21話
小屋を出た僕は、法術の轟音に気付いて駆け寄る陶華を尻目に、森の傍の茂みに向けて細く黒雷を放った。
陶器が割れる音。茂みに赤く広がる毒茶。
――何度も音を探っていたので、陶華が毒茶を隠している場所は既に分かっていた。
茫然と立ち尽くして毒茶を見つめる陶華の目は、言い知れぬ絶望に染まっていた。
「陶華……僕はやっと思い出しました。……全てです」
――陶華が土を抉るように踏み込む音。
陶華の握った鞘が僕の首を打つより、僕が自らの首筋に短刀を突き立て、鉄板を湧き出させるのが先だった。
「……陶華……僕の話を聞いてください。僕は全部分かったのです。魔帝の儀がある理由も……僕と陶華が本当に為さねばならない事も。……この台詞は以前にも言いましたね」
陶華は、焦点の合わない目でその場に崩れ落ちてしまった。
「あなたは……何も分かっていない……」
そして、怒りと悲しみが織り交じったような表情に、陶華の表情は歪んで行った。
「……お前の……お前のような……ガキに! お前のようなガキに何が分かる!」
僕は静かに陶華と瞳を合わせた。
「……聞いてください」
陶華の表情が消えて行った。僕はゆっくりと語り出した。
「北狄の砂漠に埋まっていた戦車や国境に張り巡らされた長城を見るに、人界は争いの歴史を繰り返して来たのでしょう。しかし、今の世界には千年は大きな争いは起きていないと聞きます。それは我々魔族が天長城に阻まれた豊穣な中原を支配しているからに他なりません。もし、天長城がなければ、三王国がこぞって中原に攻め入り、数と集団戦術に劣る魔族はたちまちに攻め滅ぼされてしまうでしょう。そして、豊かな中原を巡って、世界は血で血を洗う戦乱の時代へと逆行してしまうでしょう」
僕は暫しの沈黙の後、続けた。
「……力を付けた一部の魔獣達は天長城から飛び降りて人界を襲う事がありますが、その対処の為に三王国は富の蓄積が起こりにくく、三王国はお互いに戦乱を起こす余裕がありません。だからこそ、この世界は千年間も大きな争いが起きなかったのです。魔族と天長城は、この世界の戦乱を最小限にする為に大きな役割を果たしているのです」
陶華は影の差した瞳のまま無表情になっていた。僕の声が聞こえているのかどうかも分からない。それでも僕は続けた。
「僕が魔帝の儀が秘めた意義に気付いたのは、劾銅と対峙したあの血の海で、魔帝領を囲う天長城が元の半分程の高さにまで縮んでいたのを見た時です。……天長城が縮んでしまったのは、きっと天長城の維持に必要な黒宝玉の気が不足したからです。……僕と陶華が魔帝の儀を放棄し、黒宝玉を白梁塔に捧げなかったからこんな事態になったのでしょう」
陶華は黙り込んだまま顔を落としていた。
「魔帝の儀とは、魔帝として生まれた子供が十二年掛けて気を集めた額の宝玉を、恐らく天長城と同じ材質の……鉄板の守りを擦り抜けて抉り取り、捧げる為の儀式だったのです。これが可能なのは、三王国の血を受けた剣姫の一族であり、黒宝玉の出涸らしである白宝玉を左目に埋め込んだ陶華……あなたしかいません。魔帝の儀は、天長城を維持する為……ひいては世界の均衡を保つ為に必要な儀式だったのです。……それが魔帝の儀が連綿と受け継がれてきた理由なのです」
永遠にも思える静寂に、風だけが流れていた。
陶華は目を強く閉じて、細い唇を結んで、さめざめと泣き出してしまった。
「それが何だと言うのですか……」
そして、眼帯を解いた。
露わになった左の眼孔から、白宝玉が幾つも覗いていた。
僕は陶華の両目を、しっかりと見つめ返した。
陶華が、ゆっくりと口を開いた。
「……かねてから魔帝の儀に疑念を抱いていた私は、書庫で歴史書を漁りその断片に隠された真実を集めて、あなたと同じ推論に至りました。……魔帝の儀は世界の均衡を保つ為に存在する……だから? だから何だと言うのですか!」
