㉑ 兄
「なんでだ!なんで俺を避けるんだ!俺は、俺は、こんなに大事に思っているのにぃぃぃ!」
フェリクスは涙目で私の肩を掴んでがっくんがっくんと揺さぶり始めた。
大柄で力も強いフェリクスに不意を突かれた私は抵抗する術もない。
「ちょ、フェリクス……」
「やめろって言ったのにおまえがネズミ捕りに悪戯して指を挟まれて泣いてたときも、やめろって言ったのに『お魚をなでなでする』とか言って池に落っこちて溺れかけたときも、やめろって言ったのに『猫ちゃんに餌付けする』とか言っておやつのクッキーを野良猫に持って行って引っ掻かれたときも、助けたのは俺じゃないかぁぁぁぁ~」
小さい頃の黒歴史も、幼馴染のフェリクスはよく知っている。
フェリクスが言っているのは全て実際にあったことだ。
「そういえばそんなこともあったなぁ」
「まぁ、レオ様ったら、そんなことを」
のんびりとしたエリオットの声と面白がるようなキアーラの声が聞こえてきた。
私も忘れていたようなことを暴露されて顔が赤くなった。
「フェリクス、お、落ち着いて」
「これが落ち着いていられるか!」
フェリクスは床に膝をついて、私の腰にしがみつくような形になった。
「俺はおまえのことを妹みたいに思ってて!いつかバージンロードでおまえを受け渡すことを夢みてて!でも、おまえが嫁にいくなんて絶対に嫌で!それくらいなら、一生俺の側で可愛いレオでいてほしくて!」
「バ、バージンロード!?なに言ってるの!?」
「それなのに!なんで俺だけ避けるんだよぉぉ!なんでマックスはよくて俺はダメなんだよぉおお!あいつと俺、キャラ被ってるじゃん!」
「いや、キャラ被ってないから!騎士科ってとこくらいしか被ってないよ!」
こうやって酔って絡むあたり、カイル兄様と被ってるのでは?
ジークに助けを求めようとしたのに、ジークもエリオットも笑いながらこっちを見ているだけで、手を差し伸べてくれる気はなさそうだ。
「あんな不愛想な男にレオがとられるなんて嫌だ!俺よりあいつがいいなんて納得できない!俺がなにかしたのか!?俺のこと嫌いになったのか!?」
「そ、そんなわけないでしょ!フェリクスのこと嫌いになんかならないよ!」
「じゃあなんでなんだよぉ、なんで俺だけ避けるんだよぉ、悪いところがあるなら直すから、前みたいに甘えてくれよぉおお、なぁれおぉぉぉ」
私の腰はフェリクスの逞しい腕にがっちりと捕らえられている。
……これはもう、ちゃんと理由を言わないと放してくれなさそうだ。
「フェリクスを嫌いになったわけじゃないよ。昔も今も、フェリクスのことは大好きだよ。たくさん助けてもらったことも感謝してるよ。でも……」
私が今言ったことは、当然ながら本心だ。
フェリクスのことは、ジークとエリオットと同じくらい大好きだというのは今も変わらない。
ただ、どうしても前世で婚約者にされた仕打ちを思い出してしまうのだ。
フェリクスは普段は飄々とした茶色の瞳に涙を浮かべて私を見上げている。
私はフェリクスの乱れた前髪を手櫛で整えるようにかき上げ、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら小声で告げた。
「……フェリクス……チャラいんだもん……」
端正なフェリクスの顔が驚愕の表情になった。
「え……チャラい……そんな理由……?」
私が頷いて見せると、今度はそこに絶望の色が広がった。
「レオ、フェリクスは……」
エリオットがフォローしようとしたのを私は遮った。
「わかってるよ!フェリクスはジークに寄ってくる女の子の露払いしたり、情報を集めたりしてるんだって!でも、女の子が大好きなのも確かでしょ?いつも誰かと噂になってるし……フェリクスのことは大好きだよ。でも……チャラい男は……苦手……」
フェリクスは私の腰を放すと、床に座り込んでがっくりと項垂れた。
「そんな……レオに苦手って言われた……俺は……これからどうやって生きていけば……」
そんな大袈裟なと思いつつも、その姿があまりにも哀れで、私はいつもジークがしてくれるように珍しく私より低い位置にあるフェリクスの頭を撫でた。
「ごめん、フェリクスがそんな風に思ってるなんて知らなかった。いつも助けてもらってばかりなのに、避けるような態度をとった私が悪かった。本当にごめん。大好きだよフェリクス。これからも私の兄でいてくれる?」
「もちろんじゃないかぁぁぁぁ!」
またがばっと腰にしがみつかれた。
「ぐえっ、フェリクス、く、苦しい……」
万力みたいな力で締めあげられ、さっき食べた晩餐が口から逆流しそうになった。
「おまえはぁ、ずっと俺の妹だぁぁ!シワシワの婆さんになっても、ずっとずっと俺の可愛いレオだからなぁぁ!」
「わかった、わかったから、放して、苦しいってば!」
「ずっと、俺のレオだからなぁぁぁ!」
逃れようともがいたらさらにぎゅうっと締めあげられて、本当に苦しい。
ここにきてやっとジークとエリオットがフェリクスを引きはがしてくれた。
