第8話 敵意の足音#1
一組の男女が街の中を血管のように張り巡らされた道を歩いている、大きな荷物を背負った姿その少し後方には狼が眼光鋭く二人に追従する、その頭上には小さな白い鳥の様な生き物が風に揺蕩う風船のように浮いていた、フィンとライルそしてそれぞれの相棒を連れ通りを進む。
この街の柱樹は遠目から見ると別段変わった様子は無い様だが住民の話によれば根部が白色化しているという、二匹の相棒も何かを感じ取っている事から病気と考えられるがどういった状態なのか思い当たる症状を話し合いながらまずは町長宅へと向かっていた。
道中声を掛けられるもまだ壊死した訳でもないのだから落ち着いて普段通りに過ごしてくださいと返答をする、その声を掛けて来る住民皆が不安の色を瞳に宿していた、静かな街だがそれとは裏腹に鋭い刺さる様な緊張感も孕んでいる。
「ここが町長の家だな、水色の屋根――間違いない」
一軒の家の前に立ち止まったライルは呟く、扉に近づきアノッカーを握ると二回叩いた、ほんの少しの間を置き扉が開くとその隙間から男性が顔を出し頭を下げ挨拶を交わす。
「少々お尋ねしたいのですが、こちらは町長さんの御自宅で良かったでしょうか?」
「えぇそうですけど、あなた方は?」
「突然の訪問すいません、私樹医師のライルと申します、こちらは同じく樹医師のリンベル、依頼を出されたようで診察に参ったのですが」
「おぉ樹医師さんでしたか! 待ってましたよ、立ち話も何ですからどうぞ中へ」
「失礼します」
中へと通される二人、フィンはディンゴとスティンクに「ちょっと待っててね」と目配せを送るとライルの後を追うように家へと入って行った、外に残された二匹は周りを見渡し体のいい軒下の日影を見つけると移動し大人しく座って待つ事にする、スティンクはディンゴの尻尾がお気に入りのようだ、何度も尻尾を掴み顔に擦り付けその度に至福の笑みを浮かべる。
その矢先好奇の目で見られている事に気付いた二匹、住民達のその視線にディンゴはスティンクを咥え立ち上がると飛び跳ね二階の屋根まで軽々と運ぶ、自分の子供を隠そうとする本能なのか、その様子に周りからは驚嘆の声が上がる中スティンクは咥えられた事を不服に思ったのか騒いでいる。
「自分で飛べるよう! 離してってば!」
「すまんな、つい癖で」
そっと口を開きスティンクを離す、胴体を咥えられ少々の唾液が付着しているのが気になるのか翼を羽ばたかせ懸命に体を乾かす、その横で伏せるディンゴの目はとても優しいものだった、つい癖で―、そんな言葉が気になったスティンクは。
「ディンゴってお父さんなの?」
「あぁもう随分昔の話だがな、お主は――いや何でもない、さぁ相棒が戻って来るまで寝るとしよう」
前脚に頭を乗せ静かに寝息を立てる、スティンクも小さな口を目一杯開き欠伸を掻くと尻尾に寄り添い目を閉じた。
◇◇◇
町長宅へと入った二人は入り口から入ってすぐ左側の応接室へと通される、足元には立派な絨毯が敷かれ壁には様々な剥製や絵画が堂々とした態度で飾られていた、中央にあるソファとテーブル、二人は荷物を手に持つと手前のソファに腰を降ろし女性の使用人が持って来た紅茶を手前に差し出される。
「まずは一息付いてから話をしましょう」
笑顔で紅茶を勧める町長、こちらも笑顔で返し紅茶を一口含む、華やかな薔薇の香りの中に仄かな酸味が感じられるとても飲み口が柔らかい紅茶だった、フィンは思わず口を開く。
「美味しい、これルビーロゼですよね?」
「ほぅ、詳しいんですね、確かにこれはルビーロゼです、少々柑橘系の果汁を混ぜた我が家のオリジナルブレンドですけどね」
町長は嬉しそうだった、フィンも久々に飲んだルビーロゼに感激している、しかしライルだけがそれを分からずにいた。
「紅茶ってそんなに種類あるのか、全部同じ味だと思ってたよ」
