第十六話 一人の獣
扉を叩き壊す勢いで飛び込み室内に入ると、数名の冒険者と思われる男達の濁った視線が俺に注がれる、彼らの気配からは呪に操られた女騎士たちと同様の虚ろさが感じられた。
奴隷商の商館の中に呪持ちの影響を色濃く感じる、深く淀んだ空気は腐臭を孕み、呪持ちの低俗な欲望は底冷えするような陰気となって足元から這い上がってくる。
幽鬼のような犠牲者達は何かを小声で呟きながら剣を振り上げ襲い掛かって、口々に俺の心を削く酷く粘着質で不快でこびり付くような音を発している。
『おじさんもチートと一緒じゃないの?大いなる存在に逆らうとか言いながら、やっている事は変わらないじゃん』
目の前にいた冒険者風の男が少年の転生神の声で語りかけ、両手で槍を突きを繰り出してくるのを半身になってなんとか避けた。
避けながら槍の柄を掴み脇で挟んで引っ張る様にこちらに寄せ、そのまま蹴りを入れて無力化した、これはガルムンズに教えてもらったやり方で、槍で突っ込んでくる相手には有効だと教えられた技だ。
「ここに俺が居るのは俺達の歪んだ世界が産んだ、醜い欲望の帳尻合わせでしかない!」
呪の言葉に折れないよう気合を入れて叫ぶ、そうしないと心が折れてしまいそうな程の悪意と冷気を感じて身体が竦んでしまいそうになる。
『アナタが英雄ごっこをするために、また沢山の人を踏み台にするつもり?今までも沢山の人が犠牲になったわ、だからアナタとチートはこの世界にとって一緒よ?』
右手に居た剣を両手持ちした冒険者の一撃が横薙ぎで襲ってくる、それを何とか右手だけで持った刀で弾く、力負けして手が痺れて刀を落としそうになるのを歯を食いしばって何とか耐え、体勢を建て直して対峙する。
「これ以上の犠牲を出さない為に戦ってきた、確かに選んだ全てが正しいとは限らない!それでも自ら選んだ答で、この苦悩は己で抱えた俺自身が贖う罪だ!」
叫びながら目の前の相手と距離を取るが、新たな言葉聞こえてくる、それは俺にとって一番聞きたくない言葉の一つで、後ろから斧と同時に振り下ろされた。
『お主の選択の結果、ここにたどり着くために幾人の犠牲、どれだけの血が流れたか覚えておるのか?それはお主の願望と決意の結果じゃよ』
そのせいで反応が遅れて斧の一撃をもろに背中に喰らった、鎧によって凶刃は届きはしなかったが、衝撃に揺さぶられた肺は耐え切れず空気を吐き出してしまい、急激に空気を失った身体は泥のように力が抜けて、膝を折りそうになる。
「がッ!かひっ?!」
倒れてしまえば囲まれ滅多打ちにされ殺される未来しかない、霞んで途切れそうな意識で歯を食い縛り、前のめりに倒れそうな身体を右足を前に出して何とか支え、涙の滲む視界の中で無理やり息を吸い込み悪意に負けぬように叫び返す。
「数えきれない程の世界、数えきれないほどの人々を俺は救うことが出来なかった、だからこそ諦めれば全てを無駄にしてしまうだけだ!」
そんな俺を嘲笑うかのように視界の端から円形の盾が俺の顔面を覆うように襲いかかる、一瞬暗くなった視界に火花を幻視すると、次の瞬間には口内に鉄錆の味が広がっていく。
「おごっ!?」
『貴様を望む者など大いなる存在にはおらん、貴様こそこの世界にとっての害悪でしかないのじゃ』
口内にたまった血を吐き捨てながら左足に力を入れて、盾持ちの男のがら空きの腹に刀を握ったまま右手で拳を叩き込みながら、俺は心に宿る思いを吐き出していく。
「そんな事はない!俺は多くの人に救われて多くの思いに支えられてきた、だからこそ今まで生きてこれた、この思いをお前たちは偽物だというのか!」
『そんな物アナタが勝手に一人で感じているだけの、とても愚かな幻想に過ぎないわ』
斧持ちの男が語る女の声が振り下ろされる斧の風切り音を道連れにして聞こえてくる、今度は逆にこちらから軸をずらすように体を当て、鎧の曲線を利用して攻撃を弾いてやる。
