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レイさんと宮殿観光


「―――よって陛下は貴殿の武勇と戦功を讃えられ真銀星章を親授なされる」


 どうしてこうなった! どうしてこうなった!


 俺は現在、謁見の間で跪いている。

 事の発端はもちろん先日の魔王軍強襲事件である。その時ふしぎなことが起こった(断じて誇張でも比喩表現でもない)せいで魔王軍幹部の三魔竜をまとめて皆殺しにしてしまった俺は皇都へ連行されたのだ。

 マジで生きた心地がしない。


「前へ」


 冷や汗が滝のように流れるほど有難い長口上の末、俺は玉座の前へ恭しく進み出る。


 真紅の羅紗が張られた黄金の玉座には好々爺然とした壮年の偉丈夫が腰かけていた。大争乱期に自国を取り囲む諸王国軍まとめてバチバチにやり合った敏腕皇帝その人である。

 皇帝は微笑を浮かべて俺の左胸に勲章を付けてくれる。

 真銀星章(ミスリルスター)。純ミスリル製の五芒星の勲章だ。戦時に極めて勇敢な働きを見せた兵士へ授与されるもので、平民出身者でも受けられるものの中では最高峰といってよい。


「これはオフレコなのだが」


 皇帝陛下はニヤリと口の端をつり上げる。いや、オフレコっつー割にバリトンな美声が結構響いてるんスけど……


「余としては小さくとも領地と爵位、せめて皇都に屋敷の一つでもくれてやりたかった。しかし横槍とやっかみが酷くてな。お褒めの言葉一つ、勲章一つでお茶を濁そう、というわけだ。

 まこと政治とは奇々怪々たる魑魅魍魎との取っ組み合いよ」


 皇帝陛下は軽く目配せして「君も重々覚えがあろう?」と小さく付け加えた。マジ油断ならねえぞ、このオッサン。


「しかしその分、箔は最大限に付けさせてもらったぞ。

 もし仮に、例えばの話だが……今後の働き次第では公爵家の娘が輿入れしたとしても見劣りはすまい」


 は? え?

 何で? 何であの人が出てくるの?

 まさか知ってるの? 護衛させてるのバレてるの?


 皇帝陛下は俺の肩にそっと手を置いて「励むのだぞ…」と慈父の如き愛溢れる眼差しで告げた。


 待って。ちょっと待って。どっから漏れたの。ねえ。


◆◇◆


 謁見の間を出て扉が閉まったとたん、周囲を警護する近衛騎士団の皆様の激しい舌打ちが聞こえてた。なんか爆竹みたいな音してる……コワイ!


 爵位と領地なんか貰ってたらマジで暗殺されてたんじゃねえの?いや、既に計画が動いてる?

 皇都に連行されてからずっと生きた心地がしない。針のむしろってやつだ。

 皇帝陛下も気さくな人っぽく装ってるけど迫力が尋常じゃない。よく主人公が面と向かってオッサン呼ばわりしたりするけどさぁ、無理よ。無理無理。おしっこ漏れちゃう。


 善良な小市民のモブがどうしてこんなことに……

 俺は胸の内でさめざめと涙を流し、舌打ちした近衛兵達の名前を黒い手帳にメモってからその場を後にした。


 王宮から庭園を挟んでちょっと離れた場所に離宮として迎賓館が建てられている。贅をつくした大貴族の別荘も霞むほど美しく、至れり尽くせりのお屋敷だ。

 ただ、ちょっと至れり尽くせりが過ぎる。全然くつろげない。調度品はどれもこれもお高そうだし、絵画やら彫刻やらが、これでもかってくらい飾られている。廊下を歩くだけでも全く落ち着かない。

