月が綺麗だったから
「さあ! 午後も頑張りましょう!」
『はい!』
昼食も終え、シキイを招聘するかは、午後の歌奏次第と言う事となった。なのでイッシャーナ嬢始め、音楽倶楽部の面々はやる気満々に、先程の部屋、━━多目的室へ全員で戻っていく。それに続く俺やインシグニア嬢、セガン監督官たち。
「それにしても、フェイルーラ様は、そのような壮絶な人生を経てこられたのですね」
多目的室へ向かう途中、インシグニア嬢との何気ない会話。
「他者から見たら、壮絶なのかも知れませんが、自分の主観では、まるで竜巻に巻き上げられた中を、必死に藻掻いて体勢を整えて、明日の無事を祈るような感じなので、壮絶かどうかは分からないですね」
「それは主観でも壮絶ですよ」
そうかな? そうかも? 三歳の頃からそんな生活だったから、これが壮絶なのか不幸なのかが分からない。
「それにしても、それだけ苦痛に苛まれた人生だと、死にたいと思わなかったのですか?」
言ってから失礼かと思ったのか、両手で口を塞ぐインシグニア嬢。でも、これは昔から病気の事を話した人間全員に言われてきたので、俺的には特にNGワードではない。
「ま、生き汚い人間なので」
「はあ」
こんな説明では、納得して貰えなかったようだ。う〜ん。
「月が綺麗だったから、ですかね」
「月が綺麗だったから?」
俺の説明にインシグニア嬢は小首を傾げる。
「インシグニア嬢は、性罪説って、知っていますか?」
「確か、デウサリウス教が説く教えの一つですよね?」
「はい。この世の全て、人間だけでなく、動物、植物、自然、人工物、その全ては罪を背負って生まれてくる。その罪と向き合い、説き伏せる事が出来るのは、この世で理性を持つ人間だけ。と言う言説です」
「罪を背負って生まれるのは、人間だけではなかったのですね」
インシグニア嬢は初めて聞いたようだが、教会に余程縁が深くないと、ここら辺を理解していない事が多い。または、勝手に脳内で人間だけだと曲解する者も多い説だ。
「例えば、果実を実らせる木があるとして、その木の罪は、美味しい果実を実らせる事です。そうやって地上の動物や空飛ぶ鳥に己の果実を食させて、その内側の種を糞とともに別の場所に撒く。つまり、美味しい果実を実らせる事で、他の者たちを扇動させている訳です。これには人間も含まれる。美味しい果実を人間は人為的に増やしますからね」
「成程?」
ピンと来ていないかな?
「まあ、つまり罪とは言いますけれど、生存戦略と言い換える事も出来る訳です。毒を持つ動植物が、その毒で生き残るが如く」
「そう言う感じなんですね。罪と呼ばれているから、それは断じるものかと思っていました」
「そう思っている人は少なくないでしょうね。実際は『説き伏せる』。つまり、その罪と向き合い、どのように折り合いを付けて生きていくか。と言う言説です」
「成程」
これには得心がいったらしい。
「ウェルソン曰く、私の罪は、齢三歳にして、月を美しいと思った事だそうです」
「…………月を美しく思う事が、罪なのですか?」
理解が及ばないのか、口元を歪めるインシグニア嬢。
「う〜ん、私も子供の頃の話、しかも魔漏れに罹る前の話なので、あまり良く覚えていないのですが、夜中に、聖堂の前で弦のように細い月を見上げて、そんな事を口にしたそうです」
「満月でなく?」
「はい。その頃はまだ地動説とか、太陽とこの星と月の関係性は理解していませんでしたが、どうやら誰かから、月は太陽のように自身の力で光っているのではなく、ただ太陽の光を反射しているだけだ。と教えられたらしいです」
「…………」
「自ら光る事も出来ず、銀鏡のようにその光のほぼ全てを反射するでもなく、太陽の眩しい光を浴びても、夜空を淡く照らす事しか出来ない月。満ちては欠ける不安定な月。そんな月を、そんな月が生み出す夜の淡い世界を、私は美しいと表現したそうです」
「…………そうなんですか」
まあ、こんな話を聞かされても困惑するだけか。
「ふふ」
「どうかしましたか?」
俺が不意に笑ったからだろう。インシグニア嬢が俺の顔を覗き込んできた。
「いえ、私が魔力路狭窄症で苦しんでいた頃、私の世話はグーシーの役目だったのですが、ウェルソンにでも聞いたのか、ある日、姿見を部屋に持ち込んできたんです。四六時中ベッドで横になっている私が、月を見られるように。グーシーは私の一つ年上なのですが、まだ四、五歳の子供が、私の為にとそれを持ってきてくれた事が、当時は凄く嬉しかっなあ、と」
「グーシー君は、良い側近なのですね」
「私には勿体ないくらいに」
本当に。他の派閥でもナンバー2を張れる実力者だと言うのに、何で俺なんかに従っているのやら。いや、これに関しては俺が離さなかっただけか。
「で、話を戻しますと、私には、月が、世界が、美しいものに感じられるんです。それに焦がれて焦がれて焦がれて焦がれて、それなしには生きられないくらいに。だから、私は生き汚い。一分でも、一秒でも、一瞬でも長く、この美しい世界に浸っていたいんです。死後にどんな世界が待っているのか分からないけれど、少なくとも、私はこの歪で、光も闇も綯い交ぜで、善人は救われず、悪人が蔓延り、他者の不幸を笑い、己の力のなさを周囲のせいにして努力せず、人生に価値を見出だせない、下らないこの世界が好きだから、美しいから、生きていたいと心の底から思うのです」
「…………」
一気呵成に話したが、理解は得られないだろう。これは俺だけの思想。俺が背負って生まれた罪。誰かと共有する事なんて出来ない執着。そのはずだった。
「だから、フェイルーラ様の歌奏は、月光のように美しいのですね」
インシグニア嬢の不意の言葉に、泣きそうになるのを堪える。世界への讃歌、月へのラブレター。それを受け取ってくれた人が、ここにいた。その事が堪らなく、堪らなく嬉しい。




