第7話 病弱な妹
セロは妹さんに薬を与えるために、ユグドラシルの東、街外れの貧困地区まで来ていた。
つぎはぎだらけの布で作られたテント、小屋とも呼べないような、しかし屋根だけはある素人大工で作られた家。そういった豪華な家に住める者はここには少ない。
ほとんどの者が地面にそのまま寝転がり、身動きせずにいる。春とはいえ夜は冷え込み、凍死者も多いに違いない。
セロが出会った獣人の少年、キバが住むのはそんな所であった。
大通りでは奴隷以外の獣人など、ほとんど見かけなかったのに、ここに来れば見本市のように、ありとあらゆる種族がいる。ただし、皆一様に疲れきって衰弱した表情をしていた。ここで生きていくのならば、奴隷となった方が良いのではないのだろうか、セロの頭にはそんな考えが浮かんでいた。
生前の柳葉は、ダンボールやビニールシートで雨風をしのぎ、日銭稼ぎの生活を送る人々を見たことがあった。通っていた学校の立地が空き缶収集所のすぐ隣であったことから、学校の周囲には、そういった人々の家が多く、また学校内で紛失したものが路上販売で売られているということも多々あるような地域だったため、むしろ一般の人々よりは関わりが多かっただろう。
そんなセロをして、この辺りの獣人達の様相が異常に見えた。写真でしか見たことのないような、骨と皮しかない子ども達、その家族、この地区の様相をイメージするならば、それが一番近い表現だった。
通り三つ隣へ行けば、そこは人の行き交う大通り。たった三つのあまりの違いに大いに驚いたはずであろうセロだったが、その口は終始黙して語らない。
どんな言葉を発しても、ここで暮らしている人々の心を傷つけてしまうような気がするからだ。
「お前はここで待っていろ。妹に薬を飲ませたら魔物小屋でも何処にでも案内してやるからよ。」
キバの住む家は、この通りの中ではかなり豪勢な部類に入るであろう。大きさは、三畳ほどしかないが、屋根があり、そこから布が垂れ下がり、少しの風ならしのげるようになっている。
「ほな、待っとるわ。あんまり急がんで良えから、ゆっくりしといで。」
キバはセロに返事をすることもなく、妹の待つ家の中へと入っていく。入っていくとはいっても、垂れ下がった布をのれんをくぐるように分け入るだけで、すぐ外にいるセロなどには中での会話が筒抜けだった。
そんな兄妹の会話に耳を傾けながらセロは外で待っていた。セロの目の前にはこちらに顔を向けたまま地面に寝転んでいる鳥の羽が生えた少女がいた。少女は地面にうつ伏せ顔だけこちらに向けている。セロを見ているのか、遠くの何処かを見ているのかがわからない、意識があるのかすらわからない。
セロは異世界の現実を目の当たりにしながら目を潤ませて、キバを待つ。
「ゴホッ、ゴホッ、お兄ちゃん? 誰か連れて来たの?」
妹の咳の音、それを聞いただけで重傷なのだとわかってしまうぐらいにくぐもった音がセロの耳に入ってくる。
「ミミ、喜べ! ついに、あの薬を手に入れたんだぞ! これでお前は治るんだ!」
「ダメ!! 早く持ち主の人に返してきて!! そんなのミミちゃんはいらない! ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ。」
ミミは兄が手にしている豪華な薬瓶を見て、一気に表情を変えた。
ずっと床に伏せっているミミでも、何でも治すと言われる万能薬の値段がとてつもなく高価なことぐらい知っている。その薬が自分たちでは、一生かかっても手に入らないことも、キバがどうやって今までの生活費を稼いでいるのかということも。
「ミミ…興奮するなよ。体調が悪くなるだろ。」
「ありがとう…。でもそんな薬は絶対にミミちゃんは飲まないからね! そんな薬の為に、お兄ちゃんが牢屋に入れられたら、ミミちゃんはどうしたらいいの!」
良い生活の為にはお金がいる。沢山のお金があれば生活は困らない、好きな物だって好きなだけ買える。
自由の幅も広がって、やりたいことが出来るようになる。ある程度なら健康だって同じことだ。
…でも、あなたが仕事に出ている時に、家に残された人がいることも知っていて欲しい。
愛する人の為に働いて、愛する人と過ごす時間が削られる。
それは、誰が求めたものなのか。
もしかしたら、誰も、あなた自身も求めてはいないことなのかもしれない。
「大丈夫だ! 俺はずっとミミと一緒にいる!! それにさ、この薬は悪いことして手に入れた物じゃないんだぜ!
