恥辱に悶える
「フェイルーラ様」
自分を呼ぶシルキーな声が耳を擽る。インシグニア嬢が身体を寄せ、その、人を魅了する声を発する唇を、俺へ段々と近付けてくる。このまま口付けをするのかと、心臓が初めてな程に高鳴るのを感じながら、インシグニア嬢の唇に自分の唇を━━、
「…………夢か」
部屋が暗い。まだ夜のようだ。
「ぬうわああああああああ」
ベッドの中で布団を被り、身を左右によじる。は、恥ずかしい! 昼間にインシグニア嬢に少し褒められただけで、こんな無粋な夢を見てしまうなんて! なんて浅ましいんだ俺は!
そのまま10分程ベッドの中で身悶えた俺は、すっかり目を覚ましてしまい、寝るに寝れはなくなった為に、起き上がり、ハーブティーを淹れる。
ハーブティーの入ったカップを持ちながら、カーテンを開いて外の様子に目を遣ると、昼間の雨は上がったようだが、空はまだ雲に覆われていて、月は見えなかった。少し悲しい。
悲しいから、それを表現したくなって、カップをテーブルに置くと、椅子に座り、エラトを取り出す。
六弦のエラトに爪は三つ。それをアドリブで曲とも言えないようなものを奏でていく。遠く離れて姿を隠した月に、想いを届けるように。
「嗚呼〜♪ 意地悪な乙女♪ 貴女は何故か♪ その瞳を見せてくれない♪ 御簾で美しい瞳を隠し♪ 貴女の瞳に映るその心を♪ 誰にも教えない♪ 教え〜て〜♪ その想いを♪ 教え〜て〜♪ その気持ちを♪ その細い弦のような唇から♪ その絹のように美しい声から♪ 貴女の御業に僕は弄ばれたい♪ その瞳に僕は映っているのだろうか♪ 僕の心が♪ 貴女と添い遂げたいと渇望している♪ 嗚呼〜♪ 嗚呼〜♪」
…………いや、インシグニア嬢へのラブレターやんけ! ぬうわあっ! 恥ずかしい! 向こうからしたら、親が決めた婚約者なだけなのに、こっち側だけ盛り上がっているとか、超絶恥ずかしい! うう、たった五日でここまでメロメロになるとか、はあ、今まで女性との接触が殆どなかった弊害だろう。いや、派閥の女性陣はいるけど、あっちは身内認定だから。
いや、インシグニア嬢も身内認定になるけど。兄弟姉妹と婚約者はやはり違う。そう、そうなのだ。そう、婚約者なのだし、少しくらい恋心を抱いても間違いじゃないよね? そう言う事にしていないと、俺の心がインシグニア嬢への恋心に溢れて止められなくなりそうだ。
『歌姫』だもんなあ。第一婚約者は俺一人であっても、他所で第二婚約者や恋人を作る可能性もあるもんなあ。…………そんな事されたら、嫉妬で今日以上に悶え苦しむかも知らん。…………寝よ。寝て、リセットしよ。
✕✕✕✕✕
ドンドンドンドンと部屋の扉を叩く音で目が覚めた。部屋は明るい朝日に照らされている。あれから、ベッドの中でずっと悶々としていたせいで、何時寝たのか覚えていない。多分朝方だったと思う。
ドンドンドンドンとまた部屋の扉が叩かれた。何事? 俺はのそりのそりとベッドから這い出て、着替えるのも面倒臭く、寝間着のまま部屋の扉を開いた。
「何? 緊急事態?」
言いながら扉を開けると、立っていたのはジュウベエ君だ。そんなジュウベエ君を、アーネスシスともう一人の派閥の男子が羽交い締めにしている。本当に何事?
「フェイルーラ! 闘技場に行くぞ!」
「は? え? 何事? 本当に何?」
「フェイルーラ、お前今日は暇なんだろ!? だったら闘技場でランクアップだ!」
…………本当に何? ジュウベエ君からアーネスシスに視線を向ける。
「どうやらジュウベエ君は今日も闘技場でランクバトルをしたいらしく、それへのお誘いのようです」
…………。
「何で俺がジュウベエ君のランク戦の観戦に行かないといけないの?」
「お前も出るんだよ!」
ジュウベエ君が喚く。俺も?
「何故?」
「闘技場で上位のランクに鎮座するのは、決闘者として栄誉な事だろ!」
…………。
「私は別に決闘中毒じゃないから、闘技場に通い詰めるつもりはないんだけど?」
「何でだ!? フェイルーラくらい強ければ、すぐにも上位に行けるだろう! チェックメイターにだってすぐになれる!」
それはどうだろう? 闘技場の上位は、また王城とは違った魔窟と聞き及んでいる。
「ジュウベエ君も私も、良くて中位くらいだと思うよ」
「ほほう。フェイルーラがそこまで言うのか。益々楽しみだな!」
俺は別に楽しみじゃないんだが?
「行くなら勝手に行ってくれる?」
「何でだ!?」
喚くジュウベエ君。
「俺は闘技場は二年目からと決めているんだよ。一年目から闘技場で闘えば、他寮に対して手の内を晒す事になるからね」
これを聞けばジュウベエ君も渋面となる。理解して貰えたらしい。
「ジュウベエ君たちが闘技場に通うのは止めないよ。ただ今日は俺には休日だ。俺はもう一回寝るから。同行は……、派閥から誰か一人で良いかな?」
「はい。問題ないかと。ジュウベエ君たちも、闘技場から追い出されるのは嫌なのか、昨日も闘技場の規則は遵守していましたから」
「じゃあそれで」
アーネスシスとそんなやり取りを交わし、まだ喚くジュウベエ君を放置して、部屋の扉を閉めようとしたところで、うちの派閥の一人が廊下を早足でこちらへやって来る。俺の姿を見てホッとしている。もう〜、また揉め事?
✕✕✕✕✕
「ま〜た、闘技場に来る事になってしまった」
バスから降り、見上げるは闘技場。うちの派閥にジュウベエ君の派閥全員でまた闘技場に来ていた。
「よっしゃ! やってやろうぜ!」
昨日グーシーたちに追い付けなかったのが余程我慢ならなかったのだろう。ジュウベエ君たちはとてもやる気のご様子だ。
「悪いな。休日に呼び出したりして」
俺たちを出迎えてくれたのは、ジェンタール兄上だ。俺が闘技場に来る事になった理由がジェンタール兄上、いや、
「スフィアン殿下が、お前の闘う姿を見てみたい。とご所望でな」
まあ、こちらは断る事も出来たけれど、一度くらい王太子に恩を売っておいても良い。と判断してここに来た。
「兄上、テレフォンでも言いましたが、スフィアン王太子殿下の要望で俺の闘いを見せるのは今回だけです。それに、アレを使うかは俺が決めます。これ以上を望むなら、セガン陛下から忠告して貰うから。これは本気だよ」
「ああ。スフィアン殿下にも、その辺は諫言申し上げた。殿下も、謁見の間での件は理解しておいでだ。それでも好奇心が勝ってしまったのだろう。何せ幻の技だからな」
はあ。別に俺からしたら幻でも何でもないんだけどなあ。




