第5話 邂逅
二日目の朝は、小鳥たちのやかましい鳴き声で、目を覚ました。
部屋には窓から朝の光が斜めに差し込み、またお粥と漬物だけの貧しい食事が既に用意されていた。
元の時代の夏休みの寝坊した朝みたいな光景だった。
違いといえば、朝食が部屋に持ってきてあることと、ラップで覆われていないことくらいだ。
僕はそんなことを考えつつ、寝床から這い出して、やはり味気のないお粥をずるずるとすすった。
朝食を食べ終わり、やはり用意されていた水桶で顔を洗い、部屋の外に出た。
少しウロウロして簡さんを探すと、簡さんは旅支度をすっかり整えていて、知らない人と何か話していた。
僕は一言声をかけてすぐに部屋に戻り、上着を取りに戻ると、上着が見当たらなかった。
あわてて外に出ようとして扉を押そうと手をかけると、突然扉が開いた。
前へよろけながら見ると、宿のおばさんのようで、僕の様子を見て笑い声をたてながら、手に持った僕の学生服を差し出してきた。
学生服は湿っていて、どうやら洗ってくれたようだった。
そう言えば、血がたくさん付いていたんだっけ、と思い、日本語で「ありがとうございます。」と言って、頭を下げた。
日本語は通じないだろうが、言えば気持ちは伝わる。昨日簡さんたちとやり取りしていく中で、そう学んだのだ。
おばさんは分からないなりに笑顔で頷いてくれ、僕も笑顔で服を受け取って、簡さんの元へ小走りで向かった。
学生服はまだ冷たく、身に付けることはできなかったが、道中で乾かせばいいや、と珍しく前向きになれた。
宿屋の入口に行くと、簡さんはもう道端に立って待っていて、道連れが一人増えていた。
その人は小柄だがガッシリした中年男性で、腰にはナタをぶら下げていて、肌は日に焼け、足は裸足で、手足の皮は角質層が何センチもありそうなくらい分厚くて硬そうで、顔にはシワが沢山あり、その一つ一つに垢が深く入り込んでいるかのように、深くて濃い色をしていた。
男は僕たちの先を黙々と歩き、簡さんと僕はその後ろをやはり黙ってついていった。
僕たちは、難民達でごった返す港を通り抜け、港の外れまで歩き、そこで船に乗り、二人の水夫に櫂を漕いでもらい、川を遡った。
その川は、清江という名前だった。長江みたいな幅はないものの、日本で見る川よりはかなり広く、流れもゆったりしていた。
天気もよく、風も穏やかで、学生服も午前中で乾いたので着ると、何だか少し、無事成都に着いて修学旅行をしているような気分になった。
しかし快適に感じたのは最初の数時間くらいで、その後はお尻が痛くてしょうがなかった。
椅子やクッションなどはなく、船の横板に直接座っているからだ。簡さんたちが平気そうなのが不思議でしょうがなかった。
そして、その日は夕方まで船旅で、夜には川沿いの集落の中の一軒に泊めてもらった。
簡さんや水夫さんたちがお酒を飲んで騒ぐのを背に、僕は藁の布団で寝て、翌日も朝から船旅だった。
その日の夕方は少し大きな村に着き、そこで水夫たちとは分かれ、その翌日からは陸路で、小柄の中年と簡さんと僕との三人で旅をした。
その間に低い山を三、四つ超え、道は獣道みたいに細く、決して楽ではなかったが、ガイドのおじさん――ゴリさんという名前だった。ガリだかゴリだか分からないが、ちょうどゴリラに似ていたのでゴリさんと呼ぶことにした――が先頭に立ち、手に持った鉈で草木を刈り取りながら、僕らが歩きやすいように道を切り開いてくれた。
ゴリさんとも多少コミュニケーションが取れるようになり、道すがら、蛮族の言葉を、挨拶や、木とか川とか、簡単な言葉について教えてもらった。
