【堕天使ルシファー】
「ほお? こいつは懐かしい! ……それで、そのナマクラを手に入れてどうするつもりだ?」
アバドンが不敵な笑みを浮かべ、ルシファーを嘲笑する。
「ナマクラねぇ……。これでもそんなこと言えるかしら!?」
ルシファーの叫びとともに、瞬く間の神速で『ルシフェル』が一閃された。
――キィン……ッ!
甲高い金属音が響き渡ると同時に、アバドンの胸元からズバァッ! と大量の鮮血が勢いよく噴き出す。
「どう? これが聖剣の力よ!」
強気に言い放つルシファーだったが、その心の中は強烈な戦慄に支配されていた。
(な、なによこの剣……凄まじいなんてものじゃないわ……。こんなもの、誰が使っても最強になっちゃうじゃない……!)
「ほう……。貴様ほどの天剣の才能は見たことがないぞ」
突如、切り裂いたはずのアバドンの声が、ルシファーの真後ろから響いた。
「……は?」
思わず漏らした呟きと同時に、刀身をガッ! と素手で掴まれる。
「変わらないな……。ん? なんだこの封印は……」
アバドンはルシファーの握るルシフェルの刃を自らの顔の前に引き寄せ、ひとりごちる。
「ちょっ! なにやってんのよ!」
ルシファーが思い切り剣を振り払うと、アバドンは軽やかに跳んで元の位置へと戻った。
「いいじゃないか。前の飼い主に会えて、ルシフェルも喜んでいるだろう?」
「は? 何言ってんのよ。前の飼い主?」
「そうだ。私はかつて、そのルシフェルとともに天界……そして魔界へと侵攻したのだ。もっとも、あまりにナマクラすぎて途中で捨てたのだがな。……しかし、その封印はなんだ。私が使っていた頃の半分も力が出ていないじゃないか」
「な、何を言ってるのよ! ……まあいいわ。とにかく、こいつであんたを斬る。そうすれば何の問題もないわ!」
「面白い! その気概、受け取ろう!」
アバドンはニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、両手をパッと広げて無防備に立ち尽くす。
「なによ、かかってこいってこと? さっきの傷もいつの間にか消えてるし、随分余裕じゃない」
ルシファーは再び聖剣を深く構え直す。
「じゃあ、遠慮なく行かせてもらうわ」
彼女が踏み込むと同時に、ルシフェルの刀身が目も眩むような眩い光を放ち始めた。
「あれが……ルシファーを天界一の天剣使いと言わしめる極致の技……『崩天』……」
崩落した瓦礫の上から、ミカエルが息を呑んで見上げる。
「悔しいけれど、あいつは同期の中でも抜きん出すぎている天才中の天才でした。そしてあの技……かつて天界の一等星である『天峰星』を斬り落としたことからついた名です」
ボロボロのミカエルを助けるために来たガブリエルが呟く。
「君は見たことがあるのだろう? あの技を……」
「見た……と言えば半分正解という感じですね。正直、目視しても何も分からなかったし、捉えきれなかった。『気づいたら星が落ちていた』という事実だけが残ったんです」
「これで決まってくれるといいんだが……。悔しいが今の大天使は、カマエルが破れた時点でもう勝ち目がない」
二人の視線の先で――
キィィィィィン……!
