被造物の矜持
「何で俺がこんな事をしているんだ!」
八日目、闘技場。その観客席にて、モップを持ったグロブス王子が俺に訴え掛けてきた。
「何故、と言われても……」
数瞬思考を巡らせる。
「国家を混乱させた責任じゃないですか? 安い代償でしょう」
モップを立たせて、その柄に顎を乗せながら答えるが、グロブス王子は納得いっていないようで、
「今回の責任は、ベイにあるはずだ! 何故俺がその尻拭いをさせられているのかと言っているのだ!」
ベイと言うのは、昨夜のメドウ家の少年だ。軍部にしょっぴかれて、今どうなっているやら。それにグロブス王子は「何故俺が」と言うが、昨夜、グロブス王子と同行していた令嬢たちも観客席を掃除しているので、王子だけが責任を取らされている訳じゃない。
「第一、グロブス王子の派閥が起こしたゴタゴタなんですから、派閥のボスが責任を取るのは当然では?」
俺の正当な返答に顔を歪めるグロブス王子。
「お、俺は王子だぞ!?」
「だったら尚更ですね。王子が国家転覆に関与していて、その贖罪が清掃活動なら、メイプルシロップよりも甘い裁定かと」
まあ、これは教会から俺に裁きを任されたので、闘技場の清掃を手伝って貰っているのであって、ガイシア女王陛下がグロブス王子に対して、どのような裁定を下すかは分からないが。
「くっ、何で王子の俺が、こんな恥ずかしい仕事をしないといけないんだ」
「清掃は何も恥ずかしくありませんけど?」
「あん? …………ああ、貴様は教会派だとエスペーシが言っていたな」
別に教会に所属している訳では……、いや、仮にも信徒なんだから所属しているか。
「別に清掃したくないなら、それはそれでも構いませんよ?」
「そうなのか!?」
あからさまに不機嫌だったグロブス王子の顔が明るくなる。
「その場合、清掃されるのは王子とここにいる令嬢方になりますけど」
これを耳にして、大人しく清掃作業をしていた令嬢たちから冷ややかな視線を向けられるグロブス王子。
「…………やれば良いのだろ」
胸の内では納得していないのが態度に表れているが、グロブス王子は渋々モップを動かし始める。
「しかし、貴様も奇特な奴だな。俺と違って誰かに命令された訳でもないだろう? 何故、こんな汚れた場所の清掃を、自ら進んで行っているんだ?」
この人は口を動かしていないと死んでしまうのかな? 魚の中には泳いでいないと死んでしまう類もいると聞くが、それの人間版かな?
「それは俺様も思っていた。俺様も別に掃除に忌避感はないが、だからって進んでやりたい行いでもないな」
話に入ってきたのはジュウベエ君だ。バトルフィールドではなく、こちらにいるとは珍しい。いや、別に戦闘狂と言う訳でもないのか? ……ないか?
「ニドゥークの宗教体系ではどうか分からないけれど、この世界はデウサリウス神が創造された事になっているからね。その被造物である我々が、世界を汚したままと言う悪行を行う事は、デウサリウス神の価値を下げる行為だからだね」
「価値を下げる? 誰から?」
怪訝な顔になるグロブス王子。
「デウサリウス教以外の者たち全てからですよ」
俺の説明にグロブス王子は眉を顰める。デウサリウス教は確かに世界最大派閥の宗教ではあるが、この世には別の宗教だって当然存在する。ジュウベエ君の出身地であるニドゥーク皇国もそうだ。あそこは三神を頂点に、多くの神を崇めている。
「別に、善行をしろ。と強制はしませんが、悪行、つまりは周囲への迷惑行為は行うな。と言うのが、私に神の教えを説いてくれた方の持論です」
王子の怪訝な顔が何とも言えない顔になる。まだ説明が必要かな?
