英雄の独壇場
「......騒がしいな」
執務室で話を聞いていたガイゼンは、外から聞こえてくる音に、視線を扉へと向ける。
皇帝の執務室を訪ねる者は、早々いない。
帝城で働く者でも、よほどの高官でないと接することは無い。
帝国貴族の場合、会うのは謁見室が通常。
皇帝の命を狙う刺客がいたとしても、皇帝の《影》がそれを許さない。
......アンシラは、例外中の例外だ。執務室の扉を蹴飛ばす者など、他にいる訳も無いのだが。
それ以外で、皇帝の執務室を訪問する者は非常に限られている。刺客はありえず、帝城で働く者でも無く、そして貴族以上の立場を持つ者達。
「——陛下、失礼いたします」
——皇族に、他ならない。
執務室に入ってきたのは、豪奢な衣装を纏う、二十代半ばに見える女性。
実年齢はガイゼンと同じく四十近いのだが、元の顔立ちや化粧、そして美しい所作が、女性を若々しく見せていた。
......貫録は、とても二十代で出せるものでは無かったが。
無論、ガイゼンは女性の事をよく知っている。
そして彼女が此処を訪れた理由も、普段よりも険しいその表情を見ずとも、初めから分かっていた。
女性——帝国皇妃オクサーナ・ヴァクラは、背後で閉まる扉に目もくれず、ツカツカと執務机の前まで足を進めると、両手を勢いよく叩きつけた。
「......どういうことか、説明を願います」
口調こそ落ち着いてはいたが、その声は怒りで震えていた。
表情や速足、机に手を叩きつけるなど、普段の皇妃を知る者からすれば目を疑う行いだが、彼女はこれでもまだ抑えているつもりでいた。
「何の話をしている?」
「......っ、あの、庶子の話に決まっているでしょうっ!?」
皇帝の素知らぬ答えに、すぐに抑えが利かなくなったが。
当然、ガイゼンは理解していた。
皇妃の荒れ狂う原因が、末娘フィアの事だと。
魔塔の主が皇女を弟子に取った件は、瞬く間に帝城内で広まった。
アウレスがフィアの部屋を訪れたのは多くの者が目撃しており、部屋で話が続く間に周囲の廊下には野次馬が押し寄せていた。
そして彼らはアウレスが部屋から出てきた際に、間違いなく耳にしたのだ。
——アウレスが、フィアを弟子と呼んだことを。
直後に響いたフィアの叫びも相まって、アウレスとフィアの師弟関係は、帝城内では誰もが知ることとなった。
ここ数日話題に事欠かないフィアだが、今回の話は今までとはスケールが違った。
生ける伝説、魔王へと刃を届かせた英雄、魔塔を創設した賢者。
アウレスが皇族と結んだ約定の一つ——皇族の子の弟子入りに関しては、帝城では普通に知られている話だった。
魔塔が出来て数百年、皇室の子の誰一人として、彼のお眼鏡に敵う者はいなかったが。
今回も訪問もそうなるはずだった。
事実、今回の第一皇子も弟子となることは無かった。
そのまま数日滞在した後、魔塔に帰還する。その一連の流れが今年も行われる、——その、はずだった。
ところが、まさかの事態が発生した。
どういう訳かアウレスは約定を結んで初めて、弟子を取ると宣言した。
それも皇位継承権を持たない、帝城内では立場の弱い、まだ五つの皇女フィアを。
魔塔の主の弟子——この立ち位置の持つ意味は、とても大きい。
今まで皇族内で最も低い立場にいたフィアに、いきなり最高峰の後ろ盾が出来たのだから。
帝国の大貴族ですら、アウレスと比べれば支えとしては頼りない。
魔族との戦いに長年貢献し続けてきた、偉大な先達の名は、帝国どころか大陸中に轟いているのだから。
下手すれば、オクサーナが今まで築き上げてきた帝国政府や貴族間のパワーバランスが崩れ、皇位の座すらフィアに奪われかねない。
妄想と言われてもおかしくは無いが、皇妃は頭に過る最悪の可能性を否定しきれなかった。
