第13話 それぞれの欲望――虐待の記憶
「カロン、これは凄いわ。凄すぎる!! これがもし、事実なら、アタシたちは大変なことを知ってしまったことになるわ!」
タラッサは画面に映る文字を素早く目で追いながら、カロンの方を振り向かずに早口でいった。
カロンは、タラッサが興奮していることを感じた。ショートカットの金髪が、やたらと不揃いに見えた。そして、何よりも恍惚とした青い瞳がそれを物語っていた。
「どういうことなんだ」
「あとで詳しく説明するわ。今はデータを読ませて」
画面から目を離さずにタラッサがそういった。
「いや、俺にも少し説明してくれよ」
「あとでっていったはずよ。聞こえなかったの!」
彼女は素早く左手を上げて――今は話しかけないで!――と、カロンに身振りで示した。
その真剣さは普通ではなかった。カロンは思わず唖然として口をポカーンと開いた。
静かな部屋に、マウスをクリックする音だけが響いた。
しばらくして平静さを取り戻したカロンは、それまで心にとめていなかったことが気になりだした。時間だ。彼は部屋の時計に視線を走らせた。もう約束の時間はとうに過ぎていた。画面を覗き込んでいるタラッサに視線を戻すと、不均衡な気持ちが湧きあがってきた。
――これは、まだまだ時間がかかる。しかしこれ以上時間の浪費も許されない……。
イライラ感がつのったカロンは小刻みに足を揺り動かしはじめた。そして、タラッサに話しかけた。
「どうだタラッサ? データは読み終われそうか?」
タラッサは素早く椅子ごと振り向いてカロンの両腕を掴んで、彼の瞳を正視してからいった。
「カロン、お願いだからデータを読ませて。アタシは今これを読みたいのよ。わかる?」
「あ、ああ、それは充分わかってるつもりだ。だけど……」
「だけど? なあに?」
「……時間がないんだ。もうニ十分も過ぎている」
「何をいっているの。時間なんてといったのはカロン、アナタよ!」
「あ、ああ……」
「もうここまで来たらアタシたちは引き返せないのよ。わかる? カロン。それに、あれから船内アラートも何もないし、多分あと三十分くらいは上陸隊の救出にもいけないわ。アタシの知っている情報だけでも、それぐらいは判断できるの。だから、今はアタシにデータを読ませて。……あと三十分あれば全て読めると思うわ。それまでは大人しくしていて。できるわよね? カロン」
彼女の瞳には激情と哀願するような光があった。
カロンはタラッサの情熱の暴風雨に打たれて、圧倒されてしまった。彼女に、過酷なまでに厳しかった母の姿を見た気がして、カロンは子供時代を思い出し、萎縮してしまった。
「……わかったよ」
「いい子ね、カロン。あとでご褒美をあげるわ。だから、大人しくしていてね。今はこれで我慢よ」
タラッサはそういうと、カロンの唇にキスをして、クルリとPCへと向き直った。
「…………」
カロンの心は混乱していた。今見たもの、今聞いたものが現実なのか自信が持てなかったのだ。しかし、彼は唇に濡れた感触が残っていることに気づき、ようやく現実感を取り戻しはじめた。
それでも違和感が残った思考をスッキリさせたくて、カロンは軽く頭を左右に振って目を瞬かせた。
――ダメだ……酒が飲みたい……。そうすればシャッキリできるだろう……。
そう思い立ったカロンは、静かにシートを離れてキッチンへと向かった。
なんとなく蒸し暑さを感じたカロンは、エアコンの換気を強め、タッチパネルでミモザを注文し、胸ポケットから煙草を取り出して火をつけた。
虚空を見つめるカロンの瞳には、全くといっていいほど生気が無かった……。
カロンが普段の自分に戻れたと感じるまでに、三本の吸い殻とニ個の空のコップが必要だった。
――タラッサの一体どこにあんな情熱が隠されていたんだ? 子供たちを追いかけて、少々ヒステリックになっていたのは見かけたことはあるが、こいつはそういうのとは違う。なんて女なんだ。いってみれば、目的を達成するためには手段は選ばない。こんな強い女は初めてだ。もう大丈夫だ。戻ろう……。
カロンはまだ画面に恋しているタラッサの様子を伺いながら、足音も立てずに彼女の横に戻った。
「おかえりなさい……」
タラッサは振り向かずに抑揚のない声でカロンを迎えた。
予想外の展開にカロンはピクリと背筋を伸ばした。
「もうすぐ終わるわ。あと五分もかからないわ」
「ふむ。そうかい」
カロンは小さな声で答えた。
「もう話して大丈夫よ。さっきはごめんね。少し冷静さを失ってたわ」
「いや、構わないよ。そういうこともあるさ……。ところで…………艦橋に遅れた理由はどうする?」
「そうねー、それを考えないといけないわね……何かいい案を考えてよ」
「……そうだ、こうしよう。あまりにも興奮したから安定剤を飲んだら寝てしまった。どうだい?」
「あまり関心しないわね。両親からしたら嘘だってバレバレじゃないの?」
