12話:NPO「巣立ち村」の活動2
そして工務店で左官、大工、家の塗装などの作業を訓練しても人それぞれ、
器用、不器用、向き不向きがあり中でも遠藤一彦17歳が手先が器用で、
既に家の建築現場にアシスタントとして仕事の手伝いをしていた。
佐藤茂は17歳はカンナかけ、のこぎりの使い方が上手だった。
鈴木太一は器用で包丁さばきよく料理の仕込みするときには重宝した。
もう1人の太田寛太は料理は料理のセンスが良く食堂の大将に多くの料理の
レシピと勘所を教わっていた。しかしもう1人苗田敏夫は料理のセンスは
ないし不器用だったが計算が早く電卓、パソコンを使いこなしていたので
霞食堂でレジの仕事と仕入れなど計算を引き受けた。そして12月8日に
運転免許を取得した。
12月10日から最後の18歳、原田輝之が教習所に通い始めた。
そうして2009年も12月17日に霞食堂で忘年会を開いた。
忘年会の席で早く料理を覚えて就職できるように頑張ると西藤達夫
がいった。そして霞食堂が太田寛太と鈴木太一は来年春にでも就職活動
を開始で、多分、就職できるだろうといった。
そして山下工務店の山下社長が遠藤一彦、佐藤茂の2人は来年4月
つまり研修1年で多分、工事現場の仕事の手伝いが出来るから雇ってくれる
はずだと言った。その後NPO「巣立ち村」で来年も多くの児童養護施設
の卒業予定者が大勢、研修したいと言われていると報告した。そして、
その忘年会の旨い鍋料理を食べながら8人の研修生に今後の豊富を話して
もらうと早く自立したいと言う気持ちがにじみ出てることが岩津幸一には
嫌というほど伝わってきた。
そして2009年が終わり2010年を迎えた。2010年が始まっても
研修生は気合いを入れて頑張っていた。そして2月12日霞食堂の泉孝さん
が知り合いのつてを使って朝9時に太田寛太と鈴木太一を車に乗せて高尾
と八王子、橋本の5軒を回った。その中で、特に橋本駅近くの真田正一さん
78歳と奥さんの澄子さん74歳が身体の具合が思わしくなく店を譲りたい
と言っていたのが気になった。そして泉孝さんに店を賃貸で貸すから、
やらないかと話した。
1991年に京王線が開通してから駅前は賑わっていると話していた。
そして店は昔ながらの食堂で調理場もフロアーも広いので2人では使い
切れてない。多分6人で回して無駄に広い駐車場も潰して店を広げれば
大きな商売も可能だろうと考えた。以前、この店で泉孝は働いたことが
あり真田夫妻は子供のように可愛がってくれたが2人の男の子は賢くて
一流企業に就職してアメリカに渡って滅多に日本に帰って来なくて
大金持ちになったと言う噂だった。
午後16時に青山に帰ってくると、この話を泉孝が岩津幸一に話した。
そして泉さんが俺が真田さんの後を継いでも良いといった。時間をかけて
女房の泉秀子とも相談して見ると言った。その後、3月になり泉孝さんが
泉食堂を閉店して奥さんと太田寛太と鈴木太一、西藤達夫、苗田敏夫6人
で真田さんのレストラン「真田」の跡をつぐ事を真田さんが喜んで
賛成してくれたと話した。
その後、山下工務店の山下社長が遠藤一彦、佐藤茂、木下良和、原田輝之
をのせて建築会社を訪ね歩き八王子、橋本、相模原、町田、海老名、厚木
を1日かけて回ってくれ、全員の就職口が決まった。山下社長によると
工事現場に就職若手が減り困って気心の知れない外国人労働者を入れる
事業所も増えているようで人手不足を感じたと言った。