ティーカップに注がれた紅茶を半分程飲んだ所でライルが口を開き本題に入る、まずはいつ頃変化に気付いたのかという問いに三週間ほど前から根元が薄っすらと白くなっている事に気付いたという、しかし最初のうちは小さな斑模様でそれ程気にしていなかったと答えた、確かに小さな斑模様が出て来ても誰も気にも留めないだろう、樹液か何かが固まって出来た物くらいにしか思うまい。
それが日数を重ねるにつれどんどん広がっていき最終的に根部全体が白色化してしまったようだ、次にライルはそれに伴い何か変わった事は無いか質問をする、病気は樹以外にも至る所に影響を及ぼす場合があるからだ、例えば樹の内部が細菌や害蟲によって浸食されている場合、幹から染み出す水に変色や腐った匂いがする等の現象も見られる、しかしこれといった変化も無いという、手を顎に当て眉を顰め考える他に何か手掛かりになるような事はないのか。
「あの根部の中には入ったりしました? もし入ったのなら何か変な物とか無かったですか? 例えば瘤みたいな物とか」
黙って聞いていたフィンが少し上体を前に出し口を開く、町長は首を横に振りまだ根部には入っていないという、白色化してから時間が立っている為内部にもしかしたら細菌や害蟲が住んでいるかもしれない、そう考えれば潜り込む人などいないだろう、まずは根部に入り診察をする以外原因は掴めない様だ、二人は顔を見合わせ頷くとソファから立ち上がり。
「では根部の内部を診てみますので案内して頂けますか?」
「えぇ、よろしくお願いします」
荷物を手に取り玄関へと向かう中呼び止められたフィン、使用人が拳大の袋を持ちそれを差し出す、戸惑いながらも受け取ると「こちらをどうぞルビーロゼの茶葉です」と微笑みながらフィンの手に渡す、視線は袋と使用人の間を行き来し頭を下げる、袋に詰められていても分かる香り、それを堪能すると大事に鞄へと仕舞い込んだ。
外に面した通りに出るとライルは辺りを見渡す、どうやらディンゴを探している様子フィンもスティンクを探すが見当たらない、声を上げて呼ぼうとする横でライルは指を咥え吹き鳴らす、ほんの少しを間を置き影が上空から落ちて来る、見上げると同時にディンゴが眼前に姿を現した、更に少し間を置きスティンクが目を擦りながら降りて来る。
「さぁ仕事だ、行くぜ」
◇◇◇
町長に案内され柱樹の根元に向かう、道中ライルは様々な世間話をしていた、それを後ろで聞き耳を立て聞いていたフィンはよく話題が尽きないなと感心していた、その横に付くようにディンゴが近づくと。
「よく喋るだろう? あ奴はああ見えて最初は全然話せなかったのだ、人見知り――という訳では無いが会話の糸口が掴めなかったのだろう」
意外なライルの過去を知り驚くフィン今の様子からは想像も出来ない、人は見掛けでは判断出来ないというがまさにそれがあった、ディンゴは更に続ける。
「だが奴は変わった、旅をし様々な街で色々な人々と触れ合い向き合った賜物だな、リンベルよお主も変われるのだ、諦めず前を向き続けろ」
「うんありがとディンゴ、僕はもう大丈夫だよ」
「ふむ、気休め程度にしかならんと思うが奴も初めてニーズヘッグを目の当たりにした際はそれは酷かった、三日三晩ずっと飲まず食わずでただ部屋に籠っていてな、奴も人の子――初めて見る光景だったからな気持ちは分からなくもない、しかし樹医師なら誰しもが通る道お主だけではないのだ」
前を行くライルに聞こえないよう小さく呟く、それこそ隣にいるフィンにしか聞こえないようなその話をただ黙り静聴していた。
◇◇◇
建物を縫うように歩き、街の中を十数分ようやく目的の柱樹の根元に辿り着く、そこには人だかりが出来ており樹医師の到着を皆が心待ちにしていた、人混みを掻き分け根元を視界に捉える、樹を見上げると健康な部分は焦げ茶色をしており葉は青々としていた、だが目が徐々に地面に近づくにつれ白みを帯び地表に出ている根部は白色化していた。
