第6話 威を借る
屋台から真っ直ぐ進んで、曲がって直進。セロは店主から教えられた薬屋に着いていた。
「ここか…。」
目的地に着いたのに、どこか思い悩んだ雰囲気のセロ。
「まぁ、考えててもしゃーないな。
取り敢えずキバがおらんことには始まらんのやし。」
まだシコリの残った顔をしながら、薬屋の扉に手を掛ける。そんなセロにローザは優しく耳を噛む。分かち合える仲間に感謝しながら、セロは扉を開くのだった。
「すんません! ここに獣人の、、、あぁ〜!!」
そこには、やっぱりキバがいた。
「待てや! 逃がさへんぞ!!」
「離せ!! 離せよ、バカ野郎!!」
取り押さえたキバは、買い物を済ませた後のようで、大事そうに袋を抱えている。
「お客様、店内で騒ぐのはやめて下さい。また、当店は一度購入された品物を返品することは出来ませんので、悪しからずご了承下さい。」
取っ組み合いを続ける二人に、笑顔を貼り付けた薬屋がご丁寧な説明口上を行う。
有名なキバが大金を持って来たのだ、街中で営業している薬屋も、その出処は想定していたに違いない。この場で取っ組み合いを始めれば、確証を得たようなものである。
「マヌケ野郎が…離せっ! あいつの言葉聞いただろ!? 金は戻らねぇし、残りもねぇんだよ!!」
「なっ…なんやて!!? 5万G、全部使ってもうたんか!!?」
首根っこをしっかりと掴んだまま、セロに絶望の鐘が鳴る。
「そうだ! この薬が6万Gするんだよ!! マヌケなお前のおかげでやっと買えたんだ! わかったら、さっさと離せバカ野郎!」
あまりにも残酷な宣言にセロの表情が青くなっていく。これで残金を使って使役登録を行うといった、淡い期待も失われてしまった。しかし、6万Gとは、元の世界ならば60万円という大金だ。有り得ない額に、セロのソロバンが回り始める。足りない1万はキバが今まで貯めたお金があったのだろう。しかし、薬1つにそんな金額がかかるのだろうか、この世界の常識に乏しいセロだが、何か引っかかるものがあった。
「お前、文字は読めるんか!?」
「読めるわけねぇだろ!」
意図のわからない突然の質問に、素直に答えを返すキバ。この街で教育を受けられるのはまだまだ一部の裕福層だけ。ましてや、差別の対象がまともな教育を受けられるはずもない。
セロの目が薬屋の店主に向けられる。
店主は後ろ暗いことでもあるのか、奥の部屋に引っ込もうとしていた。
「ちょっと待てや店主!!」
セロは脅かそうと思って言ったのではないが、後ろめたいことがあるのか、コソコソ下がろうとしていた所を呼び停められた店主はビクっと身を震わせる。セロの口調は元の世界で見に染み込んだ方言そのままになっている。この方言は慣れない人が聞けばなかなか威圧感の強いものに感じられてしまうことも少なくない。
「なんでございましょう? それよりもこれ以上この場で暴れるのであれば、衛兵を呼びますよ!!」
強い口調で自分の意見を伝えれば、この場を逃れられるとでも思ったのか、店主は貼り付けた笑顔を引っ込めてセロに迫る。
「僕はこれ以上暴れるつもりはあらへん。それより確認したいことがあるんや。」
「なら、さっさと離せ!!」
ジタバタしながら暴れるキバ。
セロは掴んだ服をさらに強く握りしめ決して逃がさないようにしている。それでいて、全身を店主に向けながら一人の客として対応するように店主を見つめる。
「そ…そうですか。どういったご用件で?」
口調だけではなく、戦士風の出で立ちはセロの威圧に拍車をかけているようだ。背の高いセロから見下ろすように見られた店主は、震える体を押さえつけている。
「この薬は僕が買ったもんや。キバには僕が使いを頼んだんや。」
落ち着いた口調で話し始めたセロ。
セロの口から有り得ない言葉が飛び出し、店主の瞳は見開いて動きを止め、キバは暴れるのをやめた。店主としてもセロが何を言おうとしているのかがわからない。
「そのお話が今、どのような関係があるのか、私には分かりかねますが、そもそも有り得ないことかと思います。大体、お客様とそこのキバがそういった関係であるなら、今の状況が考えられません。どういったご関係なのでしょうか。」
キバは暴れることは止めて、真っ直ぐ店主を睨みつけているセロの顔を驚きの表情で見守っている。店主はというと、意外な宣言に続く言葉が気にかかるのか内心冷や汗をかき始めた。
「何や? 今そんなことは関係ないやろ。この店は客の素性を詮索するような店なんか? そうでもせんと売れんような商品売っとるヤバイ店なんか?」
「いえ、詮索などと!! そのようなことは致しませんが、お客様の発言が余りに寝耳に水だったもので、少し気にかかってしまいました。
当店は至極真っ当な経営で30年続く店です。」