 なんかセレモニーとか晩餐会とかあるらしいけど、用事を済ませたら理由付けてとっととスケーナの兵舎に帰ろう。

 部屋の前まで戻って、一旦立ち止まる。服の乱れを確認し、手鏡で髪形を整える。軽く咳払いしてから優しく扉をノック。


「おかえり。話した通り、ざっくばらんなお方だったろう?」


 部屋の中で少女漫画から抜け出たような深窓の令嬢が窓辺の椅子に腰かけていた。彼女は読みかけの魔術書を膝に置いて涼しげに微笑む。


 名をレイ・九曜・クジャー。女性。16歳。公爵家令嬢にして迷宮に封じられし禁呪の継承者。容疑は悪役令嬢。


 ――彼女こそ異世界主人公容疑者の一人であり、俺が密かに想いを寄せる方である――


◆◇◆◇◆


 ここは剣と魔法が支配し、冒険者とモンスターが跳梁跋扈する異世界だ。であるならば主人公がいる。それは確かだ。

 しかし周りは主人公であろうはずもない小市民モブの俺を勇者だ英雄だと持ち上げる。冗談ではない。

 これは真の勇者にして真の主人公が俺を咬ませ犬にするための前フリに違いないぞ、と見抜いた俺は全身全霊を尽くして捜索に当たった。必ずや影で俺をザマァするのを待ち望んでいる奴がいるに違いない。

 が、一向に見つからない。

 何名かの容疑者は挙がったが誰一人として尻尾を出さない。このままでは埒が明かない。

 怪しいやつをピックアップしているだけではダメだ!と判断した俺は新たな方針を打ち立てた。


 異世界は主人公が活躍するために存在する。であるならば、世界観から主人公像を逆算できるのでは?


◆◇◆◇◆


 というわけで王宮内見学である。ツアーガイドはレイさん。

 レイさんはドナドナされゆく俺が余りに不憫だったのか、帝国騎士団に口添えして付いて来てくれたのだ。ほんと優しいこの人。


 彼女は庭園にしゃがみ込むと、咲き誇るラベンダーを見つめて呟いた。


「君はラベンダーは好き? 私は昔から好きなんだ。

 家の庭にも植えてもらったし、ポプリは切らしたことがない」


 瞼を閉じてうっとりと香りを楽しんでいる。長いまつ毛が初夏の日差しに艶めいて、目元にやわらかな影を落としている。

 庭園を飾る花畑はどれも美しく手入れされていた。まさかこれ、全部開花時期が一緒か?季節ごとに植え替えてる?手間がヤバいなあ。


 レイさんは庭園をぐるりと一周し、施された意匠の数々を解説してくれた。賓客を何気なく案内するだけで、客がそれに気づくかどうかで教養の程度が知れてしまうのだ。迎賓館内の調度品も同じ目的だろう。恐ろしい。

 一周する間に何人かの帝国貴族とすれ違ってレイさんに紹介してもらった。麗しい公爵家の姫君が俺のような礼儀作法も知らないモブ顔を連れて変に思われないかと心配になったが、レイさんはむしろそれを楽しんでいるようだった。


「彼らにはどう見えたかな?

 ゴシップの的になるのも偶には悪くないね」

 離れた所まで来るとレイさんはそう言ってくつくつ笑っていた。


 そのまま庭園を抜けて、殆ど外側から眺めるだけでだが各所を案内してもらった。皇帝陛下が過ごす王宮、儀式の間、宝物殿、宮廷魔術師達の秘密の庵。公爵家令嬢の紹介でなければとても入れないような場所の数々。

 それらを目の当たりにして俺はぽかんとした。


 帝国、強すぎる。


 迎賓館と庭園からだけでも相当に窺い知れたが、帝国はめっちゃ強い。国の強さは財力と武力と政治力で大体決まるがその全部が強大であるということがまざまざと見せつけられた。

