黒い水 #1
樹街の郊外に広がる緑と黄色く枯れた葉が絨毯の様に敷き詰められた放牧地、柵の中には無数の馬と牛、その奥には彼等の戻る牛舎が見える。
その飼い主だろうと思しき親子が、柱樹から流れてくる水を放牧地に引き入れる為の水路を掘っていた、スコップや鶴嘴を何度も地面に向かって振り下ろし、顔は泥だらけだが嬉しそうに見える。
「親父、もう少しだな」
「あぁ、これで街まで戻らなくても新鮮な水を飲ませられる」
「ほんと一日に何往復もしなきゃならなかったからな、これで水汲みから解放されると思うと嬉しいよ」
「何言ってんだ、それが無くなる代わりに干し草の入れ替えやら、散歩やらみっちりやってもらうからな」
「勘弁してくれよ親父」項垂れ怠そうに話す青年と豪快に笑い飛ばす父親。
和気藹々とした親子の日常、それを遠目で眺めている動物達、時折耳を動かしている様子は二人の会話を聞いているようだった。
いよいと最後の一掘りという所まで漕ぎ付けた、父親は息子に流れを塞き止めている板を外しに向かわせ、自身は残りほんの数センチの土の壁を崩していく。
最後の壁を貫通した事を手を振り伝えると息子は、流れを止めている板を力一杯に引き抜いた、枝分かれした水は新たに作られた水路を、粉かな砂を巻き込みながら父親の前を悠々と流れていく。
動物達は水の音に気付いたのかゆっくりと父親の周りに集まって来る、早く飲みたいと言いたさげな表情でもしているのだろうか、だが父親はそれらを宥め。
「もう少し待つんだ、まだ砂が混じっているからな――ふむ、こんなもんか」
一頭の馬の首筋を撫で手を水路に向けると、次々と鼻を水面に近付け匂いを確認し口を沈ませていく、喉が渇いていたのだろうか、皆ものすごい勢いで飲み込んでいく、流れて来た水が無くなりそうな、それ程の勢いだ。
「おいおいもうちょっと落ち着いて飲むんだ、無くなりゃしねえよ」
入れ替わり立ち代わり新しく出来た水路に群がり、乾いた喉を潤す姿に。
「疲れたけど、こいつら嬉しそうだ」
「あぁ、いつも節水でたっぷりとは与えられなかったからな」
達成感と疲労感からか肩に掛けた鶴嘴を脇に投げ捨て、大きく息を吐きながら草花の上に倒れ込み、流れる雲を眺めている青年、そっと目を閉じ潺と動物達の呼吸音、そよ風が青く澄んだ秋空を奏でる。
だがそれを掻き消した突然の今の鳴き声、慌て起き上がると先程まで水路付近に集まっていた馬達が奥へと離れて行く、それに続くように今度は牛も。
何事かと思った青年は急ぎ馬へと駆け寄り話しかける。
「よしよし、どうしたんだお前?飲み過ぎて腹でも痛くなったのか?」
「おいこっち来て見てみろ!」
落ち着かない様子の馬を宥めている所へ今度は父親が声を上げた。
「今度は何だよ、どうした親父?――何だよ来れ」
「分からん、だがあいつらはこれに反応したようだな」
流れる水を眺めていると時折流れて来る黒いヘドロ状の何か、その一つを掬い上げ一通り眺めると今度は匂いを確認する、その匂いたるや。
「うお!くっせ!なんだよこれ!」
「これは――柱樹から流れてきているのか」
「当たり前だろ、これは農業用の水路なんだからそれ以外では使わねえよ」
一体どうしたというのか、なぜこんな物が流れて来るのか、親子はただ立ちすくみ街の中央にある柱樹を見ていた。
◇◇◇
フィン達一行は次なる樹街へと来ていた、街並みは変われど雰囲気はいつも通り、違う事と言えば冬も近付き皆が厚手の恰好をしている位である。
「お腹空いたなぁ、早くご飯食べたいなぁ」
