第1話 付与術師になりました
目を覚ましたとき、最初に見えたのは空だった。
青い。
雲がある。
鳥が飛んでいる。
そこまではいい。
「……どこだ、ここ」
問題は、俺が寝転がっている場所だった。
草原。
見渡す限りの草原。
少し離れたところには森があり、そのさらに向こうには山らしきものまで見える。
道路もない。
電柱もない。
建物もない。
そして当然ながら、さっきまで俺がいたはずの日本の街並みもない。
俺はゆっくりと上半身を起こした。
「…………」
記憶を辿る。
俺は確か――。
そこで、記憶が途切れていた。
自分が死んだ。
それだけは、なんとなく分かる。
事故だったような気もする。
だが、肝心なところがぼんやりとしていて思い出せない。
代わりに、妙にはっきりしていることがあった。
自分の名前。
日本で暮らしていたこと。
そして――。
「これ……もしかして異世界転生ってやつか?」
口に出してから、自分で笑ってしまった。
そんなわけがない。
……と言いたいところなのだが。
服装からしておかしい。
シャツでもジーンズでもない。
茶色っぽい布の服に、革の靴。
腰には小さな袋。
中を確認すると、見たこともない硬貨が数枚入っていた。
「いやいや……」
立ち上がる。
改めて周囲を見る。
そして遠くに、ようやく人工物を見つけた。
石造りの壁。
その向こうにいくつもの屋根。
「……街だ」
こういう場合、何をするべきか。
答えは一つしかなかった。
「とりあえず街だな」
異世界だろうが何だろうが、草原で突っ立っていても仕方がない。
俺は歩き出した。
◇
近づけば近づくほど、俺の予想は確信に変わっていった。
「……完全に異世界じゃん」
街を囲う石壁。
大きな木製の門。
その前には槍を持った兵士。
出入りしているのは馬車。
腰に剣を差した男。
杖を持った女。
大きな荷物を背負った商人らしき人。
そして。
「耳……」
俺の横を歩いていった女の子の頭には、明らかに人間のものではない三角形の耳がついていた。
その後ろでは尻尾が揺れている。
獣人。
そうとしか思えない。
さらに門の向こうには、背の低い髭面の男や、耳の長い女性まで見えた。
「すげえ……」
怖いより先に、ちょっと感動してしまった。
いや。
かなり感動している。
こういう世界を、俺は知っている。
本や漫画やゲームの中でなら。
「次は冒険者ギルドとか出てくるんじゃないだろうな」
半分冗談で呟きながら門を通った。
そして。
本当にあった。
◇
剣と盾を組み合わせたような看板。
その下に書かれた文字を見て、不思議なことに意味が理解できた。
――冒険者ギルド。
「あるんかい」
思わず突っ込んだ。
ここまで王道だと逆に安心する。
何をすればいいのか分からない異世界で、知っているものが存在しているのはありがたい。
俺は迷わず扉を開いた。
中は想像していたより広かった。
掲示板には大量の紙が貼られている。
武器を持った冒険者たちがそれを眺め、その横には受付が並んでいた。
奥には酒場らしき場所まである。
「本当にそのまんまだな……」
ただし、実際に中へ入ってみると妙な緊張感があった。
当然だ。
ゲームの画面越しじゃない。
大剣を背負った筋骨隆々の男も、ローブ姿の魔法使いも、本当にそこにいる。
俺はなるべく目立たないように受付へ向かった。
「こんにちは」
声をかけてくれたのは、茶色い髪を後ろでまとめた若い女性だった。
