新たな地《弐》
「……あの、怪我はありませんか?」
しばらく経って、呪縛からいち早く解放されたアルフォンスがおずおずと青年に声をかけた。
「あ、ああ、大丈夫だ。それよりあいつは何者だ? てっきり魔法使いだと思ったんだが」
「おう、生粋の魔法使いらしいぜ」
「おいおい、冗談はやめてくれよ。俺は四位、闘士の位を授かってるんだ。ただの魔法使いに引けを取るわけが無い」
「……今の言葉、撤回しろ」
青年のその言葉を聞き、何故か急にセルグの態度が豹変した。低い唸るような声でそう言うと、青年を思いきり睨みつける。
「何だよ、お前も武闘家だろ? 魔法使い如きに本職の武闘家がやられるわけねぇだろ」
青年もそれに気づいたのか、言葉が少し険悪なものになってきた。周囲にもぴりぴりとした緊張感が伝わってくる。
「……あんた、さっきリネアに言われた言葉の意味、わかってねぇんだな」
「どういう意味だよ。さっきは油断しただけだ、本気じゃない」
その青年の言葉に、セルグは青年を見据え、苦笑して言った。
「馬鹿言うなよ。気術が専門の俺ら武闘家に、油断なんかあっちゃいけねぇ。それすら忘れてるあんたはリネアに勝てねぇよ。そこを見抜かれたんだ。それと、負け惜しみは情けねぇぞ」
この言葉を皮切りに、二人は一触即発状態となった。すぐに殴り合いにならなかったのが不思議なくらいの気迫だ。
間近で二人を見ていたアルフォンスはすぐに危険を察知し、急いで二人の間に割って入った。
「セルグ、もうやめようよ。ね?」
この時アルフォンスは無意識だったが、セルグを背にする形で二人の間に入った。
その姿を見て、セルグは張り詰めていた気を緩ませた。いや、緩まされたのだ。毒気を抜かれたとでも言うべきか。
セルグは思った。
闘いが職の自分達の間で言うのに、何とも頼りない言葉だ。しかも闘いを好まないと丸わかりのこいつが、まるで俺を守ろうとするような姿勢じゃないか、と。
だからセルグは、偉大なる頼りない守護者にこう言った。
「アル、大丈夫だ。騒ぎを大きくするつもりは無い。……なあ、ここまで言ったんだ、お互い大会で勝ち残ろうぜ。あんたも騒ぎは嫌だろ?」
再びセルグと青年が睨み合う。しかし、今度はそれが長く続くことはなかった。無言を了承の合図としたのだろう、青年は憤怒の表情を浮かべたままであったが、黙ってその場を去って行った。
その後、冷めてしまった三人分の食事を二人で片付け、部屋に戻った二人だったが、ここまで会話らしい会話はほとんど無かった。
アルフォンスはセルグの豹変振りに驚いていたし、セルグは青年への苛立ちから口を開こうとしなかったからだ。
(でも、このまま朝まで無言、ってのもなぁ……。けど何て言えばいいんだろ。あ~、困った……)
とにかく何かしなければ駄目だ。そう思ったアルフォンスは、勇気を出して寝台に腰かけて窓の外を見つめるセルグに声をかけた。
「ねぇ、明日の予選ってどんな風にやるんだろう。総当たり戦とかかなぁ?」
「……」
「それとも抽選だったりして」
「…………」
「……あ、あのさ。僕、部屋から出て行ったほうがいい……?」
もう沈黙に耐えられない。
アルフォンスがそう思って言葉をこぼした時、ふーっ、と大きなため息をついて、やっとセルグが口を開いた。
「――いや。悪かったな、気ぃ遣わせちまって」
振り向いたセルグからは、すでに険悪な空気は消えていた。
それがわかってアルフォンスにも満面の笑みが戻る。
「ううん、そんなことないよ。ただ賑やかなトコで育ったせいか、こういうのはどうしても……」
「へぇ、ってことは大家族なのか?」
「ううん、村の孤児院。けど、大家族といえば大家族だね」
「孤児院?」
「そ、孤児院。僕は赤ん坊のときに父さんと村に来たんだけど、母さんはいなかったし、父さんもすぐに死んじゃったから……」
一瞬だけ、アルフォンスの瞳は旅に出て初めての曇りを見せた。
が、セルグはその一瞬を見逃すような男ではなかった。
「あー……。辛いこと言わせて悪かった。何つーかな、その……。我慢するなよ?」
「我慢? 僕、別に我慢なんか……」
ホロリ。アルフォンス目から、何かが零れ落ちた。
「え……?」
それは涙。
ポロポロ、ポロポロと。幼いころに封印したはずのそれは今、とめどなくアルフォンスの両目から流れ出していた。
「な、なんで、こんな時に涙が……。別に何でも無いのに……っ!」
「普通は親が居なきゃ辛いだろ。男だって泣きたい時は泣いていいんだぜ。どうせ今は俺しかいねぇんだし、思いっきり泣いちまえよ、アル」
「セル……グ……っ」
頼っていいのだろうか、この青年に。出会ってから一ヶ月も経たない人物に。
自分の弱さを曝け出して、いいのだろうか?
