10 打ちつけ合う想い
コンコンッ。
今というタイミングに、これほど無情な音などあるだろうか。
扉をノックする来訪者の存在に、びくっと肩を揺らせば「時間切れか」と呟いた陸斗が一歩下がり、利央との間に隙間を作ってくれた。
わずかにできたパーソナルスペースに息を吐き、扉に向き直って冷静ないつもの声を意識して出す。
「はい」
「利央さん? 俺です。いま着いたので挨拶を」
颯が言い終わるよりも早く、利央が止める間もなく陸斗は部屋の鍵を開けて扉を開いてしまった。
開いた扉からすぐ見える位置に立っていた彼女には、扉が開いた瞬間の嬉しそうな顔も、次の瞬間には陸斗が目に入り眉をしかめる颯の表情も見えていた。
もちろん、それは扉を開けた陸斗にだって見えただろう。
気まずい沈黙の後、先に動いたのは陸斗だった。
「お疲れ様です。R.SUNDさん。利央さん、この後もよろしくね」
挑発的で小生意気そうな声で挨拶をして、陸斗はさっさと行ってしまった。
お互い、陸斗の背中を見送っていて、その後の気まずさといったら酷いものだ。
「それで……これはどういうことですか?」
「と、とりあえず中に入ってくれるかな」
昼休憩中でスタッフは食堂に行っていて人は通らないとはいえ、一緒にいるところを見られるのを避けたいし、今は立ち話より座って話しがしたい。
それくらいの戸惑いと驚きを受けているのだ。
戸惑っているのは、やっぱりどこか心の片隅では陸斗を単なる年下男子と思っていた子が、きちんと成人している男であることを分からせられたからだ。
そして、驚いたのは陸斗の行動にではなく、あのキスが嫌ではなかった自分に対してだ。
「顔……真っ赤ですけど、なにかありました?」
「別になんにも」
そう言いかけて目の合った颯の瞳に浮かんでいる見透かしているような視線に、ごまかしは良い結果を生まないのだと理解した。
「さっき陸斗に、キス……された」
「そんなことだろうとは思いました。先日、ロビーであった時の目を見たときから、何か決意をしたような感じはしていましたから」
「なんで分かったの?」
「さあ、自分と似たような想いを抱いている男で、俺と同じように利央さんにとっては年下って共通点があるからですかね」
「なに……それ」
意外な共通点に、利央は項垂れるしか出来ない。
「ところで、利央さんは彼の気持ちに答える気はあるんですか?」
「……ない。あの子は、今をときめくアイドルよ? それも売り出し中で、世界に舞台を移せるほどのね。愛だの恋だのってものは、今は邪魔でしかないわよ」
「じゃあ、アイドルでもなく、ただの男としてなら?」
嫌な聞き方をすると、利央は顔を歪めた。
「何を今更……あれは、アイドルの前に一人の男ですよ?」
「そうだとしても、まだ青いだけ。一つの結果が及ぼす結末を想像できてないのよ。一時の気持ちの高ぶりを永遠の想いだと思ってる」
「そうですか。なら、諦めさせるしかないですよね」
颯がにこやかに言うと、嫌な予感しかしないのは問題だと利央は思った。
「ど、どうやってよ」
「簡単ですよ。俺と付き合って、仲良くすればいいだけですよ」
「は?」
「適当な男と付き合ったところで、嘘っぽくなるだけですよ。俺なら、利央さんを愛してますから、フリなんて必要ありませんし」
「わ、私はどうすんのよ!」
演技なんて出来ないし、騙すみたいで気まずさが顔に出そうだ。
目を覚まさせたいだけで、嘘で傷つけたい訳じゃない。
「あの夜の事を思えば、利央さんも俺のことけっこう好きだと思いますよ?」
アルコールの力を借りて、肌を合わせたあの日のことを蒸し返されて、机の上のものを片っ端から投げたくなってくる。
「これを気に、自分の気持ちに素直になってほしものですね。利央さんは、気持ちのない相手に……自分からキスできるタイプじゃないでしょう?」
立ち上がった颯は、テーブルを回ってくると利央の隣で椅子の背とテーブルに手をついて体を屈ませて、断わりもなく口づけてきた。
触れるだけのキスが物足りなくて、自然と受け入れるように唇を開けば、ゆっくりとキスが深まっていく。
