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◆石の上◆ ―囀り石奇譚―  作者: 犬神まみや
3/14

「2」

-横瀬一乃助の妻、お英の異変のこと-

 私には妻が在る。

名を“お英”…“英花”と言う。


彼女と最初に出逢ったのは、三年前の冬。東京新宿にあるカフェーだった。

調度世間では、新型電話機がどこそこで設置されたと話題になっていた様に記憶している。


…私はと言うと、父が行商先で事故に遭い亡くなった為、急遽跡目を継ぐ事となったばかりであった。


 父や祖父から色々の教えを承けてはいたモノの、余りに突然であったので当然私の周辺は慌ただしくなった。

小さいながらも三代続いた呉服店であったし、私はこの仕事が大層好きであったので、

悲しんでばかりはおられず私の代でこの家業を終わらせない様必死で飛び回っていた時の話だ。


 そんな時、商談で使ったその喫茶店で女給をしていた「お英」に出逢った。

物凄い美人と言うワケでは無かったが、他の女給と比べて、何処か上品な感じのする人で、そういった場所で働くにはそぐわないな、と言うのが正直な第一印象であった。


 その取引先との商談が難を要した為、カフェーへ何度も足を運ぶ形になって、尚かつその相手先が時間に大変だらしがなかった為、

私が大分時間を待たされるハメになる事がしばしばあった。…のが、災い転じてなんとやら…で次第に彼女とも顔見知りと成ったはこびである。


 一目惚れ、とまでは行かないにせよ、彼女は多忙な私に本の一瞬安らぎを与える存在になっていた。

私達の仲は次第に親密になって行き、カフェ以外の場所で会うようになり、数ヶ月後にはお互いの身の上を色々話す仲になっていた。


 …そして彼女が元々は大家の娘で両親を早くに亡くした為、こうして色々の苦労をしている事も知ったのである。

私も早くに母親を亡くし、父も亡くしたばかりだった為、彼女の心中は察するに余りあった。


 が、同情心からとかそういう感情でばかりはなく、彼女の真正直で健気で純粋な人間性を心底愛おしく想う様になり…付き合い初めて一年で結婚する事と相成った。


 当然、親戚に反対する輩も多かったが、彼等と彼女が結婚するワケではナイ。

父母が亡くなった時分何もしてくれなかった人間が、

遺産目当てで騒ぎ立てるのを聞き入れる必要は何処にもない。

ソコは当然彼等の反対を押し切った。


 …結婚して我ヶ家に入った彼女の働きは実に見事なものであった。

御店の仕事も懸命に覚え、私の助けになろうと懸命に尽くしてくれる。


 どんなに小さくとも御店の女将となれば、奉公人達を手足のようにこき使って当然と言う女の話は良く耳にしていたが、彼女にはそんな気配は微塵も無かった。

出会った殆どの人間に彼女は非常に愛されていた事は、贔屓目などではないように想う。


…そんな妻の様子が数日前からおかしくなったのだ…。


 以前カフェーで働いていた頃の友人が、具合を悪くして起きられないでいるらしいから家までお見舞いに行っても宜しいでしょうか?と彼女は私に言って来たのである。

…その友人…“お悦”の事は一応見知っていたので私は当然承知した。

この日も綺麗な秋晴れで、彼女は供の者を1人連れ、見舞いの品を抱え人力車に乗って出かけていった。


 …そう言えば、彼女と一緒になって以来、彼女が傍らにいないのはこの日が初めてであった。

他の店の旦那衆は、愛妾を抱える者も少なくなかったので、妻1人に固執する私を「実に情けない話だ」と鼻で笑う者も多かった。

が、私は心底彼女を大切に想っていたので、例え誰になんと言われようと、彼女の留守中に妙な気を起こすでなく、彼女のいない胸騒ぎにそわそわしていたのである。


 …しかし、良くない勘と言うのは当たってしまうモノだ。

日が傾きかけても彼女が帰って来る気配が一向になかったのである。


夕暮れ時には帰宅する…と約束したのに。

秋の日は釣瓶落とし。

闇が次第に押し寄せて来るにつれ、私はそらそらと恐ろしくなって来た。


彼女は約束を破る様な婦人ではナイ。