赤くはらした目に涙を溜めながらも、陶華は顔を歪めた。そして、左の眼孔に埋まっている白宝玉を掻きむしった。
「……世界の均衡? それが何だと……だから何だと言うのですか! 私は何故こんな……こんなクソみたいな最悪の世界の為に生きながらに左目を抉られ、こんな石まで埋められ……そして……私と同じ境遇の子供を……訳も分からないままの子供を殺さねばならないのですか!?」
何度も叫びながら、震える拳で弱々しく地を叩く陶華を見守りながら、僕は呟くように語り掛けた。
「……陶華……あなたは……本当は誰よりも優しい人なのですね……」
「違う! 断じて違います! 私はただ逃げたかった……世界で唯一私の気持ちを分かってくれるであろう。……分かってくれる筈だったあなたと! ……戦乱で壊れて行く世界を見下しながらただ逃げて……ただ生きたかった! ……それの何が悪いのです! 何故あなたはこんな……こんな最悪な世界を……! 何故? 何故あなたは分かってくれないのです!」
軽く笑って見せた僕を、陶華は恨めしそうに見上げていた。
「陶華と旅をして、辛い事も、悲しい事も、自分の無力に打ちひしがれる事もありました。それでも人の優しさに触れたり、美しい景色を見たりする内に、僕はこの世界が好きになっていました。魔帝としての責務もありますが、何より僕は……僕自身の意志でこの世界の均衡を保ちたいと思っています。その為ならこの命、いつでも投げ出す覚悟があります。それがきっと僕が生まれて来た意味であり、僕が為すべき事なのだと思います。陶華だって、きっとこの世界の全てが嫌いな訳ではないでしょう?」
再び呆けたような無表情になっていく陶華に、僕は一歩近付いた。
「陶華……虚飾ばかりの優しさはあなたらしくありません。もう一度魔帝城に戻り、今度こそ魔帝の儀を完遂しましょう」
ふと、糸に吊られるように立ち上がった陶華は、僕に縋るように抱き付く。
「猿里……お願い……私を一人にしないで……」
それは悲痛な……まるで命乞いする少女のような声だった。
僕は大きく息を吐き、陶華の肩に手を当て、引き離した。
……僕の背中に絡んでいた陶華の腕が、するりと、いとも容易く抜け落ちる。
「何で……どうして分かってくれないのですか……あなたは……」
陶華の瞳から大粒の涙が溢れ、頬を伝っていく。
僕は小屋へ引き返し、陶華の白銀の鎧を抱えて戻った。
「陶華……僕はこの鎧があったからこそ、記憶を完全に取り戻す事が出来ました。あなたは何故この鎧を捨ててしまわなかったのですか」
陶華は小さく声を震わせながら涙するばかりだった。
「……これは僕と陶華だけの問題ではない筈です。この世界は千年間……僕達の祖先の血と涙によって均衡を保たれて来たのです。その責務を投げ出してはいけません。理由も分からず仕来りを守ってきた先人達に比べて、魔帝の儀の理由に辿り着けた僕達の何と果報者な事か……陶華、あなたも本当は、心の奥底で思う事があるのでしょう。だからこそ鎧を捨てきれなかった。そうでしょう」
陶華は蹲り、とうとう叫ぶように泣き出してしまった。
鬱蒼と生い茂った森に響く陶華の号は、悲しみと怒りと諦めと……そして少しだけの清々しさが籠っているように、僕には感じられた。
半刻程……陶華の背中を撫でていただろうか。陶華は、やっと落ち着いてきたようだった。
「私は……やはりあなたの事が理解できません。……しかし、あなたが生きる理由を……為すべき事をやっと見つけようとしていたのに、自分勝手にあなたの気持ちを無視したのは……申し訳ないと思っています。……それでも私は嫌で堪りませんが……あなたがそんなに世界の均衡とやらに拘るなら……私は猿里のその想いを尊重します」
「陶華……ありがとうございます」
軽く笑いかけた僕に、陶華は涙目のまま微笑み返してくれた。
「明日の朝、出発しましょう」
「……はい」
陶華は、小さくそう答えた。




