『古びた洋館と、ブレない悪魔たち』
「さ、ついたわよ」
エヴァが足を止めて振り返り、胸を張った。
「な、なによここ……。ちょっとおっかなそうじゃない……」
ルシファーが、いつもより数トーン低い、少し怯えたような声をあげる。
エヴァがルシファー、ベルフェゴール、ベルゼブブの3人を連れてきた場所――。そこは、都会の喧騒から外れた森の奥に佇む、もはや整備すら何年もされていないような、バカでかい洋館だった。
庭の芝生は荒れ果てて雑草が伸び放題、建物の外壁には這うような蔓植物が不気味に絡みついている。
「……臭い……」
ベルフェゴールが小さな鼻をぴくぴくと動かした。
「カビの匂いね。古い建物なんだから気にしなくていいわ」
エヴァは気にする風でもなく、スタスタと荒れた庭を突き進んでいく。
「なあエヴァ、ここに美味い飯があるのか……? ゴクッ……」
「……飯はないわよ。目的を履き違えないで」
よだれを垂らすベルゼブブに冷たくツッコミを入れながら、洋館の重々しい入り口に到着する。エヴァは何の躊躇もなく、錆びついたインターホンを力強く押し込んだ。
「ちょ! ちょっと! あんた何やってんのよ、いきなり!」
ルシファーが慌ててエヴァの袖を引っ張る。
「なによ? 偉そうな悪魔のくせに、こんな古びた家にビビってるの?」
「びっ、びびってないわよ! これくらい余裕なんだから!」
ルシファーが必死に平然を装って胸を張った、その時だった。
『……はい』
インターホンから、地を這うような、しわがれた老人の声がスピーカー越しに響く。
「ビクゥッ!?」と、ルシファーの体がわかりやすく跳ね上がった。
すると、それまで凛々しい顔をしていたエヴァが、突如として顔の筋肉を極限まで柔らかくした。
「あ! 世界エクソシスト協会のものですぅ〜〜!」
「……え?」
いきなり裏返ったような黄色い可愛い声色で喋り始めたエヴァに、悪魔3人の間に戸惑いのざわつきが広がる。
『……どうぞ』
「あっ! はぁい! 失礼しまぁーすっ!」
甲高い声を維持したまま通話を切ったエヴァに、ルシファーがドン引きしながら小声で囁いた。
「なによあんた……キャラ崩壊してんだけど……」
「うるさいわね。大人の営業スマイルよ」
エヴァは一瞬で元の鋭い目つきに戻ってルシファーを睨みつけると、扉に手をかけた。
エヴァたちが扉の前に立つと、ギギギィ……と、まるで悲鳴のような気味の悪い音を立てて、巨大な木製の扉がひとりでに開いていく。
「なによこれ……気味悪い……」
「……ルシファー……怖いなら、お家帰ってもいいよ……?」
ベルフェゴールが眠たげな目でルシファーを見上げる。
「なっ、ナメんじゃないわよ! あんたに心配されるほどヤワじゃないわ!」
ルシファーが強がって一歩踏み出すと、エヴァが「シーッ!」と人差し指を口元に当てた。
「あんたたち、今日はお客さんの家なんだから、静かにしてなさいよ」
「へーい」と、ベルゼブブだけが緊張感のない返事をする。
洋館の中は、昼間だというのに窓が遮光カーテンで閉め切られており、明かり一つなく真っ暗だった。
「なによここ、電気も通ってないの?」
ルシファーが不満を漏らした、その瞬間。
暗闇の奥から、ヌッ、と腰の曲がった老人の男性が音もなく歩いてきた。
「ひいっ!?」
「静かにしてなさいってば!」
ルシファーの短い悲鳴をエヴァが肘打ちで制する。
老人は顔に深い皺を刻んだまま、静かに口を開いた。
「……お待ちしておりました、エクソシストの方々。私はこの家に住んでおります、鈴木と申します」
「どうも〜。依頼内容は協会から何となく聞いてますけど、まずは詳しく説明いただけますか?」
エヴァが慣れた調子で話を進める。
「……はい。では、こちらへどうぞ」
鈴木が館の奥へと歩き出すと、エヴァは迷わずその後を追った。ルシファーたちも、恐る恐る顔を見合わせながらついていく。
鈴木が向かった先は、薄暗い廊下とは打って変わって、意外にも綺麗に片付けられた豪華な客間だった。天井のシャンデリアには明かりが灯り、中央にはふかふかの高級そうなソファが鎮座している。
「……どうぞ、お掛けください」
鈴木に促され、4人はソファに腰を下ろした。
「おおおおお!」と、明るい部屋とふかふかの座り心地に、ベルゼブブが久しぶりに嬉しそうな声をあげる。
