5 喜びと戸惑い
毎日毎日、利央は忙しくなった。
撮影場所として選ばれたのは、とある洋館だ。
個人の所有であり、外にはバラ園と庭園がある。
撮影用に貸し出しているため、なんなく許可がおりた。
いくつかのカットはスタジオにセットを組んでの撮影になるが、大半はその洋館を使って行われるという予定が立った。
けれど、それだけでは終わらない。
毎日、真司の事務所に足を運び、スタイリストとは洋服のデザインの提案を示され、それによってヘアメイクも話に加わった。
忙しいのは嫌いじゃない利央だが、真司に「陸斗には気づかれるなよ」という言いつけを守らなければいけないことが疲れを感じる一番の理由だった。
そんな日々を送っている中、ついに雑誌の発売日を迎えた利央は、調査と好奇心から書店に足を運んだ。
すでに開店から一時間を過ぎていたが、平日の昼間にそんなにすぐに客足があるとは思っていなかった利央が書店に着いて向かった雑誌コーナーには──。
「本日発売の【TWO FACES】は完売しました。増刷は未定です」
という張り紙が貼ってあった。
「あーここにもない!」
「ええー、予約すればよかった。セクシーな陸斗見たかったのに」
後から来た若い子達が、悲しみの声を上げては別の本屋を目指して去っていくのを見ながら、利央の心臓はドキドキしっぱなしだった。
ここまでの反響は予想していなかった。
そのまま書店を出た利央は、音を消していたスマートフォンが震えているのに気がついた。
液晶画面には、雑誌の編集者の名前が表示されている。
「はい、もしもし?」
「あっ、雨音さん?」
電話の向こうの彼女は、少し興奮しているようだった。
「どうしたんですか?」
「どうしたんですか? じゃないですよ。なんでそんなに落ち着いてるんですか!」
「はい?」
「もー、大変なんですよ! さっきから、雑誌はもう買えないのかって電話はすごいし、書店からは在庫はないかって言われるしで」
「たしかに売れてるみたいですね。今、書店で完売の張り紙を見ましたよ」
「なんだ知ってるんじゃないですか! ならもっと盛り上がりましょうよ! 編集長からも増刷を指示されました。ネットのフリマサイトで高値で取引されていて、それを目にするファンが気の毒だってことで」
「そうですね。陸斗のファンは若い子が多いですからね」
最近は何でも品切れれば、ネット上で高値で売られるようになった。
そんな売られ方をした商品は、アーティストにとってなんの利益にもならない。
なかには騙されてお金だけ取られ、商品を手にできなかったなんて声もある。
「ということで、来月は予定通り陸斗の特別号も発売しますのでよろしくお願いします」
「それはよかったです。出来上がるの楽しみにしてます」
「はい。刷り上がったら、送りますね」
電話の向こうからは電話のコール音や忙しそうな声が聴こえてきて、利央は軽く挨拶を交わして電話を切った。
そう言われると、どれくらいの反響なのかが気になる。
近くのカフェを探して、温かくて甘いホワイトラテを頼んで受け取ると、一番奥の席に座った。
流石に午前中というべきか、店内は空いていて店内に流れるBGMもよく聞こえる。
一口飲んで少しほっと息を吐き、スマートフォンを取り出すと、陸斗のハッシュタグを検索し始めた。
すると、ハートマークが飛び交っていた。
なかには、雑誌社の重版の速報をリツイートしている子たちもいる。
かなり喜んでくれていることが嬉しかった。
特に反応がいいのが、素肌が見えていたり、腹筋が見えている写真だ。
これまでとは違う姿だったが、受け入れられていると感じた。
ふと、トレンドを見ると二位に入っていることに驚いた。
陸斗の知名度もそうだが、写真が注目されたことが利央には嬉しかった。
スマートフォンを眺めているうちに、若い女の子たち三人組が入ってきて、二つ隣のテーブルについた。
盗み聞きする気はなかったのだが、盛り上がるうちに大きくなる声に自然と耳に入ってしまう。
「もぉー、やばくない?」