 財力は今まさにここで、政治力は俺の数多の裏工作を見抜いている皇帝の人柄から、そして武力は魔王軍との最前線で戦う俺自身が一番よく知っている。


 盤石すぎる。

 前線に出たころから兵站の充実には舌を巻いていたが、まさかここまでとは……


 俺は皇都へ拉致されるにあたって、何らかの“歪み”を期待していた。


 主人公のために用意された世界はどうしてもその必然からいびつさを備えている。

 例えば、切羽詰まった状況下でそれなりのコストを支払って召喚したはずの召喚者を、パッと見で使えないスキルだからと言って精査もせずに放り捨てる。

 例えば、ある種のモンスターの危険性を全く把握していない。或いはしている癖に対処がおざなりであったり対処している人間をひどく軽んじている。等々。


 身もフタもない言い方をすれば、異世界は主人公をヨイショするため特定の面でとてつもないアホになっていることが多いのだ。


 それは主人公の活躍のために生まれた“歪み”であり、逆説的にその歪みが主人公像を特定する取っ掛かりとなる。

 故に舞台であるこの大陸、この帝国の中心にも何らかの歪みがあるかと期待していたのだが……


 隙が全く見当たらない。

 人の業とも言うべき既得権益やしがらみはそれなりあるものの、致命的な一打とはなっていない。少なくとも主人公のドラマチックな活躍を必要とするものではない。戦争の裏で暗躍…じゃない、奮闘する俺にしたって意図的に泳がされている気がする。


 ハッ もしや皇帝陛下が主人公……!?


 ……いや、ないか。王族転生は割にあるジャンルだが、皇帝陛下がバリバリに活躍していたのは王国時代の大争乱期だ。今の魔王戦争とは間が開きすぎているし、時系列がかみ合わない。

 おっさん、じいさんになってから第二の青春を謳歌する主人公もいないではないが、俺を咬ませ犬にしたところで皇帝の立場では得られる利益は少ない。可能性があるとしても前作主人公のポジション……


 となると皇族、貴族関係でやはりもっとも怪しいのは……


「……どうかした? 一人で目を白黒させてるけど」

 レイさんはきょとんと首を傾げている。


 いえね、あんまり綺麗なものを立て続けに見たもんで目が眩んできまして。

 そう、特に今目の前に特大の奴が……


 レイさんは「何だいそれ。変なの」と、やはり涼しげに笑った。

 くそっ かわいい……


 でもやはり怪しいのは……一番疑いたくないんだが、王宮関係で一番怪しいのはこの人だ。

 皇都が盤石の布陣である以上、そこにドラマを起こすには突発的な事故しかない。極端な例を出すなら皇帝陛下の暗殺事件とか。

 もちろんそれには皇都の背後に政治的なスキャンダルの種が無ければ成立しないが、実際にそういった問題の種から無縁ではいられないのが政治だ。失政は政治の本質である。

 だが、そういった問題の種をことごとく潰し、隠蔽し、あるいは弱みを握ってにらみを利かせているのが他でもない、目の前で微笑む美少女である。

 逆に、やろうと思えばいつでも事件を起こせるのでは? 俺を咬ませ犬にすることなど造作もないのでは?


 やはり悪役令嬢なのか?

 悪役って言うか、黒幕フィクサーだけど……


 しかしそれはそれで矛盾がある。悪役令嬢は善性のヒロインでなければならない。変なこと言ってるかしれんが事実だ。おもしれ―女でなければ務まらないのだ。


 わかんねえ……全然わかんねえよ……

 ヒントを探しに来たがかえって混乱が深まった気がする。思考の袋小路にハマっている。


 一人で頭を抱えて悶えている俺を見てレイさんがクスクス笑う。瞳を悪戯な猫のように光らせて俺の後ろに回ったと思いきや、とん、と軽く背中を押された。


「ぼーっと突っ立ってないで、行こ?

