不可視の塔
「これで、フェイルーラ様に頼めば、いつでもこの素晴らしい演奏が聴けるのですね」
「はは、言ってくれれば差し上げますよ」
「まあ!」
インシグニア嬢が頬に両手を当てて嬉々とした声を上げる。何とも嬉しそうで、こちらまでニコニコになる。
「良いなあ。僕も欲しいなあ」
これに対して、人差し指を口元に当てて物欲しそうにするセガン監督官。子供のような仕草だな。整った顔で中年男性とは思えない若々しい姿だから許されるが、父親のこんな姿を見れば、確かにグロブス殿下が反抗期丸出しになるのも分かる。
「個人的にはお渡ししても良いのですが、それをやると、監督官への賄賂だの、袖の下だの、監督官に媚びへつらっているだの、買収しているだのと言われ兼ねないので……」
「ああ、だね」
これには納得してくれた。自分の立場も理解はしているらしい。それでもまだ物欲しそうにしているが。はあ。
「相応の対価を支払って下さるなら、お渡しするのも吝かではないですが」
「本当かい!?」
「本当ですか!?」
えっ!? 何!? セガン監督官だけでなく、別方向からも問い合わせる声が聞こえてきて、そちらへ視線を向けると、いつの間にやら音楽倶楽部の面々が全員近くまで寄っていた。今声を発したのはイッシャーナ嬢のようだ。
「え? 何? 自主練していたんじゃないんですか?」
「あのような素晴らしい歌奏を見せ付けられて、自主練などに集中出来る訳ありません!」
イッシャーナ嬢の言に、音楽倶楽部全員が頷いている。クルザール君たち、俺を敵視していた人たちまでだ。良く分からないが、軽く演奏しただけのつもりが、どうやら自主練の邪魔をしてしまったらしい。
「対価を払えば、今の歌奏をまた聴けるのですか!?」
イッシャーナ嬢たち音楽倶楽部は必死な顔をしている。何故?
「ああ、えっと、カードは皆様全員分あるのですが、レコーダーはインシグニア嬢とセガン監督官の分しか持ち合わせがないので、レコーダーは後日ワースウィーズ商会で買って頂く事になりますが」
「ワースウィーズ商会ですね! 分かりました!」
皆して、今すぐワースウィーズ商会に行こうとするのを止める。
「ちょ、ちょっと、練習時間ですよ!」
「そ、そうでした……」
うん、可哀想になるくらいシュンとしないで欲しい。こっちが悪い事をしている気分になるから。
「じゃあ、すぐに全員分複製しちゃいますね」
そう言うと、俺はレコーダーからカードを引き抜くと、グローブからカードの束を取り出す。そして、先程録音したカードの、魔法陣の描かれていない表面をまだ何も録音されていないカードの表面とをきっちり合わせ、そこに魔力を流す。
「それで複製出来るのですか?」
インシグニア嬢が首を傾げながら尋ねてきた。
「はい。魔力波として記録されていますから、軽く魔力を流すだけで複製が作れるんです」
俺の魔力量でも問題ない、一般市民でも簡単に行える魔力量で複製出来るのがこのカードの利点だ。
「う〜ん、でもそれだと、カードさえあれば、複製し放題になるんじゃないかい?」
セガン監督官は流石の慧眼である。そう。このままだと誰でも簡単に複製し放題なのだ。
「なので……」
俺は複製した方のカードの角の一つをパキッと折る。
「これでこのカードは複製出来なくなりました」
「それだけで?」
「はい。今折った部分には、録音の始点の魔法陣が描かれており、ここに傷を付ける事で、再録出来ないようにしてあるんです」
「成程」
何やら感心しながら腕組みをするセガン監督官。まあ、物理的に魔法陣を破壊しただけだ。実際には、ここを復活させる魔導具があり、再録可能なのだが、そんな事はここでは言わない。ああ、でも、皆王立魔法学校の学生なのだから、この可能性や、そんな魔導具を作製するくらい出来そうだな。まあ、良いか。
「一応、今度制定される特許権云々に抵触しそうなので、アグニウス卿に伝えておいて下さい」
「はい。シネマの不正複製は既に表面化してきていますから、父上に報告すれば、不正複製に関して取り組んで頂けるかと」
俺とインシグニア嬢がそんな会話を交わせば、音楽倶楽部の中の何人か、研究生かな? がビクリとしている。複製するつもりだったんだろうなあ。俺の曲に、そんな価値ないと思うんだけど。
「しかし、フェイルーラ様もお人が悪い」
せっせと複製していると、イッシャーナ嬢がそんな声を掛けてきた。ちらりとそちらに視線を向ければ、皆が頷いている。
「ああ、済みません。自主練の邪魔しちゃいましたよね」
「いえ、そうではなく、あれだけの力量があるのなら、最初に一曲披露して下されば、我々全員、あなたがマエストロだと認めましたのに」
? そうなの?
「我々とは隔絶した、正しくインシグニア嬢と並び立つ、天才の歌奏でした」
天才? イッシャーナ嬢の発言に、音楽倶楽部の面々とセガン監督官は首肯している。インシグニア嬢は少し歯痒いのか、口元を窄めているが。それは俺も分かる。多分インシグニア嬢も、自分を天才とは認識していないのだろう。
「これは私が尊敬する枢機卿の教えなのですが、『不可視の塔』って知っていますか?」
「『不可視の塔』ですか? いえ、恥ずかしながら、初めて耳にしました」
イッシャーナ嬢や音楽倶楽部、インシグニア嬢に侍女二人も首を傾げているので、やはり有名ではないらしい。
「哲学者ココの提唱した、努力と成長に関する哲学論だね」
そこへセガン監督官が口添えしてくれた。流石と言うか、ボールス卿と関係が濃いセガン監督官は知っていたか。
「人間は生まれた瞬間から、『不可視の塔』と言う概念世界に放り込まれ、そこでの経験が、人間を成長させる。と言う理論です」
「成程?」
これだけ言ったところで、哲学論は理解出来ないだろう。まあ、俺が言いたい事とも少し違うし。
「要するに、様々な経験が人間を成長させる。と言う、まあ、至極普通の理論なんですが、皆さんは迷路って、どのようにクリアします?」
「迷路、ですか? それは最短距離で、でしょうか?」
「まあ、普通はそうですよね。でも、私は少し違います。枢機卿から『不可視の塔』の理論を聞いた時から、私は出来るだけ、多くの通路を通るように心掛けるようになりました。出来るなら全ての通路を隈なく歩き回り、取りこぼしがないように。それは人生と言う『不可視の塔』に対しても同じスタンスです」
こんな話に静かに聞き入る皆。そんな大層なものじゃないんだけどなあ。
「経験とは、出会いと努力です。様々な人に、歌に、楽器に、料理に、本、芸術、武器、自然などなどに出会い、そしてそれらに対して真摯に向き合い、出来得る限りの努力をする。そうやって隅々までフロアを歩き回り、経験を積み重ねていけば、その経験は自身の血肉となって、確実に次のフロアに自身を上げてくれる。私はそう思って、これまで生きてきました。ま、これが正解かは分かりませんけど。何せ『不可視の塔』ですから」
俺の言に頷いてくれたのは、インシグニア嬢だけだった。他の全員が納得出来ないとも不満だとも言いたげに、首を傾げていた。