ゴリさんは、この付近に住む蛮族の人間で、蛮族の言葉と漢人の言葉を両方しゃべれるらしかった。
ちなみに「蛮族」という言い方は、野蛮な部族のようであまりいい表現ではないが、漢人である簡さんによると、大漢ではそう呼ぶそうで、ゴリさんによると、当然自分たちでは「蛮族」とは呼ばず、リンカと呼ぶという。
ゴリさんは先頭で鉈を振り回しながら、時折猿が喧嘩をするような甲高い奇声を上げる。
真似したいと思うほど僕も子供ではなかったが、未開の地を探検しているようで面白かった。
蛇や蜘蛛にも遭ったが、どれも動物園でしか見たことがなかったような、大きくて色鮮やかな姿だった。
こんなに呑気な感想しか抱かなかったのは、大人二人に挟まれて安心していたからかもしれない。
この日は、渓流沿いの岩場で簡単な野宿をした。
野宿もこの時が生まれた初めてだったが、昼間歩きづめだったからか、硬い岩の上でもあっさりと眠れた。
次の日の朝も早く起き、また山道を歩いた。
その日もよい天気で、朝の木漏れ日の中を、野鳥や虫の声、それから時折叫ばれるゴリさんの奇声を聞きながら、気持ちよく歩いた。
一旦人里を離れると、元の時代にいるような感覚になってくる。
ゴリさんの部族は元の時代でもこんな生活をしているのかな、なんてぼんやり考えながら、ゴリさんの後をついて歩く。
しばらく歩いて少し休み、またしばらく歩くと、峠に差し掛かるあたりで、遠くから獣が吼えるような音が聞こえてきた。
ゴリさんが奇声を返すと、今度は吼え声がより大きくはっきりと聞こえた。
ゴリさんは鉈を右手に構えながらも、速度を緩めずに進む。
後ろの簡さんの足音も静かになり、その緊張が伝わって来る。
口笛でも吹き出そうかという先程までの呑気な空気から、途端に緊張した空気に変わる。
僕は学生服の中でかいた汗をとても冷たく感じるようになった。
そんな中でも歩みは緩まず、時折謎の吼え声とゴリさんの奇声の掛け合いは続けられた。
緊張が続く中、僕は何か手に武器が欲しくなり、落ちていた木の枝を拾おうと腰をかがめた。
そのとき不意に、前方の茂みからガサゴソと大きな音がしたので、頭を上げてそちらを見ると、二メートル以上はあろうかという大きな白い虎が立ち上がってこちらを睨んでいた。
声の主はこいつだったか、どうしよう、死んだふりするんだっけ、虎って木に登れないんだっけ、どうするんだっけ、と気が動転したまま何もできないでいると、周りの茂みからもガサゴソという音がとともに、弓や槍を構えた半裸の男たちが現れた。
周りに現れた十人あまりの男は、武器を構えながら僕らを包囲する輪を狭めてきた。
僕に向いた矢もいくつかあって、彼らの一人が少しでもその矢を握った手を緩めたら僕の命はなくなる、と思うと、頭の中が真っ白になり、動くこともできなかった。
その間にも、白い大虎は正面から迫ってくる。
ゴリさんが大虎に声をかけ、大虎がまた何か吼えた。
すると、僕らを囲んでいた男たちは一斉に武器を下ろした。
僕は少しほっとして前の大虎に注意を向けると、虎かと思ってたのは実は人間の大男で、白い虎の毛皮をかぶっていただけだった。
男をよく見ると、背はかなり大きく、両腕には刺青か何かで模様が描かれており、筋肉は全身にほどよくついて引き締まっていて、無表情だが炯々と光を放つ両目が印象的で、どこか無邪気さを感じさせた。
男はゴリさんと二言三言交わし、ゴリさんが僕らについて来いと合図して、僕らは十数人の集団となりゾロゾロと森を歩いた。