 私、のどが渇いちゃったな」


 俺はそのまま宮廷サロンへ引っ張られていった。


◆◇◆


 王宮の入り口すぐそばにホールのように大きな応接間がある。そこで眉目秀麗たる貴公子達と目麗しい貴婦人達が雅な言葉を交わしていた。

 話題の中心はやはり魔王軍との戦争であり、婦人達は英雄譚に目を輝かせ、或いは悲劇に胸を痛めていた。

 どちらにせよ俺達が戦場で流す血がエンタメとして消費されている点には変わらない。正直なところあまり良い気分ではなかった。しかし俺がガインと裏で画策していることを思えば、とても非難できる立場ではない。だから黙って大人しくしていようと思ったのだが、真銀星章(ミスリルスター)受勲者はゴシップの恰好の餌食だったようだ。


「やあ、英雄殿の凱旋だ」

「まあ! あの方が例の…?」

「ハハ、我々もあやかりたいものだね」

「吟遊詩人の歌よりずっと素朴なお方ですわね」

「でもどうしてクジャー公爵家のレイ様が?」

「それはやっぱり……」


 うーん、やな感じ。

 俺から直接話を聞きたくてソワソワしているみたいだが、あくまで遠巻きにヒソヒソするだけだ。どうもレイさんが貴族にしかわからない身振り手振りで牽制しているらしい。あるいはすでに何らかの根回しをしていたのか。

 レイさんはホールを堂々と真っすぐ横切って、入り口から対角に当たる角の席へ向かう。L字に置かれたソファも一番上等のようだ。

 すでに先客がいたが、レイさんが声を掛けるまでもなくスッと立ち上がり、軽く会釈して席を譲ってくれた。レイさんは当然のようにそこへ腰かける。


「どうしたの? 座りなよ」


 と、レイさんが言うのでおずおずと彼女の斜め横に腰を下ろした。


 声を掛けるまでも無くメイドさん達が紅茶を運んでくれる。大変良い香り。


 しかし気まずい。

 勲章をもらった時とはまた違った感じの針のむしろだ。好奇の視線が体にチクチク刺さる感じ。ソファは尻が消えたみたいに座り心地が良いが、逆に宙に浮いているようで全く落ち着かない。


「まずは……真銀星章受勲おめでとう」

 と言いつつレイさんの微笑にはどこか淡い影が差している。


 過分なご評価ですよ。


「いや、遅すぎたしこれでも足りないくらいだ。

 最低でも一領地と男爵の地位に相応しい武勲だと思う」


 は、はわわ。そんなレイさん、ここは王宮のサロンですぜ。そんなよく通る美声(アルト)で御政情の批判だなんて!


 と、思ったがレイさんは悪戯に微笑んでいる。これは皇帝陛下の意向を汲んだ上で周囲をけん制してるぞ。なんて人だ。


「でも、真銀星章はそれだけで随分な『箔』だからね。

 これから君も煩わしい思いをすることになる」


 だからそんな……煩わしい? と仰いますと?


「君を取り込みたがる家も多いだろうってことさ。

 特にしがらみが少ない新興の家はね」


 うーん……そんなことありますかね? 私のような名ばかり騎士に?


「君、ここは陛下が統べる大陸一の大帝国だよ?

 実績さえあれば出自など笑い飛ばす者の方が多いさ。

 むしろ陛下が直々に、君に釣り合うような懇意の家を紹介なされるかも」


 いや……それは無いんじゃないですかね。


「どうして? 十分あり得る話だよ」


 それはですね……


 大貴族で公爵令嬢の貴方に、俺が密かにホの字なのがバレてるからです。なんて言えるわけねーだろッ

 くそっ どこから漏れた? 護衛させてるエスプか? ガルドか? まさか禿茶瓶のグリーフかッ


 答えに窮してもごもごする俺を見て、レイさんはくつくつ笑う。


「友人としての忠告だけど、つまらないハニートラップには引っ掛からないでよ?」


 その目もやはり猫のように笑っていた。


◆◇◆


 その後はたわいない話が続いたが、いつの間にかホールの中に居るのはレイさんと俺だけだった。さっきまで紅茶のお代わりを持って来てくれていたメイドさんすら姿が見えない。

 はて、と不審に思ったが、それに加えてレイさんが何やらモジモジしていることに気付いた。


「その……その、ね?

