第6話 鐘離山
森をしばらく歩くと小川にあたり、小川を下るとまた湖のように大きな川に突き当たり、その合流するあたりに小舟が何艘か泊めてあった。
僕らはその小舟に分けて乗せられ、だいぶ傾いた太陽の方向に向かって、船は進んでいった。
川は、本当は湖ではないかと思うほど波が静かで、浅いところでは川底の水草までよく見えた。
一体どこに連れて行かれるんだろう、という不安もあったけど、ゴリさんと簡さんがおとなしくしているので、彼らと知り合って日も浅いながら、僕への害意はないんじゃないかという程度には信用してきていて、そういう意味では身の危険というものは感じなかった。
前の船が水面につくる波が夕日に反射して輝いているのをぼんやりと眺めたり、前の船に大きな白い虎が座っている後ろ姿を見て驚き、そういえば大男が虎の毛皮を羽織ってるんだった、と思い出して胸をなで下ろしたりして、つまるところ優雅な船旅を楽しんだ。
困るのはやはり椅子がないことだったが、この時はお尻が痛くなる前に目的地に到着した。
その場所は、川の中ほどに浮かぶ島で、島というより山のように切り立っていた。地名も、「鐘離山」と言い、島ではなく山として呼んでいた。
江ノ島ほどの大きさのその「鐘離山」には、とても長い柱で支えられた木造の家々が斜面に所狭しと建っていて、麓には沢山の小舟が泊まっていた。
家々からは、夕食の支度をしているのか、煙が立ち上り、船着場には地べたにゴザを敷いて魚や野菜を売る人、またそれを買い歩く人で賑わっていた。
僕たちは船を下り、虎皮の男は僕たち三人だけ連れて、道を登っていった。
他の男たちは、獣や枯枝などの積荷を処分するようで、船着場に留まった。
虎皮の男がすれ違う人々と言葉を交わすのを後ろから見ながら、僕らは幾重にも折れ曲がる坂道を登り、山の中腹あたりの門と壁に囲まれたひときわ大きな建物に連れて行かれた。
門をくぐるとすぐに玄関があり、床に上がり廊下を進むと大広間があった。
大広間の一番奥の一段上がったところには、赤い着物を着た年老いた男が一人座っていて、その傍らには大小二頭の白虎が寝そべり、首だけ上げてこちらを見ていた。
その老人は、長髪を頭頂部で縛り上げ、いわゆる鳳眼というような切れ長の鋭い目をしていて、肘掛に寄っかかり一見くつろいだ格好をしているが、その炯々とした眼光は僕を怖気付かせるのに十分だった。
広間の両脇には、赤や黒の着物を着た男たちが四、五人ばかり座って、やはりこちらを見ていた。
僕たちが広間に姿を現すと、その老人は見据えるやいなや鋭く怒鳴り、すると僕らを連れて来た白虎の大男は急いで羽織っていた白虎の皮を取って腕に抱きかかえ、小さくなって小走りで老人の前まで移動して、その毛皮を老人に差し出した。
大男が毛皮を取った姿を見ると、意外に若く、僕と同じくらいの年齢のように見えた。
老人はその毛皮を奪い取ると、大事に背後の衣紋掛けに掛け、それから長いこと若者を大声で叱りつけていた。
もちろん何を言っているのかは分からないが、若者が正座して縮こまって聞いているのを見ると、何か叱られるようなことをしたのかなと推測できる。
そのやり取りに業を煮やしたのか、ゴリさんが割って入り、僕らのことを指しながら老人に話し始めた。
老人はそれに気づくと居住まいを正し、細い目を見開きじっと話を聞き始め、それから時折重々しく短い質問を発した。
やがて簡さんも入って三人で会話が始まり、僕はどんなやりとりがされているのか分からずにつっ立っていた。
しばらくして突然老人に呼ばれて、老人が木の床に書き出した字を見て、名前を聞いているようなので、筆を受け取ってやはり床に『乾司』と書くと、老人は体を仰け反って大げさに驚いてみせた。
そしてまた簡さんが話し始め、僕の説明をしてくれてるのかな、と思いながら見ていると、簡さんは突然僕の方を向き、僕のポケットを指差して何かをつまみ出すジェスチャーをし始めた。
そのポケットには青山君の宝物だったタイガースのペンケースが入っていて、これでいいのかな、と不安に思いながらも取り出すと、簡さんはそれをひったくるようにして受け取り、そこに大きく描かれている、虎の横顔の絵を、老人に向かって見せた。
老人は今度は声を上げて身を乗り出して驚き、それから虎皮の若者や周りに座っていた他の者たちまで老人のそばに集まり、虎の絵を見て、目を輝かせて喚声を上げた。
それからしばらく彼らはペンケースを弄びつつ、何やら熱く話し合っていた。
一段落したところを見計らい、簡さんが何か言って、それを聞いて老人たちは喜びを爆発させ、彼らは順序入り乱れて僕らに抱きついてきた。
僕は彼らの喜ぶ姿にほだされて朗らかな気持ちでハグを返しつつも、不安になり簡さんのほうを見ると、簡さんもこちらに気づき、微笑みながら手をひらひらさせて、大丈夫、というような身振りをした。
しかし、それ以降ペンケースが僕の手元に戻されることはなかった。
それから、僕らはとても歓迎された。
豪華な料理と踊りと音楽というお決まりの三本建てで歓迎され、とてもにぎやかだったけど、楽しかったかというとそうでもなかった。
豚が一頭丸ごと焼かれて出てきて、さらにその頭が食事の間中ずっと僕らの方に向けて飾られていて、鶏も丸ごと一羽鍋の中に入っていて、そのどちらも虚ろな目で僕を見つめてくる。
また、どの料理もとても辛く、揚げ出し豆腐みたいな料理もあったので、これは大丈夫だろうと思って口にしたら、またそれがとんでもない辛さだった。
口を潤すにもお酒しかなく、元の時代でも当然飲みなれてはいなかったので、苦い、酸っぱい、としか思わず、よけい気分が悪くなった。
踊りと音楽のほうも、竹と木で作った笛と太鼓に合わせて、男女が混ざって盆踊りみたいな動作で踊っていて、見た目も日本人みたいだし、特に目新しさは感じず、むしろ日本の田舎のお祭りを見てるようで、どこか懐かしい感じさえした。
このとき僕の隣には、僕を連れて来た大男が座っていて、目を輝かせて満面の笑みで、料理をお椀にとってくれたり、お酒をついでくれたりするので、僕も微笑みを返しつつ我慢して食べるしかなかった。
他にも何人も僕たちのところに来てお酒を勧めていくので、僕はまずい酒を勧められるがままに飲み、挙句の果てには記憶をなくし、次に目が覚めたときは布団の中で、窓の外はすっかり明るくなっていた。
後で聞いたところによると、その夜僕はみんなに混ざって奇妙な踊りを踊り出したり、上半身の服を脱いで大男と相撲を取って、転がされて吐いたりと、色々と醜態を晒したらしい。
それから僕は長い間お酒を口にしなかった。
お酒は、まずいし気持ち悪くなるしで、僕の中ではしばらく、何故皆が飲むのか全く不思議な飲み物という位置づけになった。