「怪しいな…。ホンマか? 僕は衛兵のバルさん夫婦と仲良えんやけど、調べに来て貰った方が良えんちゃうかと思っとるんやけどな。」
いくら自分の目的のためとはいえ、先日出会ったばかりのバル夫婦、その名前を出したことに少しためらいを感じるセロだったが、バル夫婦の対応を考えれば、それぐらいの頼みは聞いてくれそうに思う。
「じっ…ジローナ様のご友人の方ですか!?」
セロが名前を出したのはバルだったのに、店主はジローナの名前に過剰な反応を見せた。
「そうや、僕はジルさんの知人や。断りはしたけど、この街に滞在する間は何ヶ月でも家に泊まって欲しいって懇願されるような仲や。」
たかが数時間言葉を交わしただけだが、嘘はついていない。
「それは…!! ジローナ様のご友人の方とは、存じ上げず申し訳ございません。」
セロが付け加えた言葉は、予想以上の効果があった。店主は青ざめた表情で深々と頭を下げる。
「それで、確認したいこととはどういった内容でしょうか?」
深く頭を下げた後、そのままの低姿勢で用件を伺う店主。
「店主さん、アンタ、自分で用件分かってんちゃうんか?」
セロは動揺する店主を更に揺さぶることにしてみた。
「ぁ…あのっ。 はい! 本当にすみません。直ぐに差額をお返し致します!!」
店主は慌ててレジ替わりのクリスタルまで走ると、色々打ち込み、返金の準備を行う。
その様子に内心安堵するセロ。
「キバ、僕が預けたクリスタルを出せ。」
キバは何が起こっているのかわからないながらも、求められたのは空のクリスタルである。
売れば200Gぐらいは稼げるが、目的の薬を手に入れた今、特別な執着はない。大人しく空のクリスタルをセロに手渡した。
「そっ…それでは、ご返金致しますのでクリスタルを合わせて下さい。」
自分のクリスタルで店のクリスタルに触れるセロ。4万Gの金がセロの手に戻った。
「三倍か…。」
「いやっ…あのっ!!」
言葉を詰まらせる店主を、セロは見下す様に睨みつける。頭一つほど背の高いセロに上から睨まれ、言い訳すらも許してもらえない店主。
支払い6万Gに返金が4万G、店主は正規で2万Gの薬を三倍の値段でキバに売っていたのだ。獣人差別を行う街で獣人相手の商売を真面に行う訳がないと、ソロバン弾いて考えたセロの思った通りであった。
しかしセロは内心、気落ちしていた。店主に悟られない様に表情には出していないが、正規は6,000G程度、キバは十倍ぐらいの値段をふっかけられていたと考えていたのだ。薬一つに2万Gもかかっていたら、庶民には簡単に手が出せないではないか。
「店主、ジローナさんには悪どい商売しとったんは黙っといたる。せやから、卸値で売ってくれんか。」
今後の宿泊費用のことも考えて、懐に余裕が欲しいセロは追加の返金を求める。
「そっそれは出来ませんっ!! そんな値段で売ってしまったら、組合に納めるお金で赤字になってしまいます! ジローナさんのご友人ならば、ご存知でしょう!!」
半泣きになりながら訴えてくる店主。
組合とは商業組合のようなものだろうか、この街に店を構える代わりに、組合に上納金のようなものを売上か、商売品から差し引かれるといったところだろうか。組合に納める金額が何割なのかはわからないが、この様子なら三割程はとられるのかもしれない。もしくは高額な物になるほど増えるのであろう。
もしかして、ジローナは組合長の一人娘なのかな、などと考えを巡らすセロ。
「そんな事、分かってんねん。そちらさんが言葉通り、真っ当な商売しとったら、こないなことにはならんかったのに残念やな。」
最後の一押し、店主に罪悪感を思い出させる。
「そんなっ! しかし獣が相手ならっ……分かりました、お支払い致しますので、今回の件はジローナ様には内密に願います。」
「よぉ、分かってる。」
一時期赤字に苦しむよりも、二度と商売を続けられないよりは救いがある。セロの言葉を信じた店主は、力なくうなだれると返金の手続きに入る。
「あっ後な、今後はキバが来たら僕の使いやと思ったってくれ。その時僕がこの街に居らんでも、ちゃんと正規の値段で商売するんや。頼んだからな!」
セロの言葉は店主の心にシッカリと刻み込まれた。せっかくカモで儲けたと思った瞬間、儲けを奪われるなんてことは二度と経験したくない。
「必ず、必ずお約束致します。」
「おおきに、ほなまたね。」
セロは後ろ手を振って店を出ていった。店主は閉じる音が聞こえるまで、頭を下げて見送った。店主は閉じられた扉を苦々し気に睨めつけていた。
シッカリと店の扉が閉じたことを確認したセロは、そのまま地面にへたり込んでしまう。
「アカン、疲れたわぁ。やっぱ、こんなん僕には向いてへん。」
キュ〜!