幾ら久方振りに友人と会おうとは言ってもこんなに遅くなる筈など有り得ない。

何か事故にでも遭ったのではなかろうかと、最悪の事態が脳裏を掠め、奉公人達と手分けして探しに出ようとした…その時…。

裏口から飛びだした私の足元に、夕日が長い影を届けてきた。


お英であった。


が、一目見て、異変に気が付く。

…まず人力車に乗って帰って来なかったようだった。

その上一緒に出かけた供の少女が傍らにいない。

手荷物もナイ。


…美しく結っていた髪も、着物も乱れている。


彼女の体は影に引きずられるようにしてゆらゆらと私に近寄ってきた。


影に顔を覆われていた為スグには気が付かなかったが、彼女は私をじぃっ…と見つめていた。

普段はやさしい光りを宿している瞳は、滑るような苛立ちを放っている。


その黒色は…丸で…恨みを含む色の様だと私は思った。

妻であるのにぞっとしてしまった自分に戸惑いが隠せない。


その夜。

彼女は酷くうなされた。


高熱を出し、しきりに寒い、寒いと訴えるので私は慌ててかかりつけの医者を呼びに行こうとしたが、どうしたワケか彼女はソレを嫌った。


「スグに治るわよ、こんなモノ!」


と布団から手を伸ばし、私の着物の裾を掴み叫んだ時、彼女であって彼女でナイ様である感覚に捕らわれ益々不安になった。


…が、彼女の言うとおり、あくる朝には、本当に何事も無かったようにケロリとして起きあがり、屋敷の中を丸で始めてきたとでも言わんばかりにフラフラと歩き回るのだ。


奉公人達にその事を聞かされ、驚きを隠せないまま屋敷を探していたら中庭にある蔵の前に彼女が居るのを見つけた。


やはりどうも様子がおかしかったので、そのまま離れた場所からじっと様子を窺っていると、頑丈な黒い南蛮錠に人差し指で触れて、くすくすと笑っているのである。


にわかにぞっとして、たまらず

「お前、もぅ起きても大丈夫なのかぃ?」

と私が背後から近寄えいイキナリ尋ねると、彼女は物凄い形相で振り返り、小さくチッと舌打ちをする。


やはり以前からはとても考えられない行為だ。


その上、彼女は私を押しのけるようにしてその場を去っていった。

何の…ヒトコトの返答も、弁解もせずに。


 私にですらこの有様であったから、当然奉公人達への対応にも変化が現れた。


日中ふさぎ込み部屋に閉じこもる事が多くなった彼女は、女中を遣いに出して酒を買いに行かせ、昼から浴びるほど酒を飲むようになった。


当然、「お身体に宜しくありません、もぅおよしに成った方が…」

と、親身に進言した者は酷く怒鳴られたり、あるいはぶたれたり、その辺にあったモノを投げつけられたりしたと言う。

幸い怪我をしたりする者が居なかったのは救いだった。


しかもその時は状況の変化に驚いていた為、すぐに気がつかなかったのだがどうやら、酒代は店から捻出されていたようである。

帳簿は私が付けている。妻の変化が現れた辺りから計算が合わなくなって来た。


このままでは示しが着かないと、彼女をさりげなく問いただしてみた所、

「盗んだ証拠なぞナイだろう!?」

と酷く荒れ狂い家中の物を壊しだした。


その暴れ方たるや気でも違ったかと思われるイキオイで、男三人がかりでなければ彼女を止める事ができない程だった。

そんな有様であったから私が閉口し…底なし沼の泥のような不安に呑み込まれたのは言うまでもない。


―…そうして今に至るのである。


 私はこの苦しい胸中を、今の今まで他の誰にも…親友にですら話した事はできないでいた。

笑われると思ったからか、それとも呆れられると思ったからか、

はたまた世間体を何処かで気にしての事か…

どこかからあの口さがない親戚どもの耳に入れば、それみたことかといわれ付け入られるのを恐れての事か。


もしかしたらその全部だったのかも知れない。


兎も角、私の中の色々が歯止めを掛けて、誰にも話せずにいたのだ。


 だが、この自称“妖怪”の“山高”氏には不思議な引力がある。

彼に向かって言葉がどんどん引っ張られ、私の口からほとばしり出るのだ。

