2話ー1 再会
【デビューおめでとう慧一。ずっと応援してる】
突然送られてきた”壮汰”からのメッセージ。
昼下り、移動のバスの中、俺はスマホを握って固まっていた。
バスには、CI-FARのメンバー7人と、数人のマネージャー、関係者が同乗していた。高速道路を延々と走る車内には、さっきまでステージに立っていたあとの気怠い雰囲気が満ちていた。
メンバーの一人、LIOが隣の席で眠っている。
ふわりとただよう爽やかな香りとともに、その身体がだんだん寄りかかってくる。
艶やかに輝く黒い髪に、彫りの深い整った顔立ち。下あごにあえて残している印象的なほくろが、印象を添える。日米のハーフであり、バスケットボールで鍛えた筋肉を持つ長身の肉体は、相応にかなり重い。
俺は筋肉がつきにくい体質なのがコンプレックスなので、若干苛ついて鬱陶しい身体を押し返す。画面を見られないようにスマホを傾ける。
「おいLIO、なんでこっちに寄りかかってくるんだ。おまえ重いんだよ」
「いいじゃん、つれないなKEI……」
重みは文句を言いながら自分のスペースに戻っていく。薄々思っていたが、メンバーには距離がおかしいやつが多い。 そう思いながら、DMを送り返す。
【会って話したいことがある】
果たして送り主の”壮汰”は、汐人なのだろうか。
俺は瀬田汐人の訃報の真相を知りたい。もし会えるのなら、瀬田汐人という人間に会ってみたい。もし訃報が偽装であって、普通に生きていたなら殴る。やっぱり殴るだけでは足りない。蹴る。
なにかが俺の肩にとんとんと当たってきて、思考を途切れさせる。
なんだと振り返ると、後ろの座席から出てきた大きな手のひらの上に小さなチョコレートが2つ乗っていた。
同じくメンバーのHAULだ。バレエの経験を活かした優雅な動きを得意とし、マルチリンガルで多言語の対応を器用にこなす、こちらもまた魅力的な男。
「ありがと。でも今はいらない…」
「KEI、食事制限してるの?」
「俺いるー。KEI、食べる量少なくない?」
隣からLIOの手が伸びてきて、俺の胸の上を滑るとチョコレートを1つ奪っていく。HAULの手が俺の膝にチョコレートを1つ置いて戻っていく。
彼らの距離感は当たり前のように近すぎる。人と深く関わることを望んでこなかった俺には、落ち着かない。だが、俺たちは運命共同体、一蓮托生なのだから、物理的にも心理的にも、距離が近くあるべきなのは確かにもっともだろう。
隣から、チョコレートの包み紙をカサカサと開く音と、甘ったるい香りがただよってくる。居心地の悪くなった俺は体を小さくして、目を伏せようとする。
だがLIOの手は懲りずに伸びてきて、俺の膝の上に残っていた2つ目のチョコレートを奪いとる。彼はその包み紙を開くと、俺の太ももに体重をかけ、チョコレートを俺の唇に近づけてくる。
整った造形の人たらしの目がいたずらっぽく、だが試すようにこっちを見ている。
「はい、お近づきのしるし。仲良くなろうよ、KEI」
「……ずいぶん積極的なんだな。嫌いじゃない」
観念して目を閉じ口を開くと、甘くてほんの少し苦い豊かな味の塊が舌の上に広がっていく。
ちょうどそのときスマホの画面が薄く光り、新しい通知を表示したようだった。だが、俺が気が付いたのは少し後になってからだった。
【俺も会いたい】
*
火曜日の夕方。
指定された待ち合わせ場所は、事務所の拠点から離れたある地方都市。さらにその市街地からバスに揺られた先にある河川敷だった。
その日は夕方からオフ。俺は目立ちすぎるプラチナブロンド色の髪を、目深にかぶったキャップに押し込んだ。念のため、顔を隠すためのマスク。
駅からバスを待とうか、タクシーを使うか考える。本数も多いし、汐人の見ている風景を知りたくて、バスを選ぶ。帰宅途中の女子学生たちがこちらをチラチラ見ているのに気づき、俺は顔を隠すようにうつむいた。
内心ではまだ疑っていた。本当に汐人は現れるのだろうか。
季節は初夏。視界の開けた、見晴らしの良い河川敷には、遮るもののない午後の空が広がっている。
広く取られた川幅を、深く水量の多い水が穏やかに流れていく。ときおり、犬を散歩させる近所の住民がと通っていくくらいで、人は少なく静まり返っていた。
ところどころに桜のような木が植わっていて、今は青々とした生命力の塊のような青い葉が濃い影を落としている。春には、一面が薄いピンクの花で埋め尽くされるのだろう。
桜の花はわりと好きだ。1年のうちたったの10日足らずしか咲かないゆえの特別感があるから。
日はまだ高く、河川敷には眩しい午後の気配がまだまだ残っていた。
河川敷へと降りていくと、指定された待ち合わせ場所の近く。一本の桜の木の側に、見知らぬ青年がたたずんでいた。
すらりと背の高いその姿を認めた瞬間、心臓が大きく跳ねる。
近づいていくと、青年の容姿は、俺の知る瀬田汐人のものではないことがわかる。
年はやはり大学生くらいだろう、学生らしいラフな黒の上下を着たすらりとした調整の取れた骨格。彼は俺を認めるまで目線を伏せていた。
青年は俺に気が付き、体をこちらに向けると、俺を見た。