だから、安心して飲んで、元気になればいいんだ。ミミは何も心配しなくていい。ミミの欲しいものは兄ちゃんが全部手に入れてきてやるからな。」
「ウソ!!」
「嘘なもんか!! この薬はな…。」
「ミミちゃんバカじゃないもん! その薬の値段だって、ちゃんと知ってるもん! ミミちゃん達には絶対、手に入りっこない薬だって知ってるもん!!
お兄ちゃん…お願い。お願いだから、ちゃんと謝って、持ち主の人に返してきて。ねっ!?
ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ。」
「ミミ! …頼むから飲んでくれよ。ミミが元気にならなくちゃ、ずっと一緒になんかいられないだろ?」
「イヤ!!」
ミミは頑として薬を飲もうとしない。小銭程度ならば許されても、こんなに高価な物を盗んで許されるはずがない。
兄を想う小さな心はとても大きい。
「お邪魔します。」
このままでは一向に話が進まないと知ったセロが布を分け入り、家の中へと入ってくる。
「ダレッ!?」
「こんばんは。僕はセロ・ポジテという者です。」
「何しに来たんだよ! 外で待ってろって言っただろ!」
セロの介入にキバの表情は明るくなかった。
セロはそんなキバを無視して、ミミの枕元まで行くと、横になっているミミの目線の高さまでしゃがみ込み優しく話しかけた。
「すんませんけど、会話が聞こえてしもたもんで、いてもたってもいれんようなって入ってきました。
この薬のことなんやけど、ミミちゃんのお兄ちゃん、キバの言う通り、悪いことして取ってきたもんとちゃう。キバが僕の身の回りの世話をしてくれるんと引き換えに、僕が提供したもんなんや。せやから、ミミちゃんがこの薬を飲んでしもたからって、キバが罰せられるようなことはあらへん。
安心して飲んで、ゆっくり養生してください。僕はこれをミミちゃんに伝えたくて来たんや。」
セロの言葉から、説得がしたいことをキバは理解した。自分で妹を納得させたいという気持ちはありつつも、セロの物言いは柔らかく、真意が伝わってくるように感じる。三者の意見も含めた方がいいのかもしれないと、静かに結果を見守ることにした。
そんな兄の思惑とは裏腹に、セロを見たミミの表情は余計に険しくなる。見た目は戦士風の格好をした人間が、いつもの兄の様に、優しく話しかけてくる。
病であろうとなかろうと、石を投げつけ、ののしってくる人間がだ。
その中でも、妙にプライドが高くて、攻撃性の高い戦士がだ。
どれだけ優しい声で話しかけられようとも、ミミにはとても信じられなかった。
「イヤ!! アナタ、お兄ちゃんを何処かに連れてっちゃうんでしょ。死ぬまで働かせるつもりなんでしょ!
ミミちゃんはそんなの絶対に嫌! ミミちゃん、そんな薬いらない!!」
頑固なミミに困り果ててしまうセロ。
「ミミ…。」
キバは妹の想いに複雑な表情になる。
セロは右手で頭を掻きながら、どうやって信じてもらおうか、考えあぐねる。
余計な訪問をしておきながら、役立たずだと訴えてくる、キバの視線が痛かった。
きゅ~っ!
「きゃっ!!」
「こら! ローザ!」
奇妙な沈黙が場を包み、セロとは目も合わせたくないと、そっぽを向いたミミにローザが舞い降り飛び掛かった。
そのあまりの勢いに、セロは驚き、怒りの声を上げる。
「うふふっ、くすぐったい! もぉ、やめて! あはははは。」
ローザはセロの声など右から左でミミに近づくと、顔を舐め、耳を優しくかじり、枕元を舞ってい始めた。セロはローザの行動に驚きながらもその成り行きを見守ることにした。ミミに笑顔が溢れたからだ。
突然のローザの襲来に最初は驚いたミミであったが、ローザの純粋な愛情表現が、心の壁を溶かしていった。愛らしい姿のドラゴンが自分に好意を示してくれているのだ。
「すごい! すごい!! …あっ…。」
ミミは、いつのまにか小さなドラゴンに魅入られてしまい、華麗に頭の上を舞うローザに見惚れていた。頭上を二、三回旋回するローザをミミが楽しそうに見ていると、ローザはいつもの場所に立ちかえり、セロにおもいっきり甘え始めた。
ミミの視線がその様子をじっと捉えている。