わだかまっていた胸の内の感情を吐き出すのは、とても心地良かった。

彼は目を閉じ、その私の言葉の数々を全身で受け止めているらしい。


暫くして彼はふむと唸って問いかけてくる。


「一乃助、正直の所アンタどうおもってんの」


私は一息に話して少々放心状態のまま、

「…丸で…何かに取り憑かれているとしか私には思えないのです」

と答えた。


その時、この想いを口にした途端、私の心臓あたりで引っ掛かっていた鋭い小骨が偶然抜き取れたような気分になった。

合点のいかない全てがすっと流れた気になっていると、山高氏は


「あぁ、そりゃあ…取ッ憑かれてるわねぇ」

とサラッと言ってのける。


小骨の抜けた私の心臓が、今度はその言葉に2~3度激しく跳ね上がった。


「そ・そんなッ…何故お解りになります!?」

「だからぁ…先刻も言った様にあたしゃ妖怪なんだよぅ…。大体今までの経緯をキチンと聴いてりゃぁ奥方の様子が尋常じゃぁ無い事も、よぉく解るよ。ま、信じるも信じないも一之助、あんたの勝手だがね。

ただ、あんたはあたしにタバコを一本恵んでくれただろぅ?それのお礼…て事で、あたしがあんたの頭を悩ませてる事を解決してあげようじゃあナイの。…そぅ…この」


彼は一旦ソコで言葉を途切ると、かの大石を右の人差し指で指し示し、左の手を顔の辺りまであげ、一差し指を立てて上空を指して力強くこぅ言った。


「石の上から一歩だって動かないでね!」


私は彼のその格好を見て、妖怪と言うよりは丸で観音像の様だと感じた。


そうして彼はニヤリと不敵に微笑むと短くなった煙草をすぅっと一気に喫んだ。

さも美味そうに。


そして、唇を尖らせ、ふ―っと長く・長く煙を吐く。

まだ くすぶっている煙草の先の真っ赤な灰の奥から立ち昇る、薄青紫色の煙と、先刻山高氏の赤い唇から吐き出された白灰色の煙とが、目の前で絡み合い、やがてその曖昧な形を記憶に残して私の前から掻き消えた。

…と、その時。かの大石に鎮座していた筈の山高氏の姿も完全に消え失せていた。


―…白日夢!?


 目の前で起きたあまりに奇妙な出来事に私は狼狽えた。額に浮かんだ汗を拭い 気を落ち着かせようと、周囲を見渡したが辺りは何事もなかった様に静まり返っている。


 と、その時、煙草の幽かな残り香が、フと私の鼻先をかすめた。恐る恐る大石に目をやると、ソコには『今、己が目の前で起きた出来事は、まさしく事実である』と言わんばかりに山高氏が吸ったであろう煙草の吸い殻が山高氏の代わりの様に横たわっていた。


 真、人外の仕業であるとしか思われない…。


 私は『不安と恐怖』と『好奇と興奮』の狭間でゆらゆらと魂が揺れた様な気がした。煙草はまだ完全に火が消えておらず、まるで白糸の様に滑らかな煙を「縁を結ばないか?」と誘うかの様に私に向けて立ち昇らせるのであった。


私は興奮冷めやらぬまま、周囲を見回した。

赤とんぼが音を立てて私の右の頬を掠めていく。


それと同時にふぃに子供の声が耳に届いた。

「おじさん、大丈夫かい?おじさん?」

声の方に踵を返してみると先刻の竹とんぼの子供達である。


この子達が此処にいると言う事は…!?

「あ!?…けッ…結界とか言うのはどうしたんだ!?」


私が急に声を張り上げ、普段、彼等とは無縁の…聞き覚えのナイであろう言葉を耳にした為か子供達は驚いて私から2~3歩躰を遠のけた。私はそんな子供達を無視して腕を伸ばし、先刻跳ねとばされた空気の壁…結界に向かっておそるおそる近づいてみた…が


ナイ。

何処にもそんなモノはなくなっている。


 暫くその場の中空を手の平でまさぐっていたが己のやっている事のあやしさに急に気が付いた。我に返ると言うヤツだ。

バツが悪くなった私は、先程の子等の方へそっと目をやった。

当然目が合う。それを合図に子供達は腹を抱えて笑いだした。私の様子が余りに奇妙で可笑しかったとみえる。



…私が赤面したまま脱兎の如く、その場から逃げ出したのは言うまでもない。




「三」へ続く。

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