「悪行を行なっても、それを神が罰しないとなれば、人は見逃されたと勘違いしてまた悪行を行います。でも実際は、「デウサリウス教信徒は、神が見ていなければ、悪行を行う」とデウサリウス教以外の者たちに喧伝しているのです」
「…………」
「それは神の価値を貶める行為であり、悪行が見逃されたと勘違いした自称信徒たちは、神は自分たちの味方だと勘違いして、また悪行を行う。そうして悪行が繰り返されていけば、残るのは「デウサリウス教信徒は悪行を行う」と言う評判だけ」
「…………」
「人は赦されたと勘違いすると、増長する生き物です。神より赦されたと勘違いした自称信徒たちは、神への感謝も祈りも形骸化し、悪行を重ねていく。その行き着く先こそ、悪行に支配された世界の終末です」
「…………」
「その時になって神に救いを求めたところで、それまでの悪行がなかった事になる訳じゃありません。自称信徒を神が救う訳もなく、神が救うのは、誠実に生きてきた者だけです。そうやって、この世界は幾度となく人間の増長が招いた終末と、生き残った誠実な人々による再興を繰り返して現在がある。……そうですよ? 怖いですねえ。少なくとも、私は悪行側には与したくはないですね」
終末論と言うのは大抵の宗教に存在する。そうやって信徒に恐怖を刻み、そこから逃れる為に悪行を排するシステムだ。存在しないのはニドゥーク皇国の神話とか少数の宗教くらいだろう。
「世界云々は知らんが、悪行を行う者が信用をなくすのは理解出来るな」
これに先に理解を示したのは、グロブス王子よりもジュウベエ君の方だった。
「人間ってのは、個人を見定める場合、その背景も一緒に見定める。その個人が所属している組織が何であれ、眼前の個人が善人か悪人かで、そいつが所属している組織の印象も変わる。たとえ、そいつ以外が善人であっても、出会った一人が悪人であれば、そいつが所属する組織は悪を許容する組織として、距離を置くなり、排除する対象になる。だからこそ、平時であれ戦時であれ、己を律して生きる事が求められるのだ。それが仲間を救う手段なり得るから」
おお、良い事言うなあ、ジュウベエ君。でも、
「ジュウベエ君に言われても説得力ないね」
「おい! ……いや、確かに異国に来て浮かれていたのは認めるが」
あっはっは。顔を紅潮させて横向くとか、可愛いところあるね。
そしてグロブス王子はと言えば、何とも神妙な面持ちだ。多分、これまでの自分の行いを頭の中で振り返っているのだろう。少しは信仰心と言うものがあったらしい。
「悪行をするな。と言う言い分は理解したが、だが貴様の理論では、別に善行を行わなくてはならない訳じゃないのだろう?」
どうやらまだ納得していないらしい。凄いな、その自惚れ。その自己肯定感、何処から来ているの?
「今までのは神との対話ですよ。人が人を、国家を混乱させた罪を、手放しで赦すと思っているのですか?」
「ヴァストドラゴン領の人間に言われてもな」
正しくああ言えばこう言うだな。往生際が悪い。
「そう言えば、ヴァストドラゴンって、元々王国で、竜を信奉していたんだろ? そこら辺どうなんだ?」
ジュウベエ君も気になったのか、そんな事を尋ねてきた。
「どう? と言われてもなあ。そこら辺は大差ないよ。そもそも悪行、正確には与している組織に不利益を与えない。と言うのは、デウサリウス教が出来る前からある法律で、自然法が起源だからね」
「自然法?」
首を傾げるジュウベエ君とグロブス王子。そこから?
「自然法って言うのは、自然を観察して、そこから法則性を導き出し、これに外れるものを罰する法だよ。番となる聖なる結婚契約への不義理に対してとか、暴力や殺人、盗みとかへの制裁とか、色々な自然法が、自然の観察から生み出されたんだ」
「へえ。…………いやいや、それだとデウサリウス神云々関係なくないか?」
ツッコミを入れてくるジュウベエ君。これにグロブス王子も頷いている。何故?
「言ったでしょ? この世界を創造したのがデウサリウス神なんだから、この世界の自然の法則もデウサリウス神が決定したものだから、これに従うのは当然なんだよ」
これには首肯するジュウベエ君とグロブス王子だった。