「それでも最後まで俺はあがき続けてやる、人に希望を示せない人間になどなりたくはない!」
叫びながら相手の顎に肩を当てるように突っ込み吹っ飛ばすと、斧を持っていた男は壁に激突しそのまま崩れ落ちていく。
そうして俺以外は誰も動く者が居ない部屋の中を見回し、彼らを無力化出来たのを確認すると俺は呪持ちの気配を色濃く感じる奥に向かって走りだす。
自らに振りかかる呪の言葉を跳ね除けるように強く心を持つが心は摩耗していく、自らを否定する言葉を聞き入れ歩みを止めた瞬間、それは大いなる存在にとって全て現実になるだろう。
『そんなのおじさんの傲慢だよ、酷いよ!転生者だって楽しく生きているんだよ!?』
咆哮を上げ無様な姿を晒しながら、次々と繰り出される目の前の犠牲者の攻撃を避け、反撃を入れて商館の奥へと駆け込んでいく、刀を使わずに無力化しているせいで生傷が増えていく。
『お主は彼らの活躍を楽しみにする、大いなる存在の純粋な心を痛めつけて楽しいのか!』
途中で何度も攻撃に鎧が悲鳴を上げ、その度に鈍い痛みや鮮血が流れ体の動きは鈍くなっていく、それでも己が望む未来の為には前に進んでいくしかない。
『アナタの身勝手な思いなんて無意味よ、そんな傲慢な思いを誰も聞き届けなんてしない、アナタみたいな不遜な人間は滅んでしまえばいいわ』
大いなる存在や転生神の望む未来、それと少しでも違う未来を望む事も許されず、逆らうなら滅べと言われるのであれば、俺に残された事はその滅びに全力で抗う事しかない。
例えそれが多くの存在に可怪しいと言われたとしても、俺にとってはこの世界を見捨てる理由になどなりはしない、この世界の未来はここに住む全ての人々が自らの手で掴むものであって欲しいと願う。
「うおおおお!」
そうして暗く長い廊下で何人かの見張りを無力化し乗り越え、ようやく辿りた一番奥の扉を蹴破ると、目の前には粗末な貫頭衣に身を包んだ美しい白と銀糸で出来た少女、レーミクが目に映る。
思い出も記憶も奪われ、人としての尊厳さえ掠め取られ錆びた鎖に両手両足を繋がれ床に伏しては絶望したように床を見つめていた。
ここまで諦めず救いたいと願った少女の姿を見た瞬間、全てを置いてでも駆け込もうとする俺と彼女の間に、呪持ちの青年とどこかの役所の管理職のような空気を持つ奴隷商が左右に別れ、地獄の門番のように立ち塞がる。
「お客様、という訳ではなさそうですね、そのような格好で何用でしょうか?」
彼の鋭い視線が俺を射抜くと、ひりつく様な焦燥がガルムンズと対峙した時の様に俺の背中を撫でていくのを感じる、ここまで無効化してきた冒険者の男達とは格が違う。
俺はレーミクの側に駆け寄るをの止めて、目の前の男に意識を集中させる。
「何だおっさん?お前どっかで見たことあるような顔してんな?ん~何処だっけ、まぁいいか!どーせMOBのおっさんの顔なんて、俺様が覚える必要なんてねーわな!」
ようやく呪持ちの青年の顔をまともに見た時、その顔が俺があちらで最後に見た顔だと気付くと、頭で考えた事がそのまま口から漏れていた。
「お前は……、日本で、神山村で俺を轢いた青年じゃないか!?どうしてお前がここに居る!」
繰り返しの呪が蠢く世界では、薄闇ではっきりと見えていなかったから気付かなかった、だがここでなら見間違える事はない、彼は俺がこの世界に来る理由になった事故を起こした青年だ。
「はぁ?なにいってんだ……?」
呪持ちは俺を訝しむように数秒見つめ、思い出したらしく急にキレ出して吠えてくる。
「ああっ!テメェはあの時のおっさんか!テメェみてぇなゴミのせいで俺は大変な目にあったんだ!警察の糞に捕まりそうになって、突然突っ込んできたトラックにぶつかって事故で死んじまって大変だったんだよ!」