澄み渡る甲高い音とともに、天界全体を照らすほどの閃光がルシフェルから溢れ出す。アバドンはその輝きを前に、歓喜で唾液を垂らさんばかりに目を見開いた。
「いくわよ……。『崩天』」
ルシファーが動いた。
その動きは、下で見守る大天使たちはもちろん、あのアバドンすら反応を許さなかった。
高い位置に柄を持ち、水平に寝かせたルシフェルが、緩やかに、そして静かに斜め下へと振り下ろされる。
決して目にも留まらぬ速さの振りではなかった。だが、誰もがその美しい軌跡に見惚れ、指一本動かすことすら赦されなかった。
「……素晴らしい」
ぽつりと呟いたアバドンの身体が、滑らかな断面を残して上半身と下半身に真っ二つに分かれた。
「……まだよ」
ルシファーの冷徹な声が響く。
次の瞬間、アバドンの肉体は縦横無尽に何千、何万という微小な立体へと細切れに刻まれ――最後は一粒子も残さず消滅した。
「お、終わった……のか……?」
ミカエルが茫然と呟く。
しかし――
「がっ……!? あがっ……!?」
直後、空中を浮遊していたルシファーが頭を抱え、苦悶の悲鳴をあげて悶え始めた。
「どうした!?」
「え!? ちょ、私見てきます!」
ガブリエルが飛び立とうとした、その瞬間。
『やはり……ルシファーの力に、封印が耐えられなかったか……』
天から重厚で無機質な声が響き渡った。
「「神様!?」」
『聖剣ルシフェルは、その強すぎる力が再び邪なる者に扱われるのを防ぐため、真の威力を抑える強い封印が施されておったのだ』
「アバドンが言っていた封印ですね……!」
『そうだ。ルシファーの潜在能力があまりにも強大すぎたため、剣の封印が無理やり破られたのだ』
「うがぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫しながら空中で激しくのたうち回るルシファー。
「あいつは……ルシファーはどうなってしまうんですか!?」
『このままだと天使としての形を保てずに消滅する……。あるいは、堕天して悪魔となるであろう』
「そんな……!?」
『そして、そうなったが最後、自我を失って暴れ回る危険性もある。だからそうなる前に、こやつを消滅させねばなるまい』
「お、お言葉ですが……! ルシファーは天界を救った英雄ですよ!? そんな彼女を……!」
『そうか? ならばお前が、自我を失うルシファーを止められるというのか?』
「くっ……それは……」
ミカエルが言葉を詰まらせた、その時だった。
「うっ……! うがぁぁぁぁっ! がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
引き裂くような叫び声とともに、ルシファーの背中から純白の翼がバサバサと抜け落ちていく。
それと入れ替わるように、彼女の背からは禍々しい漆黒の翼が、お尻からはしなやかな黒い悪魔の尻尾が勢いよく生え揃っていった。
『ふむ。やはり……堕天したか』
「うっ……! うっ……! ウガァァァァァァァァッ!!」
苦しむルシファーに向け、ガブリエルが必死に叫ぶ。
「ちょっと! しっかりしなさいよ! あんたにはウリエルがいるでしょ!!」
その言葉が響いた瞬間――
「……っ。……うるさいわね……」
さっきまでの狂乱が嘘のように、ルシファーが静かに言葉を漏らした。
「……え? あんた、意識を取り戻したの……?」
「はぁ……はぁ……。なんとかね……。……ただ」
気怠そうに、ゆっくりと天を見上げるルシファー。
「え……?」
ガブリエルとミカエルも思わず視線を天へと向ける。
『自分自身、よく分かっているようだな。先ほども言ったが、お前はもうこの天界には置いておけぬ。堕天して悪魔となったお前の居場所は、ここにはない』
神が無慈悲に宣告する。
「ふっ……。ここを救った英雄様を……まるで裏切り者みたいな言い方ね」
『お前が話を最後まで聞かずに、その剣を握った結果だ』
「ああしなきゃ今頃天界はなくなってたでしょ? ……はあ。まあいいわ。別に前からここは好きじゃなかったし。あんたらと戦う余裕もないから、大人しく魔界に行くわ」
「ちょ、ちょっと! ウリエルはどうするのよ!? あの子はあんたのことを姉のように……!」
「あの子は私がいなくてもやっていけるわよ。……そうね。私がアバドンにでも魅入られて裏切ったことにでもしておいてくれる? 強くなって、裏切り者の私を殺しにきてくれれば楽しそうだわ」
ルシファーはそう言い捨てると、新しく背に宿した漆黒の翼を力強く広げた。
「ちょっと待ちなさいよ!」
叫ぶガブリエルの手を振り切り、彼女は一筋の黒い流星となって天界の空を破り、飛び去っていった。
こうして、天界を救った大天使ルシファーは天を追われ、魔界へと堕ちる悪魔となったのだった。
……………
「フッ……あの天使……やってくれたな。まさか、天界でも魔界でもない『下界』へと飛ばすとは……。それに、ここまで分解されたら復活にどれほどの時間がかかるかも分からぬな。……まあいい。ここにも面白そうな奴らがいるみたいだから、存分に楽しめそうだ。フッフッフ……ハッハッハッハッハッハッハ!」
――激闘の影で蠢く不吉な高笑いが、やがて来る新たな波乱を予感させていた。