「な? 旅に出る許可を貰えた礼だ、何でも聞いてやるよ」
そう言ったセルグの笑みは、言葉は、優しくて。何よりも、力強くて。
頼りたい。アルフォンスは自分の胸の中で、奔流のように激しく渦巻く思いが生まれるのを感じていた。
(この人に、全てを曝け出したい……っ!!)
「――ぼ、僕、本当はずっと泣きたかったんだ! 村でもいっぱい色んな悩みはあったし、いきなり旅立つのだって嫌だった! けど……。けど、院長先生やみんなの前じゃ泣けなかった!! 一番年上の僕が泣くと、みんなが不安になるからっ……!」
叫ぶように、思いを言葉にした。鬱積していたモノを、いま吐き出す。
「だから僕はずっと寂しくて……。友達はいたよ? でも、やっぱり埋められない寂しさが、ずっとずっとあったんだ! それが苦しくて、だから僕は怖かったのに旅に出たんだ……っ!」
自分で言って気がついた。突然すぎる旅立ちを、最初は嫌がったとはいえ、なぜあんなにもすんなりと受け入れたのか。
自分は逃げ出したのだ。あの優しい人々が暮らす、穏やかで変わりのない楽園から。
旅立ちの理由は『界王の剣』を抜いたから。そう無理やり納得して、心の澱に蓋をしただけだった。大好きで大恩ある村を欠片も嫌わないために。
村が好きだ。村のみんなが大好きだ。でも、それ以上に変化が欲しかった。この激しい想いを形にできる場所が欲しかったのだ。
物心ついた時から自分自身にさえ秘めていた思いを、アルフォンスは初めて吐き出した。空色の瞳から涙は止めど無く溢れ、嗚咽もこぼれる。
しかし堰を切ったように溢れる涙と嗚咽は、淀んでいた澱を一緒に洗い流してくれた。溢れ出す苦しみは、同時に涙とともに消えていった。とどまることなく、外へ、外へ。
「そっか……、お前、辛かったんだな。けど、もう大丈夫だよな?」
たった二つしか離れていない年齢と普段の行動が嘘のように、セルグは大人っぽい、優しい笑みを見せた。
「え……?」
「だってよ、言ったじゃねぇか。泣きたかった、寂しかった、って。過去形ってことは、もう過去なんだろ? 現に今、お前は泣いてるんだ。俺もリネアもいつでも相談に乗る。どうだ? それでもまだ寂しいか?」
「……ううん!」
(僕もリネアは相談に乗ってくれると思うけど、勝手に断言するのは……。けど、ここがセルグらしいよな!)
「ん? 何考えてんだよ、アル」
「へへっ、ひみつ!」
「あ、てめぇ、またか!」
「駄目だよ、これは話せな……って、放して、痛い~っ!!」
「教えたら放してやるよ!」
うって変わって年相応の笑顔で、セルグは関節技を仕掛けてきた。遊び半分ではあるが、本職にやられるとかなり痛い。というか首が締まって今にも落ちそうだ。
「ムリ、痛い! わかった、言うから~っ!!」
こうして過ぎた騒がしい夜は、アルフォンスが今まで生きてきた中で、一番楽しい夜であった。
心に絡みついた鎖を解き、心から信じあえる仲間と共に在るのだから。