「まじ最高。まさか、あそこまで色気だだ漏れだとは思わなかった。ほんと、なんで予約しなかったかなぁー」
「でもいいじゃん。重版もされるし、来月はビハインド写真の特別冊子付きも発売されるしさ」
「まあね。今回は抜かりなく予約しなくちゃ」
「でも、どこで予約する? 書店? ネット?」
「うう~ん、CDと違って特典がないなら、書店かな。すぐに手に入るし見れるし」
「そうだね。あとで、駅前の本屋に戻ろ?」
そんな会話が飛び込んできて、最後の一口を飲みきった利央は、席を立った。
これから、また真司の事務所で打ち合わせがあるため、行かなければならない。
この場所からなら歩いて行っても間に合うと時計を確認して、普段は歩かない道路沿いの道を歩いていると、今まで気づかなかった店に気がつく。
なかなか良さそうな古着屋に、木々に覆われたカフェ、小さなパン屋にスムージーの専門店。
約束の時間は昼食より前だが、何かつまみながらのほうが時間の節約になりそうだと思いたち、小さなパン屋に立ち寄った。
中には種類豊富なパンが並んでいるし、ショーケースにはサンドイッチが並んでいる。
「いらっしゃいませ」
中から顔を覗かせたのは、利央と年齢の変わらなさそうな女性だった。
「すみません」
人の好みは分からず、無難なたまごサンドやハムサンドも頼み、他にはカツサンドとフルーツサンドも頼んだ。
レジ横の説明文には玄米パンと国産野菜を使用と書かれている。
どれくらいの人数が来るのかイマイチ分からず、十人くらいの胃を満足させられそうな量を買ったのはいいが、なかなか重たい。
本当は、コーヒーと自分用にスムージーも買いたかったのだが、諦めるほかないのだが、なかなか諦めきれないでいると──。
突然、大量のサンドイッチの重さが消えた。
「えっ?」
驚いて振り返ると、相手の顔を見るのに見上げなければならなかった。
「買いたければ買ったらどうです? この荷物は俺が持ってるんで」
「颯? なんでここに」
「今日の打ち合わせに俺も呼ばれてるから向かってたら、重そうな荷物を持った利央さんが見えたんで、車をすぐそこのコインパーキングに停めてきたんです」
「あ、そうなの? でも平気。事務所にコーヒーはあるだろうし、自分で買ったものくらい自分でなんとか出来るから返して」
「ほんと変わらないですね。そうやって人に頼らないところ」
「変わるわけないでしょ。変えようなんて思ったことないんだから」
そう返しながら荷物を取り返そうとするのだが、軽やかにかわされてしまう。
「ほら、スムージー買ってきたらどうですか? 荷物持ちの料金は別に取ったりしないので」
にやりと笑う顔には、昔の面影がちらついた。
彼はこうして、いつだって利央の意地を身軽にかわすのだ。
「わかったわよ」
しぶしぶスムージー専門店に入り、グリーンスムージーとバナナスムージーを注文した。
注文を受けてから作り始めるところから、鮮度がいいことがうかがえる。
待っている間、外の様子を見ると、背が高く、整った顔立ちの颯は目立つからか、若くて細く自信に溢れた女の子たちに声をかけられていた。
しかし、いつもの柔らかな笑顔はなく、それどころか顔すら見ていない。
ここから見ていても、あの二人が男女問わず振り向くほどのタイプなのは分かる。
真司だったら喜んで相手しそうな子たちだ。
年上の自分になんてかまってないで、年齢の近い綺麗な子たちに目を向ければいいのにと思って念を送っていると、視線に気づいた颯とばっちり目が合った。
彼は利央の考えとは違い、手を振ってくる。
自ずと自分たちには見向きもしない相手が、何に向かって手を振っているのかという顔で振り返った彼女たちと目が合った。
あからさまにがっかりした顔をして離れていく様子に、利央は困惑するしかない。
「お客様、ご用意ができました」
「あ、はい。ありがとうございます」
スムージーを手に颯のところに戻ると、柔らかな微笑みに出迎えられた。
「おかえり、利央さん」
「ずいぶん、彼女たちにはそっけないのね」
「え? ああ、さっきの子たち? 明らかにナンパでしょ。これから仕事なんだから」