「ご依頼でしょうか?」
「あ、いや……冒険者になりたいんですけど」
「新規登録ですね」
慣れた様子で受付嬢が紙を取り出した。
「冒険者登録は初めてですか?」
「はい」
「それでは、こちらへお名前をお願いします。文字は書けますか?」
「たぶん……」
たぶん、と答えたものの、ペンを持った瞬間に書き方が分かった。
どういう仕組みなのか知らないが、言葉だけでなく文字まで理解できるらしい。
名前を書く。
ユウト。
「ユウトさんですね」
「はい」
「では、こちらへ手を置いてください」
受付嬢が取り出したのは、手のひらより少し大きな透明な板だった。
「これは?」
「登録用の魔道具です。魔力と、確認可能なスキルを読み取ります」
来た。
俺は内心で少しだけ興奮した。
スキル。
やっぱりあるのか。
ここまで来ると期待してしまう。
転生者限定のものすごい能力。
無限魔力。
全属性魔法。
未来予知。
時間停止。
何でもいい。
異世界転生したからには、一つくらい――。
「力を抜いてください」
「はい」
透明な板に手を置く。
淡い光が走った。
受付嬢が隣に置いてあった別の魔道具を確認する。
「魔力は……平均的ですね」
「……はい」
普通だった。
「身体能力も、特別高いわけではありません」
「はい……」
普通だった。
「確認できたスキルは一つです」
俺は身を乗り出した。
「一つ?」
「はい。《付与》ですね」
「…………付与」
なんとも微妙なところが来た。
いや、弱いとは限らない。
ゲームなんかでも付与魔法はかなり重要だったりする。
「珍しいんですか?」
「珍しいというほどではありませんよ。ですが、鍛えれば十分に仕事になります」
「どんなことができるんです?」
「代表的なのは武器や防具の強化ですね。剣に切れ味を付与したり、防具に耐久力を付与したり。熟練した付与術師なら属性を付与できる方もいるそうです」
「なるほど」
やっぱりエンチャントだ。
思っていた通り。
「ただ、最初から強力な付与ができるわけではありません。ご自身で少しずつ試してみてください」
「分かりました」
「では冒険者カードを作成しますね」
受付嬢が小さな魔道具へ何かを操作すると、一枚のカードが出てきた。
受け取る。
そこには俺の情報が記されていた。
名前、ユウト。
冒険者ランク、F。
そして。
【スキル:《付与》】
「おお……」
「紛失しないでくださいね。身分証明にもなりますので」
「はい」
こうして俺は、異世界へ来たその日のうちに冒険者になった。
あまりにも王道だった。
◇
最初に選んだ依頼も王道だった。
街の外に生息する小型魔物の討伐。
受付嬢によれば、新人冒険者が最初に受けることの多い依頼らしい。
「もっと安全な採取依頼もありますよ?」
そう言われたが、俺は討伐を選んだ。
理由は単純。
自分の力を知りたかったからだ。
ギルドから貸し出された安物の短剣を腰に差し、再び街の外へ出る。
そして。
「……怖っ」
早くも討伐依頼を選んだことを後悔していた。
目の前にいるのは、犬くらいの大きさしかない魔物だ。
見た目はウサギに近い。
ただし、額から一本の角が生えている。
受付嬢から聞いた名前はホーンラビット。
Fランク冒険者でも討伐できる弱い魔物。
らしい。
でも。
「ゲームと実物じゃ全然違うな……」
角がこっちを向いている。
刺されたら普通に痛い。
というか、場所によっては死ぬんじゃないか?