汐人が持っていた癖の多い黒髪でも、黒目がちな瞳でもない。顔にかかる癖のない長めの髪、左側の目の下にあるほくろ、シルバーの細いフレームの眼鏡が洒落た印象でよく似合う。俺も上背はある方だが、向こうの方が目線が高かった。
その目は、こちらへの強い関心を宿し、俺をじっと見つめていた。彼は唇を閉ざし、一言も発しようとしない。
その表情からなんの感情も読み取ることができず、俺はかすかに戸惑った。真意を測るべく、俺もまたその視線を受け止める。
そのまま無言でしばらく時間が過ぎる。ガァガァと水鳥が鳴く声が遠くで聞こえる。
沈黙を破ったのは俺だった。
「おまえは瀬田汐人か?」
彼は変わらずじっとこっちを見つめていたが、目にこれまでと違う感情が浮かんでいた。少し逡巡しているようにも見えた。
「……そう。慧一だね」
俺が頷くと、彼は急に何かが決壊したように雰囲気を変えた。
表情を崩し、白い歯を見せて嬉しそうに微笑んだ。
「慧一、会うのは初めてだね。動画で見たのと同じ慧一だ」
目の前に立つのは、画像で知る汐人とは、違う容姿を持つ青年だった。だが、わかる。
どういうわけかフリマアプリで出会い、SNSでたわいない話を交わし続けたあの汐人だ。
まだ見ぬ知らないことへの興味関心と好奇心で輝き、それを見極める理知に満ちた感性。目の奥に宿る独特の光が、彼がまぎれもなく汐人本人であることを俺に告げていた。
――否、汐人だったなにかだった。
「こんなのになって、会いに来てごめん」
初夏の日中の強い光が頭から降り注ぎ、汐人に強い影を落としている。
汐人の外見はありふれた青年のそれだった。だが、彼の周りには異質なとしかいいようがない異様な雰囲気が漂っていたのだ。
端的に言えば、死の気配だ。
汐人は死の気配を全身にまとい、こちらを見ていた。俺は思考がまとまらないまま、目をそらせずに固まっていた。
背中に冷たい汗が流れていくのが妙にゆっくりとわかる。霊とか呪いとか怪談とか…そういった類のものを、俺は一切信用していない。それらしい恩恵を受けたことがない俺は、神も存在しないと思っている。だが、現に目の前に現れたものは否定しようがなかった。
俺の戸惑いに気が付いたのか、汐人は思い出したように気まずそうにした。俺は何事もないように表情と声を取り繕った。
「ううん。会えてよかった。返事を返してくれてありがとう」
汐人は目尻を下げ、愛おしいものを見るような目で俺を見た。
「デビューしたのを知って、すごく嬉しかった。あんなに一途に追っていた望みを、慧一はついに自力で叶えたんだな」
「………ありがとう」
「デビューが決まったオーディション番組も、全部見た」
「……ありがとう。俺は見てない」
「なんで? 面白かったよ」
「既定路線でストーリーを作って、いちいちインタビューを曲解して、それっぽく編集されるから腹立つ」
「今回のストーリーは、人を信じない冷淡なヒールの美少年が、愛に目覚めるまでだな」
「ヒールじゃない…」
「いや、またヒールだったよ。また口を歪めて笑うところがフィーチャーされがちだったし。でも今度は感動的なストーリーだった」
俺たちは互いを確認するように、軽くじゃれあうように、言葉を交わし続ける。これはやはりよく知るあの汐人だと、俺は再び確信する。
聞きたかったことを聞かなくては。この機を逃しては…おそらくもう二度と聞けないだろう。
「汐人、聞きたいことがある」
俺の様子に何かしらの決意を感じ取った汐人が、まっすぐ俺の目を見た。
「俺と話していたころ…汐人は迫りくる死と戦っていたんだろう。汐人が何を考えていたのか。もしよければ聞かせて。言いたくなければ、拒否してくれていい」
汐人はあっさりと頷いた。
「いいよ。……その代わりというか、僕にも慧一のことを聞かせてほしい」
「俺のこと?」
「慧一がアイドルを志す理由を知りたい。もう少し生きられたら聞くつもりだったのに、その前に死んだから。今の慧一の、生きる理由の全てと言ってもいいだろ?」
思いがけない言葉に、逡巡する。だが俺も汐人に俺のことを知ってほしかった。自分のことを話すのは慣れていない、どこから話すべきか考えて、俺はしばらく黙った。汐人は遮ることなくそれを待っていた。
「アイドルを志す理由は……人には話したことはなくて、今初めて話す。俺は、他人の中に在りつづけたいんだ」
自分の根底にある望み。
「深く突き刺って俺のことを忘れないようにさせたい。それが一人だと心もとないし信用できない。刺さる人間の数は多ければ多いほどいい。それを実現できる最適な手段がアイドルだった。ファンを幸せにしたくてアイドルをやっているわけじゃない、ただの俺の利己的な欲望を叶えたいだけだ。俺には最初から両親も兄弟もいない。だから本能的にそう思うんだろう」
自分の中ではずっと自明なことだが、言葉にしたのは初めてで。俺はゆっくり一言ずつ言葉を選んだ。
汐人はSNSごしにそうしていたであろう、目に興味関心に満ちた光をたたえて、口元に期待をはらんだ笑みを浮かべ、俺の顔を凝視していた。そこになにか、彼にとって面白いものを見いだしているのだろう。
そうやってかつてのように、奇妙な寄り添われ方をされるのに、俺は不思議な安心感を覚えていた。




