか」
「えっいえ! 探し物ではなく……えっと……」
(ミラビリアのお相手に追い回されていたから隠れてた、って言ったら、あの人を捕まえてくれたりするのかしら。でもそうなったら大ごとになっちゃうわ、それはダメ)
「……」
「……ね、猫が、猫の声が聞こえたのでまさかここに、と思って……」
心の声を聞くまでもなく嘘であるとわかる。動物除けの処置が施されている皇室御用達のホールに、猫が入り込むなどありえないのだから。
マシューは只事ではなさそうなラナンの状況に、片眉を上げる。
「……少し前に、誰かを探している声が聞こえたような気がしたんですが、まさかその人から隠れていた、とか?」
心の声が聞こえたなどと言えないため、ラナン本人の口から真実を言ってもらうしかない。
ラナンを探していた人が男か女かもわからないので、なんとでも取れるような言い回しでマシューが問えば、ラナンはわかりやすく体を硬直させた。
「そ、その人はどちらに」
「俺がここら辺に来た時には見ていませんから、残念ながらどちらに向かったかは……」
「そう、ですか」
「ともあれ、ラナン様はその人から身を隠していたんですね」
「!」
しまった、と顔面蒼白になって口を開けるラナンに、わかりやすすぎてマシューはつい笑いそうになるのを堪えた。
「何か事情があるのならば詮索しません。ですが、ラナン様の身に危険があったというのなら話は別です。言える範囲で、お力になれることがあったら教えてくれませんか。ここで会ったのも何かの縁ですから」
「……でも」
(言ったら長くなる。今はいいかもしれない、けれど、また虚言だと指をさされたくないわ。マシュー様もきっとそうやって……)
ラナンは口を閉ざしてしまった。彼女の瞳がやがて伏せられて、それ以上の言葉を聞けないことにもどかしさを感じてしまう。
───あまり、こういうことはしたくなかったが
マシューはラナンの顎をすくうように右手を添えて、彼女の視線を無理やり自分に向けるよう角度を変えた。
突然のスキンシップにラナンが激しく動揺し「ええっ」と声が上げられる。
軟派な男だと思われてしまうかもしれないが、ラナンのネガティブさがどこから来ているのか気になって、マシューは強行してしまった。が、目が合った瞬間に流れ込んできたのは動揺とときめきの間で揺れ動くラナンの声である。
(どどどういうこと、これはまさか、キス!? いやでも会ったばかりの私に!? そんなはずないのに、でもこの手って、ああ、マシュー様のお顔立ち、本当に綺麗、じゃなくて私今変な顔しているし、匂いとかも大丈夫かしら、あ、瞳の色は茶色なのね、なんだったかしら虎の目に似ているという宝石のように金色もうっすらと見え、じゃ、なくて!)