呪の存在する意味をある程度は理解したつもりだった、だが己が殺され掛けた相手と、こちらの世界で再会する異常に頭が働かない。
そして自ら死んだと言っている人間が何故、違う世界で生きているんだと聞いてしまう。
「お前は事故で死んだなら、どうしてここにいるんだ!」
「はぁ?それを哀れに思った女神が善良な俺を助けてくれたからに決まってんじゃん」
当たり前のように答える姿は異常としか思えない、確かに神が人に力を与える神話というのはあるが、それは苦難を越える英雄や、気高い理想を持つ人に何かをさせるために与えるものが多い。
「この世界で自由に生きていいってチートまでくれたぞ?やっぱ俺みたいな若くて優秀な奴にはこれ位の優遇は当然あるべきなんだよ!」
両手を広げ嬉しそうな声で自身を優秀だと表する青年、その濁った瞳を見つめ無駄だと分かっても届かないと分かっていても、一分の望みを込めて問いかける。
「自由にしろというのは何処か可怪しいと思わないのか?それに溺れた者達の末路は悲惨であるのは戒めだからだ、何も考えないのか?その力の意味を……」
彼の言うチート、過ぎた力に溺れ過ちを犯し持て余した者達の末路、それは神話で必ず神や人の手によって滅びを迎える物語を意味している。
「何を意味の分かんねー説教垂れてんの?つうかおっさんも一緒だろ、お前はあの女神にどんなチートを頼んだんだ?つか、この国は俺のだからお前はどっか別んトコ行けよ!」
俺に向かって呆れるように犬や猫を追い払うかの様に手を振って来る姿は自身の言葉の意味が少しも通じていないと分かるものだった。
ここまで呪持ちが行ってきた事を考えれば当然の結果だが、それでも出来れば理解させたかった。
「俺はお前とは違う、神などにも会っていないし、ここに居るのはお前を滅ぼすためだ、お前の望んだチート、それは世界をお前の欲望で腐らせて滅ぼす悪意の力だ」
「あ~、おっさんさぁ……、ゴチャゴチャうるせぇ説教たれんじゃねーよ!おい奴隷商!客が襲われそうなんだから、いい加減見てねーでとっと働けよこのクズが!」
呪持ちの声に事態を見守っていた男が剣を抜く、一分の隙も見せないその出で立ちには確かに強者の風格が見て取れる、彼が何故このような仕事をしているのか理解できない。
「では無粋なお客人、お名前をお聞きしても?」
呪持ちの心には俺の声は届かなかったのが残念だと感じながらゆっくりと刀を正眼に構え意識を集中させ、目の前の男の質問に答える。
「神山周護、この世界では稀人と呼ばれる存在だ」
彼はここの男達と比べ比較的理性が残っている、だったら無用な争いは出来るなら避けたいと願い一縷の希望を込め、自身が稀人だと彼に伝える。
「ふむ、稀人が奴隷を求める、そんな話もあったとは聞いていましたが、まさか暴力で奪いに来るとは想像の範疇を越えますな」
飛び込まずにゆっくりと距離を詰めながら、彼は自らの必殺の領域に俺を取り込もうとしてくる、彼我の実力の差が肌に痛いほど感じられる以上、迂闊に飛び込めば彼の剣の錆になるのは目に見えている。
「レーミクは俺の従者で巫女だ、呪の影響によって其処に居る、だから返してくれないか?」
彼の範囲から軸をずらすように移動して話す俺の言葉に、レーミクが反応するように顔を上げてこちらに視線を送ってくる。
「あ……、ほんとうに、来てくれた……?私も待っていた人が来てくれたの……?」
彼女の掠れた声に一瞬だけ気を取られた隙を突かれ、一気に彼我の距離を詰められる、大気を切り裂く甲高い風切音が、自身の死を運ぶように迫ってくるのが見えた。
「つッ!」
剣撃に意識を集中し、寸前まで差し迫った猛威を跳ね除け後ろに下がる、追いかけるような連撃が滑りこむよう右斜下から迫り来るがなんとか刀で弾く。
「どうやら仰る事は本当のようですね、ですが私も商売でこのような形で屈する訳には参りません、残念ですがお帰りいただきましょう!」