「ミミちゃん、キバの仕事はミミちゃんが思ってるようなもんとは違うんよ。」
さっきまで、こちらを見向きもしてくれなかったミミがローザを見ている。セロの方に顔を向けている。ローザが作ってくれた好機に、セロはゆっくり話し出す。ローザを捉えていたミミの視線がセロの視線と交差していった。
「僕はこの街にローザ、このドラゴンのことやけどね、のご主人様を探しに来たんだ。」
「ローザちゃん? ローザちゃんはアナタのドラゴンじゃないの?」
しきりに甘えるローザとセロを交互に見つめるミミ。
セロはその視線がしっかりと捉えられるように、優しい手つきでローザを撫でる。ローザは自分の頑張りを褒めて欲しそうに、手の中に頭をグリグリ押し付け甘えた。
「そうや、ローザは僕が迷子になっとった所を助けてくれたんや。その恩返しの為に僕はローザのご主人様を探してるんや。」
「そっか…。ローザちゃん、ご主人様に会えるといいね。」
「うん、僕もそう思う。せやけど、僕はこの街初めてやから、わからんことだらけやねん。んで、お兄ちゃんのキバに道案内をお願いしたんや。
この薬は確かに高価なもんやけど、ローザは僕の命の恩人や。そのためやったら、お金なんてナンボかかろうとかまわへん。」
「そう、なんだ…。」
ミミは、ようやくセロの話に耳を傾けだしたようだ。
「僕はな、キバからミミちゃんのこと聞いて、キバにとってのミミちゃん、ミミちゃんにとってのキバお兄ちゃんは、僕にとってのローザやと思ってん。
絶対に無くしたらアカン、お互いを必要とする関係や、ってな。ミミちゃんなら、わかるやろ?」
「…うん。」
「うん。だから、ミミちゃんもこの薬飲んで身体治して、キバお兄ちゃんのそばにずっといてあげてくれへんかな?」
「…うん…わかる。…ミミちゃん、薬飲む!!」
「ミミ!!」
嘘、偽りのない本当の気持ち。純粋なだけに、子どもに一番伝わる気持ちなのではないだろうか。ようやくミミの了承を得られて、セロはホッと胸を撫で下ろす。
後で、ローザにあげなければならないご褒美は何が良いかを考え始めた。
「…ありがとう。」
ミミに薬を飲ませるキバを黙って見守る為に一歩下がったセロは、自分にしか聞こえない、小さなありがとうに微笑みを返した。
「どうだ!? 元気になったか?」
途中、何度も咳き込みながらも一瓶の薬を飲み干したミミ。キバは治癒の兆しを探そうと、ミミの周囲を駆け回る。
「うん! なんだか元気になってきたみたい!!」
「そっ…そうか!! 良かった、良かったなぁ、ミミ。」
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ。」
「ミミ!!」
ミミは口を押えて何度も、何度も咳をする。
「そんな!! この薬が効かないなんて!! 俺はどうすりゃいいんだよ!!」
(嫌な流れやな…。)
記憶の中の物語、セロの脳裏を一番あって欲しくない筋書きがかすめる。
「きっと、効果が出るんが遅いんちゃうか? もう少し時間かけて養生したら良くなっていくんやろ。」
「違う!! この薬は最高級品なんだ!! その効果は飲んだ瞬間に表れて、総べての病を癒すんだ! …そのはずなんだ…。」
キバはかすれた声で、咳き込む妹の背中をさする。セロは嫌な予感がさらに増していく。
「ゴホッ、ゴホッ。お兄ちゃん、大丈夫だよ。今は治らなかったけど、苦しいのがとっても楽になった。
きっといつかは治るよ! お薬ありがとうね。」
「…。」
キバの肩にそっと手を置くセロ。
小刻みに震える肩がとても、とっても…。
「ミミ…。お兄ちゃん、さっそく仕事しなきゃならないんだ!! ちょっと行ってくるな!」
キバは笑顔でミミに声をかけて、セロを見る。どうやら時間はかなり立っていたようだ、太陽も沈み始めていた。こんな時間に仕事も何もないだろうと思いながらも、セロも察っして静かに頷く。
「うんわかった! ローザちゃんの為に頑張ってあげてね!」
「おう、任せとけ!! コイツをちょっと魔物小屋に案内するだけだからよ。すぐに戻るぜ!!」
「わかった、ミミちゃんはいつも通り良い子で待ってるね!
