第1話 追放、そして覚醒
【プロローグ】
伝説の魔物使い
青白い光が、竜の体を包んでいた。
体長は馬四頭分。灰色の鱗を持つ軍用竜——ガルドの腹部から、淡い光がゆっくりと広がっていく。鱗の隙間に染み込むように、内側へ。細い糸ではなく、暖かく広がる膜のように。
俺——レインはその感触を手のひらで追いながら、術式の出力を微調整した。
「……光が、変わった」
背後で誰かが呟いた。宮廷治癒師のマルクスだ。二週間、この竜を治せなかった王都最高峰の魔法師が、息を飲んでいる。
「さっきと、形が違う」
「診断用と回復補助用で組み方を変えています」
俺は振り返らずに答えた。
「原因が分かれば、それに合わせた術式が組める。原因が分からないまま熱を叩いても、もとが残っていれば戻るだけです」
静寂。
一時間後、ガルドが首を持ち上げた。
十二年間の相棒を見守っていた竜騎士団の団長——エルヴィン・ヴァルクが、天幕の支柱を握った。
「……ガルド」
団長の声が、わずかに震えた。
「まだ時間がかかります」と俺は言った。「でも方向は変わった。今まで悪化していた。これからは、回復していく」
団長は深く頭を下げた。
周囲の騎士たちが、ざわめいた。
後から聞いた話によると、この日から俺の噂が広まり始めたらしい。
竜を一頭診ただけで「伝説の魔物使い」などと呼ばれるようになったのは、正直、困っている。
俺はただ診ただけだ。
とりあえず診てみないと分からない——それだけのことを、やっただけだ。
……まあ、三日前まで無職のテイマーだったことを思えば、人生というのは分からないものだと思う。
時間を少し巻き戻す。
三日前——俺はパーティを追放されていた。
◇
「お前はもう、このパーティには必要ない」
カイルの声は穏やかだった。
穏やかだったから余計に、その言葉の重さが際立った。
俺——テイマーのレインは、腕の中の温もりを感じながら、すぐには言葉が出なかった。
焚き火が燃えている。
夜の森に虫の声。
パーティの面々——前衛のゼアン、魔法使いのクラリス、斥候のダン——はいつものように焚き火を囲んでいたが、誰も俺の目を見ない。
腕の中にいるのはコケコだ。
シャコ鶏型の魔物。体長は三十センチほど。艶のある羽根と丸っこい体型が特徴の、愛嬌あるやつだ。
今日の崖道の依頼中に落下し、翼の付け根を骨折している。
骨折——それは分かる。翼の角度がおかしい。
でも俺の目は、次に別のものを見ていた。
口の中が白っぽい。
顔色が悪い、という感覚に近い何かを、コケコに感じていた。
呼吸が浅い。体温が指先より低い気がする。
なんだろう、これ。翼の怪我だけじゃない気がする——
……なんで俺、こんなこと気にしてるんだ。
体が、勝手に何かを確かめようとしていた。
「カイル、まだ息がある」
「分かってる」
「治せる可能性がある。翼を固定して安静にすれば——」
「それで?」
カイルが俺の言葉を遮った。怒ってはいない。むしろ冷静すぎるほど冷静だった。
「治ったとして、戦力として復帰できるまで何日かかる? その間のコストは誰が払う? 崖道の依頼、また来週取り直せると思うか?」
「そんなこと——」
「こいつが働ける状態になる頃には、別のテイムモンスターを調達した方が早い。お前もそれくらい分かるだろ」
分かる、と言えたら楽だった。
カイルは間違ったことを言っていない。効率の問題だ。冒険者のパーティ運営として、正しい判断だ。
でも俺には——
「こいつには名前がある」
「だから何だ」
「コケコって言う。半年間一緒に戦ってきた。アルク山の依頼で敵を引きつけてくれたのはこいつだろ。密林の道案内を先導してくれたのも——」
「レイン」
カイルは大きくため息をついた。
「一度や二度じゃない。お前は毎回こうだ。ノムの蟲馬が傷ついたとき、三時間足を止めた。フォルスの魔猫が熱を出したとき、依頼を一本キャンセルした。倒れた魔物を弔うたびに、俺たちは時間とカネを無駄にしてきた」
「それは——」
「魔物は道具だ」
カイルはきっぱり言った。
「壊れたら修理か交換。感情移入するから捨てられなくなる。使い捨てにできないテイマーは、このパーティには必要ない」
ゼアンが咳払いをした。
クラリスが視線を逸らした。
ダンだけが困ったような目で俺を見た——それだけだった。
誰も口を開かなかった。
——これが答えなんだろうな。
俺は立ち上がった。コケコを抱いたまま。荷物をまとめながら、誰も何も言わなかった。
森の外れで野宿した。
できる限りのことをした。
傷口を清潔に保つための魔力浄化。折れた翼を布切れで固定。痛みを和らげるために薄い治癒魔法を流し続けた。
でも俺の目は、翼だけを見ていなかった。
口の中の色が戻らない。
呼吸が速いまま。
体温が低いままだ。
翼の怪我だけじゃない——どこか内側に、別の問題があるかもしれない。
確かめる方法を、俺は知らなかった。
知らないはずなのに、体は「確かめたい」と動いた。腹に触れようとして——やめた。やり方を知らないのに、なぜ触ろうとしたのか自分でも分からなかった。
コケコの目を見た。
小さな、丸い目。
「頑張れよ」
コケコは小さく鳴いた。
夜明け前、コケコの息が止まった。
腕の中で、静かに、ほとんど気づかないくらい静かに。
しばらく動けなかった。
——できることは全部した。
でも頭の片隅で、別の声がした。
本当に全部したのか。もっと別の何かが分かっていたら——
うるさい。
俺は首を振った。あれが最善だった。
——でも、何か一つでも分かっていたら。
手で土を掘った。外套は一緒に埋めた。白くて丸い石を墓標に置いた。花は見つからなかった。
「ごめんな、コケコ」
最後に謝った。
「お前のことは忘れない」と格好よく言いたかったが、口から出たのは謝罪だった。格好のつかない人間だ。
まあ、いいか。
俺はズボンの泥を払って立ち上がった。行き先もないが、ここにいる理由もない。とりあえず歩こう。
——俺はまだ、この時は知らなかった。
コケコの死が、封じられていた何かを、少しだけ緩めたことを。