「連絡先、渡されたんじゃないの?」
遠くからでも、何か紙を渡そうとする行動は見えていた。
「受け取ってませんよ。普通、通りがかりの見ず知らずの男に連絡先って渡します? どんなやつかもわからないのに危機管理はどうなってんだか」
「さあ、あたしはその経験がないから分かんないけど、もしかしたらこの人だってびびっときたのかもよ?」
「中身を知らないでアプローチする意味が分かりません。外側である器だけに興味持たれても。そろそろ行きましょう」
「見てくれがいいのも悩ましいわね。これ、あんたの分」
バナナスムージーを差し出せば、颯は驚いた顔をした。
「バナナスムージー、好きだったでしょ? あれ? それとももしかして今は好きじゃないとか……」
「いいえ! 覚えていてくれたんだって思って……」
「普通、覚えてるでしょ? これくらいのこと」
そんなに薄情な女だと思われていたのかと思うと、すこし面白くなくて顔をしかめてバナナスムージーを持つ手を引っ込めようとすれば、颯は慌てて受け取った。
「ありがとうございます、利央さん」
くしゃりと笑った顔は、遠い記憶の中にあるものと変わらない。
かなり上機嫌な彼に促されて、近くのコインパーキングに行くと、数台の車が停まっていた。
黒のスポーツカー、SUV、ファミリーカーとある中で、颯ほどの若さならスポーツカーかと思ったら、彼が向かったのはSUVだった。
「意外ね」
「何がですか?」
「いや、速いスポーツカーでも乗ってるのかと思ったら、違う意味で凄い車で驚いた。外車で、それも頑丈な車だから」
「そりゃあ、大切な人を乗せるかもしれない車だから、安全性が最優先でしょ。そもそも、車には詳しくないので好みもありませんからね。優先順位は、安全性だけです。さあ、どうぞ」
「ほぉー、考え方はいいわね」
自然と後部座席に乗ろうとしたら、あっさりと止められた。
「後部座席には荷物を置くだけです。利央さんは助手席」
「いや、悪いかと思って。ほら、別の女を助手席に乗せると怒る子っているじゃない? もしも彼女に偶然にも今の現場を見られたり、自分のじゃない髪の毛を目ざとく見つけたりしたら」
「彼女なんていませんよ。それと、聞きますけど……利央さんはその場合は怒りますか?」
助手席に乗ってシートベルトを着けた所で、運転席に乗り込んだ颯は真剣な顔で聞いてきた。
「どうだろ……それって嫉妬ってことでしょ? 残念ながら、これまでそこまでの感情を誰かに抱いたことはないわね」
だから、この間もあっさりと別れることができて、今も引きずっていないのかもしれないと考えた。
「じゃあ、嫉妬したら……それは利央さんが本気で愛した相手ってことですよね」
「まあ、そうなんでしょうね。そんな相手がいるのかもわからないけど」
「誰にだって、一人はいるものですよ。所で、朝ニュースのエンタメコーナーでは、陸斗の話でもちきりでしたね。あの写真、撮ったのは利央さんですよね?」
車は静かに駐車場を出て、大通りの車の流れにのった。
座席に座っている感じは、心地よくて運転の上手さが伝わってくる。
急なブレーキも加速もなく、車線変更したい車には譲り、不安は一つもない。
「なんで、そうだって言い切れるわけ?」
「これまで、あなたがカメラマンを担当したものは、全部目を通しています。だから、あなたのカラーを感じ取れる」
「なに、それ。どうやって、これまでのに目を通せるのよ。海外には、こっちの雑誌はないでしょ?」
「たしかにないですけど……」
「なんだか、その言葉の続きを聞きたくない気がしてきた」
「どうしてですか?」
「絶対に、うちの親が関わっている気がしてならないから」
「んー、正解です」
「やっぱりか。そんなことだろうと思った。あんたの両親とうちの親ってば、今でも連絡取り合ってるみたいだしね」
「この間は、テレビ電話したって言ってましたよ」
「はぁー、そう。まあ、いいわ」
窓を開けて、吹き込む風に髪を波打たせながら、離れて暮らす両親を想った。




