第七十二幕 衝撃
悠子、拓人、精霊王、葉扇は、輪音タワーに続く道をひた走っていた。
空を飛ぶのが一番早いが、精霊王の使う風の力は、二人分しか飛ばずことができない。巫子の術にも空を飛ぶものはなく、次々と現れる妖達を叩きのめしながら、向かうしかなかった。
「人間だ!」
「旨そうだ!!」
牛の頭に人間の体を持つ牛鬼と、鰐の頭に人間の体を持つ鰐鬼が、涎を垂らしながら、悠子達に襲い掛かってきた。
彼らは、生肉が好物で、それが動物だろうと人間だろうと関係ない。
牛鬼は鋤を、鰐鬼は鍬を持ち、四人に向けて勢いよく振るう。
四人が避けると、風圧で道路のアスファルトが砕け、周囲の塀も、その余波でヒビがはいった。
かなりの力だ。近づけば、バラバラにされてしまうだろう。だが、それでも止まるわけにはいかない。
構えようとした悠子を、拓人が片手を前に出し、止めた。
「・・・お父さん?」
「私がやるから、お前は少し休んでいなさい」
拓人はそう言って微笑むと、二鬼に視線を向け、前に出た。
「全く、雑魚を相手にしている暇はないんだがな」
そして、呆れの混じった低い声で告げた。
「あんだと~!?」
「おれたちのどこがザコだって~!!」
挑発するような拓人の言葉に、二人の鬼は怒りを露わにした。
「そのままの意味だ。お前らなど、この指一本で事足りる」
人差し指を牛鬼と鰐鬼に突きつけ、拓人ははっきりと言い切った。そこに気負いはなく、ただ事実だけを述べている感があった。
「この~!!なめやがって、人間ふぜいが~!!」
「おれたちの力を見せてやる~!!」
牛鬼と鰐鬼が青筋をたて、鋤と鍬を拓人の両脇に向かって振り下ろす。
しかし、それが拓人の体に刺さることはなかった。
ガキィィンッ。
金属と金属がぶつかり合う音が響く。
拓人がいた場所には、鍬と鋤が互いに絡み合っていた。
「ぐぬっ!」
「うぉっ!?」
二鬼が互いの武器を引き離そうと奮闘している中、足のバネを使って彼らの前に飛び上がっていた拓人は、人差し指で二人の額を弾いた。
「ぐっ!!」
「がっ!!」
牛鬼と鰐鬼は、短い悲鳴を上げ、白目になりながら、アスファルトに倒れ込んだ。
「すげぇ・・・。デコピン一発で・・・」
葉扇が口をあんぐりと開け、まじまじと倒れた牛鬼と鰐鬼を見る。
その額には、こぶし大ほどの大きな瘤ができていた。
だが、これで終わりではなかった。続々と建物の影から、妖達が現れる。
「三人とも後ろに。後は私がやろう」
葉扇を肩に乗せ、指を鳴らそうとする精霊王も制し、拓人は迫る妖達に向かい、駆けていく。
「はぁっ!!」
そして、右腕を振り上げ、妖の群れに一撃を加えた。
ドゴオッ!!