しかも、ソファの前のローテーブルには、これまたお高そうな格式高いクッキーやケーキなどのお菓子と、淹れたてのお茶が並べられていた。
「ちょっと、ベルゼブブ――!」
エヴァが制止するのを完全に無視して、ベルゼブブは「いただきまーす!」ともの凄い勢いで高級菓子をバクバクと食べ始めた。
「……あんた、この状況でよくそんなに食べられるわね……心臓に毛でも生えてんの?」
ルシファーが呆れ顔でそれを見る。
「ルシファーも食えよ! これマジで美味いぞ!」
「いいわよ、私は。ていうか、ベルフェゴールもソファに座った瞬間にもう寝てるし……」
「スピー……スピー……」
ルシファーの指摘通り、ベルフェゴールはふかふかのクッションに埋もれ、早くも気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「……あの、お連れの方々は、大丈夫ですか?」
鈴木が心配そうに、お菓子を詰まらせかけている赤髪の女と、爆睡している幼女を見つめる。
「え……ええ! 安心してください! 彼女たちは我が協会の……その、精鋭、ですので! ははは……」
エヴァは引きつった笑顔で誤魔化すと、ぐっと横の3人を睨みつけ、「あんたたちいい加減にしなさいよ!」と般若のような顔で小声で怒鳴った。
ゴホン、と鈴木が小さく咳払いをする。
「……では、今回の依頼について説明させていただきます」
老人の目が、すっと深刻な色を帯びた。
「今回の依頼は……妻に取り憑いた『悪霊』のお祓いでございます。妻は5年ほど前から様子がおかしくなりまして、奇声や暴力がだんだんと酷くなっていきました。今ではまともに会話することすらできず、ここ一年くらいは、二階の奥の部屋に閉じ込めてあります……。途方に暮れていたところ、知り合いの住職からエクソシストの噂を聞きまして、今回の依頼に行き着いたわけであります……」
「なるほど……事情は分かりましたっ! 私たちにお任せください!」
エヴァがポンと胸を叩いて元気よく引き受ける。
「……ありがとうございます。では、私はお菓子のおかわりを持ってまいりますので、少しここでくつろいでいてください」
鈴木は静かに一礼すると、部屋を出ていった。
老人の足音が完全に遠のいたのを確認して、ルシファーがソファから身を乗り出した。
「ちょっと! なによ『悪霊退治』って! 聞いてないわよ!」
「なによ、お金稼ぎたいんでしょ? なら、あんたたちみたいな暴力担当にはうってつけじゃない」
エヴァが澄ました顔でお茶をすする。
「うっ……! ――そもそも、その『悪霊』ってなによ? 私たち悪魔とは違うわけ?」
ルシファーの疑問に、エヴァは人差し指を立ててレクチャーを始めた。
「この人間界ではね、死んでから現世に未練を残して悪さをする人間の魂の存在や、超常現象的な危険生物、そしてあんたたちのような『悪魔』のことを、総称して【悪霊】って呼ぶのよ」
「なっ……じゃあ、私たちみたいな、可愛くて優しい悪魔は悪霊じゃないってわけね!」
ルシファーがふふんと胸を張ると、エヴァは冷酷な一言を突きつけた。
「あんたたちはド直球で『悪霊』よ」
「うー!!!」
お互いに至近距離でメンチを切り合い、バチバチと火花を散らすルシファーとエヴァ。
だが、ルシファーはふんと鼻を鳴らして視線を外した。
「ふん! まあいいわ。要はその二階にいるっていう悪霊を、ボコボコに倒せばいいのね?」
「そうよ。最初からそう素直に言えば可愛げがあるのに」
エヴァがニヤリと笑う。悪魔としてのプライドを刺激されたルシファーも、やる気になってきたようだ。
その時、二人の間に、信じられないほど空気の読めない声が割り込んできた。
「なぁー? 二人とも、それより早くあのジイさんに『おかわり持ってきて』って言ってくれないか? 足りねえんだけど」
口の周りをチョコレートまみれにしたベルゼブブが、空になった皿を掲げている。
「「あんたはいい加減にしなさいっ!!!!」」
エヴァとルシファーの声が完璧に重なり、凄まじいツッコミの怒号が客間に響き渡った。
そんな大騒ぎの二人の横で、ベルフェゴールは「スピー……」と、何があっても起きない強い意志を持って、幸せそうに眠り続けるのだった。




