終わりと始まりの日
朝起きてすぐに洗濯機をまわして朝食の用意を始める。いつもと変わらない朝のはずだった。
私の名前は東上 華緒御年80歳の老婆である。
子どもたちは既に結婚して子どもも設けており、大学生を筆頭に四人の孫がいる
どこにでもいる普通のおばあちゃんである。
人生に悔いなら山ほどあるが、それなりに楽しく生きてきた。唯一の心残りと言えば、小説家にはとうとうなれなかったことくらいだ。
もう八十にもなるといつおむかえが来てもいいぐらいの覚悟はできているつもりだった。だが、死ぬ前に一度でいいから小説家として世間に名声をとどろかせてやりたいと野望を抱いていた。
どうしてそう思うのか、それは人生80年も生きてきて、名前で呼ばれた記憶があまりないからだ。確かに子どもの頃は名前で呼ばれていたような気がするが結婚して専業主婦になるとすぐに子どもが生まれ、ママという呼び名に変わってしまった。そして孫が生まれると今度はおばあちゃんである。
私の事を華緒ちゃんと呼ぶ親友は一人も人生にはいなかった。まだまだこれから作るぞと一念発起したのが40歳の時だ、しかし結果は一人も作れずに今に至る。
人生とは長いようであっという間なのである。
こればかりはため息ばかりしか出てこない。だが寂しい人生ではなかった。
そうどうしてこんなことを言っているのかというと、突然終わりが来たからだ。夜中に寝ていて心臓が止まってしまったようなのだ。朝になって二世帯住居で暮らしていた孫が気づいたが時既に遅しだった。嘆き悲しんでくれる家族がいるというのは幸せな人生だったに違いない。
未練なく天国に行けると疑ってもみなかった。天国というものがあるかどうかなんてわからなかったが、三途の河はあるはずとその辺をウロウロ空に向かって昇ってみたが何もなかった。
どうしていいのかわからず自分の知っている場所に戻ってきたが、誰も私には気付いてはくれない。
当たり前なのだ、体から魂が抜けてしまっているからだ。
さてこれは困った・・・このまま地縛霊になってしまうのか・・・それもまた嫌だ。困り果てていると、どうやら私に向かって手招きしているような若者が目についた。
「東上 華緒さんですよね。こちらにいらしてください。神様がお呼びですので」
「えっ私は神様に会えるのかい?」
訳が分からなかったが、どうやらついて行く方が賢明のようだ。
華緒がその若者について行くと、そこには川などなく、フワフワと雲のような場所にずっと先の方まで続く長い行列に人が順番待ちをしていた。若者は行列の最後尾に華緒を誘導して言った。
「こちらでお待ちください」
「あの・・・この行列はなんなんですか?」
「これは手違いで亡くなってしまった方々の今後のご相談受付の順番待ちを皆様されているのですよ。
この先に神様がいらっしゃいますから、今後のことは神様にお聞きくださいませ」
そういうと若者が突然す~っとどこかに消えてしまった。
(どういうことなんだろ?手違いって、私はもう歳なんだし私の場合は寿命だと思うんだけどね)
そう思いながら順番を待っていると、手前で暴れ出した者もいた。思いのほか長い時間待たされて飽き飽きしていると、ようやく最後の私に順番がまわってきた。なんだか神様も疲れているようだった。
「あの神様、お疲れ様でございます」
そういって頭をさげた華緒に対して、神様が微笑み返してきた。
「え~とあなたは、あと20年の寿命が残っていたのですね。どうしますか?こちらのミスで死なせてしまったのですが、三択選べますよ」
「選ぶ?ていうかミスってどういうことですか?私後20年も生きられる予定だったんですか?」
「そうなんですよ、死亡管理課の記入ミスで申し訳ありません。でっどうしますか?一つ目は17年に縮まりますがもう一度生き返る選択肢、若いかたはほとんどそうしてるんですけどね。二つめは、別の人間として生き直す。これはこちらのミスをチャラにする為に若干の優遇措置をさせていただきますよ。あなたの希望を一つ叶えて差し上げます。美人になりたいとか。才能豊かな人間になるとか、お金持ちの人生を送るとか選択は自由です。ですが前世の記憶はその体には入りませんので新たに始める形ですね。この場合、あなたという魂はその生まれ変わった人生が終わったのち結合されてあらたな形になるんですけどね。そして三つ目は、20年分の寿命と引き換えに、別の異世界に転生するって手もありますよ」
「もう一度戻るっていっても、また死ぬのもしんどいし、あのちなみに、生き返ったとして何かいい事ありますかね」
そういうと、神様が何やら帳面をめくり出した。
「本当ならお教えできないことなんですけど。そうですね・・・三年後にあなたの書かれた小説が新人賞をとって書籍化と同時に、アニメ化もされるようですよ。一躍有名人ですね。97歳まで作家人生が待っていますね」
「おやまあ~本当だったら私の夢が叶っていたのかい、それは神様もひどいことをしなさるねえ。暴れたくもなるねえ。戻ったとしても三年も寿命を減らされるのに特典もないようだしねえ」
「それを言われると元もこもないんですけどね。心残りがおありの人は戻られる選択肢を選ばれる方もいますよ」
「そうだねえ・・・どうしたもんかね・・・夢だった小説家になれるっていうのも魅力だけど・・・あ~迷うねえ・・・希望した人生ってのも魅力的だけど・・・あのちなみに異世界っていうのはどんな世界なんでしょうか?」
「いろんな世界がございますが何か希望はありますか?」
「王子様と結ばれるとかありますかね?」