......当のフィアは皇位など全く興味ないのだが。
しかし皇妃の焦燥も、あながち的外れなものでは無かった。
皇妃の子である、第一皇子との面会において。
アウレスは顔を合わせて一分と立たないうちに、「これはない」と最低の評価を下し、早々に面会を打ち切った。
......これはアウレスに対して、傲岸不遜な態度を取る第一皇子が原因だったが。
過去、一様に弟子に取らなかったとはいえ、アウレスが下した評価は当然個々に違うものだった。
現皇帝ガイゼンの場合では、弟子にこそ取らなかったが、歴代でもかなり高い評価をしていた。
対して今回の第一皇子は、父とは正反対の酷評を受けることになった。
けれど、弟子を取らなかったという点で見れば、それはこれまでと変わらない事ではあった。
なので酷評に関しては今後の痛手となるとしても、まだ大きな問題ではない、と皇妃は考えていた。
......しかし、フィアがアウレスの弟子となったことが、全てをひっくり返した。
第一皇子の謁見直後に起きたこの事態は、帝国の政府や貴族内で、すぐに広まるだろう。
そしてアウレスの言動を、周囲はこう判断する。
——第一皇子よりも、庶子のフィアの方が優れていると、アウレスはそう認めたのだと。
それは、皇妃オクサーナも同じであり、だからこそ焦らずにはいられなかった。
立て続けに起きる出来事によって、株が上がり続けるフィアとは反比例し、既に酷評された第一皇子の評価は下がり始めている。
まだ表立っての変化は起きていないが、確実に帝国の権力情勢に大きな一石を投じる出来事になったことを、皇妃は感じ取っていた。
第一皇子が問題を起こしたわけでは無い。
フィアが功績を立てたわけでは無い。
——しかし、ただあるだけで、盤上を揺るがしかねない。
アウレスの名、その弟子という立場は、それだけ大きい影響力を持つ。
皇妃からすれば、このまま事態を黙ってみているわけには行かないのは、自明の理であった。
「掟をないがしろにし、私の許可も無い師弟関係など、認められていいわけがありません!」
皇妃の手札は当然、皇室内での決まり。皇室の子の教育管理は、皇妃が執り行うという掟だ。
この掟から見たら、アウレスとフィアの関係は、皇妃からすれば越権行為に他ならない。
「......はぁ」
そう声高に主張するオクサーナも前に、ガイゼンは思わずため息をついてしまう。
普段なら皇妃を刺激しないよう、心の内に隠すそれを、思わず表に出してしまうほど、彼は呆れていた。
その態度に皇妃はますます顔を紅潮させるが、ガイゼンからすれば当然の反応であった。
掟というが、それはあくまで歴代の皇妃が継いできた慣習であり、決して法ではない。
強制力があるわけでも、破った際に罰や罪が与えられるはずもない。
無論慣習をないがしろにしていいとは言わないが、それにも例外がある。
しかも、それが子の利にならない、害しか与えないものであるなら、なおさらの話である。
それでも、これまでは皇妃に対し、皇帝も強く出ることは出来なかった。
こうなった原因の一端は自身にもあったから。
そして皇妃の後ろ盾として、実家である大貴族やそれに連なる貴族の家がある以上、下手な強硬策に出れば却ってフィアを危険な目に合わせかねないと分かっていたからだった。
苦い思いを抱きながらも、アンシラという有能な守護者を就けることくらいしか出来なかったのも、この後ろ盾の存在が大きかったからだ。
魔族の侵攻が進む中、貴族勢力と下手に正面からぶつかって、帝国内を表立って割るような行為は避けたかったから。
......しかし、今はその前提がまるで違う。
「——ほう。俺が弟子を取ることに、お前の許可がいるとでも?」
——執務室に低い声が響く。
皇妃の背筋に悪寒が走り、興奮の熱が一気に冷める。