それは、まさに爆発といって差支えないほどの一撃だった。
「ぎゃぁっ!!」
「ぐわぁっ!!」
凄まじい衝撃と風圧で、犬神やサトリ、青女房、餓鬼など大小様々な妖達が悲鳴を上げ、宙に浮かび、道路に叩きつけられる。
次々と妖達が弾け飛ぶ様を見ながら、悠子達は、次々と現れる妖を叩きのめす拓人の後ろを走っていた。
「ほんとにすごいな。お前の親父さん・・・」
「う、うん・・・」
悠子も戦う拓人の姿を初めて見た。圧倒的な実力に目を見張りながら、足を動かす。
「悠子。確か、お前の父親の名は拓人といったか」
「あ、はい」
精霊王に父の名を聞かれ、悠子は頷く。
「精霊王、知っているんですか?」
葉扇が声を上ずらせ、聞く。
「知っているというか、何年か前に、風の精霊達が噂していたのを思い出してな。鈿女の巫子で、外道巫子と呼ばれている男がいると」
「外道巫子ぉ?」
葉扇は、すっとんきょうな声を上げた。悠子は目を瞬かせ、精霊王の話に耳を傾けた。
「その男は、現世にさ迷う霊や怪我をした妖などには優しいが、悪さをしていた霊や妖霊に対しては容赦がなかった。一撃を与えて叩きのめしてから、上げて落とし、さらにすり鉢でごりごりと削るように脅しをかけるという手法で、相手を高天原や根に送っていたらしい。例えば、女性の体を乗っ取って、万引きをしていた男の幽霊に対して、急所を踏みつけながら、『死んでまで盗みをするとは、性根まで腐ってるな。いいだろう。高天原に送ってやる。だが、良く覚えておけ。俺はお前の氣――気配を覚えている。お前が転生し、また犯罪をやらかしたら、今度はその手を――大事な大事な商売道具を潰してやるからな。なに、偶然、手がなくなるなんてことはよくあることさ』。そう言って、それはそれは凶悪な笑みを浮かべたそうだ。それを見た霊は、そばにいた猿田彦の巫子にすがりついて、『根に送ってくれ!高天原は嫌だ!』と泣いて頼んだという」
通常、巫子や鬼討師は、生き物や植物、果ては物に宿る氣を感じ取ることができるが、転生した者の氣まで分かるわけではない。
男が霊に対して言ったことは、はったりだった。悪さをする霊や妖霊――巫子の中では荒御魂と呼ぶ――を根に送るためとはいえ、なんとも荒っぽいやり方だった。
「その男が、悠子の親父さんってわけですか・・・」
「あぁ。風の精霊達が、男は鈴原拓人と名乗っていたと言っていたし、眼鏡をかけて、優しそうな顔しているのに、口にする言葉が全くの真逆で、しかも本気の氣を発していたから怖かったと言っていた」
(お父さん・・・)
悠子は、妖達をちぎるように放り投げていく拓人の背中を見る。
父からは、巫子としての仕事内容を聞いたことはない。あまり楽しいものではないと口を濁して、教えてはくれなかったからだ。だが、精霊王のいう外道巫子が拓人なら、納得だった。本気で脅して根に落としていたなどと、幼い娘に言えるわけがない。
今聞いても、衝撃的だが、それでも納得はできる。半分、呆れが入っているが。
そういえば、子供や大人たちを転ばせ、大怪我をさせた影の妖霊、影操を送る仕事を、達騎とともに行うことになった時、名乗った悠子に対し、彼は、父の名を聞いてきたのだ。悠子が拓人の名を告げると、突然、顔を青ざめさせ、達騎に『頼む!根に行かせてくれ!』と涙目になりながら、すがりついたのだ。
あの影操が拓人の事を知っていたなら、あの反応も当然といえた。
「おーい、悠子、大丈夫かー?」
精霊王の肩に乗った葉扇が片手をひらひらと悠子の前に翳す。
「え、あ、うん。大丈夫」
悠子が返事を返すと、葉扇は訝しげな眼で悠子を見た。
「本当か?」
「うん。お父さんが昔そういう方法で仕事をしてたっていうのが衝撃的だっただけだよ。今は医者の仕事一本だし、修行はつけてもらってたけど、巫子をやってた時のことは話してもらえなかったから」
