~幕間~ イルメリア旅行記2 【4/4コミカライズ開始】
「乗り心地はどうだ?」
「はい、とても快適です」
私とノルド様は、ヴォイドさん曰くの『殿下用の馬車』に並んで座っていた。以前、ノルド様がおじいさまの家に来てくれた時に、一緒に荷馬車に乗って街に散策に行ったことがある。シチュエーションは一緒だけど、その快適さは比べ物にならない。
こちらの馬車はびっくりするほど静かで揺れもない。
「そうか、それならばよい。イルメリアまでは長旅になる。お前と一緒であれば時間がかかる旅は楽しみだが、お前の体に負担になってはいけないからな」
僅かに細められた優しい瞳に、私は胸がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
外から車内を覗き込んだ時はとても広々として見えたけれど、やはり馬車は馬車。二人並んで座ると、いつもよりもとても距離が近く感じてしまう。
実際の距離は四阿や焚火の時に並んで座るのと変わらないはずなのに、壁で囲まれ、天井が低いこともあってか。密室感というか、密着感というか。お互いの体温を感じるような、なんとも居たたまれない気恥ずかしさがある。
そんな、私のそわそわとした気配を察したのだろうか。
「いかがした、馬車酔いか?」
馬車を止めて少し休むか、と。ノルド様が覗き込むようにそっと体を寄せてくる。私は体の前で小さく両手をあげてみせた。
「大丈夫、大丈夫です。あの、馬車の旅なんて初めてでちょっと緊張しちゃったみたいで」
「そうか、辛ければすぐにいうように」
無理をするなというノルド様に、笑顔ではいと答える。近すぎるともっとドキドキしちゃうから、少し離れてくださいとはいえない。
「車窓を眺めると気分がよくなると聞くぞ」
「そうですね、ぜひ!」
私はこれ幸いと馬車の窓に体を向けて、心の中で『平常心』を唱えながら流れる景色に意識を集中した。窓からは柔らかく風が流れ込んでくる。このまま少しすれば気持ちも落ち着くだろうと思えた。
なのに。
「あちらに見えるのがこの辺りで生産されているトウモロコシの畑だ」
私のほうにぐいっと体を寄せて同じ車窓を覗きながら、耳元でノルド様のものすごい低音イケボが流れる景色を説明してくれる。左手は私の肩に、右手は景色を指さすために私を包み込むようにして窓辺に伸ばされている。
──これは! 背中を向けているけれど、体制的には壁ドンというやつ? いや、この場合は窓ドン?
馬車酔いなんてする暇ない。恥ずかしいやら嬉しいやらで、とても顔に熱を感じてしまう。きっと真っ赤になっているだろう。ノルド様からは私の顔が見えないことだけが救いかもしれない。
──ノルド様は真面目に領地の説明をしてくれているのに、私、邪念が多すぎない?
さすがお世継ぎの君、この辺りの地理や歴史的な成り立ち、特産物や今後の開発方針など、何の資料もないこの状況ですらすらと私に話してくれる。今後のことを考えればどれもしっかり身につけなければいけない知識ばかりなのに、今の私ときたら。内容があまり把握できずにただノルド様のお声に胸をくすぐられるばかり。
そんな状況が続き、体力と精神力を消耗してしまったせいもあるだろうか。私はだんだんと瞼が重くなってくるのを感じていた。緊張感も働き過ぎていい加減休業に入ったのかもしれない。昨日は早く寝台に入ったのに、眠らなければと思うほどに目がさえてしまったのも悪かったのだろう。
馬車の規則的で心地よい揺れは、まるで前世の通勤電車のようでもある。
──眠ってはいけないのに。
ちゃんと座らなければと思うほどに、頭がふらりふらりと小さく揺れ始める。
「ローリ、そのまま少し眠ってしまえ」
ノルド様の優しい声がする。
「……いいえ、大丈夫です」
大丈夫です、と私はしっかり答えたのだ。
◇◇◇◇◇
「大丈夫です……」
消えそうな小さな声で呟いて、それからローリはふらりと頭を揺らした。こつんと窓枠にこめかみをつけるようにもたれて、それから小さな寝息が聞こえてくる。
「何かにもたれて眠るのであれば、オレのほうにくればいいものを」
ノルドは微笑ましく、そしてとても残念な気持ちでローリを見つめた。
そっと自分のほうに体を倒してしまおうか。そんな誘惑にかられる。
いつまでも窓枠にもたれていては顔にあざでもできたら大変なことだ。それに、固い窓枠よりは自分の肩にもたれたほうが寝心地もいいに決まっている。だけど。
──動かしたら起こしてしまうかもしれない。
うっすらと微笑むような安らかな顔をみていると、絶対に起こしたくない思いが湧き上がってくる。この静かな眠りを守りたい、と。
「寝顔を見るのは初めてだな」
ノルドは指を伸ばし、顔に触れないようにそっと頬にかかる一房の髪をはらった。
湖で同じ小屋に暮らしていたこともあったけれど、部屋は別々であったし、あの頃のローリはノルドに対してかなり気を張っている様子だった。
「貴きお方というばかりで、決して名を呼んではくれなかったな」
警戒して距離を置こうとしながら、なんだかんだと世話を焼いてくれたローリ。彼女を笑わせようと躍起になっていた自分にも、ノルドは懐かしさを感じる。
「こうして隣に座れる距離になったからいえることか」
出自もあって、貴族社会から離れた静かな暮らしを望んでいたのに。厄介な自分と未来を重ねていくことを受け入れてくれたローリに感謝しなければならないだろう。
湖から街へと向かう行軍では大分距離を縮めることができたと思う。
あの時、ローリは天幕の中で眠らせていた。
「寝言は何度も聞いたのであるがな」
馬たちと共に、壁を隔ててローリの悲しげな声を聞くだけで何もできなかった夜。暗がりの中で、自分の無力さをただ噛みしめていただけだった。きっと、泣いていただろうに。何もできなかった自分。
静かな湖の夜を思い返していると。
カクン、と。木の枝でも踏んだのだろうか、ふいに小さく馬車が揺れた。
その振動で、ローリが窓枠から離れて自分の方向に体を揺らした。
「でかした、ネイト」
そのままそっと自分の肩にローリの頭をもたれさせ、ノルドは御者をしている騎士をほめた。そして動きを止めてじっと息をひそめる。しばらくしてもローリが目を覚ます気配はない。肩越しに感じる体温がとても愛しくて。
「悲しい夢はもう見させない」
眠るローリの髪に口づけて、ノルドは静かに誓うのだった。