ゆっくりと振り返った彼女の視線の先には、執務室にある来客用のソファーに座る、厳つい男の姿。
ガイゼンが呆れを隠せないのも当然だった。
いくら興奮していたとはいえ、件の当事者が部屋にいることに気づかず、無礼千万な事柄を口にしていたのだから。
「久々、というほどでもないか。つい先日、お前のとこのガキを見て以来だな?」
アウレスの挨拶に、オクサーナはまともに答えられない。
蛇に睨まれた蛙、否、ドラゴンに喰われる寸前の家畜のように、体を硬直させ、視線を離せずにいた。
先ほどまでの美しい所作や、皇妃の威厳はもはや影も形もない。
しかし、アウレスはそのことを気にも止めず、話を続ける。
「文句があるなら、ガイゼンじゃなくて俺が直接聞こう。ヴァクラ帝国皇帝に、一歩も臆さず意見したんだ。たかがハーフエルフの俺に、言えないことは無いだろう?」
アウレスの目がすっと細められ、オクサーナに向けられる。
それだけで彼女は、全身の血が凍り付いたかのような錯覚を覚えた。
別にアウレスは、威圧しているわけでは無い。
口調も落ち着いており、声色も穏やか。
目元は細めていても、元から厳つい顔なだけであって、表情を険しくしているわけでは無い。
ソファーにもゆったりと座っており、傍目から見ればリラックスした姿。
普通に問いかけた、ただそれだけに過ぎない。
しかしそれだけで、オクサーナは一歩も動けず、まともに声を発することも出来なくなってしまった。
口を微かにパクパクさせているが、喉からは掠れた音が、微かに漏れるだけ。
二人の様子を見ながら、ガイゼンはまたため息を吐く。
今度のはオクサーナではなく、アウレスに対してだったが。
たかがハーフエルフとは、あまりに意地の悪い謙遜だろう。
たかがハーフエルフは魔族の撃退に多大な功績を遺したりしないし、魔塔という最高の研究機関を創設出来るはずもない。
皇妃が今まで上手くやれていたのは、関わっているのがあくまで帝国内部の勢力に留まっていたからに過ぎない。
その範囲内であれば、彼女の後ろ盾はこれ以上ない力を発揮できるのだから。
しかし、他国や外部の情勢が関わるとなれば、話は変わる。
それも相手は、個人で大貴族を凌駕する影響力を持つ、数百年の時を生きる大偉人。
いくら大貴族出身の皇妃とはいえ、文字通り格が違う。
「......なぜ、あの、娘を............」
それでも、そう問うことが出来たのは、腐っても皇妃というだけはあるのだろう。
だからと言ってアウレスは、彼女を評価することは無かったが。
「俺が誰を弟子に取ろうと、勝手な話だ。皇室の子と会ってたのは、あくまで魔塔の出資者に対する忖度程度の決め事だ。皇族だろうが誰だろうが、俺には俺の基準がある、それだけの話だ」
別にアウレスも、弟子になるつもりなら師のご機嫌を伺い、媚びへつらえなど言うつもりは到底ない。
しかし第一皇子に関しては、あまりにも「無い」としか言えなかった。
皇族の血を引くだけあり、才能は十分にあることはアウレスも見抜いていた。
普通に見れば、癖のあり過ぎるフィアよりも真っ当な、育てがいのある才能であると。
わざわざ言う必要もないので、面会時に口にすることはしなかったが。
しかし、アウレスは人を才能で見ているわけでは無い。
それだけならば、歴代の面会者にはとても優れた者は何人もいた。
現皇帝ガイゼンもまたその一人であり、しかしそれでもアウレスは弟子に取ることはしなかった。
アウレスが弟子に取るかどうか、その決め手。
それは、内に秘めた琴線に触れる物があるかどうか、ただそれに尽きる。
アウレス自身はフィアと会うまで明確に自覚してはいなかったが、それは彼が奥底に抱き、生涯をかけて果たさんとした目的を、共に歩めるかどうか。