確かに彼から見れば、自身がやっている事は押し込み強盗と変わらないのかもしれない。
だが彼女にこのような辱めを受けるような咎はない、それ以前にこれは転生神によって仕組まれた罠だ、俺と彼が戦うのには何の意味の無いことだ。
「クッ!」
今はなんとか致命傷にならぬように往なせているが、突きを主体とした手数の多い彼の剣は少しずつ確実に俺の鎧の防御が弱い箇所を傷つけていく。
「お願いです!どうかその人を傷つけないで!その人は私の大事な人なんです!」
その度に焼けるような痛みを感じ血が流れ、体の中の何かが奪われ焦燥が増していく中でレーミクの発した懇願が室内に響き渡ると、呪持ちが詰まらない物を見るような視線をレーミクに注ぐ。
「はぁ?なんだよ……、コイツかなりのレアキャラだと思ってたけど、おっさんの使用済みの中古かよ……。うわー萎えるわ―、こういうのマジ萎えるわー、中古が許されるのはネトオクとコノザマだけだろーが!」
「貴様!やめろおおおおお!」
鎖に繋がれた彼女に向かって、癇癪を起こした呪持ちが蹴りを入れようとする止めようと前に出ると目の前に銀線が現れ、次の瞬間何かが潰れる音と共に左目に何か硬いものが刺さる。
灼熱の赤が最後に見えて左目は暗くなり、その後は体内をかき回されるような不快感に耐え切れず悲鳴を上げた。
「あがああああああああ!?」
脳は生命の危機に警鐘を激しく鳴らし、送り込まれる痛みに限界だと身体が悲鳴を上げる、その全てに身を任せれば、彼の剣に頭を貫かれて何も出来ず誰も助けられずに死ぬだろう、こんな所で終われない、まだ俺は何も成していないと、胸の中で何かが叫ぶ。
「あひゃひゃ!おっさんもここで終わりっぽいなぁ!アッチでもこっちでもめんどくせー奴だ、迷惑かけずにとっと死ねよ!」
「いやぁあああああああ!!」
呪持ちの喜色に満ちた侮蔑と、レーミクの悲痛な叫びが俺の耳に酷く篭って聞こえてくる中で、濁った頭に心の炎は問いかける。
『メルデでは覚悟足らずに沢山の犠牲を出した、終末の悪夢の中でただ無力さに涙を流し、森の民の娘達を救えずに手に掛けた』
『想いに賛同してくれた真っ直ぐな青年の命を使い潰し、その父親までも犠牲にしてでもここに来た、王都に入っても沢山の呪の犠牲になった子供達を見捨ててここまで来た』
『そして今、目の前で俺の身を案じ、涙を流す少女を見捨てて、お前はここで全てを終わりにしたいのか?』
その全ての問に俺が出した答は一つだ、終わってなるものか!俺はまだ何もこの世界に恩を返していない!こんな形で死ねないし、終われない!終わっちゃいけないんだ!
「あがぁああああああああああ!!」
俺は刀を捨てて剣を両手で掴み精一杯抑えながら何とか引き抜くと、粘着質な水音と頬に何かドロリとしたものが流れていくのを感じるが、頓着せずに相手の剣を捻り上げて振り回し、その勢いで体勢を崩した奴隷商を強引に床に投げて叩きつける。
「な!?まさか!ぐはっ!」
ろくに受け身を取れなかった奴隷商が肺の空気を吐き出して動きを止めている、その絶好の反撃の機会を見逃さず走り出す。
「ぐぅうぉおおおおおお!」
そしてただ一匹の獣の様に咆哮が溢れだし、手負いの獣の如く四つん這いで奴隷商に肉薄し、そのまま馬乗りになって、技も何もないただ振り上げ叩き落とすような野蛮な攻撃を浴びせる。
「な、何なんだよ、これ!可怪しいだろ!おっさん頭イカれてるんじゃねーの!それがお前のチートかよ!」
手甲を嵌めた拳が固く重い音を辺りに響かせる中で呪持ちが何かを叫ぶ、それに構わず何度も打撃の雨を降らせると奴隷商はそのまま意識を失って動かなくなった。
大量の血を失い痛みと吐き気と寒気を催す身体を動かし、片方しか無い目で奴を睨みつけ、レーミクに襲いかかろうとする呪持ちの不孝を跳ね返す為に俺は商館中に響き渡る唸り声を上げた。