フィンがその白色化している部分に手を伸ばす、触れた途端樹皮が指の先端を白く染め上げた、乾いた粉のような感触、腰に下げたナイフを手に樹の表面に突き立てると一部を剥がす、剥がれた部位の中を見ると微かだが腐りかけているように見えフィンは険しい表情を浮かべる。
樹を診ているフィンの後ろではライルが様々な方向から眺めていた、鼻をひくつかせながら柱樹の周りを嗅ぎまわるディンゴ、スティンクはフィンから受け取った樹皮の欠片を少し大きめのガラス瓶に仕舞いコルク栓をする。
「リンベル何か分かったか?」
「いえこれだけでは、でもある程度は絞り込めたのでこれを調べれば原因を特定できると思います、ただ」
何かを言い掛けそれを呑み込むように急に口を閉じる、眉間に皺を寄せ首を傾げるライルは「ただ?」フィンに聞き返すと困り果てた顔でライルを見詰める、それを見たライルは察した恐らくこの場では言えない事なのだろうと、即座に話題を変え―。
「よし、俺とディンゴで上部の様子を見て来るから二人はもう少しこの辺で情報を集めててくれ」
フィン達は頷き樹を登っていく二人を眺める、どちらも慣れたものであっという間に中腹程に到達していた。
「僕達も情報を集めよう」
人混みに向かい色々な情報を集める中、ライルは中腹で幹にピッケルを差し込みロープで体を固定しディンゴは僅かな突起部分に脚を乗せている、視線を地上に向けフィン達の様子を伺っていたライル。
「なぁディンゴ、あいつ大丈夫だったか?」
「思ったよりは大丈夫そうだったぞ、お主の昔の話も聞かせたからな」
「そうか、俺の――はぁ? お前何勝手に!」
「良いではないか、いずれは皆通る道――先輩のお主もそうだったと分かれば気持ちも軽くなろう」
「つっても俺、人見知りではないんだが」
「その方が説得力あるだろう、口下手でどうしようもない人見知りだが――そんな奴でもここまで来れた、とな」
大きく溜息をつき気恥ずかしそうな表情でディンゴを睨む、その視線を気にも留めず口の端で笑うディンゴ。
「まぁあれだけ動けるならもう安心かもな、さてもうちょい上を目指すか―」
◇◇◇
陽は傾きすっかり夕暮に支配された街、至る所の窓から優しい灯りが零れている、その一角にある立派とは言えないがそれでも泊まるには十分な宿屋に一行は居た、ベッドの上に荷物を放り投げ散らかった医療具、机の上に置かれた蝋燭のか細い火の下、木の椅子の上で胡坐をかき採取した樹皮に様々な薬品を塗り反応を伺っているフィンの姿があった。
その眼差しは真剣そのもので声を掛けて良いものかと悩んでいるスティンク、本を右手で開き文脈を指でなぞり左の手で瓶を持ち上げ軽く回しながら視線は本と瓶を往復する、ふと文字を追っていた手が止まる、それを見たスティンクがここぞとばかりに話しかけて来る。
「ねぇフィンそろそろご飯食べよ? おいらお腹空いてきちゃったよ」
「え? あ――もうこんな暗くなったんだ、そうだねご飯食べようか、着替えるからちょっと待ってね」
すっかり辺りは夜の景色に変わっていた、椅子の上で伸びをし立ち上がるとシャツを脱ぎキャミソール姿になる、鞄から別の服を取り出そうと手を伸ばした時。
「おいリンベル飯食おうぜ! 昨日から真面に――食って――」
ノックもせず入って来るライル、手にしたシャツで胸元を隠すように固まるフィン、その目には少しずつ涙が溜まり頬が赤くなる、一方のライルは顔が引き攣りいつかの列車で浮かべた表情になる、訪れる静寂それを壊す様にディンゴの前脚の爪が床に当たる音が近づき入り口で冷や汗を掻きながら固まっているライルに違和感を覚える。
「どうしたライルよ? 何かあったのか」
部屋を覗き込むと瞬時に理解し溜息をつく。
「どうしてお主はこうも、間が悪いというか」
「い、いや! わざとじゃねえんだ! これはその事故っていうか――そう! 事故なんだよ! な? リンベ」
