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硬度フェチ聖女の巡礼  作者: 坂上 零
第一章:シスターの日常と日常の終わり

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1 シスターの切実な悩み

第39回後期ファンタジア大賞 三次選考通過作(上位10作品)を改稿したものです。

楽しんでもらえれば嬉しいです!

 吐きそうだ。


 と、私は思った。

 いや、思うだけで済めばよかったのだが。

 胃のあたりが不穏な自己主張をはじめてから、もう数時間が経っている気がする。

 頭が痛い。

 頭蓋骨の裏側で誰かが鐘を乱打しているような衝撃に平衡感覚を奪われ、視界がぐわんぐわんと回り続ける。自分の心臓の鼓動すら耳障りで仕方ない。雲ひとつない空から降りそそぐ日差しは、無遠慮に、不躾に私へと襲いかかり――このさわやかな朝の光すら、目をえぐる嫌がらせにしか感じられなかった。

 ――断じて二日酔いではない。

 昨晩浴びるほどエールを飲んだ記憶だって鮮明だ。私の強靭な肝臓が、アルコールごときに屈するはずがないのだ。

 そう。

 原因はもっと物理的な『詰まり』にある。

「……うぷ」

 私は気合いで、込み上げてくる熱いものを無理やり飲み込んだ。

 体の中はパンパンにふくれ上がった革袋みたいで、その奥底から湧き出すドロドロとした奔流が出口を失ってギチギチと滞っている。すこしでも気を抜けば、耳や鼻、毛穴という毛穴からすべてが噴き出しそうな圧迫感がある。

 早く……早く教会へ。

 いつもの体操でこの吐き気を逃がさなければ、私の平穏な生活が脅かされる。

 このままでは中から得体の知れない何かがぶちまけられ、清楚なシスターという仮面は粉砕されてしまう。

 這ってでも……たどり着かなければならない。

「おや、マリーちゃん。顔色が土気色だよ」

 道の脇から声をかけてきたのは、近所のミハウ爺さんだ。鍬を杖代わりにして笑っている。その顔色は健康そのもので、無駄につややかな血色が――今の私には猛毒のように目に染みる。

「また二日酔いかい? 若いんだから、酒もほどほどにしなよ」

「おはよう、ございます……ミハウさん」

 ひきつる頬を無理やり持ち上げ、聖女スマイルの残滓を返す。

 ――が、そんな愛想笑いひとつでこめかみに亀裂が走る始末だ。

「ご心配には及びません……これは、その……精霊への祈りが深すぎたことによる、精神の昂揚ですので……」

「ははっ、昨晩も遅くまで『聖水』で清めてたんだろ?」

「ええ、まあ……そのようなものです」

 言葉を濁して、逃げるように足を速める私。

 ……否定する気力もないし、今うかつに口を開けば胃の腑の惨状をそのまま放出してしまいそうだ。

 なんとかしてその場を離れ、私は魂の抜けた人形のような足取りで、職場である教会の扉へとすがりついた。


 教会の礼拝堂はひんやりとした静寂に包まれていた。

 石造りの厚い壁は太陽を遮る防壁となり、ステンドグラス越しの光だけがいくらかマシなやわらかさで満ちている。

 石畳のつめたさが火照った体をつなぎ止めてくれる――そういう意味において、ここはまさに聖域だった。

 祭壇のすぐ前。そこが私の定位置だ。

 私は石畳の上にひざをつき、両手を組んで頭を垂れる。

 はたから見れば、朝一番に大精霊へ祈りを捧げる敬虔なシスターに見えるだろう。

 だが実際は、立っていることすら辛くてうずくまっているだけだ。全身に水を含んだ土袋をくくりつけられたように重い。内臓をギュウギュウとねじり絞られる苦痛に耐えるだけの惨めな残骸に過ぎない。

「うう……寒い……」

 ガチガチと歯が鳴る。

 体の表面は熱いというのに、芯には極寒の雪山に放り出されたような悪寒が走る。血管すら凍りついたかのように、体温が戻るのを拒んでいる。小刻みに震える肩も、白く変色するほど力が入った指も、自分の意志ではどうにもならない。

