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◆石の上◆ ―囀り石奇譚―  作者: 犬神まみや
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「3」

-おたなの異変- 

「今帰ったぞ…」


戸を開けながら声を出してみたが、慌てて飛んできたのは女中頭だった。


―…やはり出てこないか…


気持ちの何処かで本の少し期待していた。

今日帰宅すれば彼女は元に戻ってるんじゃないか…


が、やはりそれは甘い期待に終わった。


…あの日以来、帰宅した私を玄関口で迎える事もしなくなった妻。

今までは誰よりも早く、私の声を聞きつけ、迎えに出て来てくれていたと言うのに。


下手な奉公人や女中などより、よく働いた妻。

これじゃぁ、奥様に申し訳ねぇ、と店の者達が彼女の負担を軽くしようと率先して動き出す程だったのに…。


屋敷の中も妙にどんよりと薄暗く感じるのは、私の気が重い所為だろうか。


―…否…違う…やはり何かがおかしい。


なんだろう?何がこんなに私の気持ちを苛立たせ、不安にさせ、背骨の辺りを不快にさせるのだろう。胃の底の辺りが妙に泡だって仕方がない。


―…あぁ、そりゃ取ッ憑かれてるわね―


山高氏の言葉が急に甦ってにわかにゾッとした。

廊下の隅や天井に思わず視線を走らせ、肩をすくめる。

と、そこでなにやら気配を感じた。

渡り廊下の先の壁に いつのまにか妻がもたれかかって

コチラをじっと見据えていたのだ。


…またあの瞳だ。


黒い瞳が滑るように燃えている。あの恨んでいるかのような滑る黒色…。


―…私がお前に何をしたって言うんだい?


問いかけようにも その凄まじさに呑まれて言葉にならない。

唇も色を失い、白い肌は以前にもまして青白く、目の下に出来た隈で更に病的に見える。あの日以来髪も結っていない。


どれ位その場で見つめ合っただろう。私は意を決して彼女に声を掛けようとした。

すると彼女は丸でそれを察知したかの様に素速く身を翻し、屋敷の奥へ走り去って行ってしまった。


先刻まで彼女のいた場所へ立ってみると

酷い酒の匂いに混じって…何かもぅヒトツ…得体の知れない

胸の悪くなりそうな甘い匂いが漂っていた。


***


不思議と悪夢が入り交ったような出来事があった日から六日が過ぎ、何事もなく時間は流れていった。


何事もなく? 否、そうではナイ。


彼女は相変わらず昼から酒の匂いをさせて、イライラしている。

店の者達は彼女の存在に怯え、彼女を避け、日に日に活気を無くしていく。

私は何も出来ないまま、その問題から逃げるようにして仕事に没頭した。


―…そうして現実から逃避しつづけた罰のように…七日目に事件は起きた。


若い奉公人が身を震わせながら明け方私の部屋の前の渡り廊下にやってきて、べたりと頭をつけて伏し拝むと、旦那様お暇を下さいと体裁もかまわずヒィヒィ泣き出した。

一体どうしたのか訊いても、私がおかしいのです、としか答えない。

収集がつかないので番頭を呼んで部屋で休ませてやるように伝えたところ、奉公人は絶叫した。

「こんな気味の悪い所にもう居たくないんです!夜中に女の化け物が天井から出て来てじっとオラを見てるんです!」

頭がおかしくなったと思われると言えなかった、と奉公人。


そこにお英がふらぁりと通りがかる。

ざんばらの髪の毛の隙間から目を大きく見開いて、にたぁっと奉公人を見た。

奉公人はそれをみてヒッと小さく悲鳴を上げて、私たちを押しのけて逃げ出した。


「オヤオヤ、奉公人が逃げ出すなんてどんな酷いことをするご主人なんだろうね」

お英がさも楽しそうにケラケラ声を上げて笑いながら去っていく。


……その後奉公人の部屋へ行ってみると荷物を持って既に遁走した後であった。


そして正午の頃の事である。

普段は仲良くしている女中達がひっつかみあいの喧嘩を始めた。

「やめねえかっ!みっともねえっ!」

体躯のいい手代が二人の首根っこをつかんで引き離す。だが二人を引き離した手代の顔色が一瞬で変わる。女達は獣のような顔をしてシャアアと若頭を威嚇しだすではないか。

相当恐ろしかったのだろう。手代はぶるりっと身震いし、二人を庭の池に放り込んだ。


水から上がった女達はキョトンとしており、今までなにをしていたのか全く覚えていないという。

その後二人は寒気を訴えて寝込んでしまった。


「朝からナニが起きているんだ」

私は思わず声にだして呟いた。

「あたしにもさっぱりなにがなにやら」

番頭は頭を抱えて唸る。

「これだけで終わればいいんですが」

番頭の言葉は終わらないといいたげであった。


そして夕刻。

店から最後の客が帰った。あきらかにひやかしの客であった。

散々色々なケチをつけたくていた様で、その為だけに沢山の品物を引き出すハメになり、挙げ句、長逗留されたのである。

最近こんな客ばかりだなと溜息が出た。あまり腹立たしいので塩でも撒いてやろうかと考えた矢先。


鴉がけたたましく一声あげた。

何かを呼び覚ますかの様な羽をばたつかせる音に、不安ではち切れそうな胸を指し貫かれた気がして振り向いた。


外は燃えるように朱く染まっている。彼女がおかしくなったのもこんな禍々しい紅の空の日だった。

あの日から全てが狂ってしまった気がする。

私は嫌ァな気分で店を閉めるのを任せて奥へ引っ込もうとした。


その時、

「旦那様!旦那様!!」

番頭が血相を変えて飛んできた。


「どうした?そんなに慌てて。」


番頭は眉根に皺を寄せ、何度もまばたきした。

どうやら言いにくい出来事が起こったらしい。


まさか…又…妙な事件でも?

それとも…妻か?


私の胸中で破裂した筈の不安がまた渦を巻き始める。

この番頭の様子を鑑みるに恐らく妻だ。


‘そうであって欲しくない’という気持ちと

‘きっとそうなのであろう’という気持ちが

何度も入れ替わり立ち替わりして本の数秒の間で私の全身を支配した。


計らず深い溜息が漏れた。

それを聴いた番頭が俯き、叫ぶように

「奥様が…ッ」

彼の声は涙がにじんでいる。悲痛であった。私はそれを聴いて天井を仰ぎ見て、もう一度溜息をついた。

覚悟はできた。


「今度は何が?」

「奥様が…妖しい男を屋敷に連れて来られまして…!」


全く予想していない言葉である。


「なんだと!?」


私は叫ぶと、走って客間に向かった。

「4」へ続きます。

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