慣れない演技に疲れたセロ。店主がセロの雰囲気にビビっていると感じたセロは途中から尊大な態度で接した方が良いように話が進むと考えたのだ。しかし、元来のセロはヘタレで相手の顔色を窺って生きてきたような人間である。偉そうに振る舞うのは慣れていなかった。
崩れ落ちたセロの頬をローザがペシペシ蹴ってやる気を出させる。頑張ったご褒美がそれなのか、とセロはため息をつきながら、疲れた精神を癒すように無気力となって無視を決め込んだ。
全ての力が抜け落ちたような表情のセロ。馬鹿みたいにポカンと開いた口で遠い目をしている。
「よぉ、俺は帰ってもいいのか?」
成り行きを見守っていたキバがどうすれば良いのかわからないといった様子で話しかけてきた。
「一体何が起こってたんだよ? お前は何者なんだ? なんかやたらと店主がビビってたけどよ。」
「ん? んん…。」
気の抜けた返事を返すセロ。実際何者かと問われれば、唯の旅人である。答えるのもめんどくさいので、無気力に任せたまま適当に相手をする。
「いっ…言っとくけど、お前が何者だろうと薬は渡さねぇからな!! お前もこの薬が欲しかったみたいだけど、これは滅多に出ない貴重品なんだ!! 金盗まれたお前がマヌケなんだ!!」
たとえ正規の値段でも2万Gは大金である。真面な職業にありつけさえすれば、手に入れることも可能ではあるだろうが、キバの場合、奴隷ぐらいしか道はなく、それでは2万Gを稼ぐのは難しいように思う。
「あぁ…。」
「何だよ!! 何とか言えよ!」
適当な返事しかしないセロにキバが苛立ってきたようだ。そんなキバに加勢するかのようにローザの蹴りも力を増す。
「 痛いわ! ローザやめてくれ!」
流石に爪まで尖らした蹴りには怠けるセロも耐えられなかった。
「もういい! 勝手にしろ!」
そんな、やりとりを見ていたキバは話が進まなそうだと感じて、家に帰ることにした。
「キバ! ちょい待ち。」
「さっきから気安く呼ぶんじゃねぇよ! 薬は渡さねぇって言ってんだろ! これは俺の…。」
「弟さんでもおるんやろ? 重い病気にかかって寝込んどる。」
「なっ!!? 何で知ってんだよ!」
セロは薬屋にいると聞いた時から分かっていた。ここまできたら、この街ではお約束は果たされると考えるべきだからだ。
だからこそ、キバからお金を返してもらうかどうかで悩んだのだ。結局、病弱な弟の為に必死に頑張るようなキバから奪い返そうなどということが出来なかったセロは、薬屋の前でここで会えなければ別の方法で金を稼ごうと考えていたのだ。
「それはどうでも良え。薬も僕には必要ない。キバの好きに使ったら良え。ただな…。」
「何だよ! 金ならねぇぞ!」
もちろんそんな意図はセロにはない。キバにとっても、今更代金を払えと言われても無理な話だ。
元々の1万Gも五年かかって盗んだものなのだから。いくら盗みに励んでも、ほとんどのお金はその日の生活費で消えてしまった。
「ちゃうちゃう。地図失くしてもうたからな、道案内して欲しいんや。」
「…それだけでいいのか?」
「それだけで良え。僕は幼い子の命を奪ってまでスリを責めることも、薬を返してもらう事も出来ん。」
「…。」
「大丈夫や、道案内は明日で良え。まずは病弱な弟さんに薬飲ましたれ。んで、病状が落ち着いたら魔物小屋に案内してくれや。」
「…俺は獣人だぞ?」
「だから何や? 見たらわかるがな、誰が見間違えんねんな。」
「それは、そうだな…。」
しばらくの沈黙。セロはキバが話し出すのを静かに待っていた。
「妹だ…。」
「ん?」
「薬が必要なのは俺の妹だ!!」
「あぁ、やっぱそっちか。」
“やっぱり”の意味はキバにはわからない。
だがそんな事はどうでも良かった。
一刻も早く妹に薬を届けたいキバは、セロの条件を呑み一緒に家路を急ぐのだった。