——魔王を討つ、その本気の意志と覚悟。
それが備わっていない者に、アウレスの弟子となる、資格は無い。
その基準からすると、第一皇子は論外としか言いようがなかった。
ただそれだけなのだ。
しかしこれは、アウレスにも非が無いとは言い切れない。
いくら何でも十歳の子供には、これはあまりに厳しい基準だろう。
皇族としての自覚を幼い頃から持っていた当時のガイゼンですら、魔族をどうにかしないといけない、くらいにしか考えていなかった。
しかしアウレスにとって、最も大事なのはその一点のみ。
これは皇族の子に限らず、弟子を取る際の、彼の中で定められた基準だった。
そして、その基準を超えたものは、誰一人としていなかった。
これは世間に知られていない、それこそゲーム知識のあるフィアも知らない話だが、アウレスに正式な弟子がいたことは、実は一度として無かった。
魔塔の部下の内、幾人かがそう名乗ったことがあるものの、彼はそれを認めた覚えは無い。
最近ではそう嘯く者もいなかったため、現代では百年以上弟子はいない、と話が伝わっていただけに過ぎない。
それも当然の事。
アウレスの言う魔王、それは彼が叩きのめされた、地下深くに眠る真体。
彼の者の存在を知らぬ者がいくら魔王を討つ、と口にしていても、それは空想以下でしかない。
そして実際に目にしたことのある僅かな者は、アウレスを除いて誰もが心折れ、諦めた。
ゆえに、彼と真に思いを同じくする者など、現れるわけがない——はずだった。
——アウレス自身、想像すらしていなかったのだ。
魔王について、ある意味で彼以上に詳しい者がいるなど。
そして知っていてなお、あの絶望に挑もうとする気概を秘めている、真に同志と呼べる者が現れるとは。
幸運にも、アウレスとフィアには出会える縁があった。
あるいはそれは、女神の思し召しだったのかも知れないが。
ともかく、アウレスが今まで誰も弟子に取らず、フィアを弟子に取ったのにはそういう背景がある。
そんなこと周りの者が知るはずもないが、彼もまた、周囲の事情など知ったことではない。
皇室の掟など、関係ない。
それが法であり、罪や罰が与えられるよう明確に定められているならともかく、暗黙の了解に近いものを、アウレスがわざわざ気にする必要性は無い。
そして彼には、それを為せるだけの立場や力を、既に有している。
「——あいつは俺の弟子だ。誰がなんて言おうと、知ったことか」
「............っ」
アウレスの宣言に、オクサーナは何も言い返せない。
いくら彼女に大貴族の後ろ盾があろうと、相手が悪すぎた。皇妃の後ろ盾が重装兵の一軍だとしたら、相手は完全武装した大要塞だ。
しかも帝国以外の各国との繋がりも深いため、最悪の場合そちらも敵に回しかねない。
早々にそんな事態に陥ることは無いだろうが、今回はあまりに相手が悪すぎた。
皇妃はまともな反論すら出来ず、ただ引き下がるしかなかった。
「......陛下。お客様がお越しになられている中の急な訪問、対応いただき感謝いたします。此度はこれで、失礼いたします。......閣下も、急なご無礼を、お許しください」
オクサーナは唇を血が滲むほどきつく噛み締め、逃げるように去っていった。
最低限の礼儀は忘れなかったあたり、皇妃としての振る舞いは、何とか保つことが出来ていた。
......それも、執務室を出るまでの話だったが。
部屋を飛び出したオクサーナは憤怒の表情で、普段ならありえない足音を立てながら、自室へと帰る。
普段とはまるで異なる、般若の如き様相で。
すれ違う者達がぎょっとして目を丸くするが、今の皇妃にはそれすら気にする余裕は無い。
——このままにはしておけない。
憎悪を滾らせながら、オクサーナは内心で、いびつな決意を固めていた。