しまった、これはしばらくこの調子だな。マシューは反省した。
この思考を止めるためにも、早速気になっていることを質問しようとしたが、どのように切り出したものかと悩んでいると、「こんなところにいたの!」とハキハキとした声に遮られた。
「私、お邪魔だったかしら? って、あら……」
(何よ、ラナのくせにこんな素敵な人と密会!? 自分の噂を利用してうまいことやってるんじゃない)
マシューは振り返り、少し驚いたように目を丸くして、もう一度目の前にいるラナンに視線を戻した。
ラナンは怯えた表情で、体を硬くしている。緊張していることが触れ合っている箇所からも伝わる。
二人の関係性は、マシューも一瞬で理解できた。
「ごめんなさいね、お楽しみのところに。私はミラビリア・サキュレス。その子の双子の片割れにございます。わかりやすく、双子の姉の方、と周りには言っていますわ」
ミラビリアと名乗ったラナンとそっくりな銀髪の令嬢は、見事なカーテシーを披露した。
彼女の赤いドレスはラナンのドレスとは全く対照的に、夜の薄い光の中でもキラキラと輝いている。レースの意匠だけでなく、素材や生地もラナンのものよりずっと良いようだ。
『自分の噂』つまり、ラナンの噂とはなんなのか。ひっかかるところを気に留めつつも、マシューはにこりと笑顔を向けた。
「そうですか、美しい女性が二人に増えて驚いてしまいました」
「まあ、美しいだなんて」
(ラナが仲良くなっているならちょうどいいわ、あとで予定を確認しなくちゃ)
───ラナと呼んでいるということは、ラナンという仮名もあだ名のようなものなのだろうか
名前について一つの答えを見つけるも、ラナンの境遇に関する決定的な言葉をつかめないマシューが訝しげにミラビリアを見つめる。
すると、ラナンがさっと立ち上がり体温が離れていくのを感じた。
「あっ」
マシューがラナンを振り返り、視線が合う。
(どうせ私はミラビリアに全部奪われるのよ)
全てを諦めたような、冷めた視線のラナンが、そう告げた。
無感情に投げ捨てられた言葉に、マシューの心もどこか痛む。
「葉っぱを取ってくださりありがとうございました。もうかすり傷も大丈夫です。それではごきげんよう」
「えっ、なんで……」
「なんだ、てっきり逢引きなのかと思ったのに」
「そんなわけないでしょ、ほら、ここほつれちゃったの」
「植木の下でもくぐったの? そんなみっともない穴なんか作っちゃって。ホールに戻ったらさっさと隠れてね」
「……いいわ、もう帰るから」
「あ、そう? 気をつけてね〜」
呆気に取られている合間に、双子は歩き出して、そして二手に分かれた。
マシューがラナンの後を追うように駆けるが、その背中の心細さと夜に溶けてしまいそうなくらい陰鬱な雰囲気に、伸ばした手が止まった。
自分との関わりをわざわざ取り繕ってミラビリアに説明したあたり、自分との関係性をきっぱり断ち切ったように思えた。何より、最後の視線は、明らかな拒絶にも思えた。話しかけてきた令嬢に線を引いた自分が嘘の笑顔を浮かべる前にしている視線と同じだったからだ。
ここで引き止めるには、話した時間が短すぎた。
「ラナン・サキュレスゥ? ああ、ラナリニア・サキュレス嬢のことか。ええ、ええ、彼女はもう大変な問題児ですよ。成績は悪かったわ、虚言はすごいわ、男との関係は乱れに乱れまくってるわ、酷いもんです。んで? なんで騎士様がそんな人のことをお尋ねに? ラナリニアの噂って騎士団にまで広まってるんですか? 手を出すんでしたらほどほどにしたほうがいいですよ〜何をうつされるかたまったもんじゃない」
酔っ払いの青年が話した内容に、マシューは吐き気を覚えた。
顎に手を添えただけで戸惑う彼女が? 男関係が乱れているだなんて考えられない。
「君は手を出していないだろうね?」
「あったりまえっすよ〜。僕ぁバカな女に手を出しませんっ」
(やっぱ野蛮なんだなあ。イケメン揃いだし、女遊びも派手なんだろうなあ。ラナリニアは顔もスタイルもいいからネタにはしたことあるけど、やっぱ俺も相手してもらうべきだったかなあ)
「そうか、ならいい」
近くのテーブルに置かれた誰かの飲み掛けの水を、マシューは戸惑うことなく目の前の酔っぱらいの顔にぶちまけた。
「ぶぉっ!?」
「すまない手が滑った。君もひどく酔っているようだし、顔を洗ってくるといい」
そう言い捨てて、マシューは別の場所に移動した。
今日のパーティーに参加しているということは、ラナンも第二皇女と同学年だったのだろう。適当に選んだ男が成績まで知っている口ぶりだったことから、ミラビリアの付き添いでもないことが確定した。
酷い噂の一端を握り、マシューはその日のパーティー会場でラナンに関する情報を集めた。
この時は、自分の人当たりの良い顔に感謝した。