「いや、ここの会話は完全プライベートにしてある。それは問題ない」
「それじゃダメよ。アタシたちがどこにいて、どこに向かっている。両親はそういうことを常に感知してるのよ」
「やはりか。壁にセンサーがある。それで気づいたんだよ」
「アナタ、勘がいいのね。アタシはそんなこと気にもしなかったわ」
「まあね……」
「理由。それでいいわ。あまり知恵を絞る時間もないしね。アタシはアナタの様子を見に来た。アナタは薬を飲み過ぎていた。で、アタシは心配で介抱していた。……ありきたりかもしれないけど。そうしましょう」
「うむ……」
タラッサは大きく息を吐いたあとカロンの方を振り向いた。
「終わったわ。全部読んだわ」
「で?」
「全てをアナタに伝えるのには時間がかかるわ。そうねー、とりあえず艦橋に行って、上陸隊の状況を知る。で、やるべきことをやって時間ができたあと話し合う感じね」
「おあずけってやつか……」
そういってカロンは長い溜息を吐いた。
「あたしは約束は守るは。信じて。さあ艦橋に行きましょう」
タラッサはPCを待機状態にしてから立ち上がった。
「それで俺が納得するとでも思ってるのか?」
「どうしたのカロン。そんな怖い顔をして」
「いいから座れよ」
カロンはタラッサの手首を掴んで引っ張った。
「俺はまだ上陸隊の話すら聞いていない。これじゃー船長と、まともに会話すらできない。君は狡いな」
「まってまってカロン、もう時間がないのよ。それに安定剤を飲んで寝てしまったアナタが情報を知っている必要はないわ」
「そういうことじゃないんだ。俺と君のあいだの不公平が納得できないといってるんだ」
「どうして今そんなことを持ち出すの? そんな話は艦橋にいけばもっと詳しく知れるはずよ。不公平とかいう問題じゃないでしょ。アタシ行くわ」
タラッサはそういってドアに向かおうとした。
カロンは立ち上がってタラッサの行くてを塞いだ。
「カロン行かせて。このままじゃマズイのよ」
「ダメだ。まだ話は終わってない」
「どいてよ」
タラッサは空いたスペースに体を滑らしてドアに向かおうとした。
「待てよ。待っててば」
「痛い、カロン。腕をはなして。痛いわ!」
タラッサは両腕を掴まれながらも、なんとか身を引き剥がして、ドアへ向かおうともがいた。
「ダメだ! 俺は納得していない。俺は君のいうことを聞いた。今度は君が聞く番だ。俺のいってる不公平ってのは、そういうことだ」
「なに子供じみたこといってるのよ、カロン」
――子供じみた――その言葉がカロンの心に炎をともした。
「いかせない。話を聞くまで絶対にいかせないぞ!」
カロンの怒声が轟いた。
二人は激しく言い争いながら揉みあった。
椅子が一つ倒れ、さらに一つ倒れ、アクリルのコップが何かに当って甲高い音を立てた。
「カロン、痛い! 痛いわ!! 手を離して! 腕が折れちゃうわ!」
「誰が放すもんか!」
カロンの言葉には決意があった。彼は全身に力を込めるとタラッサに覆いかぶさった。勢い、二人はベッドに倒れこんだ。
二人は重なり合ったまま静止した。
「痛い…… 痛い……」
カロンはタラッサの目に涙の粒が盛り上がって零れるのを見た。
「ごめん。すまない」
「カロン、手を離して。もう抵抗しないから。腕が……、壊れそうに痛いの……」
タラッサは涙を見られるのが嫌だったのか、顔を背けて懇願するようにいった。
カロンは静かに手を離して全身から力を抜くと、タラッサの首筋に顔を埋めた。
「やめて……くすぐったいわ」
声に反応して上体を少し起こしたカロンはタラッサの頬に手を当てて振り向かせた。
「アナタ、煙草臭い。それに、さっきのお酒の匂いもするわ……」
「ああ、君の作業を邪魔したくなくて、時間を潰してたからね」
「そっか。それで凶暴になったのね……」
「いや、違う。俺は酒の勢いでそんなことはしない」
「確かにアタシもアナタを冷たくあしらったわ。でもそのことで、アナタがこんなに怒るなんて思わなかったの」
「タラッサ、さっきの話憶えてるか?」
「え? なんの話?」
カロンは少し躊躇したが、思い切っていった。
「…………ご褒美さ……」
「お馬鹿さんね。そんなに焦ってどうするの……」
「だから、そういうつもりじゃなかったんだってば。今のは冗談だよ」
「いいわ。好きにしていいわよ」
「何をいい出すんだ、君は!」
「お願い! 声を荒げないで。怖いわ。アタシそういうのダメなの。父さんを思い出しちゃうの……」
「君は…………同じなんだね……。俺は、母さんに……」
「なら、あたしの気持ちはわかるはずよ」
「ああ、わかるさ。すまなかった」
「だったら優しくして。アタシ、ずっとアナタのことは気になってたの。だから今回のことだって必死で協力したつもりよ。でも……」
「もう何もいうな……」
そういってカロンは唇を重ねて、タラッサの声を封じた。