「えっ・・・。それって大丈夫って言わないんじゃ・・・」
葉扇は目を丸くし、口を半開きにする。悠子は首を振り、再び同じ言葉を口にした。
「大丈夫。後で、お父さんにきっちり聞かせてもらうから」
衝撃と呆れが半分半分。そして、苛立ちが少しだけ、悠子の心にあった。
悠子が聞かなかったとはいえ、成長したなら話してくれてもよかったはず。
その事実が、娘として巫子として信用してもらえていないようで悲しかった。
「そ、そうか・・・」
戸惑いながらも頷く葉扇から、悠子は正面に視線を戻した。
拓人に投げ飛ばされ、弾き出された妖達がアスファルトに倒れているのを目の端に捉えながら、いぶした金色がアクセントになった朱色の電波塔が見えた。
「輪音タワーだ。二人とも、気を引き締めろ」
精霊王が、多少緩んだ雰囲気を締めるように真剣な声を上げた。
「はい」
「了解です」
悠子は頷き、葉扇も答えた。
拓人が壁の妖――ぬりかべを吹き飛ばすと、二十歩先に輪音タワーの入り口が見えた。
達騎はすでに中に入っているだろう。
唇を引き結び、駆ける足の力をさらに強くする。
拓人を先頭に、悠子、精霊王、葉扇が入り口に足を踏み入れようとしたその時だった。
「相変わらず容赦ないですね、拓人おじさん。医者より格闘家になった方がいいんじゃないですか?」
タワーを支える柱の陰から、従兄弟の竜士が姿を現した。
白の着物の下に青い袴を身に着け、足には足袋と草履を履いている。
それは、鈿女の巫子の男性用の正装で―青禮装束―と呼ばれるものだった。女性用の正装は、緋禮装束と言う。
これらは糸引き娘と呼ばれる妖が紡ぐ糸で織られ、火や水、酸に強い。
死してなお、特殊な能力を残す妖霊や妖を相手にするには、この装束はかかせなかった。ある意味、仕事着といってもいいだろう。ただ、日にちも時間も関係なく、仕事に駆り出される場合もあるので、巫子達もそうそう着替えていられない。私服で行うことも多かった。
「竜士兄さん!」
都内で出会った竜士がここにいるということは、ここの騒ぎを誰かから聞きつけたのか、または氣を感じて駆けつけてくれたのだろうか。
悠子が笑みを浮かべながら、駆け寄る。
彼もいるなら、さらに心強い。
「兄さん、私達、このタワーに用があるの。もし、手伝ってくれるなら」
嬉しいと言葉を紡いだ刹那、思ってもみない台詞が竜士の口から零れ出た。
「悪いが、・・・お前達をここに通すわけにはいかない」
「え」
その台詞が悠子に浸透するより早く、竜士が指をパチンと鳴らす。
すると、竜士と同じように柱の陰から、幾人もの妖と人間が現れた。
妖は獣の姿をしたものから人型のものと多種多様におり、人間はその手に妖の氣を帯びた武器を手にしていた。
「兄さん!これは一体どういうこと・・・!!」
竜士の行動から推測はできたが、悠子は信じたくなかった。直接、竜士の口から聞きたいと思った。
「見ての通りだ。お前達を鵺のところに行かせるわけにはいかない」
表情を変えることなく、淡々と竜士は言った。
「鵺」と告げられたことで、悠子は推測が当たっていたことに絶望する。だが、それでも信じたかった。面倒見の良い、優しかった竜士が。鈿女の巫子の時期当主として期待されている従兄弟が。
鵺の横暴に力を貸したのには何かのっぴきならない理由があるのだろうと。
「どうして!?どうして、鵺に・・・!何か理由があるんでしょう!?」
「理由か・・・」
竜士の瞼が軽く考え込むように伏せてから、数秒もしないうちに開く。その瞳には、暗い光が宿っていた。
「理由は簡単さ。俺はこの世界を壊してもらいたいんだよ。巫子なんていうふざけた存在がいるこの世界を」