「列車で食べたばっかりじゃない、ちょっとは我慢しなさい」
「お腹空いた!お腹空いた!」
「ああもううるさい!じゃあいっそ首から食べ物でもぶら下げてたら!」
「お姉ちゃん飴が食べたいです、糖分補給は大切です」
「いやそれはフェオが食べたいだけだろ」
「幼児虐待です、即刻しょっぴかれる事を提案します」
「なんで俺だけ風当たり強いんだよ、てかいつも思うんだがどこで覚えるんだそんな言葉」
駅前で騒いでいる一行、周りを行き交う人はクスクス笑いながらこちらを見ていた。
それに気付いたフィンとカラトは足早にその場を去る、あの視線にはまだ耐えられない、耐えようとも思わないが。
とにかくこう騒がれては行動出来ないと判断し、昼食には少し早いが一軒のレストランへ立ち寄る事にした、喫茶店にも似たお洒落な店内、天井から吊るされた鉢植えにはハーブが植えられ、香りが充満している。
「良い香り、落ち着くねここ」
「そうだな、中もいい感じじゃないか――さて何を飲もうかな」
「あ、私紅茶で」
「オムライスを所望します、ケチャップたっぷりの」
「えっとね、肉!」
「一人だけ漠然としすぎだろ、とりあえず適当に頼むか、スコル達もそれでいいだろ」
「食えればなんでもいいぞ、だが薄味で頼む人間の味付けは濃すぎてな」
「分かったよ、すいませーん注文をお願いします」
◇◇◇
テーブルに置かれた空いた皿が下げられる、残された一行は食後のお茶を楽しんでいた、フィンはメニューを眺め、フェオは隠しておいた飴を舐める事無く恍惚の表情で眺め、スティンクは膨らんだ腹部を撫でながらテーブルの上で仰向けに寝ている。
徐々に混んでくる店内、さすがにいつまでも居座るのも悪いと思ったカラトが席を立とうとした時だった、メニューを眺めていたフィンが何か見つけたらしい。
「ねぇこれ、炭酸水だって!どんな飲み物だろ」
「飲んだ事無いのか?ふっふっふ、これは一度経験しておくといいかもな」
「フェオも勉強になりますか?なるなら飲んでみたいのです」
「よしせっかくだ、最後に飲んでみようぜ」
注文して程なくテーブルに運ばれてくる炭酸水、グラスの内側に付着した無数の泡は水面に上昇しポツポツと破裂する様子に興味津々だ。
「これが炭酸水!泡が出てるね!綺麗だなあ」
「シュワシュワいっています、匂いもあまりしません」
「まぁまぁ、まずは飲んでみたまえ――あ、おいそんな一気に!」
どんな物か知らないフィンは口いっぱいに含んでしまった、瞬間口内で弾ける泡とあの独特の刺さる様な感触に手を口に当て下を向く。
ゆっくり上げた顔は、今にも泣きそうな表情で「よくも騙したな」と訴えているのが分かる、後頭部を掻きながら。
「刺激が強いから少しずつ飲めって教えようとしたのに、そんな一気に飲んだらそうなるだろ」
「くひのなひゃはひはい(口の中が痛い)」
「お姉ちゃん――、フェオが敵を取ります!」
次はフェオが挑むようだ、フィンを一口で撃沈させた相手だ、まずは睨みを利かせ牽制する、次にグラスを回しどこから飲むか探す、そして。
「ここです!」
「だから一気に飲むんじゃない!」
髪が逆立ち頭頂部にあるあのアホッ毛が激しく揺れる、目を見開き短い足をバタつかせている、どうやらフェオもこの刺激には勝てないようだ。
とんだ伏兵にしてやられた二人はぐったりした様子で何か呟いている、カラトは罪悪感に苛まれつつ。
「す、すいません、お勘定を――なんかごめんな二人共」
優雅な午後とはいかなかったが昼食を終え、店を出た一行は役場へと向かった。