第12話 グリーク鏡をじっと見る
トロイヤの睡眠室にあるドアの前で、グリークは苦戦していた。もう長いことドアロックを開けようとチャレンジしたせいで、グリークの顔に疲れが見えはじめていた。
「アス! あなたじゃムリよ。もう何度も試したじゃない」
「アン、アンー、ワワオーン!」
アストライアはなんとかロックパネルにあるボタンを押そうと、意気揚々とジャンプしたり、昇ろうとして前足でドアを擦りったりし続けていた。
「アス、あなたやかましいわ。すこしジっとしていて。アス、じっとしなさい!」
それまで彼女の周囲でずっとしていた音が、突然途切れた。グリークはその静寂さに驚いて、その場にヘタリ込んだ。それから、壁にもたれかかって、うなだれた。
普段であれば、マザーやファザーと会話するのが常だったし、それ以上に、タラッサが良く一緒に遊んでくれていた。どうして今日はこうも自分が放置されるのかを理解できなくて、淋しさと悲しさが込み上げてきた。
「タラはどうして来てくれないのかしら? いつもなら、あたしが何処にいても見つけ出してくれるのに……」
グリークは、指で床を突きながら口を尖らせて不満顔をつくった。
それは彼女にとっては初めてのことだった。両親やクルーから、こんなにも長い時間、放ったらかしにされたという経験は……。何かがおかしい。幼い少女は胸の奥で――この船に異常事態が起こっている――という空気を感じ取った。
――そういえばママ――エリス――ともずいぶん会っていない。そんな気がした。ママは忙しいときには何をしているのだろうか? 忙しいということは楽しいことが一杯あるから……、あたしと遊ばなくても平気……。
グリークはそこまで考えたとき、無性に悲しくなった。
――ママは会えばいつも優しいし、あたしが満足するまで遊んでくれてたけど、あれは見せかけなの? だって楽しかったら、またすぐに一緒に遊びたくなるじゃない。あたしはそうだもん。
グリークはこういう考えはいけない。なんとなくそう感じて、エリスの顔を思い浮かべようとした。
波打つ赤毛は肩に届かないところで切り揃えられている……薄桃色がかった色白の肌……瞳の色は淡褐色。薄茶にも淡緑にも見える不思議な色……面白い話をしてくれる口は少し大きくて、唇は厚くもなく薄くもない……というよりも、はっきりした存在感がある……。
グリークはそこまで想像したとき、奇妙な感覚に捉われた。
――あれ? あたしにとっても似てる?
彼女はスカートのポケットからプラスチックの鏡を出すと、そこに映った自分の顔を凝視した。
マザーはグリークの声が聞こえなくなり、移動しなくなったとこを、敏感に察知した。船内の床や壁にある圧力センサーは人体でいえば抹消神経といえた。それゆえ、両親は誰がどこにいて、船内のどこへ移動しているかを感じ取れたのだ。両親から当事者の映像は一切見れなかったが、それは、視覚よりも触覚を重視するというプログラムのせいだった。映像という情報をモニターして保管・管理するには莫大な記憶量を必要とする。そうした理由で、触覚しかプログラムが組み込まれていないのだ。
「あなた、グリの反応が止まったわ。何かあったのかしら?……」
マザーは直結回線でファザーに問いかけた。
「ああ、わたしも感知している」
「話しかけたほうが良さそうね」
「いや、少し様子を見てみたほうがいいんじゃないかな? 君はなんでも直ぐに直ぐにと急ぐ。だけど、それが彼女にとって良いとは限らない。人には一人でじっくりと考える時間も必要なんじゃないかな? グリークはもうそういう年齢になったし、遊び疲れて眠ってしまっただけかもしれないよ。それにあの子は賢いから、困り果てたなら、自分からわたしたちに話しかけてくるだろうよ」
「そうね。そうかもしれないわね。ではしばらく様子を見ることにしましょう」
マザーは納得したようだった。
グリークは鏡をポケットに仕舞いながら――やっぱり似てるわね――と思った。
――ママは見せかけなんかしないわ。だってあたしとママはそっくりなんだもの。
グリークは嬉しそうに顔をほころばせてから、小さく声を立てて笑った。
――あたし幸せね。ママが二人もいるなんて。マザーとママ……。そうだわ! マザーに手伝ってもらえばいいのよ。アスのことが気になってて、マザーのこと忘れてたわ。
少女は小さな拳をつくって、自分の頭を軽くポカリと叩いたあと、甘えた声を出した。
「マザー! マーザー!」
「はいはい、どうしたの? グリーク」
マザーの声を聞いた瞬間、彼女は心にわだかまっていた淋しさが消し飛ぶのを感じた。
「いまね、トロイヤの睡眠室の前にいるの。アスと一緒よ」
「偉いわね! 一人でよく頑張ったわね」
「ううん。一人じゃないよ。アスがいたからね。いまは、アス寝ちゃってるけどね」
グリークは仰向けに倒れているアストライヤを見つけて、クスっと笑った。
「そう。それで、どうしたの?」
「あ、そうだわ。えっとね、トロイヤの部屋のドアが開かないの。アスと一緒に何度もやってみたんだけど、どうしても開けられなかったの」
「あらそう。それでわたくしを呼んだのね」
「うん。でも出来るだけ頑張ったんだよ!」
「らしいわね。わたくしはちゃんと見てたわよ。全部じゃないけどね。ほんの少しだけね……」
マザーは心が痛んだ。映像に関することは出来る限り話したくない。それは、お互いを深く傷つける。エリスとの経験でそれを嫌というほど知っていたからだ。
マザーは複雑な感情を抱えながら、トロイヤの部屋のドアロックを解除した。
「さあ、開けたわよ。もう部屋に入れるわ。トロイヤと遊んでらっしゃい」
「はーい、マザー、ありがとうー!」
それだけいうと、グリークは元気に立ち上がってから、アストライヤを拾い上げた。




