「制作完了?」
「湊~!」
昼休み、教室の窓際で、結衣がパンを片手に近づいてくる。
「今日さ、帰り寄り道しない?」
「……なんで」
「なんでって。したいから」
当たり前みたいに言う。
昔からそうだった。
結衣は理由を作らない。
一緒にいたい時、一緒にいる。
それだけ。
帰り道。川沿いで夕焼けを見ながら何でもない会話をした。テスト。先生の変な口癖。クラスの噂。
世界は普通だった。
残酷なくらい。
「ねぇ」
帰り道、結衣が急に立ち止まる。
「湊ってさ」
「……ん?」
「自分のこと、大事にしないよね」
心臓が止まりそうになる。
「は?」
「いや、なんか。自分より他人優先っていうか」
笑いながら続ける。
「そういうの優しいって言う人もいるけど、私は嫌だな」
風が吹く。
結衣の髪が揺れる。
「消えてもいい人みたいで」
その瞬間。
胸の奥で何かが軋んだ。
消えてもいい。何度も考えた。自分が消えて、誰かが助かるなら。
それでいいって。
でも、もし。
もし本当に――
自分にも生きる価値があったら?
夜、湊は初めて原稿を開かなかった。
代わりに白紙を見た。
書かない選択。
未来を変えない選択。
存在を守る選択。
カーソルが点滅する。
何も起きない。
静かだった。
その静けさが怖かった。
翌週、結衣が言った。
「写真撮ろうよ」
「急になんで」
「残したいから」
校舎裏の夕方。二人だけの空間でスマホを構える。
カシャ。
写真を見ると、結衣が笑ってる。自分も少し笑ってる。でも、変な顔だった。普通の中学生だった。
「送っとくね」
結衣が言う。
「あと何年かして見返したら笑えるじゃん」
"何年か後"
その言葉が痛かった。
自分はいない未来。
結衣だけがいる未来。
帰り道。
踏切の前で止まる。
赤い光。遮断機。
「ねぇ湊」
「ん?」
「もしさ」
結衣が前を向いたまま言う。
「ある日みんなが君を忘れても、私は思い出せる気がする」
時間が止まった。
「……変なこと言うなよ」
「うん。変だね」
笑う。いつもの顔だった。でもその瞬間、湊は初めて思った。
——消えたくない。
生きたい。
忘れられたくない。
もっと普通の日を続けたい。
その願いが生まれた時。
スマホが震えた。
【残存率:1.3%】
その日の深夜。
画面だけが光っていた。
残存率:
1%
0.9%
未来の修正が崩れ始める。
ニュース。事故。病院。消えかける命。
世界が元に戻ろうとしていた。
救ったはずの未来が壊れる。
すると、知らない番号から、「最後のメッセージ。」という題名でメッセージが届いた。
「送信者:朝比奈湊(22)
終わりだ。
ここから先、お前はどっちを選んでも後悔する。
だからせめて、
自分で選べ。」
画面が消える。
その瞬間、湊は何かを決断した。
湊は原稿を開いた。
タイトル『制作中』
最後の章。
空白。
指が震える。
母の声を思い出そうとした。思い出せない。
小学校、思い出せない。
好きだった曲、思い出せない。
残ってる。まだ一つだけ。
「結衣の笑った顔」
涙が落ちる。
キーボードに染みる。
そして書き始めた。
夜明け前、世界は静かだった。
文章が増える。一行、また一行。
誰かが助かる未来。
失われない命。
残る笑顔。
書く。
記憶が消える。
書く。
名前が薄れる。
書く。
自分が誰だったか分からなくなる。
最後。
カーソルが止まる。
残存率:0%
湊は画面を見る。
タイトル:『制作中』
作者:
……
空欄。
名前を忘れた。でも最後だけ分かる。
これは、誰かを生かすための物語。
指を動かして、最後の一文を書く。
「朝比奈湊という人間は存在しなかった。」
その代わり、
誰かの日常が続いていくなら、
それでよかった。
制作はここで終わる。
でも、物語はきっと続く。
投稿。送信完了。
朝になる。
学校。
教室。
窓際。
結衣がふと外を見る。理由もなく胸が痛む。失った気がする。でも何を失ったか分からない。
スマホを見る。写真フォルダ。昔撮った一枚。校舎裏。夕焼け。笑う自分。隣。誰かいる。顔だけノイズみたいに欠けている。
結衣は首を傾げる。小さく呟く。
「……誰だっけ」
風が吹く。世界は続く。朝が来る。誰かが笑う。
図書館の片隅。無名の一冊。
タイトルだけが残っている。
『制作中』
最終ページ。
たった一行。
「もし君がこれを読んで、少しだけ寂しいと思ったなら。たぶん僕は、ちゃんと存在できていた。」
404夏の第一作目「「制作中」」を読んでくださり、本当にありがとうございました。今後も不定期で小説を出していく予定です。