やっと解放されてふらふらになってカウチに座り込んだ私に、キアーラが水の入ったグラスを手渡してくれた。
「レオ様は愛されてますわね」
「そうだね。有難いことだけど、まさかここまでとは思ってなかった……あんなフェリクス、初めて見たよ」
「この勢いで囲い込まれたら、レオ様が箱入りになってしまうのも無理はありませんわ」
面白いものを見た、と笑うキアーラに私は苦笑した。
その後、おやすみなさいと挨拶をしてその場を辞した私とキアーラに続いてひっそりとマックスも部屋に帰ろうとしていたのだけど、いい笑顔のジークに捕まえられて引き戻されていた。
男性陣の飲み会はまだまだ続きそうだった。
翌日は皆で遠乗りに行く予定だったのに、男性全員が二日酔いで起き上がれない状態になっていて予定は変更となってしまった。
二日酔いに効くスープというのをお姉様に教えてもらって作りながら過ごすこととなった。
毒に強いというマックスまで二日酔いになるなんて、どれくらい飲まされたのだろうか。
「ごめんな、醜態を曝してしまって……」
夕方ごろにやっと復活したフェリクスが、なんとも気まずそうな顔で謝ってきた。
「おまえがアルツェークに発った後、ずっと心配してた。手紙で元気にしてるってことは伝わってきたけど、俺も一緒に行けばよかったって何度も思った。そして、例の魔獣をマックスと協力して斃したって聞いて、心臓が止まりそうなくらい驚いたんだ。急いで手回ししてこっちに来てみれば、おまえは見違えるほど成長してて、俺の知ってるレオじゃなくなったような気がして。なんか、焦ってしまったんだ」
私はフェリクスの愛情を感じて胸が暖かくなった。
それと同時に、こんなにも大事にしてくれる人を悲しませてしまっていたことを申し訳なく思い、深く反省した。
「私こそ、ごめんね。フェリクスにずっと酷い態度だった」
「いや、いいんだ。そういうことだったのかって、納得できる理由だったしな」
フェリクスはそれから逡巡するように視線を泳がせ、また私を見た。
「それから……あの時は、キツいことを言って悪かった」
あの時、というのはローレンスに襲撃された後のことだろう。
フェリクスが私にキツいこと言ったのなんて、あの時を除けばいつだったかもう思い出せないくらい前のことだ。
「謝らないで。私が叱られて当然のことをしたんだから」
あの襲撃のことを思い出すと、今でも恐怖と自分への情けなさで胸がいっぱいになる。
「私、アルツェークに来て本当によかったと思ってる。キアーラにも他の人たちにもたくさんのことを教えてもらったし、できることも増えたよ。フェリクスが言ってた覚悟というのも、今はできてると思う。すごく楽しい長期休暇だった。それに、私がアルツェークに来てなかったら、ファーリーン湖にでてきた魔獣でこのあたりは酷いことになってたかもしれないよね。そんな意味でも、私はここに来てよかったんだよ。あの時、私に発破をかけてくれてありがとう。あれがなかったら、私はここに来れなかった」
あの時、フェリクスがああやって叱ってくれなかったら、ジークにお願いしてもアルツェークに行く許可をくれなかっただろう。
今は私がどれだけ箱入り娘だったかがよくわかる。
ジークたちも数日ここで過ごしてみて、それを実感しているようだ。
「レオ。本当にこの休暇の間だけで成長したな。兄として誇らしく思うよ」
そう言ってフェリクスは久しぶりに私の頭を撫でてくれた。
アルツェークを発つ日の朝。
長期間お世話になったことの礼を述べた私とマックスに、おじ様は掌に収まるくらいの懐中時計を一つずつくれた。装飾もなくシンプルな造りながら、上質な素材でできていることがわかる。
「すまないね、こんなものしか思いつかなくて。きみたちはもう立派なナイフを持っているようだから、こういう形にさせてもらったよ」
魔力を流してみると、裏面にシストレイン子爵家の紋章が現れた。
これは、ジークがマックスに下賜したナイフと同じような効果を持つものだ。
「自己修復の付加魔法がついてるから、ネジを回す必要はない。それと、幸運の加護がついている。持っているだけできっと助けになるはずだ」
「おじ様、そんな、幸運の加護だなんて……」
付加魔法をかけることができる者は少ない。
これは生まれ持った才能によるもので、アレグリンドの王立学園でもこれができる生徒は年に一人現れたらいいほうだと言われている。
そして、その中でも加護までつけられる者はもっと少ない。
だから、加護がつけられたものは、とても高価なのだ。
「いいんだよ。私にもいろいろと伝手があるんだ。まだ学生の娘の友人から、恩を受けっぱなしというのは私のプライドに反する。受け取ってほしい」
私とマックスはちらりと視線を交わし、それでお互いに同意を示した。
「……わかりました。ありがたく頂戴いたします。大切にします」
「そうしておくれ」
おじ様は満足そうに笑った。
「きみたちが来てから、賑やかで楽しかったよ。まるで毎日お祭りみたいだった。また遊びにおいで。いつでも歓迎するよ。私にできることがあるなら、いつでも力になるからね」