 これはあくまで君の友人としての提案なんだけど。

 ほら、どうせ後で煩わしい思いをするならと思ってね。

 きっ君のためを思ってだね!提案するんだけど!

 君が嫌じゃなかったら……本当に嫌だったらいいから」


 レイさんにしては要領を得ない。

 妙に顔が赤らんでいる。美しい瞳も炎が灯ったように一際きらめいている。


 ……?……っ!?


 こっ……これは!?もしや!?

 来るのか!?まさか!?マジで!?俺にこんな幸運が!?

 いや…待て! まだ慌てるような時間じゃない。

 う…うろたえるんじゃあないッ! スケーナ騎士団員はうろたえないッ!

 そもそも俺のようなモブにそんな美味い話があるはずがないんだ。いつものKOOLな俺はどうした?

 も……もし万が一、いや億が一にも『そんな展開』になったとしてもだ。レイさんのような美少女とのフラグ立てが許されるのは主人公だけだ。俺に立てられるのは死亡フラグだけだ。

 だから、1ミリでも『そういう話』になったらすぐに話題をそらして―――


「えっと…あの……

 い、いいい、今お付き合いしている人は、いるかな?」


 い、いいい―――ぃいませんッッッ!!!


 ハッ!? ち、ちが……そんなつもりじゃ……!

 わ、(わし)が悪いのではない!! この口が悪いのだ…この口が勝手に!!


「そ…そっか!よかった……

 つまり……き、君にね! その、お……」


 お!?



「お見合いを紹介してあげようかなぁ~……なんて」



 ――――俺は泣いた。


「ちょっ!? ど、どうしたのさ!」


 滂沱の涙を流した。慟哭した。恥も外聞も投げ捨てて泣き叫んだ。


 俺はつらい。耐えられない。

 完全に伝説の樹の下の雰囲気だったじゃん。絆レベルMAXのムードだったじゃん。

 

 そんなにいい気になったモブが破滅するのを見て楽しみたいのか。そんなにレイさんの本命を引き立てる噛ませ犬が欲しいのか。俺はこの筋書きを考えたクソ野郎に抗議する。断固抗議するぞ。ぜってぇー許さねえッ!


 ひとしきり泣いてどうにか平静を取り戻す。レイさんに背中を優しく撫でてもらったのがせめてもの救い…というかこのくらいの役得が無ければ耐えられなかった。


「大丈夫?

