~幕間~ イルメリア旅行記3 【4/4コミカライズ開始】
皇太子のおしごと
ノルド様一行とイルメリアへの旅を始めて早二日。そろそろ、馬車でノルド様と二人きりで過ごす距離の近さにも慣れてきたように思う。
湖で過ごしていた時は寡黙だったノルド様だけど、実は案外話好きなタイプのようだ。現在地付近の地域情報はもちろん勉強になるし、それ以外にもその土地土地の逸話や郷土の言い伝えなどにも詳しくて。私はもっぱら聞き役だけど、馬車の中で二人の会話は途切れることがないし、それで疲れるということもない。
私もだけど、ノルド様も。湖で過ごしていた頃は知らない人間相手に警戒していたのだと思う。そういえば、私なんて一度、襲撃犯と間違われてノルド様にベッドに押さえつけられたこともあったくらいだった。
そう思いいたって、ふと口元がほころぶ。
──そんなに昔のことでもないのに、なんだか懐かしいな。
思い返せばあの時の私は、大分つっけんどんな態度だった。いくらノルド様の素性を知らなかったとはいえ、高位貴族であることはわかっていたのに。人によっては不敬と咎められた可能性もあっただろう。ノルド様が寛容な人でよかった。
コンコンコン、と馬車の扉を叩く音がした。そちらを見ると、馬に乗ったヴォイドさんが馬車に並走しながら窓から中をうかがっている。
「殿下、そろそろ次の合流地点になります」
「わかった」
ノルド様が答えると、ヴォイドさんの馬がすっと下がっていく。
「ローリ、すまないがオレは少しはずす。お前も来るか?」
「いえ、大丈夫です。私はこちらでお待ちしております」
「そうか。体慣らしをしたければブチ馬を呼べ。馬車の近くを並走しているはずだ」
はいと私がいう間に、ノルド様はさっと頬に口づけて走る馬車の扉を開いた。
「ナハト!」
カカカッと蹄の音がして、ビロードのように艶々とした馬体が寄ってくる。その手綱を取って、ノルド様はひらりとナハトに移乗した。外から扉をしめ、ではな、と声だけをのこして蹄の音が遠のいていく。
──ひゃー――!
熱を持った頬を両手で包み込んで、私は声にならない悲鳴をあげた。
──こう、おはようとか、いってくるとか、挨拶のタイミングにキスがくっついてくるのはこの世界の標準なのかな。
帝国にくるまでは王太子の婚約者だった私の身辺には、血縁以外の男性はいなかった。父や兄がそういう挨拶をしてきたこともないし、前世は日本人だし。どういう反応を返すのが普通なのかもよくわからない。
──本来は私も、“気をつけて”といってチュッと返すとこなのかなあ。
元公爵令嬢としても、元日本人としても。判断ができかねるところだった。
──いやいや、ノルド様がお仕事にいっているというのに私は何を考えているのか。
そう、ノルド様が黒馬に乗っては走り去っていったのは、馬車に乗ってるのが飽きたとかいうことではない。ヴォイドさんのいう“次の合流地点”で待機している兵士の一団をねぎらうという皇太子のお仕事のためだ。
今回、イルメリアにあたってあの丘陵から出発した一団も十分に大所帯だと思った私は甘かった。
ノルド様は一国の、この大陸の覇権を握る大帝国のお世継ぎの君。他国の訪問をするのに数十人程度の警護ですむはずがなかった。
ヴォイドさんがいうには、各地の兵士を少しずつ集めて移動中に合流しながら、最終的にはすごい人数になってイルメリアの国境に展開する予定らしい。
“あくまで護衛ですよ、イルメリア国内までついていくのは近衛と小隊だけです”
ニコニコと話していたヴォイドさんの顔を思い出す。
“マクラウドが先行して、イルメリアに向かうルートと国境付近の土地を均しています。木や草をはらったりする程度ですが、とりあえずは一行が通れればよいのです。正式に街道として整備するのは国策になりますから、予算をつけて人員を動かすまで時間がかかりますからね”
よくよく聞くと、イルメリア国境から王都にいたる要所要所にも、もうマクラウド系の商人の方がお店を開いているそうだ。
“王都の店にはもちろん、マクラウドの看板をかけますとも”
祖父の右腕ともいえる人が店主となります、と。ヴォイドさんはそれはそれは楽しそうだった。
──結婚の挨拶って、なんだろう。
そう考える時、私の心は静謐になるのだった。
◇◇◇◇◇
「我が兵士よ、よく集まってくれた。常に守護する地を離れ、これより我らはこれまで帝国として未踏であった道を進む。演習ではあるが、地図を書き換えるための先駆であることを誇ってほしい」
整列した兵士の一団の一人一人をゆっくり見渡すように、黒馬に跨ったアーノルドがいった。一瞬のあと、兵士たちがおおうと言葉にならないうなり声をあげながら剣の柄や槍を打ち鳴らす音が響く。アーノルドは満足げに頷き、馬を返す。ヴォイドとシュヴァルツが少し後ろを両翼を固めるように続く。
「殿下、このあとは──」
「ヴォイド様、遠征隊の隊長から今後の日程について伺いたいと申し入れが入っています」
ノルドへの呼びかけを遮るように、近衛が二人、挟み込むようにヴォイドの進路をふさぎながら声をかけた。そのすきにネイトがピタリとアーノルドの横に馬をつける。
「殿下、例の件でご報告が」
「聞こう」
ネイトは馬上でさっと地図を広げる。
「現在地はこちらです。このあと、本日の野営地までは半日の行程ですが途中馬に水を飲ませるためにこの川辺にて休憩をはさむ予定になっております」
「聞いている」
それで、とノルドが先を促した。
「川辺から少し入ったところに、木苺の群生地がございます。獣道ではございますが、ご令嬢の足でも問題なく移動が可能です」
「そうか」
「往復して木苺を少し摘まんできても四半刻ほど。ちょうど人馬も一息つける頃合いかと」
周囲の安全は確保してあります、と。ニカッと笑うネイトに、アーノルドは僅かに口元をゆるめた。
「ネイト、大儀であった」
馬車へと戻っていくアーノルドを、ネイトが少しニヤけた顔で見送っていると背後から小さくため息が聞こえた。どうやら、足止めを振り切った様子のヴォイドだった。
「休憩が必要なのは近衛も同じでしょうに」
やれやれといった風にヴォイドがいう。
「一団が休憩しているのであれば誰かが周囲の見張りに立つのは当然です。その範囲をほんの少しばかり広げただけですよ」
「あの湖畔からの行軍の時も、やたらと私を呼び出していたのはこういうことだったんですね」
「さあ、そんなこともありましたっけ?」
シレッと答えるネイトを、ヴォイドは少しばかり面白くなさそうな顔でチラリと見た。
「……交代で、あとでしっかり馬を休ませるように」
そう言いおいて、ヴォイドはノルドを追って離れていった。
そこを見計らったように、ヴォイドを足止めしていた二人がネイトに合流してくる。三人は顔を見合わせてニカッ笑った。
「俺たちはロバの脚隊だからな」
「そうそう」
「明日の昼休憩の予定地は、近くで花が満開になっていたぞ」
明日以降の作戦を練りながら、自隊に戻っていく三人だった。