「壊すって・・・」
絶句する悠子に、竜士は自嘲気味に口の端を上げると、言葉を続けた。
「見えない奴らを相手に戦うのも、顔も知らない誰かを救うのも、もうたくさんなんだよ。それに、いい加減、期待されるのもうんざりだ。だから、壊して、巫子なんていない世界を作る。鵺は約束してくれた。俺の願いを叶えると」
「兄さん・・・」
向かい合う笑顔の裏で、そんなことを思っていたとは。
かける言葉が見つからず、悠子は、竜士の顔を見つめることしかできなかった。
「何が壊したいだ。馬鹿か、お前は」
背後から、拓人の声が聞こえる。その声は、心底呆れを含んだものだった。
振り返れば、声と同様、眉を寄せ、呆れた表情を浮かべる拓人がいた。
「お前はただ、当主になるのが嫌なだけだろう。期待され、責任を負わされるのが苦しいだけだ。それを、世界を壊したいという御大層な理由で逃げやがって。嫌ならやりたくないとなぜ言わなかった?反抗期が遅いぞ」
荒く言葉を遣いながら、鷹のように鋭い光を宿した瞳を、拓人は竜士に向けた。
「あんたには分からないさ!初めから期待される人間の気持ちなんか!親戚どころか、親にさえ上に立つ者となるよう期待されているんだ!そう簡単に嫌だと言えるわけないだろう!!」
拓人の言葉が癪に障ったのか、竜士は怒気を露わにした。
「確かに俺には分からないが・・・。だが、恭平もお前の母の花凛も、お前が本気で嫌だと分かればそれを無理強いさせることはなかっただろう」
「そんなの分からない!あんたに俺の親のことがわかるのか!?」
「なら、お前は二人のことが分かっていたのか?俺には、お前が自分で自分を縛り付けていたように思えてならない」
「うるさい!!黙れ!!」
まるで、癇癪を起こした子供のように竜士は叫ぶ。そして、悠子達を仇のように睨みつけると、人形のように静かに並ぶ、妖と人間達に向かって命令した。
「お前ら、こいつらを叩きのめせ!!」
次の瞬間、妖達と人間が雄叫びを上げながら、悠子達に襲い掛かってきた。
彼らの目には、殺意と怒りが溢れていた。
「竜士兄さん!!」
襲ってくる彼らを柔術で制しながら、悠子は叫ぶ。
期待していた側である悠子の言葉を竜士は望まないだろう。けれど、それでも言わずにはいられなかった。
「私は、兄さんが好きだよ!巫子の仕事が好きじゃなくても、私に優しくしてくれた、兄さんが好き!!だから・・・!」
もうやめて、と口にしようとした瞬間、ノコギリのような大刀を振りかぶる中年の男が目の前に現れた。
鮫の歯のように鋭い、細かなギザギザの刃が悠子の頬を掠める。
紙一重のところで躱し、悠子は男の鳩尾に拳を叩きつけた。
妖と人間の集団は怯むことなく、果敢に襲い掛かってくる。
「これではキリがない!さっきの二の舞だ!」
術を使い、彼らを弾き飛ばしながら、精霊王が言った。
「でも、ここを切り抜けないと、タワーにはいけない!」
つま先を踏みつけ、時に肘鉄をくらわせ、または柔術を使いながら、悠子も答えた。
その時だ。
ドゴォッ。
壮大な破壊音を響かせ、悠子と精霊王が相手をしていた妖や人間達の体が横に吹き飛び、煉瓦造りのアスファルトに叩きつけられ、道ができる。
「お前達は先に行け!」
数十人もの妖と人間を一人で捌きながら、拓人が叫んだ。
「俺はこいつらと、あの馬鹿甥をどうにかする!!」
いつもの穏やかな口調はどこへやら、荒々しいが力強い口調で拓人が告げる。
「悠子!」
精霊王が促すように悠子の名を呼ぶ。
迷ってはいられない。悠子が、今できることは、達騎の復讐をやめさせ、鵺を止めることだ。
「お父さん、竜士兄さんのこと、お願い!!」
拓人に竜士を任せ、悠子は、精霊王と葉扇とともにタワーの入り口に向かって走った。