「いいから早く出てけええええ!」
乾いた音が宿屋内に響き渡る、まさにデジャブというものだろう部屋から追い出されたライルはそのまま廊下に沈む、肩に脚を乗せ励ますディンゴ。
「いひひ、ライルはいつもデリカシーってものがないね!」
ベッドの上で笑い転げるスティンク、不機嫌なフィンは独り言を呟きながら着替えを続ける、鏡の前に立ち後ろで結っている髪を解き手串で直すと肩に相棒を乗せ食堂へと向かう、床に突っ伏しているライルを横目に無視して。
◇◇◇
一階にある小さな食堂ではフィン達を含め三組が食事をしていた、会話をしながら楽しそうな食卓を囲んでいる中、無言の食卓が何とも言えない、目を細め黙々と口に運ぶフィン、何とかこの場を和ませようと考えるライル、そんな事はお構いなしに皿に盛られた料理にがっつくスティンク、足元に置かれた料理を上品に平らげるディンゴ。
「おじちゃんおかわり!」
空になった皿を手に飛んでいくスティンクにフィンは不満げな視線で見つめる、差し出した皿にカウンターに立っている男性は笑顔で豪快に盛り付ける、スティンクはとても上機嫌だ鼻歌を歌いながら席に戻り食べようとした際突き刺さる様な寒気に襲われる感覚に陥った、恐る恐るその方向を向くと目の輝きを失い怒りに満ち満ちたフィンが見つめている。
冷や汗が噴き出て来るスティンクはテーブルに置かれているナプキンで手を拭きフォークを持つと静かに食べ始める、時折視線を送りフィンの動向を気にしながら上品に食べようと頑張っているようだ、そんな姿を見ていたフィンは微笑みいつもの表情に戻る。
「そ、そうだリンベル、何かわかったのか?」
ライルが口を開くとまるで腫れ物を見るような冷めた視線を向け。
「まだ調べてる最中で今は結果待ちといった所です」
話終わるとすぐさま視線を切る会話が続かない、気まずい空気で淀んでいる食卓、頭を抱えどうしたらこの牙城を切り崩せるのか考えていると食事を終えたフィンは。
「ご馳走様でした行こスティンク、おやすみディンゴ」
二人はそそくさと部屋へと戻って行った、残されたライル達は
「はぁ、女ってのは難しいなぁ」
「難しいというよりお主が不用意に部屋に入ったからこうなったのだろう? 自業自得だ」
「厳しいお言葉で――まぁでも確かに俺が悪いよなぁ、明日ちゃんと謝らねえとな」
部屋に戻ったフィンは一目散に机に向かうと瓶を取り眺める、細かくした樹皮を数種類の薬品に浸けていたのだ、反応をそれぞれ確かめるがまだこれといった大きな変化が見られない。
「うーんすぐは出ないか、お風呂入って今日はもう寝ようかな」
タオルを手にバスルームへ向かって歩くと急に方向を変えノブの上部にある鍵を掛ける。
「さすがにお風呂見られたら嫌だし、ね」
その日の夜はとても静かだった、樹医師が来た事で住民もいくらかは安心しているのだろう、騒ぎ立てる者もおらず街は寝息を立てているようだった。
◇◇◇
「おい、リンベル起きろ朝だぞ?」
朝日が差し込む廊下フィンが寝ている部屋の前、昨日の今日で扉を開けようとはせず少し強めにノックをするライルの姿があった、しかし待てども出て来る気配はない。
「俺、そんなに嫌われたのか」
「年頃の娘の着替えを覗いたのだ、致し方ないといえばそうだろうな」
諦めて先に宿屋を出ようと扉から一歩下がった瞬間だった、勢いよく開いた扉はライルを弾き飛ばし、ディンゴはそれをいとも簡単に避ける。
「痛ってぇ、何だよ急に」
「ライルさん大変です! これを!」
右手を伸ばす、その手には小瓶が握られており受け取り眺めるとそれは青色の液体が満たされている。
「これがどうした?」ライルが尋ねるとフィンは。
「これは白糸菌です! このまま放っておくと壊死する可能性があります早く大本のコロニーを切除しないと!」
荷物を担ぎ階段を駆け下りていくフィン、その後を頭を押さえながら追いかける。