 背後でザワザワと衣擦れの音がした。

 畑へ向かう前に礼拝に立ち寄る、いつもの面々だ。

「見ろ……マリーちゃんだ」

「なんと激しい祈り……」

「大精霊様の声を受け止めて、魂が打ち震えているんだわ」

 ヒソヒソとしたささやき声に混じり、鼻をすする音まで漏れてくる。

 どうやら感動して泣いているらしい。

 ……ちがうんです、ただ体調不良で死にそうなんです。誰か毛布と温かい肉団子スープを――いや待って。今、胃袋に固形物をぶち込むなど自殺行為でしかない。そんな馬鹿なことを――って、自分で祈ったのか。……だめだ、思考が混濁している。

 ……ふぅ……

 ひとつ深呼吸をすると、吐き気の波がほんのわずかに引いた。

 ――今だ。

 体内に淀んだ熱を流さなくては。

 私はゆらりと立ち上がった。

 後ろから「おお……」と息を呑む気配がする。

 呼吸を整える。

 イメージするのは、透明な水の循環。

 私の体は一本の水路だ。川底に滞った泥を押し流すように、内にたまった熱を指先へと誘導していく。

 ……意識を、内側へ。


 ――水鏡。

   淀みを断ち、熱を均す。

   右手は水面を撫で。

   左手は大気を滑る。

   気は円環。

   留めず、流し、循環させる。


 まるで蜂蜜をかき分けるような――ドロリとした抵抗を拾い上げ、滞留する熱を同心円状の波紋へと編み上げていく。

 腹の奥で凝り固まっていた塊が、ズルリ、と動き出した。

 ……あぁ、気持ちいい。

 詰まっていた水路が音を立てて開通し、軽くなっていく快感。

 意識がどこまでも深く沈み込んでいく。

 体重移動だけですべるように位置を変える。

 回す。

 流す。

 かき混ぜる。

 こもっていた熱が螺旋を描いて解き放たれ、陽炎となって立ち上っていく。

「ああ、美しい……大精霊様への奉納の舞だ」

「見ろ、マリーちゃんのまわりが神々しく光って見えるぞ」

「なんと尊い……これぞ、無私の祈り……」

 感嘆がさざ波のように広がり、あちこちで跪いて拝みはじめる気配が伝わってくる。

 ――無私の祈りなどではない。……それどころか、ただのドブ掃除であり、利己的な体調管理なのだが。

 すこしだけ、楽になってきた。

 けれど……まだ残っている。

 体の芯、丹田のあたりに居座る澱は、しつこく私を蝕んでいる。

 これは、ただ流すだけでは消えない。

 もっと根本的な解決が必要だ。

 ……吐き出したい。

 優雅に円を描きながら、私の思考は切実な衝動に呑み込まれていく。

 ――何か。

 この煮えたぎる不快感を放出できる先はないだろうか。

 教会ではだめだ。そんなことをしたらドミニク司祭にまた大目玉を食らうし、なにより出しきれずに一番苦しいところが残ってしまう。

 もっと、しっかりとした、頼りがいのある器。

 村の近くにあるものでは最近、すっかり物足りなくなってきている。

 私のすべてを預けても、ビクともせず優しく受け止めてくれるような……そんな素敵なパートナーはどこかにいないのだろうか……

 私はうっとりとした表情で、まだ見ぬ理想の相手へと思いを馳せた。

「マリーちゃん……大精霊様のお声を聞いてるんだわ、きっと……」

「なんて安らかな、慈愛に満ちた顔……」

 ――私が思い描いているのは精霊の慈愛などではなく、己の欲求を満たしてくれる都合のいい相手への渇望だけだ――

 バタンッ!

 礼拝堂の扉が乱暴に開け放たれたのは、まさにその時だった。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます!

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※毎週金曜日の18:00に定期更新しています。

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