ホーンラビットが地面を蹴った。
「うわっ!」
横へ飛ぶ。
角が服をかすめた。
「速っ!」
これのどこが初心者向けなんだ。
短剣を抜く。
そうだ。
俺には《付与》がある。
「えーっと……切れ味を……付与!」
何も起きない。
「…………あれ?」
もう一度。
「切れ味強化!」
短剣が一瞬だけ淡く光った。
「おっ!?」
できた。
理屈はまったく分からない。
でも、なんとなく分かった。
付与したいものを具体的に想像する。
それだけらしい。
ホーンラビットが再び突っ込んできた。
今度はギリギリまで待つ。
「来い!」
横へ避ける。
短剣を振る。
手に嫌な感触が伝わった。
ホーンラビットが地面を転がる。
「…………」
動かない。
「倒した……?」
しばらく待った。
やっぱり動かない。
「やった……」
嬉しい。
でも同時に、少し気持ち悪かった。
生き物を殺した。
ゲームとは違う。
その感覚だけは、ちゃんと覚えておこうと思った。
そして、その直後だった。
――ピコン。
「ん?」
妙な音がした。
頭の中に直接響いたような音。
次の瞬間。
目の前に何かが現れた。
「うわっ!?」
思わず後ろへ下がった。
半透明の板。
青白い光を帯びたそれが、何もない空中に浮かんでいる。
文字が表示された。
《レベルが上がりました》
「…………」
俺は瞬きをした。
消えない。
「レベル?」
さらに表示が切り替わる。
【名前】ユウト
【Lv】2
【職業】冒険者
【スキル】付与
「…………ステータス画面?」
思わず声が漏れた。
これまで何度も見たことがある。
もちろん現実ではない。
ゲームや漫画の中でだ。
「マジか……」
恐る恐る触ってみる。
指が半透明の画面に触れた。
反応した。
「触れる!」
指を滑らせる。
画面が動く。
「おおお……!」
さっき魔物を殺したことへの複雑な感情が一瞬吹き飛ぶくらい興奮してしまった。
ステータス画面。
異世界転生。
冒険者ギルド。
スキル。
レベル。
「全部あるじゃん……!」
しばらく画面を触り続けた。
だが、すぐに気づいた。
「……これだけ?」
見られるのは、自分の情報だけだった。
レベル。
職業。
スキル。
体力や魔力らしき表示。
それだけ。
ボタンらしきものもほとんどない。
「せっかく画面になってるのに、ステータス見るだけなのか」
少しもったいない。
せめて何か便利な機能でもあればいいのに。
「メールとか送れたら便利なんだけどな」
何気なく呟いた。
――ピコン。
「…………ん?」
また音がした。
ステータス画面に文字が表示される。
《スキル【付与】が発動しました》
「え?」
続けて表示された。
《ステータス画面に【メール機能】を付与しました》
「………………は?」
画面の右下。
さっきまで何もなかった場所に、新しい項目が増えていた。
【メール】
「いやいやいやいや」
俺は慌ててそれを押した。
画面が切り替わる。
《受信箱》
《新規作成》
「ある……」
本当にメール機能が増えている。
「嘘だろ……?」
試しに新規作成を押す。
《宛先を選択してください》
その下は真っ白だった。
誰もいない。
しばらく待つ。
何も起きない。
当然だ。
「……誰に送るんだよ」
俺しかステータス画面を持っていない。
少なくとも、今のところは。
「メール機能付けても意味ないじゃん……」
我ながら馬鹿なことをした。
だが。
そこで俺は止まった。
「……待てよ」
今。
俺は何をした?
剣に切れ味を付与した。
これは分かる。
付与術師なのだから。
でも今やったのは――。
「ステータス画面に……機能を付与した?」
もう一度【メール】を見る。
間違いない。
さっきまでなかった。
俺が「あれば便利なのに」と思った。
そうしたら付いた。
「……《付与》って、武器とか防具だけじゃないのか?」
心臓が少し速くなる。
だったら。
もし。
「他の人もステータス画面を使えたら……メール送れるんだよな」
――ピコン。
「…………」
嫌な予感がした。
いや。
ものすごくいい予感かもしれない。
恐る恐る画面を見る。
《スキル【付与】が発動しました》
「またかよ……」
そして。
次に表示された文章を、俺は何度も読み返した。
《新たな付与対象が設定されました》
《他者に【ステータス画面】を付与できるようになりました》
「…………」
草原を風が吹き抜けていく。
俺の足元には、さっき倒したホーンラビット。
手にはギルドから借りた短剣。
そして目の前には、俺にしか見えないはずのステータス画面。
今日。
俺は異世界へ転生した。
冒険者になった。
初めて魔物を倒した。
レベルも上がった。
ここまでは、俺が知っている異世界そのものだった。
でも。
どうやら一つだけ。
俺が知っている《付与術師》とは、何かが違うらしい。
「……これ、本当に何でも付与できるんじゃないだろうな?」
答える者はいなかった。
ただステータス画面の隅には、新しく追加された【メール】の文字が静かに光っていた。