あとお兄ちゃん、セロさんのことはコイツじゃなくて、せてめ“名前”で呼ばなきゃダメだよ? お兄ちゃんの雇い主さんなんだから。」
「コイツはコイツでいいんだよ! じゃ行ってくる。待ってろよ!!」
言葉が終わるかどうかの所でキバは家を飛び出した。走って家から離れるキバをセロも走って追いかける。
走り続けるキバ。
同じように走って追いかけるセロの身に着けた金属鎧が踊り、ぶつかり、甲高い音を奏でる。
街の外れの突き当り。
ここまで全力疾走を続けたキバは、壁にもたれ掛ると、大声で泣き始めた。
周囲に人影はない。
民家もない。
誰もいない。
セロはそんなキバを見守り続けた。
すっかり日も沈み、街灯すらもない路地で獣人の少年は泣き続ける。
闇の中にキバの声が響き渡る。
異世界の桜だろうか、月夜に照らされた桜が1枚、ひらりと夜風に舞っていった。
ーーー
小一時間近く泣き続け、涙を拭いたキバが月の光に姿を現した。
セロは近づいてきたキバを優しく抱きしめる。
そんな行動が意外だったのかキバは目を見開くが、その見開かれた目には、また涙が溜まっていた。
キバはもう一度、少しだけセロの胸の中で泣いた。そして、右腕で涙を振り払ったキバは、神妙な顔つきで前を向く。
「良し! 良え面構えや。それで? 最後の手段は何や?」
「えっ!?」
「あるんやろ? 普通では不可能と思われてるような最後の手段が…。ミミちゃん助ける方法が。」
「お前、なんでわかるんだよ!? 妹のこともそうだ! 何でだよ!?」
「ん~、その質問なぁ…。」
「なんだよ!? 答えられないってのか?」
「いや、答えることは出来るんやけど、答えになってるかはわからんで?」
「何、意味わかんねこと言ってんだよ! いいから言え!!」
胸の中でしおらしかったキバはもういない。毛を逆立てセロに詰め寄る。それを見て、余計にためらうセロ。
話しても、キバに通じるとは思えない、余計に怒らせるだけかもしれない、それでもポツリと話し始める。
「僕な、…物語が好きやねん。んでな、色々とこう似てるんやわ。僕が知ってる色んな物語に。」
ためらいながらも、なるべく角が立たないようにと気を遣いながら話すセロ。
「お前バカか? こんな話がそんなに沢山あるわけないだろ!? ミミみたいな奴がそんなにいてたまるか!!」
もっともである。
セロの分かったような口振りにキバの苛立ちはさらに増す。意味の分からない言葉に、キバの尻尾まで天を衝く。
「せやから言うたやん。答えになるかはわからへん、って。」
「はんっ! もうどうでもいい。意味はわかんねぇけど、お前は信用出来ねぇ。」
これも当然の結果であろう。
「あちゃ~、嫌われてもうたなぁ。ん~、そやなぁ僕の知っとる筋書きやと…。とりあえず、治療の鍵はあの巨大な樹にある!
んで、そん中はダンジョンかなんかになっとって、命の危険はあるけど、キバはその貴重なアイテムを求めて樹の中に入るつもりや!!
どや?」
セロの言葉にキバの怒りは燃え上がる。
「お前からかってんのか!?」
「なんや、ちゃうかったか?」
「お前の言う通りなんだよ!!
あのダンジョンの十五階に、極稀にマンドラゴラってモンスターが現れる。そいつが極稀に落とすアイテムが治療薬になるんだよ!!
お前、知っててからかってるんだろ!?」
「いや、知らんがな…。」
「なんだよその言い方は!! 舐めやがって!!」
「まぁまぁ、そない怒らんでも。ほな、明日あたり一緒にダンジョン潜って、さくっと取って、さくっと帰ってこよか。」
「話聞いてなかったのか!? 世界樹のダンジョンは上に登って行くほど敵が強くなるんだぞ!?」
「まぁ、せやろうな。」
「十階以上を登って行くのも大変だってのに、さくっと行って帰って来れるわけがないだろうが!
マンドラゴラはシェンさんですら滅多に手に入れることの出来ない、本当に貴重なアイテムなんだぞ!」
「それは明日一緒に確かめたらわかるがな。」
「だからふざけるな! 俺でも十階まで行くのがギリギリなんだ!
お前なんかがついて来れるわけがないだろう!!」
「それも、これも、あれも、どれも、まとめて明日確かめたら良えがな!!」
「だから、そんな単純な話じゃねぇって言ってんだよ!」
「そんなんは話とっても無駄やねん。全部明日や。今日は使役登録させて終わりや!」
セロは水掛け論になってしまった話を無理矢理切り上げて、半ば引きずるようにして道案内をうながした。
この世界の常識を知らず、物事を簡単に考えているセロに腹が立つキバ。その安易な態度が妹の命がかかっている大事な局面で出されたことにキバは我慢ならないのだ。
そうして、キバの中ではセロへの不信感がどんどん高まっていくのだった。
なお遅い時間にも関わらず、営業していた魔物小屋で使役登録は簡単に終了した。ローザは名実ともにセロの相棒となったのだ。
ローザのご褒美には、遅くまで営業していた屋台で砂糖菓子を買ってあげた。その味も形も金平糖に大変良く似たコンペートと呼ばれる砂糖菓子をローザは大変気に入ったらしく大喜びで食べていた。食べながらローザが何処かさみし気な表情をしていたのはセロの気のせいだろう。
旅で疲れたのか、コンペートを食べたローザはセロの鞄に潜り込んで、静かに眠りに入るのだった。