 や、やっぱり……イヤだった、かな」


 いえ、違うんです。レイさんのご厚情が有難くって、つい泣けてしまったんです。


「そ、そう? それならよかった」


 曇りかけた顔にパッと花が咲く。

 こんなの卑怯だ。レイさんへの愛を盾に取った人質ビジネスだ。

 イヤだなんて言えるわけがねえよ……


「あのね…き、君のことをとても気に入っている子がいるんだけどね……」


 レイさんは話し始めた。が、何故か再びその顔は淡い影が差すようになってしまった。


「その……家柄は確かなんだけど、取柄なんてそのくらいでね。

 あんまり性格も良くないし、はっきり言ってしまえば……嘘つきで、陰謀家だよ。

 体も強くないし、小さいころから病気がちだった。

 友達も……少ない。きっと式に呼べる相手なんて片手で数えられるくらいかも」


 レイさんは話しているうちにどんどんうつむきがちになって、声もか細くなって、視線はもうほとんど自らの手元まで落ちていた。


 しかし見合い写真も釣書も無いうちからそんなディスらんでも。というか、なぜそんな相手を。

 ああ、そうか。これが古い家のしがらみってやつか。レイさんも苦しい立場なのかもしれん。

 でも正直言って気は乗らねえなあ……


「だ、だけどね!」


 バッと顔を上げて真っすぐに俺を見る。


「君のことがす……すごく、気に入ってるのは…本当だよ。

 本当に……本当なんだ。嘘じゃない」



 絞り出すような、声だった。

 今にも泣き出しそうな顔だった。



 それが俺の胸のどこかにあったスイッチをガツンと叩く。いっぱしの野郎なら誰にでも備わっている『漢気』とデカデカと書かれたスイッチだ。

 俺は見得を切って深々と頭を下げた。


 よろしゅうござんす。不詳のこの身ですが腐ってもスケーナの勇者。

 そのお見合い話、謹んで拝承いたしやす。


 何より俺がレイさんのお心遣いを無碍にする筈がありませんや。ウワッハッハッ

 最後に乾いた笑いが出ちゃったがもう笑うしかない。


「……言ったね」


 はい……? ヒェッ!


 レイさんはいきなりバンとテーブルに両手をついて身を乗り出した。恐ろしいほど整った顔立ちが目と鼻の先に突き付けられる。


「言ったね。

 言質を取ったからね。

 後でナシって言ったって許さないから」


 コワイ!

 目が据わってる。というか、血走ってる!! す、すごい迫力だ!

 迂闊な発言をすれば即座に始末されそうな『凄み』を感じる。これは確かにあの皇帝陛下の縁者というのも頷ける。

 ということで首をガクガク振って頷くと、レイさんはホッと満足げに微笑んで腰を下ろした。こ、怖かった……


「よかった。もう、断られたらどうしようかと思ったよ。

 私の方で話を進めておくから、さっそく場を整えようじゃないか。

 ね、スケーナに戻った後で時間は空いてる? 戦争が終わったらなんて悠長は言ってられないからね。

 あ、そうだ。君、正装は今日着てきたやつだけ? それだとちょっと派手すぎるなあ。

 もう少し落ち着いたやつを見繕ってあげる。そうそう、苦手な食べ物とかは無かったよね?」


 先ほどとは人が変わったようにウキウキのルンルンである。

 俺は腹が立った。全く人の気も知らんで楽しそうに……流石に一言言ってやらねば収まりがつかん。


 ねえレイさん。俺の世話を焼いて下さるのは有り難いんですが、レイさんの方はいかがなんです?


「え? 私?」


 キョトンとした無垢であどけない顔に俺はキレそうになった。


 カマトトぶんじゃねえ!知ってんだぞ!

 あえて逆ハーを築いてないってことはなあ!本命が一人おるんやろ!

 桃色の米の人、じゃねえ、紫の薔薇の人がおるんやろ!騙されんぞ!!

 どいつだ!俺様系の伯爵家長男か!?鬼畜眼鏡で隣国スパイのあいつか!?それともミステリアスな黒髪赤目執事のあいつか!?

 白状せえ!(わし)の目は節穴ではない。うぬも悪役令嬢系主人公の一人ならん!


 というようなことを穏やかに微笑みながらマイルドに並べ立てた。


「えっ え?

 き…君がそれを聞くの……?」


 レイさんはパッと明かりを灯したように頬を赤らめてモジモジし始める。

 猛烈に腹が立った。でも俺は大人なので我慢した。

 レイさんはそのままモジモジし、たまにチラチラと俺の顔色を窺いながら、モジモジモジモジしていた。


 その間俺は腹の底がフツフツと煮えたぎっていくのを感じながら、じっと答えを待った。

 俺のハイ・ヴォルテージに反比例してカップの中の紅茶が冷めきるまでたっぷりと時間をかけて、蚊の鳴くような声で答えは囁かれた。



「……ぃ……います……」



 命が―――沸騰する―――!


 刹那、喉から噴出しかける火砕流の如き絶叫。それを咄嗟に奥歯でかみ殺す。

 そのまま奥歯を砕かんばかりに噛みしめながら微笑むという荒業を駆使し、優しく尋ねた。


 ど……どんなお方で……?