「んっ……」
堪らず首の後ろに腕を回せば、腰を掴まれて体を起こした颯に持ち上げられる形になった。
片手は腰から下ろされて、太ももを掴んで腰に巻きつけるように誘導される。
ぴったりと合わさると、歩き出した颯に壁に押さえつけられた。
服を一枚も脱いでいないのに、服を隔てていることによって擦れ合う感触が、その先を思い出させて情欲に火をつける。
なのに、足の間に感じる硬さも、布に擦れる胸の頂きも、直接触れ合うことも出来ず、解消されないもどかしさに腰が揺れそうだ。
このままでは、お互い恥ずかしい結果になりかねない。
「はっ、もうっ、やめないと……昼休憩が終わりますよ」
「なら、離れる努力をして」
「難しいことを言いますね。利央さん以上に、落ち着く時間が必要なのは俺の方なのに」
腰から足を解いて床に足をつけると、足の間が待ち望んでいた熱を待っている気がした。
準備の出来始めていた体に、利央は文句がいいたくなった。
逃げ出した七年間で、なんの成長もしていないじゃないかと。
颯とは長い付き合いの中で、本当に好きだという気持ちが芽吹きそうだったから離れたのだ。
親同士が親友だし、本気の想いだったから、もしも別れたり嫌いになったりして関係が歪になるのを避けたかった。
そして、何より未成年相手に抱いていい想いではないと気持ちに蓋をした。
親から軽蔑された目で見られるなんて耐えられないと、気持ちが花開く前に摘み取るべく逃げ出したのだ。
なのに、あの夜から新たに種を蒔かれて、心の中には新しい芽が育ち始めている。
今は未成年という城壁は崩れ去り、利央の心は無防備な状態に近い。
ずるい大人は、陸斗の件を盾にこの関係を始めるのも良いかもしれない思っていた。
建前があれば、このねじれた気持ちも素直に受け止められる気がしたのだ。
体を重ねる前から、あの夜──バーで再会した瞬間に、七年の逃避は意味のないことだったと理解していた。
「しっかり、協力してよね」
「もちろん。俺にとっては、チャンスですからね」
「……そのニヤニヤした顔やめてくれる? ここを出たら仕事よ? 本当は、ここだって仕事場の一部だけど」
「分かってます。利央さんを幻滅させたりしませんよ。ただ、仕事が終わったら一緒に帰りましょうね? 車で来てますから」
愛おしそうに目を細めた颯は、腰から手を離して軽い口づけを一つ落とすと、すぐに離れて行った。
扉を出て行く直前に見えた横顔は、すでに表情を取り繕っていた。
昔の颯だったら、ごねるかしていただろうにと思うと、本当に大人になった。
ほんの少しだけ、近くで見ていられなかった七年間を惜しくなってくる。
高校生の頃でさえ、同世代の子からは抜きん出た美しさだったのだから、その後の大学生の頃にはもっと磨かれていたことだろう。
あのルックスだ。モテたに違いない。
そう考えた途端に、モヤっとした感情が心の奥に渦巻いてくる。
自分から手放した時間を妬むなんて自分らしくないと利央は思って、考えるのをやめて今に集中することに決めた。
鞄からゼリー飲料を取り出し、握りつぶすようにして一気に飲んでから部屋を出る。
残りの撮影もあと少し。
撮影の現場には、すでにメンバーは戻ってきていた。
もちろん、その中に陸斗の姿もある。
これまでなら、あんな事をした後では目を反らしていただろうが、何かが吹っ切れたのか、気まずそうな様子を浮かべることはない。
プロらしく、今の仕事に向き合う姿には感心もする。
それなら、利央だってプロらしく応じるべきだ。
「それじゃあ、揃ったみたいだから、再開しましょう!」
すっかり切り替えた様子の利央の姿に、陸斗はやっぱり好きだなと再確認する。
それと同時に、今の自分ではまだ利央の心に影響を与えられる存在にはなれないのだと、僅かながらの敗北感が心を抉る。
けれど、まだ始まったばかりなのだ。
利央が恋人を作るか、結婚あるいは終生のパートナーを定めるまでは終わりではない。
カメラの前に立った陸斗は、真っ直ぐとカメラの向こうにいる利央を見つめた。