「そうですね・・・あっ一つありますよ。これならあなたの20年分の寿命を頂く形で転生できますよ。ただし、かなりの努力をしないと難しいみたいですよ。あなたにどのようなスキルがあるのかわたくしにはわかりかねますが、今のあなたの記憶と能力はそのままですが、スタートは捨て子からですから、かなりの辛い幼少期ですね。それに現在のような文明が発達している社会ではございませんから、少し不自由な思いをなさると思いますよ」
「でも最終的には王子様と幸せになれるんですよね」
「そうですね、この異世界転生は今の記憶そのままに生き直すのですが寿命20年分を頂くだけでチャラになってしまいますので、特典は与えられませんよ。しかも成功率は限りなく少ないですがゼロではありません。もちろん。何分寿命20年分しかございませんから後はあなたの努力次第ですかね。何もしないでいては無理ですね。二番はいかがですか?現実世界で、美人に生まれ変わったりしたら人生勝ち組ですよ。まあ、新しい人生をあなたのもう一つの魂が送っている間、あなたの記憶は地縛霊のようにその辺に漂うだけになりますが、何、人間の一生なんてあっという間ですよ」
(やけに二番目を進める神様だねえ・・)
華緒は疑いの目を目の前の神様に向けながら独り言を言ってみた。
「そうだよね・・・でも、現実世界の赤子として生まれ変わっても王子様と結婚なんてことにはならないだろうし・・・ああ~悩むねえ~」
「まっ、お戻りになられるのならお早くしてくださいね。今は魂が抜けておりますので体が腐敗してしまうか、焼却されてしまうと戻れませんので、二番をお勧めしますよ」
「そうだねえ・・・よし!決めた。小説家になれなかったのは残念だけど、華緒の人生はそれなりに堪能したし、小説家になれることがわかったから未練はないしね。よ~し、神様、三つめの異世界転生人生なら、華緒としての80年の記憶は残るんですよね?それにしますよ」
「えっ、異世界転生にするのですか?えっええ確かに記憶は残りますよ。ですが、王子妃になるにはかなりの運と努力が必要になりますよ。わたくしは二番をお勧めしますけどね」
「でもそうすると、私は地縛霊になって待ちぼうけなんですよね」
明らかに動揺している様子の神様に向かって華緒はニヤリとして言い返した。
「もしかして、三番目の選択史が一番お得なんですか?」
「そっそんな事はございませんよ。ただですね・・・」
「あっもしかしたら、異世界転生の方って私のとられた二十年分じゃあかなりのお得だったりします?」
華緒の言葉に神様の目が泳いでいるようだった。
(神様も人間と同じなんだ・・・いい経験させてもらったね。この世もあの世も面白そうだね)
「とっとにかく、二番なら、特別に地上をさまようのもよし、天の国にのぼっていって天国で楽しく待つのもよし、あなたの自由ですよ、あなたのもう一つの魂が人生を終えるまで待って、再び一つになって、また新たな人生を歩めばいいではありませんか。それで何もなかったことになりますし」
「いいや!私は三番目でお願いしますよ」
「あっあのですね、私の話を聞いていましたか?どうして三番目の選択肢をお選びになられるのですか?みすみす苦労するだけなのですよ、なまじ今の記憶があると昔の便利な生活を思い出して辛くなりますよ」
「そうかもしれませんけど、一番目の選択も確かに捨てがたいですけど、戻ってもお婆さんのままだし、二番目だって、私自身の意識はないんでしょ。どんなに美人になっても外からみてるだけなんてつまらないじゃないですか。天国って所にも興味ありますけど、異世界転生の人生が終わってからでも行けますよね天国?」
「そっそうですね。大きな罪を起こさない限りは、全ての人は新しい転生の時がくるまで天国で過ごしますから」
「それなら異世界に転生して人生を二度生き直す方がおもしろそうじゃないですか?まっ華緒の人生はたいしたことを成し遂げた人生じゃなかったですけどね、この私の記憶のまま別の世界で人生を生き直したらどんな二度目の人生が送れるんだろうってワクワクするしね、私はこう見えても運はいいほうなんですよ。可能性がゼロではないなら挑戦してみるのも面白そうじゃないですか、駄目で元々、楽しくタフに生き抜いてみせますよ」
「ですが、異世界では一人ぼっちですよ。両親も家族もいないんですよ」
「私という記憶が残ったままなら、私には家族のぬくもりの記憶がありますから大丈夫ですよ。もう会うことはないけどそれで充分。家族なら自分で作っていけばいいんだし、ゼロから這い上がるってのも面白そうだしね」
「はあ・・・わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら、特別に長い時間待たせてしまったお詫びに、あなたのご希望通りにいたしましょう。異世界転生、頑張ってください。但し、今の会話はあなたの記憶から削除いたします」
神様はそれだけ言うと、光が強くなり声だけが聞こえた。
「あなたはフォザリア、今からあなたはフォザリアとして新しく転生します。苦しいスタートですが頑張って生き抜いてください。希望のチャンスは必ずありますから。幸運を祈っていますよ」
神様の声を聞いたのはそれが最後だった。東上華緒の人生は完全に終わった。私はフォザリア、新しく生まれ変わったのだ。運命の王子様と出逢う為に。さあ~頑張るぞ~!夢にまでみた異世界転生だ~。おばあちゃんでもない、お母さんでもない、私に生まれ変って新たに再スタートだ。
それは雪が舞い散る寒い日だったという。
教会の前に小さな生まれたての赤子が捨てられていた。そのくるまれたおくるみの中には、フォザリアと刺繍が施されていた。
東上華緒の二度目の人生の始まりだった。