「い、言わせるの? うぅ……

 その……彼は…すごく優しくて……か、格好良くて……努力家で……

 でも…すごく、かわいいとこもあって……

 それに…いつも私を助けてくれて……辛いときには…絶対来てくれて…

 私の話を頷きながら、ずっと聞いてくれて……

 わた、私のこと……すごく、大切に…してくれて………あうぅ…」


 レイさんはそれきり何も言えなくなって、顔をリンゴのように真っ赤にさせて俯いてしまった。

 強い恥じらいの中に浮かぶ夢見るような陶酔。


 それを見て俺の憤怒は遂に頂点を突き抜けた。突き抜けた結果……粉々に打ち砕かれていた。


 元々わかってたんだ。俺はこの人のヒーローじゃないって。独り相撲でぬか喜びして勝手にキレ散らかして、恥ずかしいったらねえや。

 だいたい相手を知ってどうするんだ? 闇討ちでもしようってのか?

 悪役令嬢主人公とヒーローの麗しい恋模様に横恋慕するモブ野郎なんて、正に超ありがちな噛ませ犬じゃあないか。賢い俺はそんな愚かな真似はしないさ。

 この人が幸せならそれでいいじゃあないか。そのためなら俺は笑って不細工なぬいぐるみ役を務めるさ。醜い下半身事情なぞ断じて晒すものか。

 脇役に過ぎない俺よ。自分の命が大事なら、エンディングまで泣くんじゃない。


 ねえ、レイさん。貴方にそれだけ想われている人は幸せですよ。きっと上手く行きます。第一、貴方を袖にする男なんているはずがありませんや。


「ほ…本当!?

 げ、言質取ったよ!取ったからね!

 噓だったら許さないから!」


 俺の言質なんか取ったってしょうがないと思いますけどね。


 でも、これでわかった。わかってしまった。

 淡い初恋よ、さらば。


 そして俺は予定を空けておくと約束し、晩餐までの用事のためにいったん王宮を後にしたのだった。


◆◇◆◇◆


 さんさんと太陽が照らす美しい街並みの中、俺は皇都で人気の喫茶店へ向かっていた。しかし足取りは重い。

 身の程知らずの夢を見た代償にしてはダメージがデカすぎる。だが下手に死亡フラグが立ってしまうよりはマシと言えよう。何よりレイさんが推しなのは変わらない。

 これから仕事だ仕事。切り替えてゆけ。


 目抜き通りをフラフラ彷徨い歩きながら目的地へと辿り着く。待ち合わせ相手は一足早くテーブルについていた。

 連れ合いとパフェを楽しんでいる背中に声を掛ける。

 おーい、たか……


「美味しいなー♪ 美味しいなー♪

 んーっ しあわせぇ~♪」

「はしゃぎすぎだよ。ほら、ほっぺにクリームついてる」

「やんっ タっくんのエッチっ♡」


 た……


「えへへ……ねえ、タっくんのも一口ちょうだい?」

「いいよ、ほら取って」

「それじゃダメだよぅ。あーんして、あ~ん」

「甘えん坊さんだなあ」


 ……………………


「あのね、タっくん。

 連れてきてくれてありがとう」

「俺が一緒に来たかったんだよ。新婚旅行、ちゃんと行けなかったもんね」

「えへへ……タっくん大好き♡」



 ……てやる。



「……タっくん?

 後ろの人、いつも来て下さるお友達じゃないかしら。

 殺人鬼みたいな顔つきになってますけど」


「え?」



 ブッ殺してやる。



「ぅわぁッ!!

 ちょ、ちょちょちょ落ち着いて!!

 いつから!?いつからいたの!?

 ってか、ちょっ……! やめっ」


 ぶぅうッッッッ殺してやるぅぅぁぁあああああああ!!!!



 名を灘崇(はやせ たかし)。男性。18歳。チートスキル『鍛冶』の使い手。容疑は集団転移主人公。

 俺は二人目の主人公容疑者に正義の鉄槌を加えんと、怪鳥の如く飛び掛かった。キェーッ!


 ――絶対主人公なんかに負けたりしない!(キッ――


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